終章
目を開けたところで何も見えはしない。
拘束服を着せられて、さらにベルトで拘束されている。手が使えないが、足は自由だ。足の感覚だけでもなんとか生活はできている。何しろ狭い空間の中に必要最低限のものは揃っているし、僕の世話をしてくれる人間もいる。
自殺することはないと判断されたのか、口は最初から自由だった。喋ろうと思えば喋れる。けれど、1時間置きに様子を見に来る彼以外に僕と接してくれる人間はいない。
ぱたん、と扉が閉じる音がした。また様子を見に来たらしい。
「調子はどうですか?」
彼はここに来る度に同じことを尋ねる。してほしいことがある時はこの質問を受けたときにお願いする。頼んだことはある程度かなえてもらえる。
「頗る好調。最高だよ」
「それは良かった」
嫌みは軽く流された。
教会にいた頃と比べると、不自由ではあるが贅沢な生活だ。何故このような扱いを受けているのかというと、笑い死にしそうになっていた隙だらけの僕をここぞとばかりに捕まえて、動けなくして、逃げられないようにされてしまったというだけのことだ。つまり、僕の意志ではない。
ここはソレイユの屋敷の地下室。僕はそこに幽閉されている。多分、牢屋みたいな作りになっているのだろう。部屋に入って来た彼は、僕に近寄るために鍵を回し、もう一度扉を開ける。鉄が擦れる独特の音がするから恐らく鉄格子なのだろうと思っていたが、触ってみると案の定そうだった。
僕は袖の長い妙な服を着せられていて、その袖は手が出ないように作られている。いわゆる拘束服だ。長い袖をぐるりと胴体に巻き付け、丈夫な革のベルトで解けないようにしっかり締め付けられている。逃げようと暴れてみたこともあったが、抵抗力が弱いのをいいことに、ぐいぐい引っ張られて椅子に縛り付けられる。相手はソルだったから扱い方は丁寧だった。しばらくしたら哀れだと思うのか、椅子からは介抱してくれる。目隠しは取ってくれないけど。真っ暗で何も見えないが、かろうじて蝋燭の明かりがあることはわかる。
こんな部屋があることを僕は知らなかった。住んでいた時はほとんど寝床として使ってるだけだったからだ。どう行けば外に出られるのか、笑い狂ってた間に連れてこられたから記憶の端にも残っていない。
僕は早々に諦めて、暴れると縛り付けられてしまう椅子に自ら座り込んだ。疲れにくい設計になっているのか、身体が慣れてしまったのか、ずっと座っていられた。唯一自由な足をプラプラさせて過ごす。他にすることがなかった。
バイロンを殺してから何日経っているのだろう。もしかしたら数週間かもしれない。幽閉されて何日経過しているのか把握できていないが、今までここまで会いに来たのはソルだけだった。しかし今日は違うらしい。
床に転がっている僕に、蝋燭を取り替えながら彼が言った。
「お客さんが来ていますよ」
「客?」
聞き返すと、その客が返事をした。
「私だけど」
ユキトだった。僕をここにぶち込んだ張本人である。
「出してよ」
挨拶より先に本音が出てしまった。けれど、挨拶なんて彼女に必要ないだろう。親しい間柄ではないのだから。
「駄目」
もちろん却下される。まだここに入れられた理由も聞かされていないし当然だ。
「何が目的なの?」
「君をどう扱うかについて聞いているなら、私の目的のために利用するっていうのが答えになる」
「意味わかんない」
「順序がある。まず聞いて」
意外と神経質だ。僕は質問するのが気に入らないようだったから、彼女の話をまず聞いてからにしよう。
「とりあえず、現状を教えてあげる」
「現状?」
「そう。【悪魔の子】の」
どうしてユキトが僕にそんな情報を与えてくれる気になったのかわからなかったけれど、僕にとっては大助かりだ。彼女は僕らについて結構調べているらしいし、他の【悪魔の子】らの居場所のヒントにでもなれば僕の目的は達成に近づくことができる。
「まず1人目ね。1番目の悪魔。生存未確認。現在地不明」
一番知りたい情報をあっさり最初に喋って、しかもなにもわかっていない。ユキトは落胆する僕を無視して続けた。
「次。2番目の悪食。名はゼナス。死亡確認。死因は失血死。殺人者は悪逆」
彼が死んだというのはアポロンに聞いていたが、まさかバイロンが殺していたなんて。僕の情報を得るためなのか、彼が僕を追いかけ回していたのは事実のようだ。粗方風の刃で無数の傷を受けたが治療しなかったのだろう。吸血鬼が血を流し過ぎて死ぬなんて笑わせる。
「3番目の神女。名はイリス。死亡未確認。死因は?」
「んー、刺殺」
「殺人者は死神」
そう言いながら何かに書き付けているようだ。紙を擦る音がする。僕はぼんやりとイリスの死に様を思い出して、居心地が悪くなって身体を揺すった。
「4番目の悪逆。名はバイロン。死亡確認。死因は刺殺。殺人者は死神」
「はいはーい」
僕が知っている【悪魔の子】は全部出てしまった。後の2人は全く情報がない。僕は期待して耳を傾けた。
「5番目の苦悶。名はハデス。生存確認。現在地不明」
「名前がわかってるの?」
つい口を挟んでしまった。ユキトは少し黙ったが、僕の質問は無視された。
「6番目の朽廃。生存未確認。名前、現在地共に不明」
「何もわかってない……」
がっかりして肩を落とす。バイロンが持つ欠片は手に入れられたけれど、また同じ。先が見えない状態になってしまった。しかも、悪逆の存在は知っていたから前に進めたが、今度はそうも行きそうにない。
ユキトは僕の反応など全く気にせず続けた。
「最後。7番目の死神。名は不明。現在地ここ。初の捕獲に成功」
「動物みたいだね」
そう言うと、ユキトは扉を開けて僕に近づいて来た。椅子に座っている僕のベルトをぎゅっと掴み引っ張られた。ぐっと椅子に押し付けられ、椅子に付いているベルトを服についているベルトと絡ませて固定する。
「痛いなあ。何?」
「逃げないように」
「何をするの?」
「話をする」
すぐ側にいるのに声が小さくて聞き取りにくい。澄んだ声をしているのに、僕の耳が悪くなったのかな。目を塞がれているからそう感じるのかもしれない。
「君がここにいる理由だけど」
と言って、少しの間。ソルと何か合図でも交わしたのだろう。すぐに彼の足音がした。出て行ったのかな。
「君の目的達成を手伝おうと思う」
親の仇であるはずの彼女から、僕は何を言われたのか一瞬考えた。
「冗談にしてはつまんないな」
考えて出した答えだったが、どうやら怒りを買ったらしい。「私は嘘はつかない」と低い声で彼女は唸るように言った。
「私の目的は悪魔だ。君も同じだと思うんだけど?」
確かにその通りだ。僕は今のところセーレの言う通りに動いている。大きなもうひとつの欠片を求めて。
しかし、彼女は【悪魔の子】ではないはずだ。目的が悪魔だというのはわかったけれど、悪魔を見つけてそれからどうするのか、聞いていない。聞いたところで、彼女が教えてくれる訳がない。
「手伝うって、こんな状態の僕にできることなんてある?」
もぞもぞと身体を動かして揺らしてみせる。
「あるよ」
間髪入れずに即答された。頬をつうっとひんやりした指が撫でる。絶対、彼女はにやにやしている。
「君は私たちの『犬』になるんだから」
「犬?」
「餌をあげる時は出してあげる。獲物がわかれば狩りに行ってもらう。お利口にしてたらここは君のあったかい寝床になる」
悪魔に出会うまではね、と最後に付け加えた。さらに頭を撫でられる。顔がカッと熱くなった。
「……飼い殺すってわけ」
「そう。首輪もつけてあげようか」
憎しみが増長していく。熱は体中に広がった。
「そんな幸せなことはないね」
歯を食いしばって言った。殺してやる。
殺して、と言うまで甚振って。苦しめた後に残酷に。
「それはよかった」
安堵するような、それでいて決意を固めたような声で彼女が言った。
その後すぐにソルが戻って来て、ユキトは後を彼に任せて去って行った。彼女の足音が聞こえなくなってからソルは固定していたベルトを外して椅子から解放したが、そのまま椅子に座っていた。ユキトが言ったことを反芻して、考えていた。甘んじてこの屈辱を受けるのか、迷っていた。
する、とソルの服の袖が僕の体に触れた。こんな少しの接触で、思考が止まる。鉄格子が閉まる音がして、続いてドアが開閉し、ガチャンと鍵をかけた。彼が去って行ったのだ。彼はあまり僕と話したくないみたいで、声を掛けてもまともな返事は返ってこない。思ったよりも、あの別れ方が尾を引いている。それでも、僕は一人きりで居た時よりもましだと思っている。
そうだ、迷ったところで何もできやしない。ユキトがソルに僕の世話をさせるのはそういうことだ。
結局、この屋敷に戻って来た。立場は逆転しているけれど、以前のようにソルと共にいることになってしまった。彼は屋敷で今まで通り僕の監視を続け、ユキトは今まで通り組織の一員として活動する。その方が情報を得やすいと判断したからだ。彼女が持ち帰った情報をもとに僕たちは行動する。1人だけでは限界があるため、これが最善であるとはわかっていても、1人意気込んで臨んでいただけに悔しさと恥ずかしさが残る。
けれど。これで良かったと思う僕がいた。
首輪をつけて、腕の拘束具を外して。目隠しを取ったときに見えるその顔が。
かつてと変わらないままに僕を見るその青い瞳が。
こんな歪な形でも、傍にいるだけで——
「 」
真面目なその顔に、最高の笑顔で言い放った。
Happy End……?
第1章はおしまいです。第2章に続きます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。引き続きよろしくお願いします!




