第五十話:殺戮者
キャッキャキャッキャッ・・・
屋内プールに響き渡る水着姿の女性補佐官たちの楽しげな声。
「・・・トレーニングで泳ぎに来てるのかと思って来てみれば・・水遊びなんて、呑気なものね」
ビーチチェアに寝そべっている者、プールサイドに座り込んで駄弁っている者、ビーチボールや浮き輪で遊んでいる者。
「しかもほとんどビキニ・・・海水浴にでも来たつもりなのかしら」
洗浄用シャワーを浴びてプールサイドに入って早々、その光景を一瞥すると彼女は冷めた口調で吐き捨てた。
黒いミドルレグの競泳水着を身に纏ったショートの黒髪女性。
身長は170センチくらいと高めで、水着の上から見えるそのスレンダーなシルエット。だが単に細身というわけではなく、鍛えて引き締めているといった印象を受ける。無駄な肉を削ぎ落とした洗練された肉体と言ってもいいかもしれない。
年齢は20代後半から30代前半といったところだろうか。整った目鼻立ちに凛とした風貌の美女だ。だがその切れ長の目元には断固とした厳格さを感じ、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「―――ッ!ねぇっ、ちょっと!」
「ん?何よ―――って・・・」
憮然とした態度でプールサイドに入ってきた彼女の姿を見た途端、それまで座り込んでケラケラと雑談をしていた補佐官たちの表情が一変し―――
「お、お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!三門第一官!」
彼女を視界に入れた者が次々と焦った様子で立ち上がって挨拶をしていく。
「えっ!?三門第一官!?」
「うっそ!やっば!」
屋内に響き渡っていくそれらの声で彼女の存在に気づいたプールで遊んでいた者たちも血相を変えてその場で礼儀正しく挨拶する。
「「「お疲れ様です!」」」
「・・・お疲れ様―――ところであなた達、一体ここで何してるの?」
「「「「「・・・・・・」」」」」
その口から物静かに発せられた言葉で屋内がシーンと静まり返った―――いや、凍りついたと言った方が適切かもしれない。
「どうして誰も答えないの?それとも質問の意味が理解できないのかしら?」
周囲を見渡しながら追い詰めるような物言いで再度問いかけるが、皆気まずそうに視線を泳がして誰も答えようとしない。
否、答えることができないのだ。その存在感に飲まれ、ヒシヒシと伝わってくる威圧感に畏縮しているせいで―――
「三門第一官・・・」
―――バシャアッ
そんな緊迫した状況の中、結理がプールから上がってその人物に歩み寄る。その表情は先ほどまでと違ってどこか張りつめていて、声にも重苦しさが感じられる。
「工藤第三官、この賑やかな水泳教室を開いたのはあなた?」
「・・・水泳教室、ですか?」
「他に何に見える?ここは国連と国からの資金によって管理されている訓練用施設、それがどうしてこんなお遊びのために使われているの?」
「仰っていることは尤もですが、今日は自由使用の許可を管理事務所からきちんともらって――――」
「―――ぬるいわね」
「え?」
「ぬるい、甘い、堕落している―――今月に入って中華連邦から二度に渡って間接的、直接的な攻撃を受けたというのに、よく子供みたいに水遊びに興じられるわね。あなた達皆、大した胆をお持ちのようで」
「そ、そんな―――」
「―――今がどれだけ緊迫した状況か理解できてるの?3日後にはこの24区でG18サミットが開かれ、世界の要人が集結する重要な日であると同時にテロの危険が懸念されている日でもあるわ。私たち日本支部は主催国・日本の代表として警備及び護衛の最高統括管理を一任されていて、何があろうとこのサミットを問題なく無事に終わらせる義務がある――――その辺のこと、お分かり?」
「・・・もちろんです」
「分かっていてこんなことをしてるってことは、余程自分たちの実力に自信があると受け取っていいのかしら?」
「―――いえ、決してそのようなことは―――」
「―――確かあなた、先日昇進したばかりよね?一昨日の事は聞いたわ。中華連邦の五指の一人を追い詰めるほどの大健闘だったそうね。ご苦労さま」
「あ、ありがとうござい―――」
「―――でも詰めが甘い、甘すぎる」
「・・・・」
「そこまで追い込んでおいて、貴重な情報源を見す見す取り逃したなんて、話にならない。しかも序列第三位がそれを始末したのを黙って見ていたなんて・・・日本支部の面子、丸潰れ」
「―――三門第一官、それは仕方がなかったと思います」
すると恵美が我慢の限界といった様子で声を発した。
「ちょっと恵美―――」
「―――いいからっ・・・詩菜ちゃ――海場第二官でさえ交戦まで辿り着くことができなかったあの状況で彼女はよくやったと思います。それにもし、相手が光学迷彩を纏っていなかったら、彼女は必ず捕らえていました」
「それは仮定の話でしょ?何よりも重要なのは結果。今回の事実はただ一つ、“序列第三位に全て横取りされた”」
「そんな、“横取り”だなんて・・・」
(式君はそんなこと・・・)
まるで式を敵と認識させるような彼女の物言いに結理は思わず声を漏らした。
「そしてあの襲撃事件で最も評されるべきは彼でもあなたでもなくて補佐官候補の二人よ」
「・・・はい」
その点については結理も全く同感だった。あの二人があそこまで粘ってくれていたおかげで最悪の事態を免れることができた。初の実戦があれほど厳しい状況のだったにも関わらず、本当によく闘ってくれたと思う。
すると彼女は周囲にいる女性補佐官たちを一瞥して言った。
「案外彼らの方が、あなた達より使えたりして」
「「「「・・・・・」」」」
その言葉を聞いて、恵美や彩香を始めとする補佐官の一同が息を飲んだ。
「この中に何人実戦を経験した者がいる?戦闘において甘さや驕り、楽観視や油断といったものは命を落とすことに直接繋がる。プライベートまでとやかく言う気はないわ。でもここは日本支部の施設の中、トレーニングをするならまだしも、経費を無駄遣いして遊ぶなんて言語道断。あなたたちはアジア最強の戦闘組織の一員なのよ。そのことを改めて自覚してこれからは軽率な行動を控えること」
「・・・申し訳ありませんでした。以後気をつけます」
その物言いは辛辣で棘があるが、彼女の言ってることは反論の余地もない、尤もなものだ。
「返事ができるのは工藤第三官一人だけ?・・・呆れた、返事もまともにできないなんて・・・言っておくけど、あなた達の代わりなんていくらでも―――」
「―――あ~、お説教長すぎ・・・」
突然聞こえてきたうんざりとした声が彼女の話を遮った。
(―――ッ!綾ちゃん!?)
後方から聞こえてきた声に結理は思わず振り返った。
「上司かお偉いさんか知りませんけど、そこまで言わなくてもいいんじゃないですか?」
「―――ちょっ、綾ちゃん!」
隣にいる恵美が焦って呼び止めるが、綾はそれに構わずゆっくりと歩み寄ってくる。
「・・・見ない顔ね」
サイドに纏めたロングツインテールに、まだあどけなさが抜けていない風貌に一瞬、補佐官候補かと思ったが、こんな口の利き方をする部下を彼女は知らない。
「誰、あなた」
「名前を尋ねる時は先に自分から名乗るのが礼儀ってものじゃないんですか?」
挑発するような笑みに、物怖じというものを知らないその口調に彼女の眉がピクリと動いた。
「・・・ねぇ彩香、ちょっとコレ・・・」
「・・ええ、マズいかも・・」
恵美と彩香はジワリと冷や汗を掻きながら小声で言葉を交わし、他の女性補佐官たちも表情が固まっている。
(・・ヤバい・・・)
危機感を感じたのは結理も同じだった。日本支部の女性操者たちから恐れらているこの人物のことを、綾はこれっぽっちも分かっていない。
「サオス日本支部所属、三門羽月第一官―――これでいいかしら?」
日本支部最強の女性操者と言われている彼女、三門羽月のことを―――
「次はあなたの番よ、高慢なお嬢さん」
「雅綾、恋に時めく“ピチピチ”の16歳です」
(((((・・・え~、なにその自己紹介・・・)))))
緊迫した状況にも関わらず、その場にいる全員が思わずそうツッコミを入れてしまった。
(“雅”・・・なるほど)
「―――それで、どうして序列第三位の妹さんがここにいるのかしら、工藤第三官」
綾を相手にしない素振りで三門は結理に視線を移す。
「許可はもらってます―――てゆーか、無視しないでもらえますか?」
結理が答えるより先に綾が即答し、加えて遠慮のない言葉を三門に投げ掛けた。
(((((・・・さすが、赤い悪魔の妹・・・))))))
その場にいる全員があの三門に対してここまでハッキリとした物言いをする彼女の度胸に驚嘆した。
「・・・さっきからやけに突っかかってくるわね」
三門は綾に視線を戻して鬱陶しげに吐き捨てる。
「さっきのお説教、聞いててすごい不愉快でした。皆さんに謝ってください」
「部外者が一々日本支部のことに口出ししないでもらえるかしら、あなたには関係のないことでしょ」
「関係あるないとか、それこそ関係ないですよ。少しくらい気持ちを察してあげてもいいんじゃないですか?休日もお昼過ぎまで働いて溜まった疲れを解消するのにちょっとハメを外すくらいいいじゃないですか。それに使用許可はもらってるんだから、プールをどう使おうが自由だと思うんですけど」
(・・・綾ちゃん・・)
相手が誰だろうと自分の考えをハッキリと伝える胆の据わった物言いを聞いて、大したのもだと結理は思った。
こういった言動は実際、そうそうできやしない。いい歳した大人でも―――いや、大人になるほど出来なくなってくる。
人間は大人になるにつれ、自分がどれだけちっぽけな存在か嫌でも気づかされるようになってくる。
組織や企業に属するようになると、自分の信念や意志をそっちのけにして社会に溶け込もうと必死になる人だって少なくはないだろう。
特に、古くから“個”より“群”を重んじるといった国色を持つ日本は世界の国々に比べてそういった傾向が強い方だと言ってもいい。
決してそれが悪いことだと言うわけではないが、現に自分たちは目の前にいる上官に何一つまともに言い返すことができない。
それに対して、何事もYesかNoかはっきりしているアメリカで暮らしている影響なのか、それともその若さゆえか、彼女はいつも堂々としている。
(・・・いや、これはきっと地ね・・・)
これが雅綾――――アメリカ本部最高戦力の一人、雅式を兄に持ち、その彼を完全に尻に敷かせるほどの大物。
なんて恐ろしい16歳だろう。
(・・・けど・・)
今目の前にいるこの人物に、彼女の物言いが通用するとは限らない。
「―――では雅さん、なぜ彼女たちが休みだったはずの今日も働いていたかご存じかしら?」
おもむろに口を開いた三門。
「・・・知りません」
(・・・まさか・・)
この流れから、結理はこれから三門が発するであろう言葉が自然と分かってしまった。
そして彼女は言った。
「―――あなたのお兄さんのせいよ―――」
「―――ッ!」
綾の眉がピクリと動いた。
「・・・どういうことですか?」
「金曜日の襲撃事件は知ってるでしょ?」
「・・・はい」
「あの事件であなたのお兄さん―――序列第三位が好き放題やってくれたおかげで現場の後始末をする私たち、日本支部の職員たちは余計な仕事を押しつけられたの」
「・・・でも兄はちゃんと敵を始末したじゃないですか」
「分からないかしら―――そこが問題なの。殺さずに生け捕りにすれば何かしらの有益な情報は手に入れられたはずなのに、彼は指揮権を有している我々から何の許可も取らずに勝手に始末してしまった。しかも襲撃者の遺体も何処かへやってしまう始末―――たしか占拠テロの時もそうだったわね―――とにかく、その身勝手な行動のおかげで事態の収拾が混乱してしまった。だからここにいる彼女たちも休日だというのに仕事に駆り出されてるの―――今のこの状況を作り出した元凶も全て、あなたのお兄さんにあると言ってもいいわね」
「・・・・」
綾が無言で周囲を見渡すと―――
「「「「・・・・・」」」」
周りにいる女性職員たちが皆、気まずそうな表情を浮かべて目を逸らす―――その中には恵美、歩、彩香の姿も―――
「・・・そうなの?結理さん?」
隣にいる結理に声を掛けるが―――
「・・・・・」
結理は何と答えればいいのか分からなかった。
(・・・そっか、やっぱり皆、ホントはそんなふうに思ってたんだ・・・)
あれほど取り囲んで、弄んで、表層では慣れ慣れしくしておいて―――心の奥底では兄を厄介者扱いしていたのか。
(やっぱり皆・・・本性を隠しているだけの――薄汚い雌だ)
兄の地位や容姿に惹きつけられて自分から寄ってきておいて、都合が悪くなったらすぐ切り捨てる汚い女たちだ。
(お兄ちゃん、これが女の本性だよ)
女という生き物は恐ろしくて、醜い。
この中に兄の味方はいない―――いや、そもそも必要ない。兄のことを理解できる女は私一人だけで十分だ―――そう、私だけでいい。
(大丈夫だよ、式。あなたには私がいるから―――)
例えこの世界があなたを裏切り、見捨てても、この心と体でずっと愛を注いであげるから。
―――だって、アナタはワタシの―――
「・・・フ、フフフフッ」
「あ、綾ちゃん・・・?」
このアウェーに近いような状況に、逆に心地よさを感じて綾は小さく笑った。その目元は前髪の影に隠れて確認できないが、口元は白い歯を見せて両端が吊り上がる。
ほんの一瞬だったが、彼女の顔はいつもの可愛らしいものから、恐ろしいものに豹変した―――愛に狂った女の顔に―――
それは“まともな神経を持ち合わせていない”―――そう思われても仕方のない表情だった。
「・・・かわいそうな子」
「・・・は?」
だが、三門羽月の言い放った言葉でその表情が崩れた。
「イカれたお兄さんをお持ちのせいで、こんな歪んだ性格になったのね」
憐れむような視線を彼女は向けてきた。
「お兄ちゃんが・・・“イカれてる”?」
目を見開いて三門を見る綾。
「ええ、何かおかしなこと言ったかしら?あなたもあんな殺戮者を兄に持つと、気苦労が絶えないでしょう?」
「―――ッ!三門第一官!」
そこで結理がこれ以上言わせてはならないと制止の声を掛けたが―――
「あなた、8年前の旧北朝鮮殲滅戦で自分のお兄さんが何をしたか分かってる?」
――旧北朝鮮殲滅戦―――
2020年、11月2日―――当時の朝鮮民主主義人民共和国が日本と大韓民国に向けて計15発の核弾頭ミサイル『ヨンガマン』を発射し、内8発がソウルを始めとする韓国の主要都市に、3発が日本の能登半島に直撃し、残りの4発は日本海に落下した。韓国は国民のおよそ6割、国土の7割近くを失い、日本では能登半島の先から金沢市や富山市を含む根本までがごっそりと地図上から消え、200万人近くが犠牲となった。この事件は後に「韓国全土・能登半島襲撃事件」と呼ばれる。
加盟国だった北朝鮮のこの軍事行動に対して、国連が黙っているはずがなく、5日後の11月7日に国連軍による軍事的措置―――すなわち制裁を行うことが即座に決定された。
しかし―――
決行の直前になって急遽、その作戦内容が壊滅的に変化したのだ。
『―――我々国際連合は今回の軍事的措置に、これまでになかった革新的な戦術を導入することを決定した―――」
決行直前に行った公式会見で国際連合第9代事務総長のカウバ・ロレッツァはそう読み上げ、最後にこう言った。
『――主戦力は―――3名』
その驚愕的な内容に、世界中が唖然とし、「ふざけているのか」などといった批判が相次いだ。
だが制裁が決行された11月7日、世界中がその内容の真意を思い知らされることになった。
国連軍が撮影し、世界中に配信された十数分間の戦場記録の映像の中には、3人の人物が映っていた。
3人とも黒を基調として赤いラインが入っている、腰巻マントのついた軍服を着ていた。
『―――PM12:04/November7/A.D2020―――』
パンッパンッパンッ!
銃弾が激しく飛び交っているその戦場は当時の中国との国境付近の北部山岳地帯。
そこに軍服の上に黒いロングコートを羽織った、初老といった感じの一人の白人男性の姿が映っていた。
その右手には黒い杖が握られている。
男はたった一人、杖以外何も持ち合わせていない丸腰の状態で佇んでいた。
次の瞬間、理解不能な出来事が起きた――――
シーン・・・
それまでけたたましい銃声が鳴り響いていた戦場が突然静まり返った。
そして恐ろしく奇妙なことに、三個大隊近くいた朝鮮人民軍の兵士たちが体の各所から血を流し、すでに息絶えていた。
映像から見た限り、男は何もしていなかったにも関わらず、その場にいた敵戦力は全滅していた。
『―――AM10:28/November8/A.D2020―――』
そこは戦場と化した平壌の市街地だった。
そこには膝の辺りまである黒のロングブーツに、腰巻マントの下は丈の短いスカート姿のまだ二十歳にも満たないであろう白人の少女が映っていた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
十数台もの戦車隊が正面にいる少女に向けて無数の砲弾と銃弾を放ち、土煙がその場に立ち込める。
ブワァ・・・
だが晴れた土煙の中から姿を見せた彼女には一発も掠ってすらいなかった。
腰に手を当てながら、ミディアムのブロンドヘアをサッと払うと、透き通るような青い瞳の少女は両手で剣を持つような構えをとって腕を真上に上げ―――
―――スッ
振り下した。
―――カッ!
直後、周囲が白い光に包まれ、映像はその眩いばかりの光に視界を遮られ、何も見えなくなった。
2,3秒すると光は消え、カメラの視界が元に戻ると、そこに映っていたのは数秒前とはかけ離れた光景だった。
シュー・・・
その一帯には高温蒸発したような白い煙が立ち込め、戦車隊の姿はもうなかった。
それもそのはず、彼女の正面にあったはずの街自体が消滅していたのだから。
そして最も世界に衝撃を与えたのが、韓国との国境付近の南部山岳地帯の映像だった。
『―――AM6:49/November9/A.D2020―――』
山脈の各所には直径500メートルはあろう巨大なクレーターがいくつもあり、中には上半分がごっそりと消失しているものも確認できる。
その一帯の山脈はもはや、本来あるべきその原型を留めていなかった。
まるで天災でも起きたのかと思わせるこの光景が、たった一人の人間によって生み出されたと誰が想像できようか。
そこは戦場とは思えないほど不気味に静まり返っていた――――すでに戦は終わっていた。
だが世界が本当に衝撃を受けたのはこの先からだった。
カメラの視点が変わり、ある人物の後ろ姿を捉える。
身長は130もないであろう、まだ幼い小学低学年くらいの子供だった。
その小柄な体型と腰の辺りまである長い黒髪から察するに少女だろうか。
―――だがそこには、そんな少女とはあまりに不釣り合いなものが映っていた。
山積みにされた死体の山だ。
100体近くもの死体によってつくられた、巨大な死体の山が少女の下に映っていたのだ。
その中には軍人だけでなく民間人の遺体も―――
そして少女―――いや、少年は何ともないといった様子でその死体の山の頂に座り込んで、タバコを吹かしていた。
―――まさに地獄絵図―――
そのあまりに非人道的でショッキングな光景に、映像を見た人々の中には酷く気分を害した者も多かった。
開戦からわずか3日足らずで戦は集結した。
朝鮮民主主義人民共和国はおよそ2000万人―――人民の9割近くを失い、事実上崩壊した。
後に「旧北朝鮮殲滅戦」と命名されたこの戦は、“人類史上最悪の軍事的措置”として歴史に刻まれた。
「―――あれは名目上、制裁と言われてるけど私はそうは思わない。粛清なら標的を人民軍だけに絞れば済む話なのに、当時の朝鮮政府と何の関係もなかった、武力を持たない民間人までも一方的に手にかけた大量虐殺よ。事後処理のために現地に赴いてあの惨状を目にした私には、あれが“正義の行い”だとはとても思えなかったわ。あなたのお兄さんはそれに加担していた」
「・・・兄はやるべき事をやっただけです」
「違うわ。ただやりたい放題、力を振り翳して罪のない人々まで手にかけただけ。強大な力を行使するということは、それ相応の責任が伴うの。そこに子供だからという言い訳は通用しない―――あなたのお兄さんはただの人殺しよ」
「・・・三門第一官」
握り拳を震わせながら結理が声を発したが、彼女はそれに構わず話を続ける。
「工藤第三官、あなたもよくアレの隣で生活ができるわね。私から言わせればあんな危険な存在が野放しにされていることの方が理解できない―――そもそも、2日前の襲撃事件にしても彼が転入しなければ第一高校が戦場になることはなかった」
「―――三門さん!もうやめてください!」
「支部長も一体何をお考えなのかしら、あんな疫病神をまだ日本に留まらせておく理由が一体どこに―――」
―――パチンッ!
「「「「―――ッ!?」」」」
その場にいた全員が目を見開いた。
「・・・痛いじゃない、なにするの?」
赤くなった頬をさすりながら三門はたった今自分の頬を打った少女を見下ろす。
女の頬を打った平手を挙げたまま綾は眉を吊り上げ、怒りの籠った血走った目で女を睨みつけて言った。
「それ以上お兄ちゃんを悪く言ったらもう一発引っ叩く―――この行き遅れのクソババアッ!」
「「「「・・・・」」」」
プール全体が静まり返った。
女性補佐官たちは顔を真っ青にして文字通り、凍りついた。
(・・・最悪だ・・)
結理は絶望にも似た心境でそう呟いた。
最も恐れていた事態に陥ってしまった。綾は最も言ってはいけないことを彼女に言ってしまったのだ。
「・・・“行き遅れのクソババア”―――ですって?」
まるで鉄仮面のように表情が固まった三門。
「そうよっ!その歳でそんな性格してたら、どうせ結婚もできてないでしょ!」
「・・・・」
「ほらっ、図星だ―――アッハハハ!」
三門を指さしながら馬鹿にしたように腹を抱えて笑いだした綾。
「―――プッ、ククククッ・・・」
恵美が小さく噴いた。
「―――アハハハッ―――」
プールに綾の笑い声が響き渡る。
直後―――
―――ガッ
(―――え・・?)
―――フワッ
気づいた時には、三門の目にも止まらぬ速さの足払いで両足がプールサイドから離れ、綾の体は宙に浮いていた。
そして―――
―――ドカッ
「―――かっ・・・!」
そのまま背中からプールサイドに叩きつけられた。
「―――ッ!綾ちゃんっ!」
結理が思わず声を上げる。
「・・・うぅ・・・」
「さっきまでの威勢はどうしたの?」
苦痛に表情を濁して悶えている綾を見下ろす日本支部最強の女性操者。
「・・・!」
―――バッ
“無意識に体が動く”とはこういうことなのだろう。結理は三門に殴り掛かっていた。
―――ズオ―――ッ
勢いを生かした彼女の中段横蹴りが三門の脇腹を捉える―――
―――はずだった―――
―――パシッ
「―――ッ!?」
だが三門は目も向けず、軽々と片手で彼女の踵を受け止めた。
「―――上官に手を上げるなんて、気が狂ったの?工藤第三官」
グググ・・・
物凄い握力で踵を掴んだまま三門は結理に視線を向ける。
「・・・素人の女の子相手に暴力で訴えるなんて、サオスの人間として許されません!」
身動きが取れず、片足を上げたまま結理は答え、その頬を一筋の汗が流れる。
「―――それもそうね、なら―――」
グンッ
「―――ッ!?」
踵を掴んでいるその手に力を入れ、結理の体を引き寄せると―――
―――ドゴッ
結理の腹に掌打を叩き込んだ。
「―――ッ、かっは・・・!」
思わず目が見開かれ、呼吸が詰まる。
「―――同じサオスの人間なら暴力で訴えてもいい―――ってことかしら?」
―――ブンッ
そのまま片足を軸にして体を反転させて結理の足を掴んでいる手を放し―――
「そこで少し頭でも冷やしてなさい―――」
―――ザッブ―――ン!
結理の体をプールに放り投げた。
「「「結理(先輩)!」」」
―――ザブンッ!
血相を変えた恵美と彩香がプールサイドを駆け、歩がプールに飛び込んだ。
「―――ケッホ、ケッホ・・・!」
「先輩!大丈夫ですかっ!?」
「え、ええ、大丈夫・・・」
水面から顔を出した結理は激しく咳き込んでいるが大したことはない様子だ。
「「せーのっ!」」
バシャアッ
「・・・はぁ・・はぁ・・・」
近くのプールサイドから恵美と彩香に引き上げられるとその場に手をついて屈む。
「―――ったくあんた、何やってんの!おかげで思いっきり胆が冷えたっつーの!」
結理の背中をさすりながら、いつになく真面目な表情を浮かべて恵美は声を上げた。
「・・・ご、ごめん・・」
「・・・でも・・」
「うん、無事で・・」
「良かったです・・・」
安堵の表情を浮かべる3人の友人。
「―――これはこれは、美しい友情ね」
「「「・・・・」」」
無言で声の主を睨みつける3人。
「なに、その目は?」
「「「・・・・」」」
―――スッ
3人はギュッと拳を握ってゆっくりと立ち上がった。
「工藤といい―――案外胆が据わっているようね。いいわ、3人―――いや、文句のある人間は全員まとめてかかってきなさい。身の程を思い知らせてあげる」
その切れ長の瞳から鋭い眼光を放ち、淡々とした口調で三門は言い放った。
「―――ねぇ、彩香」
「何かしら?」
「あたしさぁ、実はさっきからかーなーりカチンときてたんだぁ」
「―――あら奇遇ね、私もよ」
「先輩、私もです。式君のことをあそこまで言われて・・・もう黙ってられません!」
「歩、あんたいい女になるわよ」
「どうもです!」
「あ~、でもこれでクビになったらどーするよ?」
「3人まとめて式君に養ってもらう―――ってのはどう?」
珍しくニヤリと笑みを浮かべて彩香が言った。
「「―――それ、名案(です)!」」
―――ダッ
そして彼女たちが正面の女に挑もうと、果敢に一歩を踏み出したその時だった。
「―――文句だと?大有りだ―――」
ゴオォ―――ッ
「―――ッ!」
これまで幾度もの実戦を経験してきた三門羽月の本能が警報を鳴らした。
一体その正体が“何か”は分からない―――だが―――
―――何かとんでもないものが近づいてきている―――
―――バッ
彼女は反射的に大きくジャンプしてその場から後退した。
直後―――
―――ドカァッ!
それまで彼女が立っていたプールサイドのタイルがピンポイントで粉砕された。
「なかなかいい反応だな―――」
グシャァ・・・
屈んだ姿勢からコンクリートに突き刺さっている拳を引き抜いて立ち上がると、その人物は正面から彼女を見据える。
そこにいたのは―――
「・・・雅・・式・・」
その正体こそ、彼女が“殺戮者”と呼称した少年だった。




