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時間短編  作者: 一文字
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4. 土曜日・焼肉口論

目が覚めても、机の上で輝く深緑の宝珠を見るまで昨日のことは夢だと思った。

―この珠を、日曜日の俺に渡してほしい。

その願いをサユリは受けた。委員長気質が災いしたと思っている。

だが本当はそれだけではない。きっと、自分はこの事態に―憧れていた非日常に、期待している。

カズタカのいう事―未来から来たとか、繰り返しているとか―は信じていない。だが、決して利子利欲でこの宝珠を強盗するような悪人には見えない。

やはり何かの理由があってこの宝珠を手にいれなければならなかったのだ。例えば、そう。どこかの組織から『恋人は預かった、返して欲しければ宝珠と交換だ』というような事を言われていて、それで自分には本当のことを言えずに未来から来た、なんて嘘をついたのではないか。

だが、もしそうだとすると自分に宝珠を渡す必要はない。自分で持っていればいいのだから。つまり、今日宝珠を持っているとなにか都合が悪くて、明後日には絶対に必要になる。

こんな小さな珠、預かるだけならどこでもやってくれるだろう。駅のコインロッカーに入れておけばそれでおしまいだ。だが、組織に常に監視されていてもしロッカーを破壊され宝珠を持っていかれたら……。

そこまで考えて気が付く。今、そのコインロッカーの役目をしているのはサユキではないか。

「…もしかして、私ってヤバイのかな?」

口に出して、ぞっとする。慌てて窓のカーテンを閉めた。部屋が薄暗くなる。

部屋の外からはテレビの音と、両親の話し声。今日は休日だから二人とも家にいるのだろう。平和な休日の朝そのもので、今のところ不穏な様子はない。

時間は午前七時。休日の朝としてはまだ早い時間だ。

ふぅ、と息を吐いて仰向けにベッドに倒れこむ。

何が本当なのか今の自分では分からない。

宝珠を見る。薄暗くなった部屋の中でもそのきらめきは色あせずまるで自ら光を放っているかのようで、悩むサユキに微笑みかけているようだった。



詳しい話は明日の俺に聞いてくれ、多分今日会った時間にモール辺りにいるから。

昨日、そう言ってカズタカは帰って行った。その言葉に従ってサユキは今モールの前にいる。昨日ガラスをぶち破って飛び出した馬鹿者がいたため、ガラス張りの壁の一部はビニールで覆われている。

だが、この日は誰も破られたガラスは気にしていなかった。それはサユキも例外ではない。

入り口には警備員が立っており、扉は閉ざされている。ガラス張りの中では、警察官が忙しく動き回っていた。そんな異常な風景でも、目をやる人は少ない。モールの前に来た人は、例外なく上を―最上階を見上げる。

昨日最上階の特設ホールが火事になる、と予言されたビルは、最上階の外壁が黒ずんでおり彼の言葉の正しさをその身で示していた。

「……うそだ」

サユキは呆然とつぶやく。

彼が言っていた。モールが燃えると。

つまりこれは事故ではない。何者かが燃やしたのだ。そしてその計画にカズタカはかかわっている。そして、それを知っている自分はどうなるのだろう。

数時間前に考えた、自分の身は安全なのか、という問題。慌てて周囲を見回す。

休日という事もあって人通りは多い。だが、黒スーツにサングラスでじっとこっちを見ているような分かりやすい不審者は、今のところいない。

そのかわり、少し離れたところでやはり建物の上を見ている黒い服の男に気がついた。

カズタカだった。

やはり他の人と同様に、最上階を見上げている。もうすでに鎮火しており、炎や煙が出ている事もない。だから普通の人なら少し眺めて、すぐに興味を失う。

だが、カズタカは違った。いつまでも眺め続ける。まるで睨むように、挑むように。そのまっすぐな眼差しを見てもう一度確信する。

彼は悪い人じゃない。何か事情があって、未来から来たなどと言っているのだろう。

だからしばらくは、彼の嘘に付き合おうと思った。



「やっぱり、この火災は自分の繰り返しに影響していると思います?」

後ろからそう話しかけるとカズタカは、『バッ!』という効果音が相応しい勢いで振り返る。

そうして、サユキの全身を見回して―それは異性を見る目ではなく、単純に純粋に戦力分析の視線だ―相手が何の変哲もない女の子だと一応認識したらしい。まだ身体が緊張状態でいるため、完全に信用していない事はわかる。

「誰だ?なぜそれを知っている?」

時間を逆行していると昨日のカズタカは言った。つまりサユキにとって昨日の事はカズタカにとって明日の事。昨日のカズタカは、明日君を助けたと言っていたが、目の前のカズタカはサユキに面識はないらしい。

昨日知り合った事で違う未来になった、とでも言いたいのだろうか。

「昨日のあなたに聞いたんですよ、カズタカさん」

警戒を解かないカズタカに昨日の台詞を返してやる。

カズタカはその言葉の意味を考えている。彼女を警戒するその姿は、昨日の別れ際とは別人のようだった。

しばらくして、

「昨日の俺、ね。ならば俺の状況も分かっているのか?」

「大体聞いています。でも―」

「信じるのか?」

突然の質問。

声はこれ以上ないくらい真面目だ。冗談を言えるような雰囲気ではない。

「……信じます」

昨日の焼きまわしだが、昨日とは何かが違う。そう感じながらも、サユキははっきりと答えた。そうしてにらみ合う二人。サユキには長い時間のように感じたが、実際は数十秒ほどだ。

やがて、ふっと力を抜くカズタカ。

「そうか。すこし聞きたい事があるんだ、どこか座って話せる場所に行きたいんだが…」

そう言ってカズタカは腕時計を見る。その声と態度から警戒が解けたことが分かった。

サユキも自分の腕時計を見る。時間は十時を少し過ぎたところ。

「十時じゃ、お昼には少し早いですね?」

そういうサユリに、

「つまり今なら食事所も空席があるということだろ?」

と、ポジティブな事を言ってニヤっとわらう。

その子供がいたずらを自慢するような、純粋な笑顔をみて一瞬サユキの意識に空白が生まれる。

それを悟らせぬよう

「いいですよ、行きましょう」

サユキが答えて、二人はいまだ現場検証が続くモールを後にした。



座って話せる場所、と言っていたのでサユキは、コーヒーショップかファーストフード店に入るのかと思っていた。

だがカズタカに連れられて行った先は、焼肉屋だった。

時間はまだ昼前。開店してまもなくといった雰囲気だ。

すこしためらうサユキに

「どうした?焼肉屋は初めてか?」

「いえ、初めてではないですけど…。本当にここに入るんですか?」

「そのつもりだ。もしかして焼肉嫌いか?」

「いえ、そうじゃないんですけど…」

なら問題ないじゃないか、とカズタカは店に入ってしまった。

こうなったら仕方ない、と覚悟を決める。

別にサユキは菜食主義者ではないし、焼肉も嫌いではない。だが、昼間から食べるものでもないと思う。

最後に体重計に乗ったのはいつだっけ?自問しながら、店に入る。サユキだって、女子高生なのだ。

店は当然空いている。2人なのにもかかわらず、カズタカは4人用のボックス席を占拠した。最初のお飲み物は?という店員に、2人ともウーロン茶を頼む。

「ビールじゃなくていいんですか?」

半分冗談、半分本気で聞いてみた。

「昼間から酔っ払ってどうする?」

一応時間の意識はあるらしい。ならば焼肉屋などに入らないで欲しかった。

ふと、気になった事を聞いてみる。

「そういえば、何歳なんです?」

見た目では十九から二十二歳といったところだ。アルコールが飲めるのか、非常に微妙でデリケートなラインである。

「一応今年で22歳になる」

アルコールは飲めるようだ。ついでに自分と4歳差という事になる。

「まぁ、繰り返している間をカウントするともっと年上って事になるんだろうけどね」

「もっとって、どれくらいの間その……」

繰り返しているのか、と聞きたかったのだが自分の口からその言葉が出せない。

そんなサユキの言いたいことをカズタカは読み取ったらしい。

「どれくらい、か。どうだろう、数えていないし季節が巡るわけでもない、まして俺自身が老化して(ふけて)いくわけでもないからな。それでももう一年くらいは繰り返している気がする」

1年。365日。それはサユキの想像を上回る期間だった。とりあえずはそういう設定らしい。

これ以上その話はしたくない。サユキは話題をそらす。

「何で焼肉屋なんですか?てっきりコーヒーショップとかファーストフードとか、そういうお店に入ると思ったんですけど」

「あぁ、それはな」

ちょうどそこで、店員がウーロン茶を持ってやってくる。

ついでにカズタカは、シーザーサラダとキムチ盛り合わせと冷麺を注文した。サユキも冷麺を注文する。

店員は注文を繰り返すと店の奥へと消えていった。

「焼肉屋だと、ボックス席があるから。あまり誰かに聞かれたくはないだろ、逆向きに繰り返すなんて話は」

そういって、壁をノックするように叩く。目隠しとしては役に立つだろうが、響く軽い音は、まるで壁が自分は地震の際には何のお役にも立てませんとアピールしているようだった。

このお店の耐震強度はとりあえず置いておくとして、カズタカの説明はもっともだ。ファーストフードにしろコーヒーショップにしろ、隣の客の会話なんて筒抜けもいいところだ。それに、これからの時間はお店が込みだす時間だ。だが焼肉店ならまだお店が込みだすには少し早い。そういう意味でも、人に聞かれなくない会話にはちょうどよかった。


「22歳って事は、大学生ですか?」

サユキは箸を止めてたずねる。

「いや、もう働いている。立派…かどうか分からないが、社会人だ」

ちょっと意外だった。という事はつまり、カズタカは高卒で働いているという事になるのか。

「家族…は?」

家族には三日間の繰り返しを打ち明けないんですか?―そう聞こうとして、寸前でやめた。あまり今はその話をしたくない。もし彼の未来から来たという話にボロが出た場合、自分の身の安全が保障されないからだ。

「市内に実家があってね。そこで両親と弟が暮らしている。就職してからは一人暮らしだから、あんまり顔あわせないよ。それに、今こんな状況だし」

その話はしたくないというのに、どうしてそこにいきつくのか。何か他の話しをしないと…、と慌てて話題を変えようとして―

「…えっと、彼女はいないんですか?」

―墓穴を掘った。

カズタカは少し驚いたような顔をしている。だが、驚き具合ならサユキだって負けてはいない。あえて弁解すれば、目の前の男に対する不信と信頼の間で精神的に不安定となっていた所に、急遽話題の転換を求められた結果である。

決してカズタカに対して好意を抱いているとかそういった事は無い。

「彼女なら、いる」

決してカズタカに対して好意を抱いているとかそういった事は無い―はずだ。

嬉しそうに、少し恥ずかしそうに答えたカズタカの顔をみて、自分の中の何かが凍り付いていく。そしてそんなサユキに気がつく様子もなく

「就職してから付き合い始めたんだけどさ。俺が言うのもなんだけど、結構美人だよ」

聞いてもいないのにのろけだす。いや、話題を振ったのはサユキだ。そして自分で振ったから、会話を断ち切ることもできない。

「最近、会っていますか?」

その質問に、口に入れようとしていた冷麺の動きが一瞬とまる。

「……いや、会ってないよ。相手は今アメリカ留学中で、俺はこんな状況だから」

こんな状況。三日間を繰り返す。

しかも相手は海外留学中だという。一年間会っていないのだろう。そんな様子を語るカズタカの口調は今までと変わらないが、逆にそれが痛々しいほど悲しさをあらわしているような気がした。



もうそろそろ、本題に入ろう。話をしたくない、などと言っていられない。

相手のぼろに気がつかないように気をつける。気をつける向きが普通と逆だが仕方がない。

冷麺も食べ終わり、箸をおき、サユキは少し姿勢を正した。

その仕草で、ついに話が本題に入るという事がわかったのだろう。カズタカも箸を置いた。

「昨日あなたから預かった宝珠の事で聞きたいことがあるのですが」

「珠?なに、あの宝珠を持ってるのか?」

そういいつつテーブルに身を乗り出している。興奮気味なカズタカを見るのは初めてだった。

「ええ、昨日―あなたにとっては明日ですけど―あなたに渡されました。今日は持ってきていませんけど」

「…そうか。明日の俺は無事に珠を取ったのか。…一つ聞いても?」

「何ですか?」

「俺がどうやってその珠を手に入れたのか、何か聞いているか?」

それはつまり、昨日俺が何をやったのか知っているか、という質問。

昨日の様子を思い出す。ガラスを破って飛び出してくるその姿。追いかけてくる警備員。そして、彼自身が言った言葉。

すりむいた膝に自然と手をやる。

「…モールでビニールシートがかかっていた場所があったでしょう?詳しくは知らないですが、あなたはそこのガラスを破って飛び出してきてきました。それに昨日のあなたには『強盗してきた』と言われました」

実際にどうやったのかはともかく、少なくとも真っ当な手段で手に入れたのではない事は分かる。そもそも展示物だ、入手できるはずがない。それでもサユキの部屋にあるという事は、その入手手段が真っ当ではないという事。ガラスを破っていた。警備員にも追われた。犯罪すれすれ、ですらない。犯罪である。証拠が無いからカズタカが犯人と断定はできないが、それでも重要参考人程度にはなるだろう。

何か事情があるはずだ。

何か事情を知っているはずだ。

知りたいが、知ってはいけない事だろう。知れば何かしらの犯罪に巻き込まれる事になる。それは決して、サユキの望む所ではない。

カズタカは暫く考える素振りを見せて

「…まぁ、方法はともかく。明日の俺は無事、といえるかどうかはともかく珠を手にする事はできたわけだ」

「ええ、今は私が持っているんですけど…」

そして、サユキは一番気になっている事を聞いた。

「その珠、私はどうすればいいんですか?昨日の話では、日曜日カズタカさんに渡せばいいみたいな事を言っていましたけど」

カズタカは、再び考え込む。

考え込むってどういう事だろう。何か難しい事をしないといけないのか、それとも何も考えていなかったのか。サユキとしては、早く珠を手放したい。何しろ盗品だ。だがカズタカの口から出た答えは

「その珠をどうすればいいのか、正直俺もよく分からない」

どうやらもう少しカズタカに付き合う羽目になりそうな答えだった。



その答えを聞いて湧き上がった感情は、怒りだった。

「なんですか、そのよくわからないって」

その怒りを隠さずにぶつける。カズタカは

「俺は神様じゃない、わからない事だってある。ただ、俺の経験からだと日曜の午後十時にその宝珠が必要になるはず、という事だ」

残ったサラダを平らげてそう言う様子からは、すまないと思う気持ちのかけらも感じられない。だがサユキはその言葉で怒りを忘れる。

午後十時。そんな時間の縛りがあるなんて聞いていない。

「午後十時って、何か理由があるんですか?」

「その話は聞いていないのか?ま、言ってしまうと俺の逆行と繰り返しに関係しているんだ。俺の一日の終わりは午後十時、どうしてもそれ以降起きていられないんだ。ものすごい眠気に襲われる。何をしても抵抗しきれない、眠るというより気絶に近い。そして起きるのは翌朝七時頃だ」

つまり、カズタカは毎日九時間寝ているという事になる。

どれだけ健康児なんだ。最近の小学生だってそんな早寝する奴はいない。

「時間に関しては分かったんですけど、場所は変わるんですか?」

「どこにいても必ず十時に気を失う。そして起きるのは自分の部屋のだ」

つまりこのループは必ず自分の部屋から始まるという事。

そして、彼がいう日曜の午後十時。それは一番未来に近いタイミングで、さっきカズタカが言っていた事を考えると、

「つまり、日曜の夜十時頃にあなたの側に置いておけばいいと?」

「ただ俺が持っているだけじゃダメなんだ。できれば、傍にいて欲しい。午後十時になった時に俺に何が起きるのか見届けて欲しいんだ。そのかわり場所は君の好きなところでいい」

つまり明日の夜十時にカズタカと一緒にいる事。

サユキは大きくため息をついて、期待と不安を押し隠した顔のカズタカに「わかりました」と言った。その程度の事はすでに覚悟している。違う意味で一夜を共にしてくれと言われたら間髪いれず断っていたところだが。



「じゃあ、相手の両親に会った事はあるんですか?」

「あぁ。手持ちの中で一番いいスーツで行った」

真面目な話をして少し疲れたので話は雑談へと流れた。今は何の話かと言うと、カズタカの彼女のことだ。社会人の付き合いというのは高校生のサユキにとって未知の領域で、結婚なんてドラマの中の話だ。そんな彼女にとってカズタカは格好の獲物とも言えた。

彼が彼女の事で傷ついているのなら変に溜め込むより話したほうがいいはずだ、というのは彼女の心の中の言い訳で、もちろんカズタカの抱えている問題解決には何の関係も無い、120%サユキの好奇心だった。彼女だって、女子高生なのだ。

「やっぱり緊張しました?」

「それはな。入試テストとか、入社試験とか、卒研発表会とか、いろいろ緊張する場数は踏んできたつもりだったが、全く次元が違った」

サユキは高校入試を思い出す。そのときも緊張したが、そんなものの比じゃないのだろう。

「そんなにすごいんですか?」

そう聞くサユキに、カズタカはその時の緊張を思い出しているのだろう。すこし背筋を伸ばし顔をこわばらせて語ってくれた。

「ご両親のいる部屋のふすまを開けたら、両親は2人とも和服姿だった。

母親のほうはニコニコ笑っていたけど、親父さんはなぜか口には半紙をくわえて、耳掻きの反対側みたいな奴持って抜き身の日本刀の手入れをしていた。話をする間も目を合わせてくれないし、刀も最後まで手放さなかった」

リアルで死ぬかと思ったよ、と乾いた笑顔で語る。だが、笑顔で聞けるような話ではない。

「彼女ってもしかして、ヤクザの一人娘ですか?」

「いや、大きな神社の神主の娘。だから、年末年始には巫女に早代わりだ」

話のポイントのみを抜粋すると、『日本刀』と『巫女』。この組み合わせがいいという人も世の中にはいるという話を思い出す。もしかしてカズタカもそんな人なのだろうか。

そんなサユキの疑いには気が付かずカズタカは話を続ける。

「でもよく信じたな、三日間を逆行して繰り返すなんて。普通なら信じないぞ」

「そうですけど。昨日言っていた通り、モールの特設ホールが燃えましたから。信じないわけにはいかないですよ」

自分の頼みを聞き入れてもらえたからだろう、カズタカもサユキを信じたようだ。二人の間に打解けた空気が流れる。

「他には絶対に今日起きる事ってないからな。モールの火災を例えるのは最善手だ」

その言葉で昨日の会話を思い出す。サユキには昨日から気になっている事があった。それは会話の中に出てきた一言。特に深い意味は無いのかもしれない、だがそれがどうしても忘れられない。

「…昨日のあなたが言っていた事で、一つ聞きたいことがあるんですが」

「何だ?俺が答えられる事なら答えるが」

それは本当に些細な一言。言葉のあやかもしれないような、わずかな違和感。

昨日カズタカは言った。『普通の生活に戻るために色々なことをした。海外まで逃げたし―

死にそうな人を助けたこともあった』

「繰り返しの間に、誰か死ぬところを見たんですか?」

それまで二人の間に流れていた、ゆったりとした空気が。

その一言で、一瞬凍りついた。

「…あぁ、そうだ」

返事は酷く素っ気無く。

命の話なのに味気ない。

こうもはっきりと肯定されるとは思わなかったサユキは次の言葉が続けられず。

カズタカは、一人の女の子の話を始める。

「どこの高校に通っているのかは知らない。もしかしたら君と同じ高校なのかも知れない。その子はいじめにあっていた。かなり陰湿に、執拗に。悩んだ末に学校に相談したが解決できず、逆にいじめはエスカレートする。そして耐え切れなくなった彼女は、電車に飛び込んだ」

まるで映画や小説のストーリーを紹介するかのような口調で特に気負った様子もなく、淡々と話す。

実際に人の命がかかわっているとは思えない。

実際の人の命がかかわっているとは思えない。

サユキは思わず尋ねてしまった。

「…それ、本当ですか?」

「ああ、本当だ」

この瞬間、時間を逆行して繰り返している事の真偽はどうでもよくなった。カズタカは昨日モールの火災を言った。それが予言であれ宣言であれ、実際に火事は起きた。今度は、人が死ぬという。それだけが重要だった。

「どうして…?」

「一人の小さな死では日数に誤差が出るからな。それに比べてモールの火災は確実に起きる。明日の俺が未来予言に使わなかった理由も―」

「違う!そうじゃない!」

カズタカの言葉をさえぎりながら思わず両手でテーブルを叩く。もうお昼のピークは過ぎてお客も減った静かな店内に大きな音が響き、店員の盗み見るような視線を感じるが無視した。声のボリュームも落とさない。

「どうして人が死ぬのにそんな他人事なんですか!?いつ起きるか分からなくてもいつか起きるのなら、それは止めないと!」

目に怒りを込めてカズタカを睨む。

サユキの行動に一瞬驚いたカズタカも、すぐに冷静を取り戻した。そして瞳には冷静を通り過ぎて冷めた色が浮かべて、

「ふん、一人死ぬくらいで騒ぐな」

感情のこもらない声で、静かにそういった。



「どうして他人事かって?当然だろう、他人だからだ。

知っているのか、全国で毎日どれくらいの人が死んでいるのか。事件事故病気、毎日誰かが死んで小さなニュースとなる。それをいちいち悲しみ悼んで生きてきたのか?違うだろう、そういう出来事を知りながら他人事として暮らしてきたのだろう?

それが正しいんだ。自分に関係ない他人の死に心を割いていたら暮らせない時代だ。外国の戦争で一万人死のうが、どこかの火事で百人死のうが、近所で高校生が自殺しようが。他人なら、それはただの情報だ。気にすることはないし、気にしてはいけない。

ただ通り過ぎるだけの他人は、風景と同じだ」

冷めた声で、声以上に冷酷な事を言う。表情は鋼のようでさっきまで恥ずかしそうに笑顔を浮かべて彼女の話をしていた顔と同じだとは思えない。

そして、カズタカのいう事もわかる。それは悲しい事だけれど、間違いだとも思えない。だが今だけはカズタカの言葉にうなずくわけにはいかなかった。

「でも、今から行けばその子は助かるんでしょ!?だったら、助けられるなら助けないと―」

そういった時、カズタカはチラっと時計を見る。

それを見て気が付いた。時間が多少前後するとはいえ、いつ、どこで死んでしまうのか、それをカズタカは知っているはずだ。

「教えて。いつ、どこで、その子は…」

「知ってどうする?」

「当たり前でしょ、止めに行くわ!」

間髪いれずに答える。

しばらく見詰め合い―それは決してロマンチックなものではなく、火花が散りそうな睨み合いだった―視線をはずさないまま、カズタカが語りだす。

「君は、いじめられた事があるか?委員長なんてやるようなクラスの中心的存在にはそんな経験なんてないだろう」

それでも想像してみるといい。

集団生活の中での孤立。

叩きつけられる悪意。

誰も助けてくれないという絶望。

その全てに理由が無いという恐怖。

「そして彼女は死を選ぶ。自らの命を絶つまで追い詰められた彼女を止める権利が、君にあるのか?決して安易な、生きているのが面倒だなんて理由じゃない。本当に嫌で、でもどうしようもなくて。悩みに悩んで導き出した結論を、本当に邪魔できるのか?」

カズタカの言ういじめ―いや、クラス全員での拷問の風景が、サユキには分かる。十分に想像できるし、そういった事が実際にありえると理解できる。―彼女だって、女子高生なのだ。

「…確かに、死を選ぶほど追い詰められた事はないです」

いじめを苦に若者が自殺。全国どこにでもあるニュース。

「今の話が嘘だって言うつもりもありません」

どのニュースも『いじめ』という三文字の裏で実際に何が起きていたのかまでは報道しない。そしてそれはとても放送できないような、大人が考えているよりも陰湿で凄惨なものだという事も知っている。

そんな拷問に八ヶ月もさらされて。そして死を選ぶとしても。それを『根性なし』と罵るのはやはり、大人だけだろう。いじめられるほうが悪い、などと馬鹿丸出しの理論を真顔でぬかす奴がいるが、彼らはわかっていない。理由のないいじめだって、確かに存在するのだ。

「でも―」

それでも、止めたいと思う。

「私は、止めたいです」

いじめられるのは、死ぬほど辛いことでも―死んではいけない。

「死んじゃったら、確かにいじめられる事はなくなります。でも、死んだらお終いじゃないですか。いじめられる事がなくなる。そして、この先高校を卒業することも、大学に入学することも、就職することも結婚することも!全部、一緒になくなっちゃうんです!

いじめられてる時、いじめられてる本人はとても辛くて、これから先の人生をなしにしても逃げたいと思う事でしょうけど。でも、自分の『未来』をいじめと一緒に捨ててしまうのは、とてももったいない事なんです!

今まで辛い思いをしてきたからこそ、その子には明るい、幸福な未来があるはずです!絶対あるはずです!あります!だから今、死んじゃダメなんです!

だから、止められる人が止めないと!行って、あなたはまだ死んじゃダメって言ってあげないと!」

感情が高ぶり、何度もテーブルを叩いた。

そんなサユキを黙って、まるで観察するような冷たい顔でカズタカは見ている。

「だから、教えてください。その子が、何時に、どこで、死のうとするのか。絶対に、私が止めます」

それでもカズタカは何も答えず、暫くにらみ合いが続いて。

「アカリ」

そうカズタカがつぶやいた。

え?と聞き返すサユキに

「アカリ、という。その子の名前だ。場所は田辺駅」

田辺駅。それはここからだと三十分ほどかかる、地下鉄の駅だった。

「時間は、午後四時から五時の間。…、少し急いだほうがいいな」

サユキの腕時計は、午後三時四十五分を示していた。

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