第四十一話:超音速
――教室棟一階、資料室――
―――バチバチバチッ―――シュッ
「―――ッ!」
チャイナドレスを身に纏った女・リンシェンの頬を掠めたのは、青白い電流を纏った工藤結理の拳。
ブチッ
切れた女の頬からツーと血が流れる。
(―――――チッ)
だが女には、そんなことを気にしている余裕がない。
先ほどから二人の女による、目にも止まらぬ高速の格闘戦が続いているが、リンシェンは結理が次々と放ってくる高速の掌打や蹴りを躱すので精一杯といった様子。
―――ボウッ
今度は炎を纏った拳を相手に向けて放つリンシェン。
―――ブオッ
加速系を身体作用させていることで、人体の限界を超えた速度で放たれた拳が結理の顔に迫り来る。
だが―――
―――スッ
「―――ナッ!?」
結理は右足を軸に半身になり、難なくといった様子で炎の拳を躱した。加速系を纏っているそのスピードは、リンシェンを明らかに上回っている。
バチバチバチッ――――
そして次の瞬間には、電流を纏った彼女の膝蹴りが、拳を放ったままの体勢のリンシェンの横っ腹に―――
―――ドゴッ
「―――カッハッ!」
直後、リンシェンの口から出た少量の血液が宙を舞う。
豪雷の硬化系を纏った結理の膝が女の腹に抉るように食い込み―――
メキメキメキッ―――バキッ
骨が軋み、悲鳴を上げる。
ドガァッ
そして、車に轢かれたかのような勢いで女の体は後方に飛ばされ、壁に激突した。
―――パリンッ、バラバラ・・・
その衝撃で、壁のそばにある窓にヒビが入り、ガラス片が落ちていく。
「・・・ウ・・グ・・」
女は呻き声を発しながら、力なくその場にへたり込む。
(・・・何デ・・・何デダッ!?)
激痛と衝撃のせいで意識が朦朧している女の頭の中を、ある疑問が駆け巡る。
―――同じ加速系なのになぜ、あの女の方が自分より“速い”のか―――
「“音速”といったところかしら?アンタの“速さ”」
スタ、スタ・・・
ゆっくりとした足取りでリンシェンに近づく結理。
「・・・・」
顔を上げ、無言のまま血走った目で結理を睨みつけるリンシェン。
「大したものだわ。加速系の限界速度を維持したまま、錬成操作との重操を熟すなんて―――」
―――ボウッ
すると突然、リンシェンの両手から炎針が錬成され―――
「―――死ネェッ!」
―――ビュッ
女の手から放たれた、8本の炎針が結理目掛けて一直線に飛んでいく。
「―――でもね―――」
一方、標的となった工藤結理は慌てる様子もなく、自身に向かって飛んでくる炎針を見据えながら言葉を続けた。
「―――それだけじゃ、私には勝てない」
直後―――
―――ヴァンッ、バチバチバチッ
「―――ッ!?」
数メートル離れた場所にいたはずの結理が突如、全身に電流を纏って、強烈な爆風と共にリンシェンの目の前に現れた。
ドオォ―――ンッ
そして、彼女目掛けて一直線に飛んでいったはずの8本の炎針は、それぞれが散り散りの方向に飛んで行き、廊下側の壁に直撃した。
まるで、何らかの物理的干渉によって、無理やりその軌道を捻じ曲げられたかのように―――
「・・・ソニック・・・ブーム・・・」
その現象を目の当たりにしたリンシェンは呟いた。
「御名答ッ♪」
爆発によって赤黒く燃えている室内を背景に、チャイナドレスの女を見下ろしている黒スーツの女はニコリと笑みを浮かべて言った。
カツカツカツ・・・・
ゆっくりとした足取りで階段を上がっている少年・雅式。
その身に纏っているカッターシャツは血に染まり、ズタボロに斬り裂かれているため、上半身はほぼ裸の状態だ。
東洋人にしてはその肌は白く、服の上からでは分からなかったが、その肉体はいい具合に筋肉がついている。
一見、細身寄りに見られがちの彼だが、くっきりと割れた腹筋に血管が浮き出ている両腕、そして厚みのある胸板。理想的に引き締まっている肉体がそこにはある。
だが、最も注目するべき点はそれらではない。
その左胸にある黒いタトゥー
縦横10センチほどの大きさのそれは決して複雑な模様ではないが、一見それが何を現しているのかは理解できない。
ただ、それが普通に体に刻まれたものでないことだけは自然と理解できる。
「そういや・・・」
歩きながらふと式が口を開いた。
「・・・あん時だったな・・・」
日本に来て間もない頃、彼女と模擬戦を行った時のことを思い出す。
あの時、俺は何の抵抗もなく彼女の蹴りをまともに食らったが、あれは別にわざと避けようとしなかったわけではない。
単純に避けられなかったのだ。
元々、狂闇の原石である俺は、加速系や神速系みたいな他の第七感のコードを行使できないから、そのスピードについていくことは不可能だ。
―――この赤い目を使わない限り―――
「陰喰でコードを喰ってなかったら、結構ヤバかったな」
硬化系を纏った彼女の蹴りが俺の脇腹を捉える直前に、反射的に陰喰を召喚して瞬間的に加速系と硬化系の効力を消失させた。
つまり、あの時食らった蹴りは、工藤結理という普通の人間の力だけから発せられたものだったワケだ。
だから肋骨骨折や肺の破裂などといった致命傷は食らわなかった。
「・・・まぁでも、あれだけでも十分人を殺せるだろ」
素の力だけでも、あの人の蹴りは強烈なものだった。これまで何度も傷を負い、殺されてきた俺だからこそ、あの痛みに耐えることができた。普通の人間なら激痛で伸びちまってるだろう。
「にしても、“超音速”か・・・」
工藤結理、あの人の加速は普通の加速系とは一味違う。
そもそも加速系ってのは秒速でおよそ340m/s、時速にするとおよそ1225km/h、つまり音速レベルまで運動速度を上げることを可能にする。
だが彼女のスピードはそれを明らかに上回っていた。マッハ1.5、いやマッハ2なんていう馬鹿げたスピードも出せるのかもしれない。
「豪雷のコード2つを同時に流纏操作させることによって生まれる、副作用みたいなものか」
彼女は加速系だけでなく、同じ豪雷のコードである、硬化系も身体作用させていた。
これもある意味、重操と言える。恐らくその相乗効果によって加速スピードが加速系の限界である音速を超えることが出来るのだろう。
「まぁ実際、電流の速さは音速を軽く超えてるから不可能じゃねぇな」
こういった事例はたまにある。たぶんあの人は豪雷との相性が良いのだろう。
色々とややこしい話をしたが、つまり簡単に言うと、こういうことだ。
普通の加速系を行使しているあのストリッパーじゃ、結理さんの“速さ”についていくことはできない。
例えどんなに強力な攻撃手段を持っていようと、当たらなければ意味がない。
いかなる力も、“絶対的な速さ”の前では意味を成さないとも言えるのかもしれない。
「そーゆー意味じゃ、アリスのヤツは原石の中で“最強”と言えるかもしれないな・・・いや―――」
最強は間違いなくあの男だ。
アメリカ本部の序列第一位に君臨する“神”、ハワード・べイル。
「ロシアとドイツの原石がどの程度かは知らねーが、あの末恐ろしい上司2人が原石でトップ3に入るのは間違いねぇな・・・あっ、でも海場さんもいるからなぁ・・・」
あの人の強さは8年前に身を持って体験した。
「・・・軽くトラウマになりそうだったな・・・あの人の炎」
そしてこれも断言できる。
「6人の中で最弱は・・・俺だろうな」
最強クラスの3つの特異コード、空間支配に陰喰、そしてこの鬼眼を有しているにも関わらず、俺は自身が最弱の原石だと言い切れる。
それはこの狂闇が抱えている“ある欠陥”のせいだ。
カツカツカツ・・・
そんなことを考えているといつの間にか屋上に通じるドアの前に着いた。
「・・・ま、今は“餌やり”に専念するか」
餌が来る確率は五分といったところだ。
―――スッ
右手をドアに向けて翳す式。
そしてその右手から黒い炎・陰食が出現した。
「確か屋上への侵入は校則違反だったか―――」
ブワァッ
右手から放たれた陰喰がドアに張り付くと、侵蝕されるようにドアはその形を失っていき、消失した。
「――けどよ――」
カツカツカツ・・・・
ドアのなくなった入口をくぐり、屋上から見える月を眺めながら彼は言った。
「―――ルールってのは、破るためにあるもんだろ?」




