気狂いプリンセス
半分の月。大きな屋敷のそれまた大きな門前に僕はいた。特に仕事もないまま、暇な日中過ごしていたのでソルの仕事に付いて来たのだ。中までついていこうとしたが、それは止められてしまった。屋敷の大きさが表しているように、世間に名の知れた人物の依頼らしい。こういう交渉の場だったり、人と関わりのある場だったりはソルが得意とする分野だ。社交界、とか言うのだろうか。ソルは昔そういうものと接してきているから、せめて役に立とうとこういう役割を買って出るようになってくれた。そのお陰で、今では僕のマネージャーみたいになってしまっている。必ず依頼は彼を通して聞かされるし、たまに勝手に仕事を持ってくることもある。お金はいくらあってもいいから、僕は構わないのだけれど。ソルはまだ人を殺したことがなかった。僕の弟子ならそのくらいできなきゃ困るよねー、などと考えていると中から人の気配。
僕は門の上から声をかけた。
「ソル」
「どうだった?」
「どうもこうも。依頼人自身はあなたのこと知らないみたいでしたよ」
「えー」
結構頑張ってきたと思ってたのに、まだまだ知名度は低いらしい。【死神フード】なんて名前が知れ渡っているのは、もちろん表舞台であるはずもないが。
「護衛の依頼です。ある娘さんを殺すって脅迫状が届いたそうで。そしてその娘さんが護衛はあなたがいいと言ったみたいです」
「ご、護衛……」
殺し屋に護衛を頼むなんて。初めてではないが2回目だ。殺すのを得意としているのに守る方を依頼するなんて酔狂な。それを受けようと思う僕はもっとそうなんだろうな。
「受けてみよっかぁ」
「え」
ソルが変な声出した。
「久々の護衛!腕がなるじゃないか」
「腕も何もあなた1度しか経験してないでしょう」
「そうだっけ」
俺は忘れていません、とソルは凄みを利かせて「本当に受けるんですか?」と聞いた。僕は頷いた。
ソルに依頼人へ依頼を受ける旨を伝えてもらい、今日がその日。僕たちは太陽が完全に沈んでしまったのと同時に依頼人の豪邸へと訪れた。ソルの家にも負けない、豪華な家だ。金の装飾があちこちに輝いている。
「こういうの、流行ってるの?」
「流行り廃りではないでしょうが、リデル家は結構なお金持ちですよ」
確かに何か聞いたことがあるようなないような。僕はそういう社交的な世界に疎いので知らないことのほうが多い。この分野はソルの方が得意だ。果たして、僕みたいな殺し屋さんを護衛に雇ってしまうキラキラなお宅のお嬢様は如何なる人間か。
ソルが門番に【死神フード】の訪れを知らせた。
「お父様、お父様!!この子が【死神フード】なのね?」
「そうだよアリス。この人達が、お前を守ってくれる」
感激!とばかりに手を祈るように組み、ふわふわで乙女ちっくな部屋の真ん中で立ち上がったのはふわふわの金髪、青い瞳をしたお姫様。白いレースのドレスを着て、ヘッドドレスで金髪を飾っている。まさに【アリス】と呼ぶにふさわしいと思ったが、如何せん、少し育ちすぎている。僕より背が高いし、出てるところは出てるし、多分ソルと同じくらいの年齢だろう。
「こんばんは。俺たちが今夜、君を護衛する……うわぁ」
ソルが自己紹介と僕の紹介をしてしまう前に、アリスはソルを押しのけた。好奇の目は僕に向いている。怖い。
「ねえ!どうしてフードをかぶるの?どうして死神なの?何人殺したの?どんな風に殺すの?」
揺さぶられてあうあう言っている僕を他所にお嬢様は大変興奮気味なご様子である。紳士であるソルでさえ、呆れた表情を隠すことができずに父親と顔を見合わせた。人間の殺し方を聞くお嬢様がこの世のどこに存在するというのか。……ここにいたのだが。
「アリス、アリス。まずは彼らに挨拶を」
父親の言葉に反応はせども、見向きもせず、アリスの目はひたすら僕を捉え続けている。
「そうね!私はアリスよ。今夜0時に殺すって脅されてるわ!でも、わざわざ死神さんに来てもらう程でもないのよ。私、ちゃんと自分のことは自分で守れるの。ね、あそこにあるもの、見て。大きな鎌でしょう?あれでみーんな真っ二つにできるのよ。テディベアだって、クッションだって、私のお気に入りだったドレスも真っ二つにできちゃうの」
アリスはぺらぺらと自分のことを話す。僕は何も口を挟むことがなかったが、ぽつりとひとつだけ「人間も半分にするの?」と質問した。アリスはにっこり笑って、答えなかった。
結局ソルに挨拶をさせる暇も与えず僕に付き纏った。質問を絶え間なく降り注いできたがその勢いに押されてあまり答えられていない。だいたい自己解決していたので、喋っていれば満足なのだと判断して後半はほとんど聞き流していた。
「ねえ、ねえ、死神さん。本当の名前はなんていうの?」
「僕もわからないんだよ、アリス」
「どうして女の子なのに【僕】なの?」
「自分の性別すら忘れていたんだ。もう馴染んじゃったから」
「ねえ、アリスのお願い聞いてくれる?」
「アリスのことはちゃんと守るよ。他のお願いは、あんまり聞きたくないなぁ」
「いいじゃない、少しくらい。とっても簡単よ。フードをちょっとだけ、下ろしてくれたらいいの」
そっと、彼女の手が僕のフードにかかる。何も言わずにいると、ソルが僕の頭をガシっと掴んだ。
「アリス。ユキトは恥ずかしがり屋だから、それはやめてください」
「あなた誰?」
ソルによって勝手に僕のプロフィールが更新されてしまった。僕が恥ずかしがり屋だったなんて、初耳だ。アリスは自分が紹介させる暇も与えなかったくせに、しかめっ面をして嫌悪を顕著に表した。
「俺はソルと言います。死神フードの付き添いです」
「あら、そんな人が来るなんて聞いてないわ。死神さんだけで良かったのに。それより、私、あなたに見覚えが有る気がするんだけど」
初めてアリスがソルに興味を持ってじっとりと見つめながら会話している。ふたりとも、棘を隠そうともしない会話だ。アリスなんかもう別人のように、お嬢様だ。
「きっと気のせいですよ。それより、死神のフードのことは諦めてくださいね」
「ああ、あなた、もしかしてジュールの」
「ソルです。こういう仕事をしているので、あまり素性を詮索しないでください」
ソルがため息を付いて気を抜いた隙に、アリスは僕のフードをするっと下ろした。
「あっ」
「あら、やっぱり。綺麗な目。真っ赤で血の色みたいね。綺麗だわ」
頬に手を添えられ、恍惚とした表情で僕の目を見つめていた。僕はアリスの目が僕と対照的に真っ青なのを見ていた。今まで存在感のかけらもなかったアリスの父親が、さすがにまずいと思ったのか声を上げた。
「アリス!なんてことを!」
ソルが依頼を受ける際に、いつも僕の素性を探らないよう釘を刺しているはずだから無理もない。確かに、顔を見られたり名前を知られたりした人間は殺してきた。そういう世界で【死神フード】とか【猫耳の殺し屋】とか、その名が轟くのは悪くない。でも、こんな世界に足を突っ込む前に僕がやらかしてしまったことを知っている奴は少なからずいる。【教会のユキト】と【死神フード】が一致することは避けたかった。ユキトは生きていてはいけないのだ。
ソルが銃を突きつけようとしていたから、それを制してアリスと対面した。
「アリス、秘密にできる?」
「死神さんの名前が【ユキト】で、綺麗な真っ赤な目をした女の子だってことを?」
「うん。お父様にも、約束してもらえる?もし、破ったら、アリスがお父様を半分にできる?」
「お父様は大事だけど、私、ユキトのことすごく好きよ。とってもかわいいから。愛しちゃった」
「約束してくれるの?」
「ええ、もちろんよ」
にっこり笑って、アリスは承諾してくれた。父親が後ろで恐ろしげに震えているのがわかる。娘を恐れる父親、ね。今夜の予感に背中がスッと寒くなるのを感じた。
真夜中まで時間があるので、父親は予め雇っていたというボディーガードとともに自室に引っ込んだ。アリスのことは完全に僕達に任せる気らしい。その方が邪魔もなくていいのだけれど、心配なのはアリスの暴走だった。
「ねえ、ユキト。ここに可愛いお洋服があるのだけれど」
「本当だ。アリスにとっても似合うだろうね」
「紅茶をいれてもいいですか?」
各々自由に会話しながら、気ままに動いている。僕はアリスに捉えられている。
「ねえ、絶対似合うと思うの」
「うん、僕もそう思うよ」
「珈琲の方がいいんですけど。俺もう眠くって」
ソルは完全にアリスが聞いていないことをわかって喋っている。僕はアリスに迫られている。
「今着ている服を脱ぐのよ。私の言うことが聞けないの?ユキトは悪い子なの?」
「ね、ねえ。アリス、やめて……」
「あ、俺ちょっとお手洗いお借りしますね」
アリスはひらひらの服を片手に僕のズボンに手をかけて引き下ろそうとしている。僕は必死にそれを防ごうとズボンを引き上げている。ソルは見て見ぬふりをして立ち上がった。
「いいから脱いで!はやく!こっちを着るの!」
アリスが痺れを切らしてクワッとニコニコしていた顔を歪ませて、腕に力を入れて本格的に脱がしにかかってきた。僕は抵抗した。でも、気迫で負けていた。怖いし痛い。
「ぎゃあああ脱げる!ソル!!助けろ!ただちに!脱げる!ああっ、パンツはやめて」
「大人しくして!」
「はあ」
アリスの力は思ったよりも強くて、抵抗は試みたが疲れてきたのでトイレから戻ってきたソルに助けを求めた。盛大に見て見ぬふりをしていたソルが溜息をつきながら、ようやく重い腰を上げ、僕とアリスを引き剥がしにかかってくれた。
「何するのよ!離しなさい、ジュール!」
「いいから、もうそのくらいにして。もうすぐ指定の時間です」
「ふはあ、ソルありがとう」
首根っこを掴まれて苦しかったけど、もっと苦しいことをしてくるアリスからは開放された。ソルは「どういたしまして」と言いながら乱れる前の位置に戻る。アリスも不機嫌そうにしながら既に優雅に椅子に座っていた。
あと数分。まだ時間はあるし、僕はアリスに聞きたかったことを聞いて見ることにした。
「ねー。アリス、どうして僕を護衛に呼んだの?殺しが専門なのは知ってるよね?」
優雅に紅茶を飲んで、「ええ」とアリスは肯定した。
「会ってみたかった。それだけよ?」
「本当?僕のこと、知ってたんじゃないの?」
これが、聞きたかったこと。今まで、1度だけ護衛を受けたことがある。その対象は今も健在だが、このことを知っていて今も生きているのは依頼人と、仲介人くらいなはずだ。それに、こんなお城に閉じ込められたお嬢様が、僕のことを知っているはずがない。それなのに、長らく受けることもなかったし、頼まれることもなかった護衛を依頼する。僕に会いたかったなどと言う。
「私ね、色々なところに行ける目と耳と口を持っているの。死神さんのことを知ったのもそのお陰よ。とっても惹かれて、すっごく会いたかった。そのチャンスが今日だったの。今日しかないと思ったの。私、ずっとあなたと一緒にいたいのよ」
熱烈な告白をされたけど、ストーカーのようなことまで言われてしまった。怖いなあ。怖いけど、アリスは綺麗だ。ソルは僕の様子を心配そうに窺っている。大丈夫。きっと、この人は本当に僕に会いたかっただけだ。そうじゃなかったら。僕の事を他にも色々知ってしまっていたら、その時は――。
「とにかく今日を乗り切らないことには。あなたが死んでしまったら、一緒にいるも何もありませんからね。きっと依頼人のボディーガードに殺されちゃいますよ」
ソルの言葉を最後に、人の気配を感じて「そうだね」と答えた。アリスも気づいたようで、紅茶のカップをテーブルに置く音がした。
ふっ、と。
明かりが消え、部屋は暗闇に包まれた。ドアが激しく開けられる音。数人の微かな足音。息を潜めて獲物を狙う気配。ソルの息を呑む音と、アリスが立ち上がる音もした。僕はアリスの傍に移動し、静かに腕輪を刃物の形状に変化させた。目を凝らして、姿を捉える。黒い影がスッと、僕を避けるように動く。僕も同じく動き、その影の動きを止めた。ぐ、とくぐもった声。背後からナイフを影の頸に深く突き刺して、抜いた。死体の倒れる音と噴き出す血液が絨毯を汚す音がする。アリスのもとに戻ろうと動くと、そこにアリスはいなかった。
「アリス?」
沈黙を破って彼女の位置を確認する。と、知らない男の声がした。
「武器を捨てろ!」
暗くてはっきりとは見えないが、叫んだ男がアリスを捉えているのだろう。「離しなさい!」とアリスが藻掻きながら叫ぶ。
「馬鹿ソル。ちゃんと見とけよ!」
「あなただって離れたでしょ!」
「僕はこいつらを片付けるつもりだったの!」
そう。アリスを逃がすように動くより、相手を殺したほうが早い。あ、そうか。殺した方が、早い――?
「……ねえ。暗殺するんじゃなかったの?」
どうしてアリスを殺さないんだ?今も、すぐ傍にそんな無防備な女の体を捉えているのに。
男は何も答えない。どうやらただの暗殺計画ではないようだ。目的は、アリスを殺すことじゃない。あー、もう。もしかしなくてももしかするのかな。またあの時と同じパターンだったとか、そんなオチじゃないだろうな。
「何が目的なの?アリスを殺すことじゃなかったの?」
「うるさい!」
男が焦りを隠すこともせず怒鳴った瞬間。ほんの、一瞬のことだった。
部屋中に飛び散る飛沫。僕の顔にも体にも掛かり、濡らした。ソルの「うわっ」という声もしたことから、彼にもぶっ掛かっているんだろう。なんだこれ。
静かになってしまって、どういうことだろうと次の展開を待っていると明かりがついた。アリスがつけたみたいだ。燭台の傍で、真っ赤になってにっこり笑っている。
「なんだ、血か」
アリスを染めているのは、倒れている男達の血で、数人いたはずの気配は既に死体となってしまっていた。絨毯を真っ赤に染めて。同じく赤く染まった大きな鎌を持ったアリスは、顔に付いた血を白い指で拭って、ぺろりと舐めた。
「自分のことは自分で守れるって、言ったでしょ?」
守るどころか返り討ちじゃないか。
アリスが僕に近づいて、指で僕の頬を優しく撫でて血を拭った。僕の顔を見てクスリと笑い、頭を撫でてから離れると床に散らばっている人間だったものに近寄っていった。顔を、確認しているようだ。
「ふふ。ねえ、この人達誰だと思う?」
「あなたを狙って来た方たちでしょう」
それ以外に何があるんですか、とソルが言った。苦々しげな顔をしている。が、アリスが触っている人間の頭を見るとなにか記憶に思い当たることがあったようで表情が変わった。僕にはわからない。アリスが優しく答えた。
「ユキトもジュールも、1度会ってるわ。最初に」
「どうして、」
ハッとして言葉を切ったソルは、気持ち悪そうに口元を手で覆った。
「この人達ね、お父様のボディーガードよ」
「……へーえ」
ボディーガードなんて脇役の顔まで僕が覚えているわけがない。ソルは記憶力も悪くないから思い当たったんだろう。
「えーっと。つまり、ボディーガードの方々が謀反したと?」
「ユキト。同じなんですよ、俺の時と」
あーあ、やっぱり。だからソルの顔色が良くないんだ。アリスは、父親に命を狙われたってことか。
「この家は女が権力を握るの。だからお母様がお亡くなりになる時、私に家督を譲ったの。でもお父様は知らなかったのね。てっきり自分のものになると思っていたから、私のこと憎んでいたの。でもお父様は臆病だから。きっとあの脅迫状は本当にただの脅しだったのね。私が驚いてお父様に全部任せるとでも思ったのかしら。こんなの、どうでもいいことなのに。私はお父様と仲良くしたかったのよ?だからもう終わらせようと思って、ユキトに来てもらったの。ちょっと間違いだったかもしれないわね。殺し屋さんなんか雇ってしまったから、お父様も何もせずにはいられなくなってしまった。
それにしても、ボディーガードを暗殺者にするなんて。この人達、私を殺す気なんかなかったのね。悪いことをしてしまったわ。でもこれで、お父様は私に逆らうことはできなくなる」
「アリス」
「私は大丈夫。それより、ね。私、ユキトのこと大好きなの。ねえ、アリスのお願い聞いてくれる?」
その鎌を置いてからお願いしてください。
アリスはちっとも悲しそうにしていなかったけど、実の親に憎まれるなんて。悲しくないわけがないのに。ソルはそのことより、自分の件に酷似していることを気にしているようだけど、アリスは僕について色々調べていたようだし、ソルのことも知っているようだったから、知っていてもおかしくはない。アリスが誰にも話してなかったらいいけど。それよりも、アリスのお願いが何なのか。
「聞かなくても言うんでしょ?」
「ええ。あのね、お父様にはずっとここにいて貰って、いつも通りリドル家をやっていってもらおうと思うの。私が権力は持っているけど実質動かすのはお父様、みたいに。だから、私を、あなたの世界に連れて行って欲しいの」
あなたの世界。つまりそれは僕の世界のことで。ああ、本当に知っていたんだなあと思うのと同時に、ソルの怒る声がした。
「冗談じゃない。なんでこんな女と」
「あなたに聞いてないわ」
「ユキトが承諾するはずがないでしょう。どうして付いて来たがるんですか」
「あなただってどうしてユキトと一緒にいられるのよ!どうってことない男のくせに!」
「俺は契約を交わしたから!」
「私、知ってるわ!あなたも父親に狙われて、ユキトを雇って、初めて知り合ったんでしょう!私は違う!ずっと、ずっと、ずっと会いたかった!貴族の見た目が綺麗なだけな馬鹿娘なんかとは違って本当に綺麗。こんなに小さいのに、本当に綺麗に殺すの。こんなに強いの。ずっと、会いたかったのに!あなた、ほんとに邪魔!」
「なんだと猫かぶり気狂い娘!俺だって、あれからずっとユキトのことを……」
ただの喧嘩になってる。僕は口を挟まずに見てたけど、他の人間の気配が近づいてきたので「黙って」と止めた。
「あと、アリス。ごめんね。君は連れて行かない」
「どうして?」
「君には、お父様がいるじゃないか」
コンコン。扉がノックされる音。
「どうした、終わったのか?」
アリスの父親の声だった。アリスがさっと立ち上がり、扉を開ける。アリスの父親が狼狽えるのを感じた。
「あ、アリス……その赤いのはなんだ?」
「血液ですわ、お父様。あなたのボディーガードの。お父様、私のことが邪魔だったのね?」
「い、いや、違う。どうしてこんなことに……違うんだ、アリス!」
「いいえ。違わないわ。私もあなたのこと、邪魔なのよ」
アリスの声が低くなる。と、僕はようやくここで失態に気づく。アリスは鎌を持ったままだ。
「アリス!やめろ!」
アリスが笑う。肉と骨を断つ音。さっきの比ではないほどの血飛沫。彼女の父親は脳天から裂かれて2つになった。くるりと回ってこちらを見たアリスはもっと真っ赤になっていて、血塗れの顔で美しく微笑んだ。
「ねえ。私を一緒に連れて行って!」
鎌がカランと床に投げ出された。
「どうするつもりなんですか」
ソルが少し怒っている。理由はアリスのことだ。流石に血で汚れているこの屋敷にアリスを置いていくわけにもいかない。使用人に任せても良かったが、暗殺騒ぎもありアリスが結構手を入れて解雇していたらしい。最低限の人間しかおらず、アリスは自分の部屋に近づかないように指示しるようで、これだけの惨劇の中人っ子一人現れない。それにあの気が触れたような笑顔を見た僕は断りきれなかった。ソルだけが猛烈に反対していて、アリスが浴室に引っ込んでいるのをいいことに文句を垂れている。
「俺の家には一歩も踏み込ませませんからね」
「いいじゃないか、仲間が増えたと思って」
「嫌ですよ!大体俺はあの女が好きじゃないんだ」
「個人的な感情を僕にぶつけられても」
「あなたに言わなきゃ誰に言えって言うんですか!俺は嫌です。絶対嫌だ!」
わがままだなー、もー。でも、確かにアリスを連れて行く義理なんかないんだ。今のうちに逃げ失せても問題無いだろう。が、追い掛け回されても困る。まったく。扱いに困るお嬢様だ。
「とりあえず、僕と同じ道を辿ってもらおうかな」
「どういうことですか」
「ソルの家に入れてくれないんなら、僕に行くところはひとつしか無いよ」
捨てられ、拾われ、育ったあの教会。少しくらいのわがままは、あのシスターだし聞いてくれるだろう。
「俺、思うんですけど、ここに置いて行ってもいいんじゃないですか?用があるときだけ会えたらいいでしょうよ」
「でも今じっくり身支度してるし。それにあの様子じゃソルの家も知ってるだろ。教会にいてもらって、シスターに教育してもらえばいいんじゃないかな。なんかちょっとぶっ飛んでるし……」
主な狙いはこれ。気がついて、真っ当な道に戻ってくれるのが一番いい。こんなに立派な家があるんだし、肩書きもあるんだから。わざわざ暗い道を歩くことはないんだ。
「おまたせ。もういつでも出発できるわよ!」
アリスはすっかり元気である。死体の片付けは早朝にでも掃除屋さんが入るそうだ。用意周到すぎて恐ろしくなる。彼女はこうなることも予想していたのだろうか。これから、どうなるかもわかっているのだろうか。
僕らは、真夜中の真っ暗な外気の中に出た。
「だいぶ歩くけど、頑張ってね」
アリスには何も話さず、教会まで。暗い道を3人で黙って歩いて1,2時間くらいが過ぎたころ、小さな十字架がついた古い扉の前に到着した。懐かしいにおいがする。
「小さなところですね」
「ここ、なあに?」
しーっと、人差し指を唇の前に立てて。あの時みたいに、3回叩く。
「はーい」
隙間から覗く青い瞳。
「どちら様?」
「久しぶり、ローズ。ユキトだよ」
「まあ、ユキト!」
扉が大きく開き、中からローズが飛び出して抱きついてきた。まだ、夜行性は治っていないみたいだ。でも、最後にあった日より大きくなっていて、もう僕の背を超えていた。
「お客さまね?シスターを呼んでくる。ユキトは、リビングにご案内しててくれる?」
「うん。ごめんね、ありがとう」
ローズは微笑むと、シスターを呼びに走ってくれた。アリスはまだ怪訝そうな顔をしていて、ソルは興味深そうにきょろきょろ見回している。
「アリス。ここが、僕の家で、君の家になるところだよ」
「こんなところに住んでたの?」
「うん。僕の記憶の一番最初の場所だよ」
失って、初めていた場所。それが興味を持たせたのか、アリスもきょろきょろしだした。食堂に通して、紅茶をいれた。4人分、入れたところでオスカルが来た。金髪が明かりを受けてきらきらしているオスカルは、一緒に孤児院で育った同じ年くらいの男の子だ。
「久し振りだね、ユキト。夜食と言っては何だけど、クッキーも一緒にどうぞ」
「ありがとう、オスカル。まだ起きてたの?」
「いや、ローズが起こしに来たんだ。ユキトが来たら教えてくれって言ってたからね」
オスカルとは仲が良かったから。僕がここに来た時も最初からいたし、同じ部屋で過ごしていた。アリスがなんだかすごい目付きでオスカルのことを睨みつけていたけど、きっとオスカルとなら仲良く出来るだろう。人当たりのいい、気さくな奴だし。ちょっとキザだけど。教会の様子なんかを話していると、シスターが降りてきた。
「おかえりなさい、ユキト」
「こんばんは、シスター。今日はお願いがあって来たのですが」
「そうみたいね。なんでしょう?」
僕のお陰で成り立っているような小さな教会だから、シスターも聞かない訳にはいかない。恐る恐る、といった感じに聞き返してくれた。
「この人、アリスっていうんだけど。ここで暮らして貰いたいんだけどいいかな?」
「この方は、大人に見えますけど」
「見た目だけね」
「ユキト?どういうことなの。私、何もわからないわ」
アリスがシスターの顔と僕の顔を交互に見て聞いた。
「アリスはここに住むんだ。ここで、僕と同じように色んな事を知りなよ。それから、どうするか決めたらいい」
「私、ユキトに付いて行くって言ったわ!2人じゃないとダメだって言うならこの男を置いていけばいいのよ!」
ソルをビシッと指さして言った。ソルはピクッと反応してイライラしているのがわかる。わからず屋がいっぱいで困るなあ。
「僕の言うことが聞けないのなら一緒にいられないよ」
それだけ言う。ソルにだってそうだし、僕は僕の自由に動けないくらいならひとりでいい。感じ取ったのか、アリスは黙ってしまった。でもこれ以上譲歩するつもりはない。僕の秘密をここまで晒したんだ。もし、もしここからも逃げてしまうようだったら、喋れないようにするしか無い。見えないように、聞こえないように、誰かに秘密を漏らさないように。
「アリスさん?」
僕が黙り込んだのを見計らってシスターが気遣いながら話しかけた。アリスは渋々、シスターの方を見る。
「どうしてユキトについて来ようと思ったのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「私、ユキトの生き方に惹かれただけ。私も、同じになりたいと思っただけ」
「そうですか。それでは、ここの生活を知ることもいいことなのかもしれませんね。オスカル、あなたの部屋に案内してあげてくれる?」
「はい、シスター。アリスさん、僕の部屋は昔ユキトも使っていた部屋なんですよ。よろしくおねがいしますね。さあ、お手をどうぞ」
アリスに恭しく手を差し出すオスカル。アリスはそういう扱いに慣れているようで、普通に手を取ると立ち上がり、オスカルに案内されて行った。
「では、アリスさんはお預かりします」
「いや、アリスが居たくないって言うまで居させてやってくれるかな。僕は迎えに来るつもりはないんだ。あとはアリスの自由。色々教えてあげてね。僕のことも、ここでの生活のことなら話してもいいよ。アリスはちゃんと約束を守れる子だろうし。破ったら、ちゃんとするから。僕を追いかけてもいいし、このまま自分の道を見つけてくれてもいいんだ。あとは、任せるね」
「……はい。でも、たまには帰ってきてくださいね。あなたの家なんですから」
「まあ、たまにはね」
僕が立ち上がると、ソルもすぐにそうする。僕には帰る場所があって、きっとそれは幸せなことだ。アリスのこれからに、僕が関与しないことを願う。
「ユキト、俺はあなたのものだし。俺の家はあなたの家です。ずっと居ていいんですよ」
「別にソルなんかいらないよ?お前も、自由に好きなことしていいんだ」
突き放したら、ソルは追いかけてくる。「俺がついて行けばいいんです」って言う。何を言ったってへこたれずについてくるから、いつしかそれが当たり前になってしまっていた。アリス。僕の何が君にとって魅力的だったのかわからないけど、僕みたいになれなんて言えないし、ソルみたいになれだなんて言いたくない。ソルの盲信を僕は煩わしいと思うと同時に嬉しくも思っている。鎖に何本も繋がれるつもりはない。
「先に帰って」
「散歩ですか?遅くならないでくださいね」
ソルは帰路を行き、僕は寄り道をする。