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鎖、もしくは絆

 あの日も、今夜と同じくらい綺麗な満月の夜だった。


 その日の仕事も散々で、ただただ手を血に染めた。寝泊まりは小さなホテルの一室でしている。仕事以外ではほとんどそこから動いていない。血を備え付けのシャワーで流し、シーツに包まってベッドの上に転がる。仕事の前には軽く食事を摂り、夜の世界へ繰り出す。この繰り返し。仕事がなくなったら、依頼を求めて酒場に出かける。

 力を求めて、この世界に足を踏み入れた。汚いものもたくさん見てきた。それを避ける術と、力で退ける術も身につけた。これが、僕の生きる道だと、ここしかないのだと華やかな道を避けて避けて避けて、暗い闇に続く道へ。その先に、求めているものがあると信じて。

 酒場は何人かぽつりぽつりと客が居るくらいで静まり返っていた。中に踏み入れると、馴染みになったマスターがにやりと笑って迎えてくれる。


「よう、死神フード。面白い依頼が来てるぜ」


 カウンター席に促されて、その通りに座る。マスターはカップに牛乳を注いでくれている。そしてそれを僕の前に置くと、早速その話をし始めた。


「なんなの?」

「聞いて驚け。護衛だってよ」


 ガハハ、と大きく笑う。静かな店にその笑い声は酷く響いた。


「冗談だろ。僕殺し屋だよ?護衛って」


 畑違いもいいところだ。殺しを得意としているのに、守れだなんて。だがマスターは折れなかった。


「俺がお前の話をしたら、是非にって言ってくれてんだぞ。ちっこいけど腕は確かだって言っておいた。頼むよ、上客なんだぜ。報酬もたんまりだ」


 世話になっているマスターに「頼む」とまで言われたら断りにくい。それに報酬が良いというのはすごく魅力的だ。お金はあるに越したことはない。僕は依頼を受けることにした。





 指定された時刻に、その屋敷を訪ねた。嫌味なくらい豪華な屋敷だ。あの額の報酬を出すというのも頷ける。門から中に入るとメイドが室内まで案内してくれた。他にも数人、小間使いのような人間がいるので、本当に金持ちのようだ。マスターが上客と言っていたのを思い出した。もしかしたら結構な著名人だったりするのではないだろうか。そんな人間が僕に依頼だなんて、嫌な予感しかしない。

 主人の部屋の前に付いたのだろう、メイドに促されて中に入ると、小奇麗な服装をしたオジサマがこれまた豪華な椅子に座っていた。僕が中に入ると立ち上がって歓迎してくれる。


「お待ちしておりました。【死神フード】様。どうぞ、そちらにお掛けください」

「どーも。それで?」

「はい。あなたにお願いするのは既にお聞きでしょうが息子の護衛です。先日このようなものが送られて来まして」


 執事に合図して持ってこさせたものは紙切れだった。それを渡されたので見てみると、《1週間後の真夜中、ソレイユ・ジュールを殺す》と書いてあった。なんだこれ。


「殺人予告?」

「はい。丁度、大きな事業に取り組んでおりまして、その件を快く思っていない者からの脅しかと思うのですが。一応、大事な一人息子なんでね」


 ただの脅しかもしれないようなことに、あんな大金を出せるとは。もしかしたら楽に大金が手にできるのかもしれないと期待した。もし本当に誰かが差し向けられたとしても、そいつを殺してしまえば問題ないだろう。気を張っていた分だけ、気が抜けて楽になった。


「じゃ、その護衛対象に張り付いてたらいいんだね?」

「はい。息子の部屋の護衛を強化しております。できるだけ部屋から出さない生活を頼めますか」

「りょうかーい。で、息子はどこ?」

「外に待機させてます。入りなさい」


 主人が呼びかけると、扉が開いた。入ってきたのは茶髪の男。これまた綺麗な服に身を包み、僕を見ると小さく頭を下げた。


「……もっと小さいのかと思ってた」

「図体だけですよ。運動面はてんで期待できないので、何卒お願いします」

「はーい」


 椅子から立ち上がり、父親の横に立つ息子に握手を求めて手を出した。


「僕死神フード。テキトーに呼んでくれていいから。命の保証はするけど怪我させちゃったらごめんね」

「俺は必要ないって言ってるのに」


 無愛想に顔を逸らされ、差し出した手は握り返してもらえなかった。


 それから四六時中、息子と一緒にいることを強要された。ドアの外に待機してる人間もいるから部屋からも迂闊に出られない状態だ。あの予告状が届いたのが2日前。僕が依頼を受けてここに来るまでに1日過ぎている。実施されるのが1週間後と書いてあったから、あと4日。この男と共に過ごさなければならない。主人はなるべく寝食も共にというのを希望していたから、それに沿うつもりでいるが、どうにもこの息子に僕は嫌われているらしい。部屋に案内されてから、その辺に座っておけと言われ、ソファーにごろんと転がっているのだが、彼は勉強机から離れようとしない。ずっと、何やらカリカリと書き込んでいる。僕は暇である。


「ねー、僕まだ君の名前も聞いてないんだけど」


 返事は、やや遅れて返って来た。


「予告状を読んだんじゃないのか」

「自己紹介されてないよって言えばいい?」


 久しぶりの、年が近い人間との会話だ。いつもは怖いおじさんなんかを相手にしてるだけだから、少し興味が湧いてしまうのは仕方ないだろう。こんな機会、他にはないだろうし、しっかり相手をしてもらおう。


「俺はソレイユ。あんたより多分年上なんだが、頭悪そうだし敬語を知らないならそのままでいい。あと、部屋の中ではその上着は脱ぐべきだ。そこに掛けておいていいから脱いでくれないか。あと数日はここで過ごさなきゃならないんだろ。この部屋は俺の部屋だし、従ってもらえるとありがたいんだが」


 うっわ。感じ悪い。こんなに偉そうにされた経験がないからポカンとしてしまった。言葉がわからないのかとか思われたら嫌だから、すぐに答える。


「僕、職業柄あんまり顔を晒したくないわけ。君なんかすごく敵になりそうだし。これ脱いだら裸になっちゃうし遠慮したいなあ」


 もちろん、シャツは着ているのだが。面倒くさいので断るために嘘をつかせてもらった。ら、ちょっと歳相応の反応が返って来た。自己紹介している時はちらりともこちらを見なかったのが、今では目を見開いて僕を見ている。


「眼の色、青くて綺麗だね」

「……珍しくもないだろ」


 ちょっとだけ、打ち解けられた気がした。彼は勉強熱心で、それからも僕の相手はしてくれず、本やら紙やらにガリガリ書き込むのを続けた。僕はそれをぼんやり眺めて過ごしながら、メイドが食事の準備をしてくれたり、風呂を勧めてくれたりするのを適当に受けたり流したりした。

 夜。当然彼は眠る。適切な睡眠は体の成長を促すらしい。興味ない。


「ところで、俺はお前と寝なきゃいけないのか?」

「気にするなよ」

「気にするだろ……」

「どうして?男同士だろ」


 女だって明かしたらそれこそ部屋を別にしろとか言い出しかねない。護衛の意味が無いと思ったから、性別を偽っていたほうがよさそうだと判断したのだが、彼は驚いた顔をしてみせた。


「女じゃないのか?」

「えっ」

「いや、違ったのか。てっきりそうだと思っていた」


 よく、見ている。僕に関心なんか全くなさそうだったのに。


「すごいね。なんでわかったの?バレたことないよ」

「特に理由は……」

「ふうん。洞察力があるんだね」


 バレてしまったけれど、お固い性格のやつだしなにか間違いが起きること無いんてないだろうが、護衛として雇われているのだから、その役を全うするつもりでいるから眠るつもりはなかった。ソレイユは居心地が悪そうに僕の方を見て、ベッドに腰掛けて言った。


「……ベッド、広いから隣、使えば」

「は?」


 一瞬何を言っているのか理解できなかったし、聞き間違いであることを願ったけど、彼がもじもじ恥ずかしそうにしているのを見て僕の耳は正常であることがわかって絶望した。何言ってんだこいつ。


「えーと。僕の性別について君は理解してるんだよね?」

「ああ。ただ、男と寝るよりは気持ち悪くないだろ」


 それはごもっとも。


「あと、あんたの職業についてもわかってる。それに女としての魅力は感じないからな。全く問題ない」


 へら、と笑った。初めて笑顔を見せてくれたという珍しさに感動したがそれは一瞬で、その言葉の意味を理解した僕は殺してやろうかと思った。


(落ち着け、護衛対象を殺しちゃダメに決まってる)


 僕はぶつぶつ言って気を静めて、結局枯れの言葉に甘えることにした。他に寝る場所なんてのはなく、ゴロゴロしてたソファーでうたた寝できるくらいだっただろうし。何かあった時すぐ反応できるという利点もある。色々理由付けするのはまあ置いておいて。


 その日はよく眠れた。ちょっと寝過ごしてしまったくらい。人の体温を感じたのは、ひとりになってからは初めてだったかもしれない。朝は彼に起こされて目を覚ました。


「俺の護衛してるんじゃないのか?」


 と嫌味も言われてしまった。そうですとも王子様。




 彼はいつも部屋に篭りっきりだった。机に齧り付いていたり、時々立ち上がって背伸びをしたり。数日間、こんなかんじで過ごした。日数的には今日が例の《予告》の日になると思うのだが、てんで何も起こらないからのんびり過ごしている。何もしていないのにお金が貰えるなんて本当にいい仕事を紹介してもらった。

 僕もいつもと同じようにソファーでゴロゴロしていたのだが、飽きたので話しかける。勉強中でも、相手をしてくれるくらいの仲にはなれたから、今日は彼のことを聞いてみよう。


「ねー。そんなに勉強してどうするの?」

「……家を継ぐため」

「それだけ?」

「それが大事なんだ」

「君のお母さんは何してるの?」

「母さんは病弱なんだ。気分がいい日は庭を散歩したり、俺に会いに来たりしてくれる。最近は殆ど臥せってるよ。それをいいことに父さんは好き勝手にしているんだ」


 声に、憎しみが込められている。父親を憎んでしまうようなことって、一体何なんだろう。父親の事は記憶の断片にすら残っていないから、どういう感覚なのか分かりかねる。


「殺したいの?」

「そういう、ことじゃない。ただ、母さんに誠実になって貰いたいと思うだけだ。母さんが今のあんなに悪化してるのは、きっとあいつのことを気にしているせいで……」


 言葉を濁して、膝の上に拳を作っている。誠実な、とかいう言い方をしてるから浮気とかそういうのかな。母親の方はそれを気にして精神でも病んでしまったんだろう。何にせよ、彼が気にかけているのは母親のことみたいだ。


「君はマザコンなんだね?」


 本を投げつけられた。当たったところがひりひりする。床に落ちた本を拾おうと立ち上がった時、何かが弾けるような音がした。パン、と言う軽快な音が1度。聞き覚えのある音。それはここ数日間は聞かなかった音で、その前までは頻繁に聞いていた音に酷似していた。


「なんだ?」


 彼にも聞こえていた。遠くの音なら聞き流すだろう。音源は近い。

 僕は瞬間的に彼を庇うように立った。


「死神……」

「しっ」


 彼の話に答える余裕はないから遮ったが、この部屋に近づいてくる気配はない。外の護衛だって、彼を守るのが役目なら中に入ってきてもいいはずなのに人が走って向かってくる様子もない。銃声がしてからも家の中は静かだ。音源は、ここからあまり離れていないところからだったと思う。敵が窓の外から彼を狙って襲撃したわけでもないようだ。狙いは、ソレイユじゃなかったのか?ちらりと彼の方を見ると、彼も困惑しているようだ。狙われているのは自分であるはずなのに、蚊帳の外に居るような感覚を僕も感じていた。


「ちょっと出てみる。君も来てくれる?」

「ああ」


 彼を守らなければいけないのが1番だから、離れる訳にはいかない。しかし現状を知ることは必要だ。もしかしたら、他の誰かが殺されてしまっているかもしれない。部屋のドアを慎重に開け、廊下の様子を伺う。


(静かすぎる)


 仮にも息子の命運が掛かっている日に、両親が出かけるなんてことはあるだろうか。それに、さっきの話では母親は病床に臥せっている。でも一人息子の一大事だ。明らかに銃声が鳴り響いたのに、様子も見に来ないなんてありえるだろうか?自分が動けないにしろ、世話係なんかを寄越して確かめにくるものじゃないのだろうか。


「誰も居ないのか?」


 後ろから、彼も廊下の様子を見ようと顔を出した。


「うん。銃声は近かったと思うんだけど……あっちの方」


 この部屋から少し離れたところにある、暗くて見難いが大きめの扉を指差すと、彼の顔が驚きで歪んだ。僕の身体を押し退けようと肩をぐっと掴まれて痛い。思わず呻き声を上げたが、彼はその声にも気を配る余裕はないみたいだ。飛び出されると困るから、なんとか押し退けられないように踏ん張ってはいるが、今にも駆けて行ってしまいそうな勢いだ。


「なんなの!誰の部屋?」

「……母さんだ」


 焦っている表情の中に、怒りも混ざっている。僕には目もくれず、彼は扉を見続けている。銃声が聞こえた部屋に、彼の母親がいる。それならば、狙われたのは彼の母親?


「退いてくれ!」


 頭の中でごちゃごちゃ考えていたら、つい力が抜けていたのだろう。彼に押し退けられて前によろけてしまった。無様に倒れないよう膝と手をついたが、既に遅く、彼が部屋に向かって走っていく後ろ姿が見えた。もし、あの部屋に《予告状》の送り主がいたとして。部屋にいきなり入ってきた奴を敵だと思わないわけがない。

 彼が「母さん!」とドアを開けて叫ぶのと、僕が彼のもとに駆け寄ろうと立ち上がり体勢を整えたのと、2回目の銃声が響いたのはほぼ同時だった。


 パーン


 ――ああ、もう。初めての護衛は失敗に終わるのか。【死神フード】の名折れになってしまう。急所を外れていることを願いつつ、倒れるであろう彼を支えるべく駆け寄った。 彼が倒れてくる様子はない。ドアを開け、抑えている腕を潜り彼の横からその身体を下から上まで流れるように見て、彼の顔に視線を止めた。身体に怪我はない。脳天を撃たれたわけでもない。ただ、呆然としていた。

 そこで初めて僕は"敵"に関心を移した。


「おや」

「……」

「ダメじゃないですか、【死神】様。息子を部屋から出しては」


 穏やかに話しかけてきたのは、物腰の柔らかな。ソレイユの父親で、僕に護衛を依頼した張本人だった。彼の手には拳銃が握られていて、その銃口は少し離れたところにある天蓋付きのベッドに向けられていた。正しくはそこに寝ている人物に、だ。

 立ち尽くしているソレイユはそのままに、僕は部屋の中に足を踏み入れる。もう、依頼主に殺意はない。彼の表情からは、達成感と喜びの感情しか感じられない。その喜びに浸っているのか、彼の意識は侵入してきた僕達よりも、彼が手をかけたその人に向けられていた。僕は確認するためにベッドに近づく。横たわっているその人は美しく、胸から血を流していた。心臓に一発ってところだろう。既に事切れている。確実な死が眠るようにそこにあった。


「どういうことか、説明してくれるよね?」

「そうですね、簡単にお話しましょう。こうなってしまった以上、私はここから離れなければならない」

「この家を出るって意味?」

「そうです。私はようやく、新しい人生を歩むことができる。この女のせいで、全てを失うところだった。阻止できたのはあなたのお陰ですよ。ありがとうございます。この女は、私を蔑ろにして全てを息子に託すつもりでいたようでしてね。息子は息子で私のすることにいちいち邪魔をして……。そうでした、簡単にお話するんでしたね。つまり、私はこの家の財産を持って他の土地に逃げさせて頂くということです。この家の実権は私の妻が握っているのでね。ずるずる長生きされてて参っていたのですよ。あなたが息子についていてくれたおかげでうまく事が運べました。本当に感謝してもしきれないです。報酬は仲介人から受け取ってください。既に渡してありますので」


 話はそれで終わりなんだろう。依頼人は微笑み、銃を懐に仕舞い込んだ。今の説明で僕は何を理解できたんだろう。報酬をバールのマスターが預っているというのはわかった。取りに行かないといけないなあ。


「……【死神】……!」


 この部屋に来て、初めてソレイユが声を上げた。父親も、それに反応して彼を見る。


「そいつを、殺してくれ」

「何を言っているんだ。この方の依頼主は私だ。お前に命令する権利なんかないぞ」


 確かに、依頼人の言うことは正しい。お金を払ってくれるのは、自分の妻を殺してしまうような人間だけど、彼だ。


「まあ、そうだね」


 それを頷いて認める。僕の返事に反応したソレイユが、こちらを見た。

 その時の、なんとも言えない感情が身体を駆け巡った時の心地よさを、僕は一生忘れないだろう。擬音で示すなら『ゾクゾクした』というのが一番適切だ。


 その目。憎しみをこれでもかと表した、人を殺しそうな視線。

 その口。唇を強く噛みすぎてしまったせいで血が滲んでいる。

 その手。ギリギリと握りしめて、力を込めすぎて震えている。

 心から、目の前の男の死を望んでいるんだろう。それは、もしかしたら――


「そういうわけだ。私はもう行く。本当はお前も殺しておくつもりだったのだが……まあいい。この屋敷は餞別にくれてやる。1人でなんとか生き延びるがいい」


 彼の父親はそう言って、僕の横をすり抜け、怒りに震える息子の横を笑顔で通り過ぎていった。その足音が聞こえなくなるまで、僕もソレイユもその場から動かなかった。





 完全に、彼の父親がこの家から去ってしまったと確信できるくらい時間が経った。彼はようやく立ち尽くしていたところから母親の死体に近づいた。彼が母親に何か言ったのか、何かしてあげたのか、僕は見ていない。彼が動き出してから、すぐにその部屋を出た。仕事はもう終了しているから、帰っても問題ないのだが、さっき湧き出たあの感情。それが僕をここに今留めている。

 1時間、2時間…それより、もっと。しばらくドアの外で彼が出てくるのを待った。結局、彼が出てきたのは立って待つことを諦めて、座り込んでから2,3時間経ってからだった。半日は過ぎてしまっただろう。僕がそこにいることに少し驚いて見せ、ドアを閉め、それに体重を預け、ゆっくりと座り込んだ。丁度僕の隣に。


「どうして、殺さなかった」


 小さな声で、それでもきちんと芯のある声で彼は言った。俯いていたのでその表情は見えない。


「僕がするべきじゃないと思った」

「どういう意味だ」

「君から生きる意味を奪いたくなかった」


 確かにあの時。殺そうと思えば彼の父親を殺すことは可能だった。報酬はマスターに渡してあると言うし、裏切るのは簡単だ。ただ、あの時一瞬頭を過ぎった事が、僕を押し留めてしまった。

 僕が、今。【ユキト】に向けているような感情を。彼が【父親】に向けているのなら。そして、彼がそれを望んでくれたなら。


「生きる目的は必要だよ。君が失くしたものは何?奪ったのは誰?」


 次に、彼が僕に向けた視線は、縋るようなものだった。誘導したいわけじゃない。あくまでも決めるのは君だと、何度も彼に言った。そう。僕は可能性を示しただけ。あとは、彼の意志。

 僕は立ち上がり、座り込んでいる彼を見下ろした。


「じゃあ、僕はこれで」


 仕事はおしまい。もう、ホテルに戻ろう。その前にバールに寄って、報酬を貰わないと。僕はゆっくりと彼の家から外へ出た。久々の外気。思えばあの家の空気は重たかった。振り返ると大きな家。あんなに熱心に勉強してた彼だから、きっとやり直せる。僕の期待通りになんかならないんだろう。

 でも。もし彼が、道を踏み外したとして。僕と違うのは記憶の有無くらいだ。憎しみの対象が肉親であるというのもあるが、それは他人である人間を憎むよりもきっと辛いことなんじゃないか。僕が間違ってないのかどうか、彼を見ていればわかるようになるんじゃないか。――同じ1人ぼっち同士、分かり合えるんじゃないか。


(なーんて)


 無駄な期待は、馬鹿な失望に繋がる。時間は有限、こんなことに費やすべきじゃない。人の心配なんかしている場合じゃないだろ……あれ?僕は、ソレイユを心配して、いたのか。短い間だけど、彼と過ごした時間が知らず知らずのうちに楽しい時間に変わっていたみたいだ。確かに、楽だった。いたくない場所にいつもいた。今回もそのはずだったのに、居心地が良くて。彼の母親を死なせてしまった。仕事の範囲ではないとはいえ、護衛対象だったソレイユの大切な人だったのに。ズシンと体に重力がかかる。久しぶりに、人間らしい感情を持ってしまった。ああ、僕、彼のこと気に入ってたんだ。

 彼を引き摺り込んではいけない。この道は1人。もう誰にも頼らないと決めたじゃないか。


 しかし、僕の決意はすぐに打ち砕かれることになる。後日、彼は父親の部屋でも漁ったのだろう。そこからバールを突き止めたらしい。マスターを通して僕にコンタクトを取ってきた。僕は頑なに彼に会うことを拒否したが、それは幾度にも及び。呼び出されて仕方なくバールに顔を出すと、マスターは僕の顔を見るなりブツブツ文句を言った。


「会うくらいしてやれよ。護衛してた奴だろ?」

「そう。でも会いたくないし」

「なんでそんな嫌ってんだよ。何か言われたのか?服装が汚いとか」

「それってもしかしてマスターが思ってること?血とか付くからこまめに洗ってるよ?」

「いや、見て呉れのことだ。お前は耳が可愛いだろって主張するけど、それ、どう見ても死神だぞ……」


 真っ黒な外套を靡かせて人間共を千切っては投げ千切っては投げを繰り返しているのだから、仕方ないことなのだろうけど。


「で、仕事の話でしょ?早くしてよ」

「ああ。実はな、依頼人が来てるんだ」

「は?」


 基本的に、ここでのやり取りに依頼人が来ることはない。直接会うのはその必要がある時だけだ。マスターの顔がにやにやしてるのを見た僕は、何を企まれているのかを理解した。嘘だろ。冗談じゃない。


「帰る」

「げっ、待てって」

「【死神】!」


 うわあ。もう、間違いないじゃないか。最悪。忘れもしないこの声。


「待ってください」


 渋々振り返る。抗えなかった。数日ぶりに見るその顔はやつれてて、目の下にクマができている。必死に探してくれたのか。それを無下に断っていたんだ。申し訳なさでいっぱいになるけど、それ以上にこの世界に踏み入れて欲しくなかったのに……。


「座れば」


 こうなってしまった以上、話す他はない。彼の話を聞いて、僕の話をして、別れよう。ソレイユは大人しく隣りに座った。マスターがお茶を出す。


「それで?」

「あの。俺、あなたがいなくなった後考えました。たくさん。あなたが言ったことの意味がどういうことなのかを」


 やっぱり何も言うんじゃなかったと早速後悔した。あの時の僕は本当にどうかしていた。その場の感情に流されてものを言うなんて。


「でも、俺は、その術を知らなくて……だから、あなたに教えて貰いたいと思って」

「は?」


 教えてもらうって、何を。何を考えてそうなったんだ。


「僕はただ、父親に復讐してやればいいって。母親の仇をとってやればいいじゃないかって意味で言ったつもりだったんだけど?」

「そのくらいわかってる!……わかってます。でも俺は人の殺し方なんて知らないんだ!あいつがどこに居るのかも調べたけど、家には何の手掛かりもなかった。そういうところだけはキッチリしやがって……。っだから、お願いします。俺、なんでもしてやる…なんでもします。役に立てるように頑張るから」

「頑張るのは勉強でいいんだよ」

「違う!もう俺に、そんなものは必要ない。いや、あなたがそう言うなら続けてもいい。でも、あいつを…あいつの息の根を止めるまでは。お願いだ、【死神フード】、俺を助けて……」

「君は1人で不安がっているだけだ。あの場にいて事情を知っているから僕を選んだだけ。だめだよ、こんなとこまで来たら。戻りたくなったとき、すぐ戻れるところじゃないんだ。まだ間に合うよ。家に帰れ」

「帰らない。あなたが了承してくれるまで、ずっと付き纏うつもりで準備もしてきてます」

「そういうのを復讐に向けろっての」


 埒があかない。このままバールを出てもホテルまで付いてきそうな勢いだ。どうするべきか。借りっぱなしのホテルの部屋を引き払って他のホテルに移ったとしても僕についてくるつもりで居るんだから意味が無い。どこかで巻いてしまうのが一番良さそうだ。


「あ、そうそう」

「ん?」

「報酬の件なんですけど、もう受け取ってますよね?」

「ああ、うん。マスターから貰ってる」

「ちょっと諸事情で、書類が必要なんです。あなたのサインがいるんですけど、それだけでもお願い出来ますか?」

「へ?なにそれ。なんか手続きとかそういうの?」

「はい。色々あるんですよ」

「ふうん。お金持ちも大変なんだね」


 話題が逸れてくれて助かった。僕に会わなきゃいけなかった理由ってこっちだったのかもしれない。そうだとしたら本当に悪いことをしたな。何日も時間を取らせてしまった。ソレイユは書類を取り出して、渡してくれた。それを見ると何やら読めない文字で書いてある。おかしいな、字くらい読めるようにはしてるはずなんだけど。


「なんて書いてるのこれ」

「ああ、異国の字なんです。あなたに支払ったお金のルーツがそちらからだったみたいで、ルールに従って書類を準備しなければならなかったんですけど、あいつは逃げる気満々だったんですね。放ったらかされてたんで、俺が持ってこざるを得なかったんですよ」

「ふーん」


 お金が関わってるなら、もう受け取った上に多少なりとも遣ってしまったから、サインするしかない。ホテルの受付なんかでは「ユキト」を使っているんだけど、こういう場合はどうするべきなのだろうか。


「【死神フード】でいいの?」

「出来れば本名でお願いしたいのですが」


 正式な書類に【死神フード】なんてサインされてたら怪しさしかないから、当然のことだ。なら、僕が使える名前は1つしか無い。ペンを取って、さらっと書いた。


「【ユキト】ですか?珍しい名前ですね」

「僕の名前じゃないし」

「……偽名は困りますよ」

「仮名。僕、記憶喪失で名前も覚えてないんだ。性別さえも忘れてる程度の酷い奴でさ」

「それは初耳でした。でも今はユキトなんですね」

「そういうことにしてる」

「そうですか。なら、ユキト。契約内容を読み上げますね?」


 ソレイユは、今まで見たこともないような笑顔を浮かべて僕を見た。


「契約って何」

「読み上げるから聞いて。


 《契約書》

 【死神フード】はソレイユ・ジュールの顧問として次の業務を行うことを承諾する。

 (1)ソレイユ・ジュールへの殺人術の伝授

 (2)ソレイユ・ジュールの目的が達成されるまで(1)を実行すること。

 ソレイユ・ジュールは【死神フード】に対し、顧問料として衣食住の提供とその業務の補佐をするものとする。前項の処理に要した費用もソレイユ・ジュールの負担とする。

 本契約期間は前述の目的が達成されるまでとする。以上、本契約成立の証としてそれぞれ署名の上、保管する。

 ソレイユ・ジュール

 ユキト


 というわけなので、本日から不束者ですがよろしくお願いしますね」


 ソレイユは依然としてニコニコしている。読めない契約書には僕の意志とは反することが書いてあって、僕はそれを承諾するサインをしてしまった。なるほど。


「詐欺だ!返せ!」

「これは俺が用意した紙です」


 契約書を奪いとろうとすると、彼は手を上げてそれを阻んだ。こんなことが、あってたまるか!


「詐欺だー!!」

「人聞きの悪い。契約書の内容を確認するのは基本中の基本だ。疎かにした奴が悪い」

「僕は認めないぞ」

「もう契約は完了しました。覆させはしません」

「はあぁ……」


 僕が望んでいたこととはいえ、本当に叶ってしまうなんて思わなかった。彼は堅実な男だと思っていたし、両親がいなくなってしまってもその地位を守って行くんだと思っていた。それができるのなら、道を外す必要はないんだ。だから、突き放してあげていたのに。自ら飛び込んでくるというのなら、僕には、それを駄目だなんて言えない。

 彼は書類をカバンに丁寧にしまうと、僕に向き直って言った。


「それで、あなたのことはなんてお呼びしたら良いでしょう?先生?」

「ユキトでいいよ。仕事の時は【死神フード】でもなんでもどうぞ」

「わかりました、ユキト」

「ん。じゃあ、君のことは……ソル。ソルって呼ぶね」

「ソル、ですか」

「うん。短くて呼びやすい」


 君が、いつか。明るい道へ戻ることを望んだ時にすぐにでも戻れるように、今は僕が隠してあげよう。影まで覆って、気付かれないように。逸らせば、すぐそこに光があることに君が気付くまで付いてくればいい。


 太陽に道標を。死神に手枷を。

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