第三十四話:二つの戦い
お待たせしました。
――午後6時半前、第一高校教室棟校舎2階――
「平和ボケ・・・確かにそうかもな」
頭から血を流し、もうすでに死んでいる男・魚尚日に言われた言葉を呟いて世良拓弥はそう感想を漏らした。
出血している男の頭を中心に廊下が徐々に赤く染まっていっている。
「でもあなたの行いは間違っている。武力で訴えたって何の解決にもならない・・・」
少年はすでに死んでいる男を見下ろすと、敵意のない口調でそう言った。
『・・・後は“奴ら”に任せよう・・・』
(さっき言ってた“奴ら”ってのは一体・・・)
死ぬ間際に男が言っていた言葉が引っかかる。
バチバチバチッ
「―――ッ!?」
すると突然、男の頭から青白い電流がけたたましい音を立てながら走りだすと全身へと広がっていく。
プス・・プス・・
同時に全身から煙が立ち、肉が焦げたような臭いが鼻につく。
「うっ・・・あの弾か・・」
吐き気をも感じさせるその異臭に思わず鼻と口元を手で押さえる。
男の頭の中にある、放電系を取り込んだ弾丸型のイミテーションによって頭を中心にして、体中が感電しているのだ。
ビク、ビクビクビク・・・
その衝撃ですでに死んでいるはずの男の体が痙攣しているかのように小刻みに動いている。体中を電気が流れているのだ、無理もない。
やがて放電系の内臓量が尽きたのか、電流が消えると、肉が黒く爛れた見るも無惨な死体が出来上がり、酷い臭いがその場にたち込めている。
「酷いな・・・こりゃ放電系が起動したら即死―――」
(―――ッ!・・・ちょっと待てよ・・)
その見るも無残な光景を目の当たりにした拓弥の頭の中をある思考が横切った。
(式はさっきこの弾で撃たれた・・・)
「・・・ヤバい、早く弾を取り除かないと―――」
あるいはもう手遅れになっているかもしれない。十分考えられる。彼はこの男より前からあの弾丸が体内に入っていたのだ。
いくら原石とはいえ、肉体の耐久性は基本的に生身の人間と変わらないはずだ。
急いでスマートフォンを取り出すと先ほど少年を連れていった同僚の少女に電話を掛ける。
「・・・央乃、早く出てくれ」
だか何度もコール音が続いても相手が電話に出る気配はない。
諦めてスマートフォンを仕舞うと、目の前にそびえ立ち、行先を塞いでいる巨大な氷壁に視線を向ける。
(・・・直接伝えに行った方が早いか・・)
するとズボンのベルトにつけている黒いホルダーからあるものを取り出し、右手に持つ。
機械じみたシルバーの棒状のそれはまるで刀剣の柄のようだ。
ジッ、ジリジリジリ―――ッ
するとその先から青白い電流が走り始めた。瞬時にそれが収束していき、一つに纏まっていくと長さ1メートル20センチほどの日本刀のような緩やかに反っている光の刃が形成された。
そしてその柄を両手で持ち力強く握ると―――
ピキッ、ビキビキッ
氷の壁に向けて垂直に突き刺した。
ジュッ、ジュワッ、シュー
大量の水蒸気が舞い、光の刃が分厚い氷の壁を溶かして貫通したが、壁は全く崩れる気配もない。
「・・・さすが央乃、『凝固系』で瞬時にこれだけのものを形成するなんて、俺には到底真似できないなっ」
グッ・・・
柄を握っている手に更に力を込めて円を描くように氷の壁を溶かしていき、人一人が通れそうな大きさの通過口が出来つつある。
「・・・あともう少し・・」
そう呟いた直後だった―――
―――ビュッ
「―――ッ!」
背後から何か気配を感じ、壁から光の刃を引き抜くと素早く振り返る。
ズバッ
そしてそのまま自分に向かってきた飛翔物を叩き切った。
ピキッ
光の刃によって一刀両断されたそれは背後の氷壁に突き刺さる。
「・・・氷の刃・・」
壁に刺さっているのは見るからに切れ味が良さそうな、30センチほどの湾曲した氷の刃だ。
「なかなかの反応ですね。さすがサオスのS2操者といったところでしょうか」
正面から聞こえてきた静かな女の声。
カツン、カツン、カツン・・・
ヒールの足音が廊下に響く。
「その青白い光の刃、豪雷の電雷系ですか。切れ味は申し分ないでしょうね」
現れたのはストレートの黒髪に半袖で足首のあたりまである白いチャイナドレスを身に纏った170センチほどの長身の女。後ろ髪を三つ編みで一つに纏めており、その長さは尻のあたりまである。年齢は20代後半くらいだろうか。スリットから覗かせるスッと伸びた長い脚にくびれのはっきりしたプロポーションはモデルをも思わせる。
(どう見たって学校関係者には見えないな・・・服装から察するに、中連人か・・・)
カツン、カツン、カツン
女は体中が爛れ、異臭を放っている魚日尚の遺体に歩み寄ると―――
「・・・ホント、無様ですね」
ガッ
「ッ!?」
ハイヒールでその頭を踏みつけ―――
ゴッ
その頭部をまるでボールを蹴るかのようにつま先で蹴った。
グシャッ
すでに脆くなっていた首が裂け、その頭部が正面にいる拓弥の方へとゴロゴロと転がってきた。
「―――ッ」
あまりの非道な行いに言葉を発することができない拓弥。
「まったく、これだから素人は当てになりません。ですがまぁ、捨て駒にしては役に立った方ですかね」
淡々とした口調で独り言のように呟く。
(・・・この女が“奴ら”のうちの一人なのか?・・・)
「そこの少年―――」
すると女が拓弥に声を掛けてきた。
「初めに言っておきます。そこでジッとしていてください。そうすれば何の危害も加えるつもりはありません」
(足止めか・・・)
「・・・はっ、よく言うね。ついさっき殺そうとしただろ?」
そう言って背後の壁に突き刺さっている氷の刃を一瞥する拓弥。
「君がどれくらいできるのか確かめてみただけです。その歳にしてはそこそこできるようですね」
「・・・そりゃどうも」
「あと数分で向こうの方も片付くでしょう。第七感の使えない原石とサオスの見習いの小娘など、姉さんの敵ではありませんから」
(・・・まずいな、他にも仲間がいるのか)
二人のことが気がかりだ。いくら央乃でも手負いの式を守りながら戦うことができるだろうか。
「尤も、もうすでにこの捨て駒のように生ゴミになっているかもしれませんが―――」
ゴミでも見るような目つきで男の亡骸を見下ろす女。
「・・・その人は仲間じゃなかったのか?」
「仲間?言ったでしょう、ただの“捨て駒”です」
感情の読めないような表情で女はそう言った。やや吊目の黒い瞳が真っ直ぐ拓弥を見据えている。
この女は人を殺すことに慣れている。
先ほどの男や、先日のテロリスト達とは違う雰囲気を感じさせる―――本物のS2操者だ。
拓弥はそう直感した。
「・・・・」
ジ、ジリジリジリ―――ッ
無言で光の刃を構える。
(できるだけ早く二人の方へ行きたいが―――)
「そう簡単に行かせてくれそうもないな・・・」
力を抜くように一度息を吐くとポツリと呟いた。
今は央乃を信じるしかない。恐らく自分は目の前の女の相手で手一杯になるだろう。
「そうですか・・・では仕方ありませんね」
ピキピキピキッ
突如、白いグローブをはめている女の両手から60センチほどの湾曲した氷の刃が生まれた。
「生ゴミになってもらいましょう」
―――同時刻、第一高校教室棟校舎一階近くの階段―――
「見ィーツケタ♪」
階段の中間地点から央乃と式を見下ろしているのは見た感じ20代半ばくらいの女。
まず目に付くのはその身に纏っている、太もものあたりまでしかない黒のチャイナドレス。どう見ても学校には場違いな恰好だ。黒い髪を左右二つの団子に纏めている身長170センチほどの長身にくびれのはっきりとした日本人離れの見事なプロポーション。丈の短いスリットから覗かせるスラッした長い脚に肩が剥き出しの恰好は些か露出度が高いと言っても過言ではないだろう。
突然現れた襲撃者に内心動揺を隠せない央乃。
その時だった―――
ヴー、ヴー、ヴー・・・
「―――ッ!?」
不意に、誰かからの着信だろうか。ポケットの中でスマートフォンのバイブレーダーが小刻みに振動している。
(・・・今は出られる状況なんかじゃないっ!)
手に汗握りながら緊迫した面持ちで女を警戒しながら一階の床にうつ伏せで倒れている式に視線を向ける。彼の背中には長さ15センチほどのメラメラと燃えたぎっている数本の炎の針が刺さっており、元々白だったカッターシャツの背中部分は血の赤に染まり、針の火が移って燃え始めている。
やがてしつこく鳴っていたバイブレーダーが止んだ瞬間―――
(―――今しかないっ!)
―――バッ
女が何もしてこないのを見計らって一気に階段を数歩飛び降りて一階の廊下に着地した。
同時に水色のブレスレットをつけた右手を床に叩きつける。
ピキピキピキ―――ッ
すると先ほど出現した巨大な氷の壁が瞬時に現れ、階段にいる女の行先を遮断した。
「・・・これで少しは時間を稼げるはず・・・」
そして急いで式の元へ駆け寄る。
彼の背中で燃えたぎっている炎の針に目を向ける。
「怪焔の発火系・・・これならっ」
右手を炎の針に向けてかざすと―――
ピキピキッ―――ジュッ、シュー
彼女の手の平から冷気が漂い、氷が少年の背中に張り付くように出現し、刺さっている炎の針を鎮火した。
「雅君っ!」
式を仰向けにさせ声を掛けるが―――
「・・・・・」
返事がない。目を閉じたままピクリとも動かない。
スッ
式の口元に耳を当てる。
「・・・スー・・・スー・・・」
微かだが呼吸をしている。
そっと首元に手を当てる。
・・トク、トク、トク・・・
脈もある。
(良かった・・・生きてる)
まだ死んでいないことを確認して一先ず安堵する央乃。
彼は運がいい。普通なら死んでいてもおかしくない。
「銃弾は肩で針は背中だったから致命傷にはならなかったんだ・・・でも―――」
このままでは危険だ。
銃弾による出血に合わせて先ほどの攻撃を受けてかなりの出血量に達している。
「・・・私のせいだ・・私が気を抜いていたから・・・」
序列第三位の彼を助けたことで、どこか優越感を感じていい気になっていた。
無力な彼を見下すような発言ばかりして完全に警戒を怠っていた。
あの時、彼が突き飛ばしていなかったら私も傷を負っていたに違いない。
「・・・最低だ、私・・・」
こんな人間がサオスのS2操者だなんて、日本支部の恥以外の何でもない。
「・・・でも、今は落ち込んでる場合じゃない・・とにかくここから離れて雅君を安全な所に連れて行かないと・・・」
意識を失っている式の背中に腕を回して肩を貸すような形で立たせる。
「ん、結構重い・・」
170センチほどの身長に中肉中背の体格の式。体に全く力の入ってない人間を担ぐのは実際やってみるとなかなか骨が折れるものだ。
ふと廊下の窓の外に視線を向ける。
日本の夏は日没が遅いため、夏を過ぎて秋に入ったこの時期もまだ空は真っ暗になっていない。だが夕焼け色の空が徐々に暗くなってきている。あともう少しで日没だ。
(もし私たちが校舎の外に出たら他の生徒たちが・・・・)
教室棟にはもう自分たち以外誰もいないだろう。しかし校舎の外にはまだ部活をしている生徒がいる。今自分たちが外に出てしまったら彼らに危害が加わる可能性が高い。
幸いなことに、文化部が使っている校舎は別の校舎で、運動部が使っているグラウンドや体育館もこの教室棟からは離れている。つまり自分たちが外に出なければ部活動中の生徒たちを巻き込まずに済む。
だがそれは逆に言うと、自分たちは外に出ることができない。この教室棟の中で身の安全を確保しなければならない。
(・・・どうすれば、一体どうすれば・・・)
頭の中で考えを巡らせているその時だった
ドゴォッ
「―――ッ!?」
突如、背後にある氷壁の向こうから聞こえてきた爆発音。
振り返ってみると―――
ピキッ、ピキピキッ
少しずつ氷壁に亀裂が入ってきている。
(・・・もう氷壁も長く持たない・・・)
ならどうする?また氷壁を張ってその隙にどこかに隠れる?
(―――ダメッ、逃げてもまたすぐに追いつかれちゃうっ!)
「・・・やっぱりこの状況を切り抜ける方法は一つ」
私があの女を倒すしかない。
(けど雅君を庇いながらあの女と戦うのは私の実力じゃ難しい・・・)
ドゴォッ
再び背後から聞こえてきた爆発音。
ピキッ、ピキピキピキ―――ッ
氷壁に更に亀裂が入り、全体に広がっている。恐らく次の衝撃にはもう耐えられない。
(考えなさい!何か考えなさい、央乃っ!)
自分にそう言い聞かすがこの逆境を打開できる案が浮かばない。
「・・・・」
ふと真横でぐったりとしている少年の横顔を見る。
今、彼を守れるのは私しかいない。でもこのままじゃ二人ともやられてしまう。
「・・・私は・・また誰も守れないの・・・?」
唇を噛み締めながら声を漏らしたその時だった。
ガラガラガラッ
「―――ッ!?」
突然、10メートルほど向こうの部屋の扉が開いた。
「何だかドンドンうるさいけど、工事でもやってるの―――って、明石さん・・・それに・・・雅君?」
扉から出てきたのは赤みのかかったブラウンのミディアムヘア、フリルのついた薄ピンクのブラウスに黒のロングスカートといった恰好の女性。
「・・・これは・・・一体どういうこと?」
血のついているボロボロのカッターシャツを着た、ぐったりとしている少年と彼を支えるように佇んでいる少女。そして彼らの背後にそそり立っている、亀裂の入った巨大な氷の壁。
その光景を見て理解が追いついていない様子の女性。
「・・・佐藤先生・・」
女性の名前を央乃はポツリと言った。
幸か不幸か、そこにいたのは2年1組の担任教師、佐藤めぐみだった。
―――ドゴォッ
ピキピキピキピキッ―――ドゴォーンッ!
氷の砕けた音と共に大小さまざまな大きさの氷の塊が吹き飛び、廊下に散らばる。
3度目の衝撃でとうとう氷壁は崩壊した。
ジュー
氷壁がなくなったことで熱を帯びた大量の水蒸気が階段の方から流れてくる。
カツン、カツン、カツン・・・
そして霧のようになっている水蒸気の中からヒールの音を鳴らして女が姿を現した。
「ンー?“悪魔チャン”何処ヤッタヨ?」
流暢とは言えない日本語で黒いチャイナドレスの女は正面にいる人物に声を掛ける。
10メートルほど向こうにいる、まるで自分のことを待ち構えていたかのように仁王立ちして佇んでいる少女に―――
「あなたの相手は私よ」
女を見据えて冷めた口調で返事する少女・央乃。
「小娘二用ナイヨ。早ク悪魔チャン差シ出セ。ソシタラ見逃シテヤルネ」
「いいからかかってきなさいよ―――オバサン」
吐き捨てるように言った。
「・・・今、何カ言ッタカ?」
その言葉を聞いて突如、表情が変わった女。やや吊目の黒い瞳が少女を睨む。
「聞こえなかったの?さすがにまだ難聴になるには早いでしょ。もう一度言ってあげる―――オ・バ・サ・ン」
明らかに相手を蔑むような口調で毒づく。
「オッケー、オマエ死人決定ェー♪」
ボオッ
女が両手にはめている黒いグローブから炎が出現すると細長い指と指の間に炎の針が形成された。両手合わせて8本の燃えたぎる針を構えて女は言い放った。
「灰二シテヤンヨ、小娘」
ピキピキッ
右手に冷気を漂わせながら薄ら笑いを浮かべて少女は言った。
「なら私は氷漬けにしてあげる」
ちょうど午後6時半を過ぎたその時だった。
第一高校教室棟で4人のS2操者による、二つの戦いが始まった。




