あの日の後悔と鼻に残る匂い
Twitterお題シリーズです!
お題「お線香」
「人ってのはなぁ」
太陽の日差しが眩しい原っぱで、誰かが私に語りかける。
「こっからここまで生きる!っていうのが決まってんだ」
誰かと私は原っぱの斜面に腰掛けていて、
「でもそれを俺らが知ることはできない」
私の左手と、誰かの右手が、
「だから今この時を、大事に生きるべきなんだ」
暖かい温度を交換しながら、触れ合っていた。
私の意志とは関係なく、部屋のカーテンが開かれる。
「ん、んぅ・・・?」
眼前がすりガラスのようにぼやけている。誰かが立っていることはわかるのだけれど、それが誰だかわからない。
「朝だぞ。七時だ」
声を聞いて初めて、誰かの正体を知る。
「・・・お兄ちゃん、部屋に勝手に入らないでってば」
私に正体を明かされた兄はそこから急に顔を近づけてきた。
「あぁ?お前が明日七時に起こしに来てって言ったんだろうが」
果たして、そうだっただろうか・・・
確か昨日、寝る前に目覚ましが壊れているのに気付いて、それから兄の部屋に・・・その時か。
「起きろ、よ」
「ふゅっ」
バチン、と両手で頬を弱めに叩かれ、そのまま顔をグニ、と押される。
「ははっ、おかしい顔」
段々とクリアになる視界の中心で笑っている兄の顔が鮮明に写りはじめた。
「や、やへへよ、おひぃひゃん」
そう言うとすぐに両手は離れ、兄も部屋から出ようとした。
「とにかく、早くメシ食えよ。遅かったらお前の分も食うからな」
「ちょ、それはダメだって!」
私は飛ぶようにベッドから降りて、兄より先に階段へ向かう。
階段を下りながら後ろを振り返ると、きょとんとした兄の顔があった。
「おい、危な―――――」
気付いたころには私の視界は右回転を始めていて、私が意識する前に、私の意識は途切れた。
「・・・」
カーテンの閉められた部屋。電気の消えた部屋。
ここは、俺の部屋じゃない。
妹の、部屋。
「・・・」
ベッドのに温もりは無く、ただただ俺の重さをふんわりと受け止めるだけだった。
握られた拳でさえも、反発せずに沈む・・・。
これは、俺のベッドじゃない。
妹の、ベッド。
「・・・」
俺の腰は、上がらなかった。
もうすでに家を出なければならない時間を過ぎている。
だけれど、俺の体は動かない。
「・・・」
リビングにさえ、下りたくなかった。
そこには現実が待っている。
妹が待っている。立方体に包まれて。
「・・・」
あの日、不注意を起こしたのは妹であり、俺だった。
あんなことを言ったばかりに、妹は急いで階段を下り、足を縺らせた。
そして、二度と動かぬ体になった。
母の妹の名前を呼ぶ声を聞くまで、俺の視界には俺のほうを振り返る妹の姿があった。
母の声で、階下で転がる妹の姿を初めて視認した。
「・・・」
ボーっと、床に視線を巡らせる。
今この部屋に居てはいけない。そうわかっているのに、俺は起きてすぐこの部屋に足が向かっていた。あの日からずっと。
タッ、タッ、と階段を上る音。母親が俺を呼びに来た。
俺が妹の部屋から出ると、流石に慣れたのか優しいまなざしで俺を見た。
「学校、今日も行かないの?」
その声には、咎めの色は含まれていない。心配と労い。労い?俺の何を労えばいいんだ。
「・・・うん」
俺はそれだけ告げて、自分の部屋に戻った。
俺の部屋もカーテンは閉ざされ灯りは点いていない。だけれど、妹の部屋とは様相が違う。
この部屋には俺がいるが、あの部屋に妹は居ない。
椅子に座って、カーテンから覗く外を見る。
朝らしく窓には結露が現れて、外の景色をぼやかせていた。
「・・・」
俺は隙間を埋めるように、カーテンではなく自分の瞼を閉じた。
暗闇。しかしそこには脳裏に刻み込まれた妹の姿。
そして同時に、鼻に違和感。何かの匂いがする。
これは、妹のお通夜で感じた匂い。お線香だ。
俺はその匂いで更にあの日のことを思い出すのが嫌で、ベッドに潜り込んだ。
鼻の奥にこびりついたあの匂い。俺はきつく瞼を閉じて、一心に眠れ、眠れと念じていた。
「人っていうのはさぁ」
太陽の日差しが眩しい原っぱで、誰かが俺に語りかける。
「ここからここまで生きる!っていうのが決まってるんだよ」
誰かと俺は原っぱの斜面に腰掛けていて、
「でもそれを私らが知ることはできない」
俺の右手と、誰かの左手が、
「だから今この時を、大事に生きるべきなんだ」
暖かい温度を交換しながら、触れ合っていた。
それは、俺が幼い頃に妹に言った言葉。
まだ意味も理解できないであろう俺の哲学を、ポロリと落とした経験。
起き上がった俺の頬を、何かが伝う。
「・・・え?」
気付くとそれは、視界を乱すことなく俺の手の甲に落ちた。
「・・・」
夢の中であの言葉を言っていたのは、あの日に近しい妹だった。
手の甲に落ちる。
俺の言葉をほぼ正しく俺に返して来た。
手の甲に落ちる。
今まで俺は、それを言ったことすら忘れていたのに。
手の甲に落ちる。
なんだって今そんな夢を見るんだ。
手の甲に落ちる。
あの日から昨日までは夢すら見なかったのに。
手の甲に落ちる。
「なんでだよ・・・っう・・・」
手の甲に落ちる。
俺の視界は水晶のように透明で、水飴のように歪んでいた。
鼻の奥に、お線香の匂いが残っている。
俺は若き日の言葉を妹の声で反芻しながら、涙を流し続けた。
「人ってのはなぁ」
太陽の日差しが眩しい原っぱで、兄がに語りかける。
「こっからここまで生きる!っていうのが決まってんだ」
兄と妹は原っぱの斜面に腰掛けていて、
「でもそれを俺らが知ることはできない」
妹の左手と、兄の右手が、
「だから今この時を、大事に生きるべきなんだ」
暖かい温度を交換しながら、触れ合っていた。
その手の感触を確かめながら、妹は問いかけた。
「じゃあ、死んじゃったら終わりなの?」
妹の手を握り締め、兄は答えた。
「いいや、そんなことはない。死んじゃっても、お線香がある」
妹は兄の横顔を不思議そうに見つめる。
「お線香?」
兄はそんな妹の顔を見ることは無く、広い空に向かって言った。
「あぁ。お線香は道を作ってくれるんだ。空へ向かう、長い長い道を」
そして兄は、真っ暗な部屋の中で涙を流し終え、部屋の扉の前に立ち、言った。
「死んでしまった時は、お線香の匂いを辿って行けば、必ずまた、会える」
扉を開けた兄は、今までよりも強く、お線香の匂いを感じ、階段を下り始めた。
お線香の匂いを頼りに、妹に会うために。
如何でしたか?
是非ご感想を頂きたいです。
御精読ありがとうございました。