第三十七話:策士
「・・・光学・・迷彩・・・」
突如、流血している左胸のあたりの色波長が歪み始めると、今まで目に見えなかった氷刃がその姿を現した。
その湾曲した鉤爪のような刃先が抉るように世良拓弥の左胸に刺さっている。
「君には私が“何も持っていなかった”ように見えたでしょう。ですが先ほど攻撃の手を止めた時にはすでに、私は“それ”を右手に持っていた」
カツン、カツン、カツン・・・
白のチャイナドレスを身に纏った女・メイシェンがヒールの音を鳴らしながら氷壁に背を預けた形で座り込んでいる拓弥にゆっくりと近づいてくる。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・」
荒い呼吸をしながら口元についている血を拭い取る拓弥。
(・・・聖光の・・『光折系』か・・・)
氷壁に叩きつけられた時の衝撃のせいで、まだ意識が朦朧としているが、女が何をしたのかおおよそ理解した。
物体は太陽や電球などといった光源から発せられた光や、空気中の電磁波の光を反射し、その反射光が網膜の中にある錐体細胞に吸収されることによって、人は初めて物体の『色』を認識することができる。
聖光の『光折系』はその光自体を捻じ曲げることで色を認識させない、つまり他者からは透明に見えることを可能とした。これをイミテーションによって指定した範囲に作用させることで、人類はそれまで実現不可能と言われてきた光学迷彩を完成させた。
(・・・氷の刃に光学迷彩を物体作用させたってわけか―――くそっ、まんまと踊らされた・・・)
きっとこの女は、あの時わざと攻撃の手を止めて、俺に接近するチャンスを与えたに違いない。そして俺が接近してくるのを予期していた。
女が攻撃の手を止めた時、何かしてくると頭では分かっていたが、距離を詰めて接近戦に持ち込まなければ勝機がないとジレンマに駆られていた俺の心理状況を上手く利用したのだ。
そして俺が加速系で距離を詰めてきた瞬間、絶好のタイミングで見えない氷の刃を投げ放ってきた。
俺はまんまとこの女の策略にはめられたというわけだ。
「・・・はぁ・・・はぁ・・」
(まさかここにきて、光学迷彩まで隠し持ってたとはな・・・いや、可能性としては十分考えられた・・でもそこまで頭が回らなかった・・・)
重操を使い熟すこの女の、呼吸する間も与えないような怒涛の攻撃をあしらうので精一杯だった。
そもそも、あんな人目につく格好をした人間が誰にも見つかることなく、難なく教室棟まで入って来られたこと自体がおかしかった。
(光学迷彩を全身に身体作用させて侵入してきたってワケか・・・)
それなら誰にも見られることはないし、校内の至る所にある監視カメラに姿が映ることもない。
(―――いや・・・)
だがここで拓弥はある疑問を感じた。
(・・・それなら光折系の『制御外発動力場』に『FDS』が反応するはずだ・・・)
『制御外発動力場』とは第七感の力を発動させたときに生じる、微弱なエネルギーフィールドのことを指す。
第七感によってその特徴は異なるが、怪焔ならば熱量の増加、魔氷ならば温度低下、豪雷ならば微弱電波の発生、聖光ならば光波の変動などといった人間の感覚では捉えにくい現象がその周辺で発生する。
この制御外発動力場は発動に伴ってどうしても生じてしまう、副作用のようなもので、現代の技術を持ってしても抑制することは不可能だといわれている。
そこに目をつけて考えられたのが『FDS(Field Detection System)』だ。
このシステムは指定した領域内で制御外発動力場の反応を感知する警報システムの一種で、日本支部や24区内の研究機関ですでに利用されているこのシステムを、テロ事件を機に第一高校でも導入することになった。
第一高校での設置範囲は校舎全域に及び、校舎内で第七感を発動させると一発で発動させた地点まで分かるようになっている。俺と央乃が持っている日本支部から支給されたスマートフォンは、その情報を随時受信するようになっている。
つまり、この女が光学迷彩を纏って校内に侵入してきたのなら、俺のスマートフォンにFDS警報が送られてくるはずなのだが――――
(・・・そうか、FDSの設置範囲は校舎内、なら―――)
なら校舎に侵入するまで光学迷彩を使い、そこから先は発動を解除すればFDSが反応することもない。それは同時に誰かに姿を見られるというリスクもあるが、ここは放課後の教室棟だ。こんな時間まで誰かが残ってることはまずないだろう。
(・・・てことはFDSが設置されてたことを知ってたってことになる・・・恐らく情報源は・・・)
数メートル向こうにある、首のなくなった元数学教師の遺体を一瞥する。
(・・いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない・・・)
アドレナリンが上がっているせいで痛覚が正常に働いていないのだろう、まだ痛みは感じないが―――
「―――がはっ」
ビチャッ
喉の奥から何かが込み上げてくる感覚と共に、口から赤い液体がダラダラと出てきた。
「・・はぁ・・はぁ・・」
(・・・息がし辛い・・・たぶん左の肺がやられてる・・・)
傷口からの出血量からもかなり重症だということは分かる。
「・・・・」
足元の数十センチ先に落ちている、電流の刀身を失ったシルバーの柄を一瞥する。
(・・・こりゃ・・絶体絶命だな・・)
カツン、カツン、カツン・・・
心の中でそんなこと呟いている間にも、女はゆっくりと歩きながら徐々に自分との距離を詰めてくる。
7メートル・・・6メートル・・・
そして5メートルほどの地点で足を止めると―――
ピキピキピキッ
今度は“目に見える氷刃”を右手に形成して、狙いを定めるようにその刃先を拓弥へと向ける。
「この距離なら確実ですね」
スッ
女は氷刃をゆっくり真上へと振り上げると―――
「さようなら、少年―――」
右腕を振り下した。
バチバチバチッ
加速系の電流を纏った氷刃がその手から投げ放たれる
その時だった―――
ドゴォ―――ンッ!
「「―――ッ!?」」
突如、轟音と共に激しい揺れが廊下に響いた。
どうやら発生源は下の階のようだ。だがその規模は先ほどまで連続して聞こえていたものとは比べものにならない。
グラッ
「―――くっ!」
揺れによって若干体勢を崩してよろめくメイシェン
(―――まさか姉さん、“アレ”をこんな所で―――?)
巨大な爆音と、不意に襲ってきた大きな揺れから、姉の攻撃の中でも最強の破壊力を持つ、炎の矢を瞬時に連想した。
(―――まったく、あれほど“穏便に”と言ったにも関わらず―――)
そして、よろめいたまま彼女の手を離れた氷刃は―――
ブンッ
高速回転しながら弾丸のように一直線に飛んでいき―――
―――ピキンッ
少年の顔の真横約2センチの距離で、彼が背を預けている氷壁に突き刺さった。
直後―――
グッ
突然、世良拓弥は自分の左胸に刺さっている氷刃を右手で掴むと―――
グシャァッ
それを勢いよく一気に引き抜いた。素手で氷刃を握った右は血まみれになり、引き抜いた途端、大量の血しぶきが傷口から勢いよく噴き出すが、彼はそんなこと気にも止めず―――
「―――っらぁっ!」
ヒュッ
血まみれになった右手に持っている氷刃を5メートル先にいるメイシェンに向けて投げ放った。
ブンッ
回転しながらそれが一直線に飛んでくる。だがそのスピードは、彼女の投げるものと比べると明らかに劣っている。
いくら5メートルという近距離とはいえ、飛翔速度を加速させていない氷刃を避けることなど彼女にとっては造作もない。
―――スッ
素早く半身になって難なく氷刃を避けた。
だが次の瞬間、女は初めて眉を潜めた。
少年はいつの間にか、座り込んでいた状態から床に片膝をついた状態でこちらを見上げている。
そして、血まみれの右手でシルバーの機械染みた柄を握っている。
(―――なるほど、最初から目的は私に当てることではなく、その柄を手に取ることだったんですね。)
バチバチバチッ
床に膝をついたまま、起動させた雷刀を構える拓弥。5メートルという近距離で対峙する二人のS2操者。
(―――フフフ、そうでなくては)
その姿を見て、女・メイシェンは初めて楽しそうな表情を浮かべた。見定めるように吊り目を細め、微笑を浮かべて。
だが次の瞬間―――
「―――ッ!?」
今度こそメイシェンは理解に苦しむような、驚愕の表情を浮かべた。
少年はせっかく手に取った雷刀をあろうことか―――
ヒュッ―――
彼女に向けて投げ放ったのだ。
バチバチバチッ
空中を飛翔しながら、持ち主を失った雷刀はその形を保てなくなり、刀の形状に収束していた電流が広げられた傘のように乱雑に拡散していき、彼女の胸元辺り目掛けてに向かって飛んでくる。広域拡散して飛んでくる電流の塊をこの近距離で完全に避けることは不可能に近い。
だが―――
―――サッ
上半身を素早く、しなやかに90度近く仰け反らせるという驚愕的な身体能力を披露したメイシェン。その顔の上をバチバチと音をたてながら電流の塊が通り過ぎて行く。あれほど拡散した電流に掠ることなく、彼女はその身体能力で避けきったのだ。
(―――終わりですね)
自分の上を通り過ぎていく電流の塊を見上げながら女は確信した。
同時に落胆した。
あの少年は奇跡的に巡ってきた、自分に反撃できる唯一の機会を自らの愚行によって逃したのだ。
(―――恐らく、もう刀を振る体力もなく、とうとう自暴自棄に陥りましたか・・・)
柄を失った彼はもう加速系も使うことができない―――ただの死にぞこないだ。
完全に電流の塊が通り過ぎて行ったのを確認すると、素早く仰け反らしていた上体を起こしていく。
(残念ですよ・・・少年)
後は今度こそ無力になった彼を“生ゴミ”にするだけだ。
スッ
そして完全に体勢を戻したメイシェン。
そんな彼女の視界に最初に映ったのは―――
「―――ッ!?」
力強く握られた血まみれの拳だった。
ズオ――ッ
目にも止まらぬ速さで迫り来る拳が女の顔面に直撃し―――
バギャッ
何かが砕けた音が廊下に響き渡った。
世良拓弥の渾身の右ストレートが抉るように、女・メイシェンの左頬にめり込んだ。
「―――がぁっ!」
最初に襲ってきたのは痛みなどではなかった。そのあまりの衝撃で―――
(―――くっ、頭が―――)
強烈な打撃で脳震盪を起こし、大きく後ろによろめくメイシェン。
同時に、彼女の頭の中は混乱の極みに達していた。
電流の塊を避けるために、上半身を仰け反らしてから元の体勢に戻るまで2秒にも満たなかった。
その僅かな間に、あの少年は重症を負っているにも関わらず、膝をついていた姿勢から5メートルの距離を詰めていたことになる。
そして自分が反応することができなかったあの右ストレート。
間違いない、少年のあの動きは加速系によるものだ。
だがそれはありえないはずだ。
なぜなら、彼は加速系を取り込んだイミテーションをつい先ほど私に向けて投げ放ったのだから―――
一瞬の思考を巡らせながら体制を立て直した矢先―――
バッ
「―――ッ!?」
気がついたら、一瞬で少年が目の前まで距離を詰めてきていた。
(―――やはりこの動き、加速系っ!)
近接格闘において、加速系を身体作用させている敵に生身の人間が勝つということは不可能に近い。
よって拓弥が加速系を纏っているならば、彼女も加速系を纏うべきなのだが――――
(この距離では、物体作用から身体作用へ切り替えるのは間に合わない―――ッ)
そう、確かに彼女は今まで加速系を使っていたが、それは氷刃に加速系を働かせる物体作用。
物体作用から身体作用へと切り替えるには、左手にはめてあるグローブの甲の部分にある、変換スイッチを押せば容易だが、今はそんな動作をする余裕もない。
つまり、今の彼女は近接格闘において、加速系に対処することはできない。いくら反射神経が優れ、軽い身のこなしが可能だろうと、加速系を纏った人間に敵うはずがない。
ブン―――ッ
体を捻りながら回し蹴りを放ってくる拓弥。風切り音をたてながら、高速の蹴りがメイシェンの左腹部へと迫ってくる。
(―――仕方ないっ、ここは―――)
身体作用が間に合わないと踏んだ彼女の決断は一瞬にも満たない、迅速なものだった。
スッ
迫り来る蹴りの方へ左手を翳し―――
(氷の防壁をっ―――)
この距離ならギリギリ間に合う。そう確信したメイシェンだったが―――
ピキ、ピキッ・・・ピキッ
「―――なっ!?」
確かに左手から氷は生成されている、だが明らかにその錬成速度が―――
(―――ッ!?遅いっ!?)
直後―――
ドゴッ
「―――がはっ!?」
重たい衝撃が左のあばらに突き刺さった。
バキバキバキッ
同時に骨が折れた耳に入ってきた。
ドカッ
その場から数メートルほど飛ばされて倒れ込む。
「・・・ぐ・・がはっ」
左のあばらを押さえながら口から血を吐きだすと―――
ボロボロボロ・・・
口の中から次々と血に染まった歯が床に落ちていく。
その顔の左半分は変わり果てていた。
頬は陥没したようにへこんでおり、顎は明らかに歪んでいる。頬の皮膚も裂けていて顔の左半分は血に染まっている。
「・・・ぐあ゛・・がぁ・・がぁ・・」
顎が外れているのか、荒い呼吸をしているその声は酷く濁って聞こえてくる。
「・・・がぁ・・がぁ・・」
(―――ぐっ、肋骨が何本かやられてる・・・)
左腹部を押さえながら上体を起こして、呼吸を荒げながら正面にいる人物を睨みつける。
少年・世良拓弥は女を見下ろしていた。
女に叩き込んだ右拳の手首はダラリとあらぬ方向に曲がっており、左胸の傷口から大量に流れている血によって、その足元には血だまりができている。
「・・はぁ・・・はぁ・・」
呼吸は荒く、左手を膝に当ててなんとか立っているといった様子だ。
だが彼は確かに自分の両足でしっかりとそこに立っている。
「・・・な゛・・ぜ・・?」
メイシェンはそう声を出さずにはいられなかった。
「はぁ・・はぁ・・お前は“勘違い”を・・・してたんだよ・・」
「・・・がんぢが・・い?」
「そうだ・・・初めに言っておくが、・・俺はそこに転がっている『Gald』で加速系を流纏操作・・させてたわけじゃない・・・」
「―――ッ!?」
拓弥は女の背後にあるシルバーの柄を一瞥して言った。
「確かにお前のS2操者としての戦闘スキルは俺より格段に上だ・・・でもお前、イミテーションの知識はあまり持ち合わせていないようだな・・」
「・・・・」
「流纏操作を行うには第一条件として・・身に着ける形状のイミテーションでなければいけない・・・今お前がはめているそのグローブのようにな・・・」
流纏操作は身体や物体に第七感を作用させるもので、そのためには効率よく作用させ、正確にコントロールする必要があるので、指輪、グローブ、ブレスレットなどといった直接身に着ける形状のものでなければ意識が集中し辛く、操作が困難なので拳銃型や柄型などいったものでは不可能と言われている。
「あと・・・俺の蹴りを防ごうと錬成しようとした氷の錬成速度が急激に遅くなったのは・・ちょっとした“化学の応用”だ・・」
(・“化学の応用”だと?・・・―――まさかっ!?)
「・・・でんぎ・・ぶんがい・・」
「そうだ・・・魔氷の錬成操作に必要なのは空気中の水蒸気・・・だったら、水蒸気を電気分解してやれば、ほんの僅かな時間だが・・弊害を起こすことができる・・・」
(・・・そういう・・ことですか・・)
最初からこの少年の“真の目的”は、電流の塊を私に当てることではなく、私の周辺の空気中に漂っている水蒸気を電気分解することだったのだ。
水は電気によって水素と酸素に分解することが可能だ。広域に拡散した電流の塊が空間に放たれたら空気中の水蒸気が分解される。つまり、ほんの一瞬だが、魔氷の錬成操作に障害が起こる。この少年はそのほんのわずかな一瞬を狙って、文字通り無防備になった私に速攻をかましてきたというわけだ。
(・・・いや、しかし―――)
まだ大きな疑問がある。
あの少年は私の後ろに転がっている、ガルドとかいう柄型イミテーションで加速系を行使してるのではないと先ほど言った。現に彼は、アレが手元から離れても加速系を行使していた。私は身を持ってそれを体感した。
(・・・しかし、・・)
――ならばあの少年は、一体どこに他のイミテーションを隠し持っているのだ?
見る限り、彼が他にもイミテーションを身に着けているようには思えない。
衣服の中に隠して操作しているというのも考えられない。例え衣服の中に隠し持っているとしても、“それらしい動作”が確認できるはずだ。
だが、戦闘を始めてから、柄型のイミテーションを操作している以外、“それらしい動作”を私は一度も見ていない。だからあの柄で加速系を行使しているのだと思っていた。
(・・・一体どこにイミテーションを・・・)
スタ
ふらつきながら立ち上がって拓弥に視線を向けるメイシェン。
「――――ッ!?」
そしてその視線が彼の体の“ある一点”に釘付けになった。
「・・・ぞれ゛はいっだい・・?」
「ようやく・・・気づいたようだな・・・」
女が見ているのは、少年の左胸にある大きな傷口。
左の肺を引き裂かれ、流血しているその大きく開いた傷口の隙間から、本来人間の体にはないはずのものが見えてしまった。
本来そこには、心臓から肺へと繋がっている肺動脈と肺静脈があるはずだが、それらは見当たらなく、代わりに明らかに人工物と思われる管のようなものが見える。
「・・俺の体は・・少し普通と違うんだよ。」
呼吸を整えながら拓弥は口を開いた。
「・・・ま゛ざか・・・」
そこでメイシェンはようやく理解した。
そもそも左胸にあれだけの傷を負っているにも関わらず、まだ動けること、言葉を発していること、いや、生きてること自体がありえない。
考えられる理由は一つ―――
“何らかの機材”を体に埋め込んで、その補助を得て生命活動を行っている。
―――例えば、イミテーションのような―――
「俺はこの心臓によって、加速系を行使している・・・この臓器型イミテーション、『Core』によってな・・」
左手の親指で自身の胸の中央を指しながら少年は言った。




