9. エピローグ
昔見た映画を思い出す。
一作目と二作目はクリスマスイヴが舞台だった。三作目の舞台はいつだったか。二作目は一作目よりもつまらない、というのが映画に対する持論だったが、このシリーズはいい意味で裏切ってくれた、そんな映画だった。
そういえば、カズタカの現れ方も映画さながらだった。顔を庇い、ガラスを破って現れた。警備員というおまけ付きだ。いや、おまけといえばもっとすごいモノが憑いてきたのだが。
あの日から三ヶ月経った。
あの日からカズタカとは会っていない。
今考えると、あの三日間は夢の中のような気がする。何一つ証拠がない。手元に残っている物はなにもない。自分の夢の中の出来事なら、それでいいのかもしれない。
そんな事を思い出しながら、今サユキはあの日と同じ場所を歩いている。
月日は逆流することなく流れ、もう立派な冬。街はイルミネーションに彩られ、もうすぐやってくるクリスマスに向けてその装いを改めている。これから年末にかけて、最も華やかな季節になる。
だが、こう太陽の昇っている昼間ではその存在は分からない。サンタクロースのポスターや、葉を落としてLEDライトを纏った街路樹、そして冷たく乾いたこの季節特有の空気。
やがて、カズタカが現れたガラスの前に来る。すでに新しいガラスに張り替えられ、カズタカの面影は何もない。ここにくればあの黒い服をした青年がいるような気がした。全く期待していなかったといえば嘘になる。期待していたのは本当に少しで、だから彼がここにいなくても、あまり落胆しなかった。
そうして、モールの下まで来る。あの展示室では今『クリスマスの歴史に見る社会情勢』という催し物が行われているらしい。今日なぜここに来たのかというと、授業と遊びのためだ。
年末になり、成績の悪い一部の生徒に対して特別課外授業が言い渡された。それは、どこか科学館、博物館、展示会等へ行きそこでの内容をレポートにまとめると言うものだ。サユキは成績的に全く問題が無かった。が、当然それに賭ける生徒もいる。
「どうせならみんなで行こうぜ」
言い出したのは、まさにそのレポートに賭ける生徒だった。その提案に、サユキも乗ったのだ。そして選ばれた展示会が『クリスマスの歴史に見る社会情勢』だった。他の生徒に言わせると、今の季節らしくてちょうどいい、だそうだ。
集合場所になっているモールの正面出入り口に着いたが誰も来ていない。どうやらサユキが一番らしい。時計を見ると集合時間まであと十分ほどある。
微妙な時間だ。ただ突っ立って待つにしては長いが、どこかへ行くには短い。
さて、どうしようかと考えている時、視界の端で、人の流れの合間に黒いジャケットが見えた。
最初は人違いだと思った。黒の服を着た人を見て何度も落胆した。だから黒服をみて注意はするが期待はしない。それがこの三ヶ月で習得した事だ。黒ジャケットは人の波を縫いながら近づいてくる。モールに入るのか、と思ったがどうも違う。まっすぐにサユキの所に向かってくる。
近づいてい来るその顔は、髪が短くすっきりとしているが間違いなくカズタカのそれだった。シチュエーションは違うが、あの日と同じくらい突然の現れ方だった。驚いて、次に嬉しそうに笑おうとしたその顔が、笑おうとしたまま固まる。カズタカの隣に女の人を見つけたからだ。少し小柄で髪はストレートでショート。確かカズタカは何と言っていたか。
―彼女がアメリカに留学中なんだ
その人がそうなのか。
「久しぶり。ごめんね、なかなかお礼にいけなくて」
三ヶ月ぶりに聞いた声は、三ヶ月前と比べて明るくなっている。繰り返される三日間に焦燥し疲労していた頃と比べると明るく前向きな印象を受けた。
いろいろ言いたいことがある。だが何一つうまく言葉にできない。
お久しぶりです。
その後どうなりましたか?
もう戻りたいなんて思うことはありませんか?
あの三日間は現実だったんですね。
―隣の女性、誰ですか?
「いえ、気にしてませんよ。大丈夫です」
そう答えるのがやっとだった。顔はカズタカのほうに向けているが、意識は隣の女性へ向いてしまう。それが通じたのか、カズタカは隣の女性をサユキに紹介する。
「俺が今付き合っている人。あの時はアメリカに行っていたんだ。って話したっけ?あの三日間が終わってから、日本に帰ってきたんだ」
カズタカに紹介されて、初めて視線を彼女に向ける。
「はじめまして、サユキさん。カズタカの彼女でミカコって言います。話はカズタカから聞いています、どうも三ヶ月ほど前はお世話になったそうで。私のほうからもお礼を言います。本当にありがとう」
どう見ても自分より年下のサユキにミカコと名乗った女性は丁寧にお礼を言う。
そんなミカコの言葉も、ほとんど耳に入らない。カズタカの彼女を名乗る女性―ミカコから目が離せない。
そして納得した。
どうして彼が時空を超えたのか、その理由が。
どうしてあのタイミングで彼女が入ってきたのか、その理由が。
あの会話の中にあったわずかな違和感、その理由が。
傍から見れば、サユキがミカコに見とれているようにも見えただろう。実際そう言って間違いではない。
ミカコの後を引き継ぐようにカズタカは話し出す。
「あれから俺は会社と社会に復帰できた。最初はやっぱり数年ぶりの仕事だったから、思い出す事が多くて大変だった。でも、今は何とかやっていけている。どんなに辛くて大変でも、時間を戻したいなんて馬鹿な事は考えないよ。あの三日間の繰り返しの日々に比べたら、大抵の困難は乗り越えられるからね。
あの三日間、本当に辛かった。何が辛かったのかっていうと『何も残せない』という事だった。どんなに頑張って何かをしても、数時間後にはなくなってしまう。自分には認識できなくなってしまう。だから何をやっても無駄。やってもやらなくても同じ。いい事も悪い事も、平等に無価値になってしまうあの時間の中では全てに意味が無かった。
だから今は幸せなんだ。ここでは全てが明日へと繋がっている。いい事も悪い事も、全部無駄にはならないし無意味ではない。意味があって価値がある。そりゃ、失敗もするしその代償は未来で支払わなければならない。それはあまり気持ちのいい事ではないし、失敗を取り消したいと思うけど、でもあの三日間のように全てを無くす事に比べればたいした事はない。その失敗を乗り越えて俺は進んでいこうと思ってる。
成功は自信に変えて、失敗は糧にして。全ての事には意味がある。―それが学べたのだから、あの三日間も無駄ではなかった。
そして、それが分かったのも、この世界に戻ってこられたのも、君のおかげだ。本当にありがとう」
それが、カズタカが数年間時空の狭間でさまよいながら掴んだ答えだった。先に繋がる事という当たり前の事に対する幸せ。普通の人なら絶対に理解できないそれを掴んだカズタカは、あの時とは別人のようだ。―否、これが本来の彼の姿なのだろう。
「もう、私にはそんな話全然してくれないのにサユキさんにはするわけ?その三日間では彼女がいる事の幸せは学ばなかったの?」
そういってむくれるミカコ。
「彼女に会えない辛さならお前がアメリカに留学したときにもう味わい済みだ。まぁ、たった数ヶ月の留学で数年間会えなくなるとは思わなかったけどね」
だから今は、本当に幸せなんだ。
言葉にはしなかったが、ミカコを見るカズタカの目は雄弁にそう語っている。
全ての事に意味を感じられるようになり幸せだというカズタカ、だが何よりも嬉しいのは大切な人と再会できた事だろう。そんなカズタカの目を見て何を言いたいのか分かったらしい。ミカコは恥ずかしそうに顔をうつむかせながら
「もう、そんな事は堂々と街中で言う事ないじゃない。本当に変わったわね、前は頼んでもそんな事言ってくれなかったのに」
ぶつぶつと文句を言う。誰の目から見ても、明らかに照れ隠しだ。
お二人とも、目の前の私の事忘れてません?
目の前でノロケるカズタカとミカコを見て、サユキはそんな事を思ったり思わなかったり。
そんなサユキに気がついたのか、ミカコは慌てて話をサユキに戻す。
「今日は、何か用事があるの?」
「えぇ、学校の友達とこの展覧会に来る約束をしているんです。どうも私が一番みたいで、まだみんな来てないんですけど…」
そういって時計を見る。針は集合時刻を指していた。
「ふふ、まだ誰も来ないんだ。いいわね、時間に正確なのはいい事よ」
そう言ったミカコはどこか不敵に笑った、ような気がした。
確かその顔は三ヶ月前に―。
「それじゃあ、僕達はそろそろ行くよ。繰り返しになるけど、本当にありがとう。何か困った事があったら遠慮なく連絡してくれ。これ、メールアドレスと携帯番号ね」
そういって十一桁の数字とアルファベットを書いたメモをサユキに渡す。
「よく自分の彼女の前で堂々と他の女にアドレスを渡せるわね」
横からからかっているような口調でミカコが言った。
「何言ってるんだ、彼女は特別だろ。大丈夫だよ。俺が一方的に教えるだけだから。俺からは連絡しない。交換じゃなくて提示だよ」
それでも普通そういうのは影でやるものじゃないの、などとミカコは言っている。
カズタカさん、後でどうなっても知らないですよ…?
「これで、お別れだ。何かあったら遠慮なく連絡をしてくれ。すぐに駆けつけて力になるよ」
最後までお礼を繰り返したカズタカと
「ふーん、私にはそんなこと言ってくれないのに。これからちょっとお話をしましょうか?」
カズタカの今後が気になるような台詞を残したミカコ。
突然現れて、引き止めるまもなく二人は去っていった。あれはあれで、仲がいいのだろう。
大きく息を吐く。
カズタカ、ずいぶんと明るくなった。もう大丈夫だろう。
そして、ミカコ。黒のショートヘア、緑を基調とした服装がよく似合っていたし、ちゃんと地面に足がついているようだけど。よく通る声、右目の下にあるホクロ、その整った顔。その全てが、三ヶ月前に出会った神様と同じ。
トキジクは言っていた。カズタカには強くなってもらいたいと。なぜ神であるトキジクが普通の人間であるカズタカを強くなって欲しいと望んだのか。今なら分かる。トキジクにとってカズタカは『普通』の人ではないからだ。
耳に熱湯を入れようとしたとき。トキジクは止めるようなタイミングで現れた。当然だ、自分の彼氏の耳に熱湯が注がれそうだというのに黙って見ている訳がない。
結局、あの不思議な出来事を一言で言えば、よくある痴話喧嘩の類で、片一方が人間以外だっただけの、たぶん二度とないよくある話だったのだ。
「あ、サユキもういるじゃん!」
遠くからそんな声が聞こえる。
見ると、5〜6人くらいの高校生の男女がやってくる。どうやらみんな遅刻らしい。
バタバタと走って、口々に言いたいことを言う。あっという間に周りは賑やかになった。
「ごめん、サユキ!待った?」
「本当ごめんね、でも悪いのはケイタだよ。あいつが遅刻さえしなければ電車乗り遅れなかったんだから」
「おい、俺のせいかよ!?ヨシヒロだって遅刻したんだろ?」
「バカ、お前みたいな大遅刻と一緒にするな!俺はぎりぎりで間に合わなかったんだ、遅刻じゃない!」
「それが遅刻っていうの。置いていこうかって言ったんだけど、エリカがもう少し待つって」
「うん、ごめんねサユキ。でもケイタとかヨシヒロとかこの場所知らないって言ってたから。待たないとかわいそうかなって・・・」
「そんな訳ないでしょ、この辺に住んでてモールに来られない奴なんていないって。だめよエリカ、こいつらのいう事まともに受けちゃ」
「え、嘘だったの?…本当、ケイタ?」
「………そ、それにしても早いなサユキ!全く、お前には時間の神様の加護でもあるのか?」
テンションの高さに付いていけなかったサユキに話が振られる。
時間の神様。その問いにどう答えるべきか考える前に、自然と答えを口にしていた。
「…うん、そう。私、時間の神様と知り合いなんだ!」
そのあまりの明るい答えかたに、五人の反応はそれぞれだった。
「アハハ!なにそれ、そんな神様いたら紹介してよ!」
「お、いいねぇ。俺もぜひお知り合いになりたい!」
「どうしたの、サユキ。そんなキャラじゃなかったよ?」
「その神様が美人な女の神だといいなぁ」
「いや、でも遅刻はよくないよね…」
五人はその明るい答えの裏でサユキがどんな体験をしたのかを知らない。彼女がどんな思いでその言葉を口にしたのか知らない。
サユキが三ヶ月前の出来事に付いて―たとえ冗談口調でも―他の人に対して話したのはこれが初めてだった。
自分でも驚くほど自然と言葉が出て、あの事件に対して、心の整理が付いている事に気がついた。時間が経つとは、そういう事だ。
いろいろあったけど、サユキがあの事件から学んだ事と言えば。
私も早く、彼氏をつくろう。
そんな、当たり前の事だった。