第四十八話:最強のカード
「―――へぇ、結理さんたちとは大学時代から知り合いだったんですか」
「うんっ、先輩たちが3年生の時、私が1年生で、同じサークルで3人にはお世話になってたの」
「てことは、去年大学を卒業して日本支部に?」
「そうっ、まだ下っ端の中の下っ端だよ(笑)。現場での戦闘経験もまだないの。どっちかっていうと書類整理とか事務仕事がほとんどかな」
「そうなんですか。まぁ若いんですからこれからですよ」
「うんっ、頑張らないとねっ♪」
泳ぎの練習を始めてからおよそ一時間が経ち、式と歩は足を水につけながらプールの端に座り込んで休憩をとりながら談笑していた。
「・・・・」
そんな二人を少し離れた所からをジーと綾は見ていた。
20センチも離れていない近い距離で、打ち解けたように会話している兄と、兄に好意を抱いている女―――歩さん。
彼女の容姿は別に悪くない―――いや、寧ろ良いくらい。
クリッとした大きな目に小さな鼻と唇といった可愛らしい顔立ちに、ロングの茶髪の後ろをシュシュでワンサイドに纏めた、これまた可愛らしいヘアースタイル。しかも、歩さんは私より小柄だけどそのボディはなかなかもの。
チェック柄の入ったオレンジのビキニから覗かせる引き締まったウェストに健康的な太もも。
―――ボインッ
そして水滴がついてより艶めかしく見える立派な膨らみのある胸元。
「―――ふんっ!私だってすぐあのくらいになってみせるもん!」
そう意気込んで自分の胸元に視線を落としてみたら
―――ペターン・・・
「・・・はぁ・・・」
現実を見るとため息が漏れる。
サイズはAに近いBカップ。目を背けたくなるほど小さいわけじゃない。けど兄はよく巨乳を目の前にすると目が釘付けになっているから・・・
前に兄にそのことについて問い詰めたら―――
『まーあれだ、巨大な建造物や大きくて目立つものって、なにかと注目を浴びるだろ?それと一緒さ』
親指を突き立てながらそう言った兄。何かムカついたから思いっきり足を踏んづけでやった記憶がある。
「でもさっき、お兄ちゃん言ってくれた♥」
『俺は好きだぞ、お前のその可愛い胸が』
「も~、お兄ちゃんったらっ♥言ってくれたらいつでも触らせてあげるのにぃ~」
両頬に手を当てて一人で何やらキャッキャ言ってる綾。
しかし、ここで一つ言っておかねばならないことがある。
実際のところ、式は『お前のその可愛い胸が』ではなく、『お前のその可愛い胸も』と言ったのだ。
だが綾にとってそんな些細な違いなど微々たるもの。彼女の頭の中で都合のいいように勝手に変換されているというわけだ。
恋に焦がれる16歳の脳内―――恐るべし。
「―――ねぇねぇ、なんかあの二人、いい感じじゃない?」
「ちょっ、恵美!綾ちゃんに聞こえたらどうすんの!」
すると背後にいた恵美と結理の会話がふと耳に入った。
「聞こえてるけど」
「「―――うっ・・・」」
不機嫌そうな表情で振り向き、綾はジト目で二人を睨みつける。その鋭い視線に結理と恵美は思わず体をビクつかせる。
「あっ、アタシ美紀ちゃんとバレーしよーっと!」
「―――ちょっ、恵美!」
“やっちまった”的な表情を浮かべると恵美は焦った様子でそそくさと逃げていった。
「「・・・・」」
そして“お前は生贄だ”と言わんばかりに恵美に見捨てられた結理は、どこか気まずい雰囲気の中、綾と二人っきりになる羽目に―――
「・・・あ、あの綾ちゃん」
「別に怒ってないから、歩さんにチャンスあげたかったんでしょ?」
「・・・・」
「結理さんって優しいよね」
「そんなこと・・・」
「結理さんはお兄ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「―――え?式くんのこと?」
「うん」
「うーん・・・ちょっと生意気だけど妹思いのいいお兄ちゃんって感じ、かな・・・」
「―――ふふっ・・・」
「・・・綾ちゃん?」
「結理さんってちょっと変わってるよね」
「・・・そう?」
「うん、たぶん他の人ならそんなこと言わないよ。みんなお兄ちゃんを人間兵器や序列第三位としてしか見てなくて、人間として見てないから。でも結理さんはお兄ちゃんを人間として見てくれてる、私嬉しいよ」
そう言って綾はニコリと優しい笑みを浮かべる。
「・・・確かに式君は普通の人とは違うけど、普段はどこにでもいる普通の男の子だと私は思ってるから」
「ふーん・・・」
(やっぱり結理さんはあの女の次に手強いかも・・・)
意外とこういうタイプは兄と一番打ち解けやすいと、綾の中に眠る女の勘が叫んだ。
「―――ねぇ結理さん」
「ん?なに?」
「おっぱいって、どうやったら大きくなるのかな?」
「・・・え?急にどしたの?」
「たぶんお兄ちゃん、大きい方が好きだと思うから・・・」
「・・・まぁ、男なんて皆そんなもんでしょ―――って言っても、私もそんなに大きい方じゃないけど」
「美紀の方が大きいもんね」
「うぅっ・・・・」
「私、女として魅力ないのかな・・・?」
「そんなことないって、綾ちゃん超可愛いじゃない!きっと式君も綾ちゃんが一番可愛いと思ってるって♪」
「・・・どうしてそんなこと分かるの?」
「普段のあなた達を見てれば誰だってそう思うって。綾ちゃんは式君の妹、たった一人の家族じゃない」
「・・・妹」
「あっ、でも綾ちゃん。さっき言ってた冗談だけど、私たちの前ならまだしも、他の人の前であんなこと言っちゃダメよ」
「なんで?」
「な、なんでって・・・あなた達二人は兄妹なんだから・・・その、近親相姦だって周りに騒がれたら、色々と面倒でしょ?」
「・・・・」
「綾ちゃんが式君のこと大好きなのは分かるけど、やっぱり世間体ってものがあるでしょ?式君みたいな有名人だったら尚更―――」
「――――アッハハハハッ!」
「―――ッ!?」
突然、綾が狂ったように笑い声を発した。
「・・・綾ちゃん?」
「ンフフフッ―――フフフフッ・・・」
口元に手で押さえて、必死に笑いを堪えている。
「・・・私、何か変なこと言った?」
「フフフフッ――――ゴメンなさい、別に変なことなんて言ってないよ」
笑うのをやめたと同時に、綾は決心した。
「―――ねぇ結理さん、一ついいこと教えてあげる♪」
「・・・いいこと?」
「うん♪いいこと♪」
ここで彼女が持つ“最強のカード”を切ることにしたのだ。
「―――ふふふっ、なんだか式君の方が年上みたい」
「そうですか?」
「うん、なんだか雰囲気とか大人っぽいし」
「まぁ、子供らしいことはしてきませんでしたからね」
「私が式君くらいの歳の頃なんて、遊ぶことで頭がいっぱいだったよ(笑)」
「それが普通だと思いますよ」
「やっぱり大人びてるよね。学校でも女の子にモテるでしょ?」
「よく物珍しそうな目では見られますよ。あの年代の女子とはあんまり話したことないんで、よく分からないってのが本音ですね」
「じゃあ・・・年上の方が好み・・とか?」
「うーん・・・好みっていうか、年上の女性の方が話は合うかもしれませんね」
「そっ、そっかぁ♪」
(――――よしっ!)
歩は心の中で思いっきりガッツポーズをした。
「きっと式君なら年上からも人気だと思うよ」
「いや、そんなこと・・・」
「絶対そうだって!すごくカッコイイし♪」
「・・ははは、参ったな・・・歩さんこそ異性がよく寄ってきたりするんじゃないですか?」
「そ、そんなことないよっ。私、結理先輩や彩香先輩みたいに大人の魅力とかないし・・・」
「・・・大人の魅力、ですか・・」
(・・・そこに恵美さんは入ってないんだな・・)
「今年でもう23になるのに子供っぽく見られることがあって・・ちょっとしたコンプレックスなの」
「はぁ・・・」
確かに歩は若干童顔で身長が150台前半くらいと低く、キレイというよりは可愛らしいといった容姿で、一見すると式と同じくらいの十代の少女に違えられてもおかしくないかもしれない。
「―――あっ、急に変なこと言っちゃってゴメンねっ」
「いえ・・・でも逆に、そこが歩さんの魅力なんじゃないんですか?」
「え?」
「実年齢より若く見られることは別に悪いことじゃないし、歩さんのフレッシュで可愛らしいところ、俺は魅力的だと思いますよ」
「・・・・」
「歩さん?」
「あっ、ごめん・・・」
「俺、なんか失礼なこと言ってしまいましたか?」
「ちっ、違うの!その・・・そんなこと言われたの初めてだから・・ちょっと驚いちゃって」
「そ、そうですか・・・」
「ありがとね♪式君のおかげでちょっと自分が好きになれたかも♪」
「そんな、俺は何も・・・」
「・・・式君って結構、女の扱いに慣れてるでしょ?」
歩が少し目を細めて悪戯な笑みを向けてくる。
「別にそんなことは・・・ただ思ったことを言っただけですよ」
「ふぅーん・・・」
(・・・なんだか、怖いくらい女の扱いが上手・・)
現に私は、こんなにも舞い上がってしまっているのだから。
こんなイケメンに真正面からあんなことを言われて、動揺しない女性なんているのかな・・・
一体彼は、今まで何人の女をその容姿と言葉で落としてきたんだろう。
けど別に女たらしのような印象は感じない。
何かを狙って言ってるわけじゃなくて、ホントに自然体で言ってる感じがする。
でもその言葉以上以下の価値、魅力はない、その程度だとハッキリ言ってるようにも聞こえてしまうのはどうしてだろう。
料理を食べて単純に美味しいか、美味しくないか判断されたような、そんな冷たさと虚しさを感じてしまう。
(・・・まぁ眼中にないのは当然だよね・・・)
彼は世界にその名が知れてる特別な存在、私なんかが踏み入れることができない、高度な領域にいる人。末端のS2操者と序列第三位じゃ、生きている世界の次元が違い過ぎる。
きっと私みたいに単純に一目惚れした女なんてざらにいるに決まってる。
私だってもういい大人、現実を直視することくらいできる。この恋が成就しないこともなんとなく予測がつく。
けど今、彼のことが好きなのは紛れもない事実。だからせめて―――
(―――せっかく先輩たちがくれたこの機会を楽しまなきゃ!)
ふと、水で濡れた前髪を掻き分けているその横顔を眺めてみる。
(・・・ホントにキレイな顔)
染み一つないような白い肌に形のとれた鼻や口元、そしてくっきりとした目元に切れ長のアーモンド型の双眼。普段はちょっと力を抜いて七分開きって感じで物静かな雰囲気だけど、第一高校テロ事件の時にカッと見開かれて、身の毛がよだつほど鋭い眼光を放っていたあの瞳は今でも記憶に残っている。
(眉毛細長いし、まつ毛も長いなぁ・・・化粧したらキレイになりそう)
ちょっとうねりがあって動きのあるその黒髪を肩の辺りまで伸ばして、少し化粧をすればクールビューティーといった感じの美女になるかもしれない。
まさに容姿端麗、これといって文句のつけどころがない美少年だ―――どこか近寄り難くて、不気味さを感じるほどに。
こういう言い方をしたらアレだけど、日本人の血だけでここまで端整な顔立ちになるだろうか。
(・・・もしかしたら)
「・・・ねぇ式君」
「はい?」
「ひょっとして式君って血縁者の中に・・・外国の方とかいたりする?」
「・・・そう、見えますか?」
「ごめんねっ、なんか変なこと聞いちゃって・・・」
「いえ、事実当たってますし」
「!」
「母方の祖母がフランス人だったらしいんですよ」
「へぇ~、クォーターなんだぁ。じゃあ綾ちゃんも―――」
「―――いや、綾は純粋な日本人です」
「―――え・・・?」
(・・・今、なんて・・?)
式の言い放った言葉で、歩の思考は止まった。彼が何を言ってるのか一瞬分からなくなった。
「俺とアイツ、血は繋がってないんですよ」
「・・・・」
その言葉を聞いて、歩は頭を思いっきりハンマーで叩かれたような強い衝撃を受けた。
だが同時に、これまで綾の式に対する兄妹の枠を超えた異常な愛情、そして彼に対する執着の全てに納得がいった――――いってしまった。
「―――じゃあ俺、ちょっと泳ぎの練習してきます」
バシャアッ
そう言ってプールの中に入ると、式はゆっくりとその場から離れていった。
「・・・・」
歩はその後ろ姿をただ呆然と見ることしかできなかった。




