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月夜のエスケープ

 美しい満月の夜。

 あの、後味の悪い吸血鬼事件の後。アポロンは律儀に僕達を待っていた。正直逃げられていても仕方ないくらい時間は経っていたのだが、約束を守る男だというのは本当だったらしい。情報もきっちり聞かせてもらった。アポロンと【ユキト】は組織【ステュクス】の一員で、【ユキト】はそこで「アルテ」と名乗っている。アポロンというのも偽名なんだとか。名称なんてものはさして重要ではない。大切なのはこれ。近々、ステュクスの定期的な集会があるそうだ。この組織は珍しいものを欲望のままに追いかけている組織で、今夜、その仲間内で追い掛け回した結果を見せびらかす夜会が開かれる。そこに、僕達を招待してくれた。なんでそんな悪趣味な組織に入っているのかをアポロンに質問してみたら、「『頼まれた仕事を完全にこなすためには情報が定期的に入ってきて便利だから』って雪都が言うから」だそうだ。どこまでも彼女に従順な男だった。彼女は仕事に対して真摯な態度で臨んでいるようだから、今回の夜会にも顔を出すはずだ。僕は背中がぞくぞくするくらい、張り切っている。

 いつものフード付きの黒い外套を白いシャツと黒いズボンの上に羽織る。と、ソルの足音が近づいてきてノックもせずにドアを開けた。


「ユキト!」

「なんだよいきなり」


 ドアノブを握ったまま、僕の姿をみてがっくり項垂れた。失礼なやつだ。


「これから行く場所がどこだかわかってます?」

「わかってるよ。ステュクスの夜会だろ。ところで、ソルの頭、それなに?」


 おかしくて、つい笑ってしまう。いつもは前髪もだらしなく伸ばしていて、ぼっさぼさなのに、今日はおでこまでだして。所謂オールバックってやつにしてる。洋服もジャケットまで羽織って、ネクタイもしてるし、色気付いたのかな。僕が何時まで経ってもプルプル震えて笑っているのが気に入らなかったのか、イライラした顔でソルが言った。


「そうやって笑ってられるのも今のうちですよ。俺がこの日のために着々と準備してきたのをあなたは知らないだけだ」

「へえ?」


 笑いすぎて目に溜まった涙を拭いながら何をしてくれるのかとソルを見た。ソルはニヤリと笑って、僕に黒いひらひらした布を渡す。手触りはサラサラしていて、キラキラした素材が混ざった綺麗な布だった。


「なんだこれ」

「着替えてください」

「服!?」


 この布を着ろという。何の冗談かとソルと布を何度も見比べた。このふわふわの変な布を纏えというのか。きっと、ちょっと古くなってきた僕の猫耳フードの代わりとかだよね?


「猫耳フードにしては小さくないかな」

「ドレスですよ、それ」


 耳を疑った。


「馬鹿なの!?世間の認識としては【猫耳フード】の正体はいたいけな少年だよ!?」

「だからですよ。周りはあなたが【死神】だなんて思いもしないでしょう。ステュクスがどんな組織か忘れたんですか?好奇心旺盛な人間の中に【死神】なんかが入り込んだらそれこそ格好の餌になってしまいますよ。ただのいいところのお嬢様の方が、彼らの関心からは外れて動きやすいと思いますけど」

「ソルのくせに考えたな……」

「あなたよりは頭脳派なつもりですけど。下着が見えてしまいますので、おしとやかにしてくださいね?」


 僕の張り切りは霧散した。




「ひっ」


 死神は、纏う漆黒の衣を奪われ、携える大きな死の鎌を奪われ、骨には肉を、色を付けられ――


「なんて表現するんですか。立派なレディに仕上がったじゃないですか」

「なんだこれはー!!」


 鏡を覗くと、僕じゃない、女の子がいた。髪の毛はふわふわで長い髪の毛のカツラを被らされた上に、ゆるく結われている。ソルの蟻ん子並みの優しさで、ドレスは真っ黒のシンプルなものだったが、軽く化粧までされていつもより顔が濃い。


「靴はこれを」


 ソルが僕の足元に跪いて、右足をそっと握った。くすぐったい。そのまま履かせようとしているのが例によってあの踵が高い不安定そうな奴。確かに、今日行く場所は夜会の華やかな場所だ。でも、その目的は【ユキト】で、おいしいご飯とかうわさ話とかそういうものではない。


「僕は遊びに行くんじゃないんだぞ、ソル。わかってんの?こんなのじゃすぐ殺されちゃうよ……」

「わかっています。いざという時は俺が抱えて逃げますから。そこ、『私』でお願いできますか」

「ぐ、ぬう」


 なんだか恥ずかしくて仕方ない。死にそうだ。こんな格好させられて、言葉遣いまで注意されて。女装させられるのって、こんなに恥ずかしいんだ。本来ならこれが正しい姿なんだろうけど、僕にはもう無理だ。こんなこと、二度とするもんか。僕の熱くなった顔を見て、ソルが笑った。




 夜会が行われる場所は、ぐるりと柵で囲まれていてまるで牢獄のような雰囲気を醸し出しながらも、庭越しに見える奥の屋敷は大きく、きらびやかな光が漏れ出していてそこだけ別世界のようだった。


「ひゃあー、これはなかなか」


 すっげー、と言いそうになった僕をソルが「ユキト様」と窘めた。様付けとかくすぐったい。今夜の設定は僕はどこぞのお嬢様で、ソルはその付き人なんだそうだ。あんまりいつもと変わらない気もするけど、今夜は少しグレードアップだ。正直に感想を申し上げると、気持ち悪い。なんて言ったらソルが傷ついてしまうので黙っている。アポロンとはこの門とは反対側の、小さな裏門で落ち合うことになっている。続々と入場していく客たちを尻目に、僕達は静かに裏門へ回った。


「お、来たな」


 アポロンは既にもう待っていて、片手を上げて挨拶をした。


「あれ?死神は?」

「目の前にいるだろ」

「ええっ……?お前、女だったのか!」

「おい」

「冗談だ。本当、女って奴は化けるよな」


 これはないわー、と言いながらアポロンが頭を掻いて僕を見た。


「まるで別人のようだな」

「俺が心を込めて仕上げたんですよ。自信作です」

「そりゃあ、死神にはできねーよな。お前、化粧とかしたことないだろ」

「ないよ。そんな必要ないし。それなのになんでこんな目に」

「ソルがやりたかっただけじゃないのか?」


 アポロンの言葉に、ソルは肩をビクッと揺らした。


「おい」

「え?」

「本当なの?」

「なんのことですか?」


 すっとぼけているが、確実にこれは図星であったようだ。ソルが僕に対して友情ではない想いを抱いていることには気づいている。こういう関係上、踏み込んでそれを暴くようなことはしていないが、今回こんな形で表現されてしまうとは。こんなに女とは、もしかしたら人間からもずれているような僕だから放っておけばそのうち覚めるだろうとも、思っていたのに。共にいる時間が彼の想いを増長させてしまっているなら、蝕んでしまっているなら、都合が悪い事この上ない。


「げー。めんどくさい」

「ユキト。言葉遣い、本当にお願いしますよ」

「もう僕帰りたい」

「おいおい、俺は中に入ったら動かないからな?自分たちで何とかしろよ」

「わかってるよ」


 アポロンとソルに無理矢理引っ張られるようにエスコートされ、夢の様な世界へ踏み入れた。


「それで、具体的にどうすれば【ユキト】に会えるの?」


 一番の目的を果たすために、彼女の居場所を尋ねた。アポロンは夜会が行われている大広間へと僕達を案内している途中で、それがどういう集まりなのかを説明しているところだったが、立食式で、各々が自由に相手を選んで話すことができるってところだけ聞ければ充分だ。自由に動けるのなら、彼女を探すために動くことも難しくはないだろう。


「あー、それがさ。すごく言い難いんだけどさ。あー……今夜は夜会を楽しむということでっていうわけにはいかねーよなぁ」


 あまりにも寝ぼけたことを言うものだから途中で睨んだら、溜息を付いて諦めたように言う。最初からそういう約束だったのに、何を今更。


「あのな。俺も雪都を誘うの、頑張ったんだぜ?でも、あいつやっぱりこういうところ嫌いだからって断られちまってさ」

「断られた?」

「おう。悪い!」


 この通りだ!とアポロンが両手を合わせ頭を下げた。つまり、


「無駄骨?」

「そういうことになるな!」


 元気よく笑顔で答えたアポロンに、僕は飛び蹴りをお見舞いした。


「ユキト!足を上げるな!」


 ソルが顔を真っ赤にして叫んだ。しかし蹴りたくもなるだろう。【ユキト】に会えると思って、ここにこんな恥ずかしい格好をさせられてまで来たのに。絶対に許さない!


「お、落ち着け!また、こういう機会があったらなるべくお前達を俺の客として呼ぶから!今晩はおいしいご飯を思う存分楽しんでくれ、な!?」


 呆れてため息が出る。でも、【ユキト】をよく知る人間と通じ合えるのはありがたい。これからもこういうところに呼んでくれるというのなら、今回は許してもいいだろう。定期的に集まるのであれば、ずっと欠席するわけにもいかないはずだ。きっと、いつか必ず相見える機会はあるはずだ。何の手掛かりもなかった頃と比べたら、アポロンの存在は大きな進歩だ。


「そういやさ、お前ら知ってたか?」

「ん?」

「例の吸血鬼の事だ」

「また何かあったの?ゼナスが人でも襲いだした?」

「いや。死んだらしいぞ」


 アポロンは静かに告げた。僕達があの城を去った時には既に抜け殻のようになっていたからあまり驚かなかったが、身体のどこかですうっと何かが消えた気がした。あの時僕の中に渦巻いた、憎しみの感情か。それともまた別のものなのか。どっちにしろ、少し楽になった。


「まあ、ノエルが死んだんだ。双子なんだしそんなもんだろ。自殺?」

「殺されたみたいなんだな、それが」

「ユキトの呪いの言葉のせいで……」


 ソルがぼそっと言ったので、僕は尻を蹴飛ばしてやった。


「吸血鬼も死ぬんだねー」

「そういう事になってただけで、事実人間だったからな。ちょっと特殊だっただけだ」

「ふーん」


 んな風に喋りながら歩くと、会場に到着した。キラキラと煌く巨大なシャンデリアよりも、僕の目に入ったのはテーブルの上に鎮座しているもので。ズラッと並ぶ豪華な料理に目が眩む。見たこともないような料理が沢山並んでいる。柄にもなく興奮してしまって、胸の高鳴りを抑えられそうにない。食欲は、他の欲よりも確かに際立っていたが、これは更に其れを掻き立てられる。


「そ、ソル……。食べていい!?」

「あくまでもお上品にお願いします。本当に。うちで食べるみたいにがっつかないで!」


 ソルのゴーサインは、最後まで耳に入らなかった。肉!肉!肉ー!お上品になんて言われたけれど、もうそんなのには構っていられない。僕はなによりも肉が大好きだ。アポロンの笑い声が微かに耳に届いたけど、僕には関係ない。所狭しと並ぶ料理を、どれも逃さず食い尽くしてみせる。

 もちろん、全部は胃袋に収まるはずもなかったが、ひと通り味わえたと思う。食べるのに飽きて周りを見渡すと、固まって喋っている人間達や、僕と同じように食事を楽しんでいる者、つまらなそうに壁際に寄ってぼーっとしている者など皆自由に過ごしている。その中に、アポロンが1人、壁に寄りかかってワインを飲んでいるのが見えたので近づいた。


「なー、ソルは?」

「さ、さあー?なんかさっき綺麗なお姉さんに誘われて違う部屋に行っていたような」

「誘われて、しかも別室!?それってまさか」

「大人の世界の話だからお前はこれ以上聞いちゃ駄目」

「いやあ、物好きがいるもんだなあ」

「あいつはなかなかの色男じゃないか。目玉腐ってんのか」

「えっ。顔は良くても中身はソルだよ」

「顔も中身もソルだろうが」


 それはごもっともだけど、僕にとってソルはちょっとふにゃっとしてる頼りない男で、僕にからかわれるのがまんざらでもなくて、わざわざこんな道を行く僕についてくる悪趣味な奴だ。


「まあ、あいつにだって選ぶ権利はあるからな。放っておいてやれよ」

「とても失礼なことを言われた気がするけど、僕は僕のやりたいようにしかしないよ」


 ソルを誘うような、ソルに次ぐ物好きの顔を拝んでやらない理由がないじゃないか。

「あ、こら」と止めようとするアポロンの制止の言葉はまるごと無視して、会場から出る。ソルとそのお姉さんとやらを探してみることにした。入ってくる時、少し廊下を歩いたところに階段があるのを見たから、そっちに行ってみよう。ソルが黙って距離を置きたがるわけがないし、女に誘われたからといってほいほい付いて行く事はしないはずだ。それなのに、僕を置いて行った理由が知りたい。相手が絶世の美女だとか、どこかで襲われているとかそういう展開を希望だ。虱潰しに、ドアに耳を貼り付けて人の気配を探ることにしよう。


「……」


 この部屋は誰もいないみたいだ。次に行こう。僕を放置して、しかも僕に探させて。しょうがない奴だなあ。面白そうだからいいんだけど。次のドアへ。


『――とじゃなくて。お前がどうしてあの子と行動しているのかなんだけど』

『それは、説明した通りですが』


 2つ目でビンゴとは、僕の運もなかなかである、と自画自賛しながら聞き耳を立てる。ソルの声。初めに耳に入ってきたのは女の声だったが、これは。


 ……この声は。


『……魅せられたか』

『魅せられる?俺がユキトを選んだのは、事情を知っているからで』

『私が代わってあげてもいいけど?すぐ終わらせてあげるよ』

『でも、それは俺が自分で決めたことで、自分でやりたいんだ』

『それにしては随分時間が掛かっているみたいだけど。いいように使われているだけだよ。あの子は自分の傍にいてくれる奴なら誰でもいいんだ。君じゃなくても。人ですらなくても。時間の無駄だし、そろそろ兆しも現れてくる。離れた方が身のためだよ。このままだと君まで不幸になってしまうよ』


 ――『不幸な子』

 過ぎる最初の記憶。


 この声、は。あいつだ。【ユキト】だ。あの時の声と同じ。暗い、最初の記憶が蘇る。記憶を失くして初めて記憶した出来事。雨の夜。僕を見下ろす真っ黒な目。ソルが、一緒にいるのはあの女だ。どうしてソルがあいつと一緒にいるんだ。なんでソルは僕に知らせないんだ?脅されたの?きっと、そうだ。ソルが僕の気に入らないことを進んでするわけがない。僕が短気なことも知っているし、手が早いことも知っているはずだ。そうだよね。脅されているんだよね。それなら仕方ない。助けてあげなくちゃ。ソルは僕の、僕の……。

 駄目だ、落ち着かないと。ようやく会えた。この時のために、手を血で染めたようなものだ。生きるために仕方なかった時もある。けれど、自らこの世界に足を踏み入れたのはこの時のためだ。僕はドアノブを握り、回した。心臓がどくどく音を立てる。ドアの隙間から部屋の中を見ると人影が、2つ。


「!……ユキト」


 ソルが真っ先に僕の名前を呼ぶ。でも、僕はソルの前に立っている女のことしか見えていなかった。相手も、僕のことを見ていた。切り揃えられた黒い長い髪。真っ黒な瞳。あの時の記憶より、僕が大きくなっているからなのか、酷く細く小さく見える。けど、その声だけはあの時と変わっていなかった。


「久しぶりだね、赤眼の。似合ってるよその服」

「…【ユキト】」

「こっちではアルテと名乗っているんだ。その名前はあげるよ」

「いらない。僕の名前じゃない」


 キリキリと、緊張の糸が張り詰める。

 相手の出方を伺うが、ユキトはなんにもしなかった。ぴくりとも動かない。ただ黙って僕を見ていた。僕は抑えきれなくなった憎しみを、怒りを、腕輪に伝え、刃にし、彼女の喉元に狙いを定め、床を蹴った。


「……馬鹿」


 ユキトが静かにそう言って、全ては一瞬で片付いていた。僕は天井を見上げていて、自分が床に転ばされていることに遅れて気付く。軽く、あしらわれただけ、だ。ユキトは静かなもので、乱れた長い髪を武器を持っている手とは反対の手で払っていた。


「刀を持つ相手は初めて?」


 顔の横に、鈍く輝く長い刃があることを目の端に見る。切っ先は床に突き刺さって、付け毛に刺さっていた。僕が知らない感情が込められた目で、僕を見ている。上から下まで。身体を見られて、居心地が悪いし、僕の敗北は決定しているのだから早くどいて欲しい、が。敗者は勝者に従わなければならない。本来なら殺されてもおかしくない状況だ。どうして彼女がそうしないのか、理解できないが。そのままの体勢で数秒後。ようやくユキトは床に突き刺さった刀を抜き、僕を開放した。僕は上体だけをゆっくり起こして、彼女の言葉を待つ。


「弱いね?」

「……ッ」


 首を傾げながら無表情に言われた。顔に熱が集まるのがわかる。絶対、今、顔赤い。悔しい顔をソルにも見られたくなくて、手で覆った。悔しい。悔しい。悔しい。


「片腕で、私とやろうなんて甘いよ」

「どういう、意味」


 質問するのも悔しい。


「赤眼の。お前はその腕のが何なのか、考えたことあるの?」


 右腕の。手首に巻きついた銀。考えてもわからないから、本能のままに使っていた不思議な物質。記憶もないのに考えろだなんて、意味のわからないことを言う。


「その変な力を何も考えずに使っていたの?本当に馬鹿なんだね」

「……ッ黙れ!僕から全部奪ったのはお前だ!何もわからない世界に放り出されて、考えるべきことが腕輪のことだっていうの?何もかもわかってるお前にとってはそうかも知れないけど、僕にとっては僕が何なのか知ることの方が大事だったんだよ!」


 手が、痛い。強く握りすぎて爪が掌に食い込んでいるからだ。唇も、噛んで破れてしまった。悔しい。何もわからないことが嫌だ。わからないことを彼女は知っているのに教えてくれないことが嫌だ。なんで?どうして?たくさん人を殺した。力で捻じ伏せてきた。これでもまだ、弱いっていうのか?

 冷たい手が、唇に触れる。大きな瞳が僕を覗き込んでいる。ユキト。そんな哀しい目で、僕を見ないでくれ……。


「今の自分を知ること。名前を知るのはそれからだ。7番目の【悪魔の子】」


 ユキトは音もなく立ち上がり、僕の傍から去った。ソルに声をかけていたようだが、僕は自分のことを考えていたからその内容を知らない。





 ソルは暫くの間僕をそっとしておいてくれて、ユキトが去ってから僕の意識がはっきりしたのはアポロンが部屋に入ってきてからだった。


「よお」

「どうも」


 アポロンの呼びかけに返事をしたのはソルで、僕はまだ床の上に胡座をかいたままだ。


「いじけてんのか?」

「あなたの相棒はもうとっくにいませんよ」

「知ってるよ。まさか来るとは思わなかったなー。悪かったな、ちっこいの」

「僕をそんな風に呼ぶな。殺すよ」

「おーおー」


 荒れてるねぇ、とアポロンが言った。もう1人、殺したくらいで強くなったなんて言えないのはわかっているけど。放っておいて欲しくて吐き捨てた言葉をアポロンはうまく避けてくれた。


「アポロンさん。アルテさんの『7番目の悪魔の子』って言葉が気になっているんですが、何のことだか御存知ですか?」


 ソルの質問に、アポロンが目を見開いた。僕も知りたい。聞きたかったけど聞けなかったこと。ソルはわかってて聞いたのだろうか。どっちにしろ、少し楽になった。こんなにあっさり、聞けるもんなんだなあ。でも、アポロンの反応からしてあまりいい事では無いみたいだ。


「雪都が言ったのか?」

「はい」

「そうか。お前らに言ったのか……」


 顎に手を添えて考える素振りを見せる。そんなことは、いいから。早く!僕は立ち上がってアポロンに近づいた。


「知ってるなら、教えてよ!今ならお前でも殺せるんだからな!」

「……まあ、有名な話なんだけどな。おとぎ話なんかにもなってるし。ソルは知ってるんじゃないか?俺は雪都が隠してるなら喋らないぞ」


 腕輪は一瞬のうちに弾けるように霧散し、収束した。それは拳銃の形を型取り、手に収まるとすぐに引き金を引く。パーンと軽快な音をたて、瞬間弾がアポロンの耳を掠めた。アポロンは弾が壁にめり込んだことを横目で少しだけ確認し、僕に向き直った。


「落ち着けって。とにかく自分で調べてくれ。あと、先に謝っとくぞ。アルテはどうやらお前がここにいることを組織の奴らにバラしたみたいだ」


 そういえば、遠くから複数の足音。階段を登ってくる、人の音がする。会場から出てきて、こちらに向かってきているようだ。結構な数の人間が、ここに。


「僕達やっぱり入ってきちゃまずかったの?」

「そりゃあ、あれだ。【悪魔の子】、つまりお前がステュクスが追ってる珍しいものの1つだからな」


 アポロンが指差すのはもちろん僕。だからなんなんだよ、【悪魔の子】って。そんなことを言ってる暇もないみたいだ。足音が近い。


「あーあ、やだやだ」

「どうする、ユキト」

「逃げるしか無いだろ」


 わからないことがたくさんある。聞きたいことも、同じくらい山ほど。でも、立場上逃げる他ない。ただでさえ、ソルのせいで僕は素顔をまっ晒してる状態だ。素性がバレれば動きにくくなることは間違いないし、それは阻止したい。


「どうやって!?」


 ソルは完全におろおろしてパニック状態だ。こういう時こそ冷静で居て欲しいものだけど。確かにドアから出ていけば組織の連中に鉢合わせてしまうだろう。しかもこの広い屋敷の中、出るのに時間はかかるし迷いでもしたら捕まるのは時間の問題だ。となると、出口は1つしかない。


「飛び降りる」


 幸いここは2階。飛び降りて死ぬほどの高さではない。そりゃあ、痛いけど。綺麗な装飾がしてある窓を、めんどくささから拳銃の形状のままだった腕輪を使って割る。今ので、完全に居場所がバレただろう。ソルにこっちへ来るように手で合図する。


「じゃーね、アポロン。またね」

「えっ……ここから?嘘だ……」

「行くよ」


 ぶつぶつ言うソルを無視して飛び降りた。ひゅっと風が抜ける音。後ろの方からドアが乱暴に開けられる音がする。(「あそこだ!」「待て!」)待つわけ、ないだろ。少しでも落ちるスピードを殺すために腕輪を傘のように開いた。それでもやっぱり着地は痛かった。足にじわっと痛みが伝わる。遅れて「いでっ」という声がしたのでソルも痛かったようだ。さっさと行かないと追手が来てしまうだろう。

 走りだそうとして、僕は、躓いた。えっ。


「何してんだ!?」


 早く!とソルに急かされる。慌てて起き上がるも、やっぱり走りにくい。あー、これは。どうしたものか。脱ぐか?脱いで、走って追いつかれないかな。塗装された道なら問題無いだろうけど。砂利道は流石に痛いだろう。立ち止まったまま考えていると、痺れを切らしてソルがこちらに戻ってきて聞いた。


「どうした?」

「靴」


 そう、嫌がらせのごとく着せられたあの服。そして靴。ユキトに負けたのもこれが敗因だったのではないだろうか、などと考えている暇はない。ソルは、今度は一瞬で理解してくれて、冷静に判断したようだ。足元に屈むと、ぐいっと腹部に負担が押し寄せた。


「ぐふっ」

「……本当に色気なんてものはないですよね」


 これは、所謂、俵担ぎ。苦しいし肩の骨がお腹にあたって痛い!


「やだやだやだ」

「うるさいな。落としますよ」

「酷い!」


 無駄話も程々に、どんどん逃げる。屋敷の庭の木々に隠れるように走り、行きはアポロンと通った裏の道を。月の光を避けて、暗い道を走る。裏門を出て知らない道を走っているうちに、見覚えのある建物が1つ。


「ソル、そこを右に曲がって」

「どこへ?」

「アリスの屋敷が近い」

「わかりました」


 抱えられたままだが、指示をすると従ってくれる。ソルのこういうところは好きだ。アリスの屋敷は今は使用人が掃除をしに来ているくらいで、住人はいないはずだ。少しの間、庭の隅っこに隠れさせてもらうくらい問題無いだろう。追手が来ている気配は既になかったが、念のためだ。手頃な場所に、ソルは僕を半ば投げるように下ろした。僕はうまいこと着地したが、当の本人はどさっと座り込んでしまった。人間一人抱えての走行はきつかっただろう。息切れで辛そうだ。


「ごめんな、ソル」

「い、え…。謝らないで、」


 話すのも辛そうだから、落ち着くまで黙っていよう。座ったまま、空を見上げると変わらずそこには満月が輝いている。さっきまでの喧騒が嘘のように、静かだ。


「【悪魔の子】のことなんですけど」


 ソルの方から話しかけてきた。もう息が整ったようだ。


「色々本なんかにもなってるんです。俺が知っているのは、おとぎ話になるんですけど。簡潔にあらすじを話しますね。あるところに可哀想な子供がいました。まあ、可哀想の内容はいじめられたとか、そういうレベルなんですけど。でも、その子は憎しみのあまり悪魔になってしまう。悪魔になって、自分をいじめた人間を殺してやろうって考えるんです。それはだんだん大きくなって、人間を滅ぼそうと企むんです。でも1人では力が及ばない。だから、命と引き替えに身体を……分裂させるんです。分身してその分憎しみも増幅した、みたいな感じですね。結果世界を滅ぼして、悪魔の復讐は果たされました。みたいな話だったと思います。結構よくある話でしょう?記憶が曖昧なんですけど、大体合ってると思う」

「おとぎ話にしては趣味悪いね」

「確かに。言うことを聞かない子供に聞かせて、脅かすような役割の物語だと思っていました」


 はは、とソルは軽く笑う。けど、僕は腹部がもやもやとするのを感じていた。なんだろう。忘れた記憶を取り戻しているのだろうか。でも【ユキト】がそんな簡単に、しかも負け犬である僕に記憶を渡す理由が見つからない。僕の身体に焼き付いて、あいつにも奪えなかった記憶の断片だろうか。


「戻ったら、調べてみましょうね」

「いや、今から行こう」

「へ?」

「……いや、着替えてからにしようか」


 座り込んでいるソルの腕を取り、引っ張りあげて立たせた。






 夜の街。響く足音は僕達のものだけだ。一度家に戻って動きにくい服から普段着に着替えた。ソルも、髪型を元に戻していた。

 これから行こうとしているところは端的に言うと酒場。僕は「バール」って呼んでいる小さな店だ。僕のような表の世界で生きていけないような人間が集まるところだ。そういう人間にも情報が必要であり、そこのマスターは仕事の斡旋なんかもしてくれるため、僕がこういう仕事をはじめた時から世話になっている。バールは古ぼけた雰囲気で静かだ。マスターの経営方針なんだけど、気に入っているから、少なくともこの仕事をしているうちはずっとここに通うつもりでいる。他の情報屋なんかも利用したことはあるけれど、ここほど気に入ったところは他になかった。


「俺、久々にここに来ました」

「もともと表の人間が来るようなところじゃないし。いつか戻るかもしれない奴がそう何度も来るべきじゃないよ」

「どういう意味ですか」


 そのまんまだよ。あんまりこの話はしたくなかったから濁して、バールのドアを開けた。カランと小さく鐘がなる。思っていたよりも暗い室内には、酒の匂いが漂っている。ここはそういう店で、本来なら大人になりきっていないガキが来るような所ではないのだ。


「はーい、マスター」

「あ?ユキトか。久しぶりだな。ソルも」


 奥のカウンターの向こうにいる髭面の男がこのバールの主だ。僕の両親が生きていれば、マスターくらいの年齢になっていただろう。エプロンがすごく似合わない、こんな世界で情報屋をやっていくだけはある屈強な男である。僕はマスターが立っている目の前のカウンター席に座った。ソルがその横に腰掛ける。マスターはにやっと笑って、僕の前にマグカップを置いた。


「お子ちゃまにはこれだよな」

「ありがと」


 マグカップの中身は牛乳だ。砂糖が入っているのか少し甘いそれをちろっと舐めるように飲んだ。


「ソルはコーヒーでいいか?酒にする?」

「いえ、コーヒーで」


 マスターがコーヒーを淹れる。そしてカウンターに肘を付いた。僕達が、何の情報も求めずにここに来るはずがないことを彼は知っている。


「それで?」

「うん。早速なんだけど。【悪魔の子】について、教えてくれないかな」


 マスターの反応は想像以上で、目を見開いた後無表情を繕おうとしたようだが失敗したのを悔やんでいる、という顔をしている。わかりやすすぎて苦笑してしまう。そんなに露骨に表情に出しておいて、「知らない」は聞いてあげない。僕はにっこり笑ってマスターを見つめた。


「いや、俺は……」

「マスター。欲しいだけ金は払うよ。僕、この件ですごくはぐらかされてるからあんまり気が長くないんだ」


 マスターの言葉を遮って言った。これ以上、張本人を輪の中に入れないなんて許さない。彼は眉間の皺を寄せ、自慢の髭を撫でながらため息を吐いた。僕が折れないことを理解してくれたのだろう。実を言うとお金を積んでも吐いてくれなかった場合は命を引き合いに出そうと考えていた。間違いなく反対されるし、マスターは人望が厚いので多くの人間を敵に回すことになってしまうだろうからソルにも言っていないが。その辺のことも、感じ取ってくれていたならやっぱりマスターはすごく良い人だ。


「世間ではおとぎ話として広がっている。ソルは知ってるんじゃないか?」


 アポロンと同じ事を言っている。ソルは頷いた。


「俺も少し話して聞かせました。でも、それだけでは所詮子供向けのおとぎ話でしかありません。【死神】が知りたいのはそういうことでないのはわかるでしょう。【死神】の標的の話はご存知でしょう。今回接触に成功しました。アルテ、と名乗っているようです。ステュクスについては?」

「あ、ああ。知っている。驚いたな」

「アルテが僕のことを7番目だって呼んだんだ」


 ぐいっとカップの牛乳を飲み干した。マスターがそれを目で追いかけて、最後に僕の目を見た。


「俺が知ってることも断片でしか無いかも知れねぇ。それでも構わないか?」

「いいよ、もちろん」


 僕の返事にマスターは頷き、話してくれることになった。


「本元はやっぱりそのおとぎ話になる。内容はソルが説明してくれたんだろ?」


 頷く。


「で、その【悪魔の子】っておとぎ話になってるけど、実話に基づいているんだ。例のステュクスはそういうおとぎ話とか、隠された歴史とか、そういうのに興味津々でな。【悪魔の子】に関する証拠品なんかを探して考察しているらしい。公表されていないからそれが真実かどうかは別として、だ。俺も信じてなんかなかった。けど、実在してるだろ?」


 首を傾げる。


「いや、どう考えてもあなたでしょう」


 ソルに突っ込まれた。僕、のこと。


「そういうけど、どこで判断してるの?僕は何も覚えてないわけだし、僕が【悪魔の子】かどうかはひとまず置いといてくれないかな」


 知りたいのは、僕が「なにか」ではない。今のところ。ソルとマスターは納得いかないという顔をしているけど、僕がなんなのか一番知りたいのは僕だ。おとぎ話も知らない僕に必要なのは、とにかく情報なんだ。頑として譲らないと悟ったのか、マスターは更に話を続けた。


「少なくとも俺はお前が【悪魔の子】だという前提で話すぞ。公表されてないといっても俺はその内容を知っているわけだ。ちょっとした伝手があってな。ステュクスは証拠品から悪魔の子の特徴を推測しているんだ。そしてそれに合う人間を探して調査する、みたいなことを繰り返しているらしい」


 先日の夜会を思い出す。胸糞悪い記憶だけど、確かにしつこく追い回された。僕が【悪魔の子】である可能性があるというだけで。


「そんで、事実はおとぎ話の通りだ。世界を呪った人間の魂は7つに割れた。その呪いは強力で、未だに人の魂に巣食ってて、巡り巡り様々な肉体に影響を及ぼしている。と、考えられている」

「僕の魂にもその呪いがかかっていると?」

「そういうことになる」

「どうして僕が呪われてるってわかるわけ?」

「瞳だ」


 目玉を指さされた。自分の瞳の色が特殊なのは知っている。暗闇でも浮かび上がる赤い瞳。不気味がられるのは当然だ。前髪を撫で付ける癖はそのせいだ。きっと、記憶のない小さい頃、いじめられたとかそういう経験があるんだろう。今はもう、全然気にしていないのだけど。


「【悪魔の子】は共通して、真っ赤な瞳をしている。奥に呪いを秘めた不気味な色だ」

「不気味とか本人を目の前によく言ってくれるね」

「俺はこの目好きですけど」

「好きとか言うな」

「あんまり見つめすぎるとソルみたいになるのかもしれんな。盲目状態って奴だ」


 マスターがガハハ、と声を出して笑う。アルテにも「魅せられた」と言われていた。そういう力も含まれているのかもしれない。でも、だからどうした?ただのおとぎ話じゃないか。アルテが僕から記憶を奪い、強くなれと突き放す理由がない。


「あとは、特殊能力を持ってるって言われてるな。多分お前のソレ」


 腕輪を視線だけで示された。


「間違いなく、この世に普通にある物質じゃあない。そういう能力があるのもちらほら発見されてるらしい。だがまあ、この辺は完全に確認されてるわけじゃないから推測の範囲を出てない。問題は他だ。【悪魔の子】は、呪いのせいで短命だ。おとぎ話の舞台は遠い昔、俺達なんか影も形もない時代だ。その魂はいろんな肉体に宿ってきたんだろう。記録に残っている【悪魔の子】は皆若いうちに死んでいる」

「僕も死ぬの?」


 人は、いずれ死ぬ。しかもこんな生き方をしている僕が、長生きできることを期待なんかしているわけないじゃないか。問題が、本当に何もない。腕輪は便利だし、これが【悪魔の子】の副産物であるなら感謝すれども厭う意味なんかない。


「生きる道もある。現に、お前なんかピンピンしているだろ」

「まあ、今すぐ死にそうではないね」


 身体に不調はない。すごく元気だ。逃げまわって疲れたからお腹はすいている。


「その呪いは人の命を吸うと考えられてる。まあ、当然だよな。人間の体に悪魔の魂。相容れるわけがない。長年このおとぎ話がただのおとぎ話として扱われてるのは、呪われた魂を宿す人間がすぐ死んじまうからなんだ。その存在を知られていなかった。で、長生きしたとされる【悪魔の子】は殺人鬼だったから、この件に関しては他人の命を吸わせることで永らえることができると結論付けられている」

「ふうん。だから僕も大丈夫だってことだね?じゃあ次は、7番目の由来を教えてよ」


 わかった、とマスターは頷き、紙と鉛筆を取り出した。サラサラと、紙の上に鉛筆を走らせる。


 1.悪魔

 2.悪食

 3.神女

 4.悪逆

 5.苦悶

 6.朽廃

 7.死神


「なにこれ」

「【悪魔の子】の呼び名だ。分裂した数は7つ。この7つはだいたいワンセットで生まれてくる。生まれる年は変わってくるが、7人全員が死ぬまで次の世代の【悪魔の子】は生まれない。確認出来るだけの情報が少ないから主に最初に見つかった【悪魔の子】だと考えられる奴の特徴からそう呼ばれてる。で、お前は7番目。結局、本当の意味で死神だったんだよ」

「僕を死神って呼び始めたのは誰なんだろうね」


 ただ端にいつも着ている黒い外套のことを見てそう称しているのか、【死神フード】が【悪魔の子】の7番目であることを知っている誰かがそうしたのか。ただ、推測できることで間違いないことはひとつ。


「死神の記憶を奪ったのが、アルテさんだというのなら、このことが関わっているってことですよね」

「だろうね。アルテは僕が7番目であることを知っていた。何故か両親を殺して僕から記憶を消した。僕はアルテの言う通り力を求め闇の世界に足を踏み入れた。殺し屋みたいなことをしてるから、自分の命は無事。……結局、アルテは何が目的なの?僕の延命?」


 それなら、僕から記憶を消し去った意味は?両親を殺した意味も、理由がない。怨恨なら僕も殺すだろうし。直接、本人に聞くしか無いのだろうか。マスターが知っているはずもないし、探ってもらうのはアリだけど、あの女はそんな情報を簡単に漏らすように見えない。どうしたもんかなあ、と考えていると僕のカップに牛乳を継ぎ足しながら話を続けた。もう、いらないんだけど。


「あと、な。これも確実じゃあないんだ。推測。【悪魔の子】は分裂した魂だから、その不安定さから生命を欲していると考えられている。つまり、お前の中には魂の欠片しかないわけだ。1個体に対して不完全なものしか収まっていない」


 出来損ないだと言われている気分だ。自分に自覚がない分、苛立ってしまう。


「【悪魔の子】同士が出会うと、相手の魂を奪おうとする本能が働くらしい」

「奪う?」

「自然と1つに戻ろうとするんだろう。元ある形に。つまり……」

「殺しあうってこと?」

「そういうことだ。で、今回の【悪魔の子】は何人か目星がついている。1人は2番目。こいつはもう死んでる。もう1人は4番目。2番目を殺したのはこいつだ。もしかしたら他の子も殺してるかもしれねぇ。一番、本能に忠実に生きている男で、多分こいつは『完全』になることで生き永らえることができると思ってるようだ」


 うわぁ。嫌なこと聞いた。


「それって、ユキトのところにも来ちゃうじゃないですか」

「ああ。100%来るだろうな」


【死神】と呼ばれていて、赤眼はフードで隠れてるかもしれないけど、人を殺すことを生業としている。【悪魔の子】の情報を得てからの行動であるなら、4番目が僕を探していても不思議ではないし、ちゃんと考える頭があることになる。本当に、面倒なことになりそうだ。


「ま、とくかく敵がいるってことね。それだけでもわかってよかったよ。ありがと、マスター。またなんかあったら教えてくれる?連絡してくれたらすぐ行くから」

「ああ、【悪魔の子】の件とアルテのことでいいか?」

「あとステュクスのも」

「わかった。ソルはちょっと残れ。お前の敵の件だ。死神も聞いてくか?」

「必要があればソルが僕に話すよ。僕は帰るから」


 ソルの方を見ると、彼は子犬みたいな顔をして僕を見ていた。待っててくれないのか、って顔が言ってる。そこまで甘やかすつもりはないし、懐かれすぎても困るから、僕は断ち切る。


「先に帰ってるよ。頭の中整理したいから」

「……わかりました。相談には乗ってくれるってことですよね」

「そういうこと」


 椅子から立ち上がると座っているソルよりも背が高くなるから、茶色い髪の毛をそろっと撫でた。意外と柔らかい。手を離すと名残惜しそうな顔をしていたけど、僕はフードを深く被り直し、踵を返した。

 十中八九、マスターがソルに話すことは彼の父親のことだ。僕がソルの家にいるのはソルに殺しの術を教えるためだ。彼に引き止められて、そのままずるずると世話になっている。彼の敵とは、彼の実の父親のことだ。このことについて僕は口を出す権利はないと思っている。僕が教えたことを、何に使おうが彼の自由であるから。だけど彼は意外と意気地なしだから、銃を持たせてもここぞという時引き金を引くことができない。もしかして、僕との関係を長引かせるためにわざとやっているのかと思ったくらいだ。ただ、彼は優しい。得体の知れない僕のような人間に懐柔されてしまうくらいに、優しい。

 考え事をしながら歩いていると、ソルの家を通り過ぎるところだった。中に入ろうとして気付く。鍵がない。鉄の門に体を預けて、そのまま座り込んだ。彼が帰ってくるのを待つ他無い。ソルは基本的にいっつも傍にいるし、僕が締め出されるパターンは初めてだった。いつか、これが普通になってしまう日が来るんだろうか。僕とソルが師弟関係から、全く関係のないただの人になってしまう日が。

 巻き込んでは、いけないのだろう。これは僕が行かなければならない道なのに。ソルは、父親の件を後回しにしてしまっている。僕のことをいつだって優先して、遠回りばかりしている。この関係も、ずっと前に終わらせておくべきだったんだ。このことを僕はずっと、ずっと、後悔している。普通に、幸せに生きていたはずの人間をこんな泥々の真っ黒な道に引き摺り込んでしまったんだ。これは間違い無く僕の罪。ソル、これを『絆』だなんて呼ぶのは、やっぱり間違っている――


 僕は静かに目を閉じる。

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