闇の中へ
それはまだ、道を踏み外す前。僕の前には2つの道が用意されていたと思う。1つは【ユキト】を追い、記憶を取り戻すため復讐する道。もう1つは、何もかも忘れて新しい自分として生きて行く道だ。教会の前で捨てられたあの日、僕が自分の性別を勘違いしていたのが何らかの切欠だったと思う。新しい自分。そう、どちらに転んでも僕は昔の僕とは違うんだろう。忘れてしまった記憶を取り戻したとして、それが今の自分と同じなのかはわからない。それを本能で理解していたのか僕はまず性別を偽った。直接、自分が女であることを人に示しはしない。バレたときだけ、白状する。それまでは気をつけて男のように振る舞うように気を付けた。
あの教会は暗いうちにはあまり気がつかなかったが、初日の朝はあまりのおんぼろさに愕然とした。あちこち慣れない人間による手入れがされていて、大雨でも降ろうものなら浸水してしまうんじゃないだろうか。しかし、そこのシスターは、努めて笑顔でいるようにしていた。ここの兄弟たちは親にひどい目に遭わされてきた子供、親が死んでしまった子供などがほとんどだからだ。良くも悪くも母親のような存在だった。悪いことをすれば叱るし、良いことをすれば褒める。決して裕福な暮らしができていたわけではない。それを気にして隠れて涙を流す姿も見たことがある。母親の顔も声も何も思い出せないけれど、きっとシスターみたいな母親だといい。そう願っていた。
「ユキト!あなた、またそんな格好して……女性としての自覚が欠けてるわよ!」
「シスター。僕はちゃんと男の子に見えてる?」
「あら、あなたは女の子なのよ。知らなかった訳じゃないでしょう」
「僕、記憶がないんだ。記憶を取り戻したい。でも取り戻したときそれが今の僕とすごく違ったら怖いよ。僕は僕じゃいられなくなるかもしれない。また、居場所がなくなるのは嫌だよ」
その頃の僕の悩みは専ら記憶に関係することだった。相談できるのはシスターしかいない。
「じゃあ、記憶のなくなる前のユキトはものすごく女の子らしかったとするわよ。記憶を取り戻して急にそう振る舞わなければならなくなったとき、あなたはどうするの?困るんじゃない?」
「そうしようと思えばそうできるよ。記憶が戻ったのなら。でも、目が覚めたとき自分のことを男だと思ってたんだ。それは何も関係ないと思う?」
「……そう、そうなのね。それなら、それが神の導きなのでしょう。わかりました」
その日から、シスターは僕を男として扱ってくれるようになった。もちろん、身の回りの世話を自分たちでするのはこの教会の基本だけれど、それ以外にも。力仕事なんかも任せるようになったし、何よりも言葉遣いや行儀の悪さ、服装を注意することが劇的に減った。僕のこのがさつさはシスターがそこで躾をやめてしまったせいだと思う。
そして、僕が道を外す切欠になった事件。それは教会へ来て数ヶ月も過ぎ、兄弟たちの間にも馴染んできた頃のことだ。先に言ったように、この教会は貧しい。熱心な信徒はちらほらいるが、それ以外に訪れる人なんて稀だ。正直どうやって僕たちの食費なんかを捻出しているのか疑問だった。が、その疑問はその日解決される。
夕食を食べ終わって各々くつろいでいる時間のことだった。普段ならこんな時間に来客はない。入ってきたのは男達が2人で、シスターを取り囲むようにテーブルについた。彼女は恐々として、蒼白な顔で対応していた。
「ユキト、部屋に戻ろう」
その時僕の隣にいたのは同室のオスカルで、彼が小声で僕に言った。
「なんで?」
「奴らに見つかると厄介だよ。ユキトは短気だしね」
「どういうこと?」
「部屋で話すから」
僕がやっと立ち上がる気になった時、周りにいた子供たちもほとんど引き上げていた。こういう規則は聞いたことがない。オスカルがぼそっと「逃げ遅れた」と呟いたのが聞こえた。その意味が分かった。
「おい、そこのお前。ちょっと待ちな」
呼び止められた。僕とオスカルが止まるとシスターは諌める。
「部屋に戻っていなさい。大丈夫ですから」
「大丈夫?何が大丈夫なんだ?あいつが俺たちと来るのか?おう、お前、いくつだ?」
髭面の男はオスカルを見ながら言った。僕の手を握るオスカルの手は震えている。彼の代わりにシスターが直ぐさま叫んで答えた。
「彼は体が大きいだけです!ここにはまだ成人する子供はいません」
「ずーっとそれだよなぁ、シスター。だが、約束が違うんじゃないか?」
「成人したらの約束のはずです!」
「そう言って1年前も逃げてたよなあ」
僕はなんのことなのか全く掴めてはいなかったが、シスターもオスカルもこいつらのことを好きではなく、むしろ敵意を持っているということはわかった。つまり、僕にとっても。敵だ。
「ねえ、成人するとどうなるの?」
オスカルに声を潜めて尋ねた。奴らと僕らの距離はそこそこ離れていて聞こえてはいないだろう。オスカルもそれがわかったのか答えてくれた。
「この教会は、あいつらの土地にあるんだ。でもお金ないのはわかるだろ?だから土地代を払えない。その代わりにあいつらが提示したのが、僕たち孤児が成人したらあいつらの組織の一員になるって条件なんだ。生活費なんかも提供してもらってるからシスターもあまり逆らえなくて、今まで何人も連れて行かれてる」
「あいつら、何なの?」
「すっごい悪いことしてる。人も殺すしお金のためならなんだってやるような奴らだよ。マフィアとかって呼ばれてる」
「オスカルは大人なの?」
「まだ。でも、多分そろそろ連れて行かれるだろうなあ……」
悲しそうな顔。オスカルは優しい。彼は僕が本当は女なのを知っている。気持ち悪がって当然なのに、握った手を離さない。怖くて震えているくせに、僕を女の子扱いするのが大好きな奴だ。そんな彼が人を殺したり奪ったり、そんなことをするなんて考えられない。そんなことをさせるなんて、許せる訳がない。
オスカルの手をほどいて、シスターの隣まで歩いて並んだ。
「ユキト!戻りなさい!」
「どうした坊主。あいつの代わりにお前が来るか?」
シスターにすごく突っ掛かっていた髭面の男が僕を見て言った。
「おじさん達は僕らを連れて行ってどうするの?」
「あァ?そんなの、俺達の子分にするんだろ?」
「ええ、今より裕福な生活を約束できます。少々、手を汚す仕事もできるようにならなければいけませんが」
今まで黙っていた男が漸く口を開いた。髭面の男よりは見た目をきちんとしている。話せばわかってくれそうな雰囲気だ。こいつに話をする方が会話になりそうだ。
「それってどういうこと?人を殺すの?」
「そのような仕事をするのは信頼できる者だけです。入ったばかりの輩に、そのようなことはさせません」
「成人してないと駄目なの?」
「……お前は一体何が聞きたいんです?」
やっぱり、この男は賢い部類のようだ。肉体派ではなく、頭脳派。髭面の方は完全に頭の機能が悪そうだから、ペアになって活動しているのかもしれない。人を殺す、組織。その目的がなんであろうと、僕に必要なのは「人殺しの知識」だった。記憶がない。それだけでこんなにも足場が不安定で、立っていられない。繋がりがないことがこんなにも不安だなんて、記憶を失う前の僕は知る由もなかったんだろう。ふわふわと、水の中を揺蕩うような感覚。あの雨の夜、目が覚めた後からずっと続いている。逃れたいと思っていた。そのために必要なのは、先のことを考えて行動すること。目標を追っていれば、例え崩れ行く足場でも足を進めれば蹴ることができる地面がある。立ち止まることさえなければ、前に進める。そう結論を出した僕はその目標をあの女の言う通りに定めていた。それ以外の未来も、もちろん考えたけれど。
男の目をしっかり見て、怖じ気づかないように。この先どんな道が待っていようとも、進んでいけるように今まで来た道は見ない振りをしよう。この道で、僕は生きて死ぬ。そして言った。
「僕を連れてってよ。こんな狭い世界じゃ、足りないんだ」
その組織はどんどん人を仲間にして大きくなろうとしている発展途上の組織で、僕みたいな子供でもあっさり受け入れる程人手が不足していた。教会を出て行く時、シスターだけじゃなく兄弟達にもすごく怒られた。オスカルが一番怒っていたと思う。正直驚いたけど、あんな短い間だけいた僕のことを少しでも兄弟に近い何かだと思ってくれていたのなら、それはとても嬉しい。でも、ここにいても僕の記憶は戻ることはないだろう。何も知らないまま死んでいくのはごめんだ。僕は取り戻したい。全てを。
僕を迎えにきたのは頬に大きな傷がある男だった。長袖の白い伸びたTシャツのだらっとした服装で、煙草を咥えている。すごくだらしない。
「よぉ」
「誰?」
「お前の飼い主だよ。しっかし、こんな細っこいのを組織に入れるたぁ、堕ちたもんだなぁ」
頭を豪快にボリボリ搔き毟りながら僕の体を上から下まで眺め回す。不躾な視線に不快感を覚えたが黙って耐えた。こんなことで、いちいち怒ってなんかいられない。僕が入っていこうとするのはそんな世界なはずだ。他者に気を許せば、騙され、利用され、殺される。強者に無鉄砲に挑めば殺される。
「ま、仕方ねぇか。俺が飼い主でよかったなァ。他の奴だったらこんなちっこいの、猛獣どもに餌をくれてやってるようなもんだぜ……うまく生きて行けるようそれなりに躾けてやる。だからお前は俺に逆らうなよ」
「つまり僕はあんたの部下ってこと?」
拳が頭にめり込んだ。
「いってえ!!」
「上司に話すときは?」
「……敬語」
「その通りだ。実践しろ」
結構なスパルタだった。僕の飼い主は朝から晩まで連れ回した。飼い主自身の仕事に行くのにも、僕を連れて行った。僕の飼い主は上からかなり信頼されているようで、その仕事の多くは「殺し」だった。願ったり叶ったりだと思っていたが、飼い主が僕に殺人の術を直接教えてくれることはなかった。彼がいつも言うことは1つ。「見て盗め」だ。しばらくは影からこっそり。初めて人が死ぬところを見たときは吐いた。「だから食べてくるなって言っただろォ」と言われた。
——ソルは母親が死んでいるのを見たときも僕が人を殺すときも吐かなかったのにな。
それからまたしばらく経って、飼い主は僕に拳銃の使い方を教えた。ナイフよりよっぽど簡単だと思った。離れたところから、心臓、脳天、狙って引き金を引くだけで済む。目標に近づいて直接手をかけるよりも、よっぽど楽な、はずなのに。僕はナイフの方を好んだ。殺したという感触が、好ましかった。自分の手で血肉を切り裂く感覚が。
——でも、それを好んでいたのはこいつで、それによって僕が生き延びていたなんて。
「お前強くなったなァ。そのうち殺しの仕事がお前単独でも入ってきそうな勢いだぜ」
「うん、もうできると思います」
「バーカ!そう簡単に飼い主の座は降りてやらねぇ!まだまだ俺には及ばねぇからな」
「そうかな?最近さ、これの使い道に気付いたんだ」
人に見せたのはこれが初めてだった。僕の腕輪。目が覚めたときから腕に巻き付いていた、誰に聞いても知らないと言われる不可思議な物体。ぐっと拳に力を入れた。もわっと広がる闇色。一瞬のうちにそれはナイフへと形を変えた。
「ね?」
飼い主の反応を見ようと顔を上げると、目を見開いて今まで僕に向けたことのない表情を向けられていた。まるで死体を見るような視線。どうして、こんな目で見られているんだろう。初めて見せられた反応に戸惑った。でも、僕にはその後の反応を待つことしかできなかった。
——彼の反応が、何を示しているかなんてとっくにわかっていたくせに、僕は絆されてしまっていたんだね。
彼はギリリと噛み締めた。目を強く閉じて顔をくしゃくしゃにした後、パッと開いて向き直った。
「まさか、お前がそうだったなんて思いもしなかった。でも、多分これはそういうことなんだよな?」
「何の話?」
僕の質問に彼は答えず、すぐに走り出して行ってしまった。後に、この彼の行動は僕のこの腕輪の件を上に報告しに行ったことなんだと知る。組織は2分化した。僕を認める者と、そうではない者に。後者の方が圧倒的に多かった。敵意の目は痛くて辛い。馴染んできた頃だったのに、散々な目にあった。腕輪を執拗に調べられた。身体検査も幾度も受けた。反対派からは寝込みを襲われることもあった。平穏から遠ざかった。外でも敵だらけなのに、組織の中でも気を張っていないとならなくて疲弊した。僕の飼い主は僕の味方だった。飼い主の側だけが、唯一気を許せる場所だった。彼は僕に謝った。
「まさかこんなことになるとは思わなかったんだ。悪い。俺の判断ミスだ」
「よくわかってないんだけど、この腕輪が原因なの?」
「いや、お前自身の問題でもあるんだ。俺も詳しくはない」
「ふうん……これからどうなるのかな」
「上の決定がでない限り、わからないな。っま、安心しろ。俺はお前の味方だ。こんなことになったのは俺のせいだしな。きっちり守ってやる」
「僕もうそんなに弱くない」
「……ちっこいガキのくせに、無理に耐えるなよ」
——本当は、泣いて縋って「助けて!」って叫びたかったんだよね?無様に喚いてしまいたかったんだよね?
たくさんの仲間の銃口が、僕に向けられていた。
詰め寄られ、壁際に追いつめられていた。偉い人が何やら叫んで指示を出した。銃口を向けたまま、待機させている。
「待たせて悪かった。話し合いの結果、こういう結論が出た」
「……殺すの?」
「そうだ。我々の手には負えないと判断した。潰される前に潰すのが私達のやり方だ」
騒然とする背景。
「目が赤いから、怪しいとは思っていたんだ」「悪魔だ!」「気味が悪い」
「殺すのに慣れていると思ったらそういうことか」「他に回る前にやっちまえ!」
「やめろ、やめろ!!」
飼い主が、人の波を搔き分けて僕のところに来てくれた。息を切らせて、汗が滴り落ちている。
「大丈夫か?まだ何もされてないな?」
「うん。でも、僕を殺すって」
「大丈夫だ」
頭を適当に掻き混ぜられて髪の毛をくしゃくしゃにされた。笑って言うから、僕は安心してしまった。飼い主は偉い人に向かって、こんなことは馬鹿げている、逃がしたって悪さはしないように育てているから逃がしてやれと説得していた。でも、偉い人の表情は変わらない。それも、そうだ。こんな長い間危険因子を放置したままにして、ようやく出た結論を今この場で覆す方が難しい。飼い主の説得の手腕にもよるだろうけど、この人はそういうのが得意ではなかったはずだ。自分の身の危険も顧みず、こんなに懸命にしてもらえるだけの価値が、僕にあるのだろうか。人ごみを、他人事のように眺める。一人一人の声を聞き分けることができない。批判の声ばかりだ。時間があっという間に過ぎて行った。肩を揺らされ焦点を合わせると、揺さぶっているのは飼い主だった。
「おい、すぐここから出るぞ!」
「出る?」
「ああ。俺とお前、2人でここを出て、今後一切関わらないことを条件に逃がしてもらえることになったんだ!」
よっぽど、この飼い主の日頃の行いが良かったんだろう。信頼されていたからこそ、殺しの仕事を任されていたんだ。どうして忘れていたんだろう。命が繋がったと思っていた。
——疑うことって疲れるもんね?何も考えずに、馬鹿みたいに信じてた方がずっとずっと楽だよ。でも、僕はやめるべきじゃなかったんだ。
その場は、決定事項を発表した後に解散となった。僕と飼い主は組織の拠点を出る準備をする時間を与えられた。具体的な時間は決めず、なるべく組織の連中に知られないように出て行く。少しの間だったけれど、大事なことを学んだ場所。こんなことになるなんて思いもしなかった。訳のわからぬもののせいで、追われることになるなんて誰が想像しただろうか。僕は歩きながら飼い主に何度も謝って、お礼を言った。僕のせいで、飼い主までも組織を追われることになってしまったのが本当に心苦しかった。飼い主は笑った。
笑ったまま、銃弾に貫かれた。
「は……?」
「ま、あ。そうだよ、な……そんなか、たん……に」
「何?え?」
ぬるっとしたものが僕の腕を掴んだ。僕の腕輪に触れた。血液。苦しむ飼い主と、この感触。それ以外にありえないと経験の上で体が感じている。が、同時に否定する。
「そんな……」
「ユキト、いけ」
「やだ……」
「いくんだ」
「い、嫌だ」
掠れた声に、目が滲んだ。グッと握られた腕に力を込められた。最後の力を振り絞るようなそれに怯えた。死なないで欲しい。ひとりになりたくない。ここから出て、ひとりで僕は生きられない。一緒に行ってくれると言ったじゃないか。絶対駄目だ。連れて行く。傷はまだ見ていないし、致命傷と決まった訳でもない。治療すれば、病院に行く前に止血して、その前に明かりが必要だ。あと、包帯。荷物の中にはない。組織にはいられない。出るしかないなら。
「一緒に行こう。背負うから」
「……ユキ、さからうな」
1つの明かりもなく、真っ暗だったけれど、飼い主が笑って言ったような気がした。それきり、声を発しなくなった。失血しすぎて気絶したのかな。戻って包帯を持ってきた方がいいかもしれない。逆らうなと言われたけれど、今は緊急事態だ。飼い主の命の方が、命令より大事なはずだ。僕は間違っていないよね?
思っていたよりも、飼い主の「躾」は僕の体に沁み込んでいたようでなかなか動けなかった。葛藤して立ち尽くしていると、人の声と足音が聞こえだした。
「仕留めたか?」
「1発は当たった。1人はやれたと思うが、もう一人はわからない」
飼い主を殺した奴の声……
——これが。
「確認しに行くぞ。一応武器は持てよ」
「ああ」
近づいてくる音がさらに近づいて来るのを僕は息を潜めて待った。彼らが持つ明かりに当たらないように、彼らの死角に音を立てないように移動した。彼らが僕の飼い主の死体を見つけた瞬間だ。僕の死体がないことに気付いた瞬間。
「ガキの方がいなッ」
「お、おい?」
僕の腕輪が、ナイフの形に変わって彼の首元を貫いた。明かりが僕を照らした。もう1人はすぐに反応してあの時と同じように僕に銃口を向けた。
「動くな!」
「なんで?」
彼が引き金を引くよりも先に、彼の腹部にさっきと同じナイフを突き刺して回した。崩れ落ちてくる体を避けて床に落とす。
——これが、【死神】の始まり。
長い夜が終わり、朝。
目を覚ますと僕は教会にいて、心配そうに覗き込むシスターの顔がそこにあった。目が合うと悲痛そうな顔で僕の体に泣き伏した。彼女は泣きながら「神は、どうしてあなたにこんな運命を背負わせるのでしょう」というようなことを言っていた。僕は夜のことをあまり覚えていなかった。覚えているのは飼い主に手を下した2人組を殺したところまでだった。結果的に、組織は壊滅した。組織の拠点は酷い有様になっていた。死体の山。一人残らず死んでいた。生きていたのは僕だけで、荷物を抱えた男の側で血塗れのまま気絶していたところを保護されたらしい。死体の傷は銃によるものから刺し傷、撲殺、絞殺等様々だったらしく、その凶器も多々あって内部抗争の後に全滅したのだと結論づけられた。僕は運良く生き延びられた組織の雑用係だと判断され、怪我もしていなかったことから孤児院でもある教会に連れてこられたのだそうだ。
「シスター、泣かないで」
「……ユキト。もう警官もいません。本当のことを言いなさい」
「もう全部話したよ。覚えてないんだ」
「殺してしまったのですね」
泣き腫らした目で睨まれる。意思をしっかり持っているシスターは頑固だ。逆らえない。
「誰のことを言ってるの?」
「誰って、昨夜のことです」
「だから。誰か死んでない人がいたの?」
「は……」
「生きた人間がいる感じはしなかったから全員殺したと思ってたんだけどなぁ。逃がしてた?逆恨みされてるかなぁ。復讐してもあんまりすっきりしないのにね。そうそう、それで。飼い主の体だけは回収しようと思ったんだけど、流石に寝込みとはいえ何十人も相手にするのは疲れちゃって、そこからの記憶がないんだよね。彼の体がどうなってるか知らない?」
「い、え……」
「そうだよね。彼も組織の人間だったし。じゃあどうにもならないんだろうぁ。身寄りもないだろうし、お墓の場所だけでもわかればいいんだけど。ああ、シスター。ごめんね。教会の資金のこと考えなくちゃいけないね。でも、僕に少し考えがあるんだ」
「え……?」
「この世界にはちゃんとお金になる仕事があるんだ。僕にとっては天職だったみたいなんだ。一夜であれだけ殺せたんだ。きっと、きっとこういう運命だったんだよ。【ユキト】が僕に言った通り。最初は辛かったけど感謝しなきゃ」
「何を、言っているのですか……」
この目。昨夜のあいつらと同じみたい。僕を見る目。怯えきって、まるで化物でも見ているような。そんな顔をするんだ。それでも、もう戻れない。僕の道は血で汚れた。背後から、死んでいった人間の声がする。もう振り返れない。戻れない。戻らない。行くんだ。
「この家のことは僕が守ってあげる。シスターは今まで通り普通に兄弟達のことを守ってあげてね」
「ユキト……」
「大丈夫だよ。きっとうまく行く」
僕は知り合いの仲介人から仕事を斡旋してもらって働いた。獲物はいつも人間で、僕は殺し屋だった。教会の兄弟達に知られると困るから、夜に紛れる黒いマントにフードを深く被ることで正体を隠した。殺して、殺して、殺して、殺した。【死神】と呼ばれるようになった。それでも殺した。こ れが 、ぼくの し ごト だカ ら——
「……懐かしいなぁ」
昔の記憶。なんだか混線してたような。思えばその時からだ。日の色が変わって見えるようになったのは。それも、ここまで。太陽に焦がれるのはやめだ。直面しなきゃいけないのは、深い深い闇。
僕は歩いた。誘われるままに。