第三十二話:それは突然
人間誰しも得意不得意というものはある。
だが、どうやらそれは赤い悪魔、人間兵器、鬼童などと呼ばれ、人外の存在である彼にも当てはまるようだ。
「―――はい、じゃあ次の問題ね」
――傍線部①の内容を知った主人公の心情を次のア~エの中から一つ選択しなさい――
「・・・『ウ』ですね」
「う~ん、違います」
「なら『イ』ですね」
「・・・違います」
「・・・『ア』ですか?」
「・・・・」
「・・・『エ』ですか・・」
「そうです。答えは『エ』です」
「・・・佐藤先生」
「はい?」
「俺は馬鹿なんでしょうか?」
「ん~、古文と漢文はもう大丈夫だと思うんだけどね。評論は満点だったから元々問題ないだろうし」
「はぁ・・」
「雅君は小説が苦手なのかな?」
「どうやらそのようです」
9月12日、放課後、学年でただ一人、国語の試験で6割を取ることができなかった式は二年一組のクラスの担任でもあり、現代文担当の佐藤めぐみの補習授業をマンツーマンで受けている。
ほんわかとした優しそうな表情に赤みのかかったブラウンのミディアムヘア、フリルのついた薄いピンクのブラウスに黒のロングスカートと落ち着いた雰囲気の服装をしている、まだ20代半ばほどの若い女性教師だ。
「でもそれにしたって、雅君は呑み込みがとても早い方だと思うよ。古文と漢文をこの一時間ちょっとでここまで出来るようになるなんて、先生驚いているくらいだから」
「そうなんですか?」
「うん、優秀な生徒でも一から始めてこんな短時間で理解することはできないと思うよ。雅君は米国では学校に行ってなかったんだよね?」
「ええ、仕事漬けだったんで」
「・・・原石の人たちは共感覚が著しく発達しているって聞いたことあるけど、それも関係してるのかな?」
共感覚(synesthesia)とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。
「こういった学問全てに関係してるとは一概には言えませんが、俺の場合はどうやら理系科目には役立つようです」
「英語はもちろん、理系科目も全て満点だったよね?途中式も書かずに頭の中で計算できるなんてスゴイよね。先生なんて理系科目はからっきしダメだよ。一体頭の中でどういうふうに計算してるの?」
「なんて言うか・・・計算式を見たら自然と答えが浮かぶ・・・って感じでしょうか?」
「・・・あはははは・・・ゴメン、先生にはちょっと想像もつかないなぁ」
「そうですか。まぁそれが普通なんでしょうね」
「地歴公民もたったの一問ミスだったね」
「・・・そうだったんですか?」
「・・・試験結果、渡したよね?」
「クラスの女子たちに見せたらどっかにいってしまいました」
「・・・はぁ、まったくもう・・・あの子達ったら・・」
呆れたようにため息をつくめぐみ。
「別にいいですよ。補習でないなら問題ありませんから」
「う~ん、そういうわけにはいかないんだけど・・・まぁ、雅君はちょっと特別だからいっか♪」
「特別ですか・・・」
彼女の言葉を聞いて薄ら笑いを浮かべる。
「あ、ごめんなさい・・・不愉快に聞こえたかな・・?」
「あ・・いえ、こちらこそすみません。ただ、日本の人はよくオブラートに包む言い方をされるから、それがちょっとおかしくて・・別に怒ってるわけじゃないんで気にしないで下さい」
「・・・米国では皆、あなたのことを何て呼んでるの?」
「Freak、Monster、Devilなんてよく言われますね」
「・・・酷い・・」
「ちょっとした呼称みたいなものですよ」
「・・・そうなんだ・・」
「日本人は控え目な物言いをするとよく聞きますが、強ち間違ってはいないようですね」
「・・・雅君」
「はい?」
「確かにあなたは周りに恐怖を感じさせるような“大きな力”を持ってるのかもしれないけど、決して皆が皆、あなたのことを“そんなふう”に思ってるわけじゃないんだよ?先生はあなたの知能レベルが他の生徒たちと比べものにならないくらい高いなと思ったから『特別』って言ったの。心の奥底であなたを“そんなふう”に思っていてそれを隠すように言ったつもりはないんだよ?」
「・・・佐藤先生は俺が怖くないと?」
「・・・最初あなたがウチのクラスに転入してくるって聞いた時はちょっと戸惑ったかな・・・うん、正直怖かったかな。でもね、今はもうそんなことはないよ。あなたは“そういった力”を持ってること以外は他の生徒たちと何も変わらないって先生は思ってるから」
「・・・・」
「それは私だけじゃなくてクラスの皆もそうだと思うよ。皆も最初は戸惑っていたようだけど、もうあなたを怖がってる人なんてこのクラスにはいないと思ってる。寧ろ、みんなあなたと仲良くなりたがってるように先生には見えるよ?」
「・・・・」
「だから雅君も今は『序列第三位』としてではなくて、『第一高校の生徒』として学校生活を送っていけばいいんじゃないかな?確かに校内にはあなたのことを『序列第三位』として見る人もいるだろうけど、そんなの気にしなくていいんだよっ。あなたは紛れもなく第一高校の生徒で私の教え子なんだからっ♪」
「・・・二人目・・か」
「え?」
「あ、いや、すみません。何でもありません」
「なんかごめんねっ。分かったような口聞いちゃって・・・色々と難しいことがあるかもしれないけど、先生も雅君がなるべく早く学校生活に馴染めるように協力していくから、何か困ったことがあったらいつでも相談してね」
「・・・学校に行ってなかった俺には教師というものはよく分かりませんが、佐藤先生はきっといい教師なんでしょうね」
「え?そ、そんなことないよっ。生徒と真摯に向き合うのが教師の勤めなんだから。でもありがとう、そう言ってもらえると先生、なんだかすごく自信が湧いてきたっ!」
ニコリと優しい笑みを向けてくる。
「礼を言うのは俺の方です。今日は俺一人のために色々お手数をかけてしまってすみませんでした」
「いいのいいのっ!先生も雅君とは一度ゆっくりとお話してみたいって思ってたから――――っと、もうこんな時間だね。ごめんね、もう時間とっくに過ぎちゃってるし、最後の辺は補習授業じゃなくなっちゃったね」
「いえ、俺は大丈夫なんで」
「んー、雅君のこれからの課題はやっぱり小説だね。どうやら心情理解とかが結構苦手なようだね」
「・・・みたいですね」
「普通なら小説って他に比べて点が取りやすい方なんだけど・・・ん~、理解力は絶対あるはずなのになぁ~、何かいい手はないかなぁ・・」
頬杖をついて頭を悩ましている様子。
「・・・あの佐藤先生」
「ん?どうしたの?」
「そんなに俺一人のために労力を費やす必要はありませんよ。俺は大学受験を受けるわけでもないし、3か月後にはもうここにはいませんから。こんなことで先生の手を煩わせるのは心苦しいので」
「・・・つまり、雅君に一々取り合う必要はないってこと?」
「ええ、先生の仰ったように、小説以外は何とかなると思うんで、もう落第点の心配はないと思います。こんなことに取り合っても時間の浪費でしょうし、先生に一切益はありません」
「・・・雅君」
「はい?」
「・・・先生、ちょっとショック」
「・・・え?いや、あの・・・俺は先生に余計な負担をかけさせるのが悪いと思って―――――」
「・・・先生、なんか分かっちゃったかも・・・」
「え?何がですか?」
「雅君に心情理解の力がない理由」
「・・・え?それは一体―――?」
「もう・・・こうなったら・・・先生とことん雅君に尽くすからっ!」
「・・・え?どういう意味ですか?」
「とにかく!明日から雅君専用の教材を持ってくるね!」
「え?せ、“専用の教材”って―――――」
「じゃっ、今日はこれで終わるけど明日も頑張ろうねっ!ハイッ」
スッ
握手を求めるように手を差し伸べてきた。
「・・・は、はぁ」
その意図するところがよく理解できないが取りあえず握手を交わした。
時刻はすでに6時過ぎ。
帰り支度を済ませ、現在人気のない校舎の廊下を一人歩いて昇降口へ向かっている。
「はぁ・・・首痛て」
首筋を押さえながら声を漏らす。
いつもはこんなことはないのだが、今日はベットで起きた瞬間から痛みが走った。
「・・・さすがに聖光のダメージはもうないはず・・・だとしたら考えられるのは・・・」
首を寝違えたのだろう。だがいつもはそんなことはない。いつもと違っていたことといえば・・・
「・・・ったく、綾のヤツ・・」
―――今朝のこと―――
『お兄ちゃん起きて。もう時間だよ?』
『ん゛~・・・』
首を押さえながら上体を起こし、うなり声をあげる。
『どうしたの、お兄ちゃん?』
その様子を見て首を傾げる少女。
『いや・・・なんか、首痛い・・』
『・・そ、そうなんだっ・・・ね、寝違えたんじゃないの?』
『ん~、いつもはそんなことないんだけどなぁ』
『た、たまにはあるよ、誰だって!』
やけに落ち着きのない様子。
『・・・お前、何かしたか?』
『―――ッ!?ひ、ひどいなぁ、お兄ちゃん。私がそんなことするわけないじゃんっ!』
プイッと顔を逸らされた。だがどこか様子がおかしい。
(・・・怪しい)
『・・・やっぱり二人は寝辛い。一人の方がいい』
『ハ、ハァッ!?何言ってんのお兄ちゃん!?それはの二人で寝たこととカンケ―ないじゃんっ!』
『今日からは一人で寝ろよ。もうガキじゃあるまいし』
『・・・やだ・・』
『は?』
『ヤダヤダヤダヤダヤダー!!』
大声をあげてわめきだした。
『あー、朝っぱらからうるさいヤツ・・・やっぱお前ガキだ』
『じゃあ今日も一緒に寝てくれるよね?“ガキ”なんだから♪』
にぱぁと笑みを浮かべるが―――
『―――断わる』
(開き直っても無駄だ)
『・・・うぅ・・・』
途端、その表情が急変し―――
『ウギャーッ!!アーッ!!ギャー!!』
もうなんか、軽くヒステリックを起こしている。
(あー、頭まで痛くなってきた・・・)
困った妹に頭を抱えていると――――
『どうしたのっ、式君っ!?』
バンッ
『『―――ッ!?』』
勢いよく部屋のドアが開いた。
何かあったときのために隣の住人でもあり、補佐でもある“彼女”には家のカードキーを渡してある。
彼女は毎日この時間帯に彼を起こしに来ている。
そしてそれは今日も同じだった。
ただ、二点ほどいつもと違ったことが―――
一つは毎日布団を引っ剥がさなければ起きないはずの彼がすでに目覚めていたこと。
そしてもう一つ―――――
少年と一緒にベットの上にいる、露出度の高いキャミソールパジャマ姿の少女。
まるで今まで二人の男女が同じべットで寝ていたかのような光景がそこには広がっていた。
『・・・結理さん・・・おはようございます・・・』
『・・・おはよう式君。インターホン押しても綾ちゃんが出てこないから勝手にお邪魔したらいきなり叫び声が聞こえたから来てみれば・・・これはどういうことかしら?』
『あの、これはですね――――』
『うっ・・・うぅ・・結理さん・・・お兄ちゃんが、お兄ちゃんが・・・』
先ほどまでわめいていた綾が急に涙声で顔に手を当て、もう片方の手を自らの胸元を隠すように当てている。
まるで、今まで“何かされていた”かのように。
『・・・・』
だが少女の隣にいた彼は確かに見た。
手で顔を隠している彼女がチラリとこちらを見てペロリと舌を出して、してやったりといったような笑みを浮かべたのを―――
『・・・式君』
『・・・はい?』
『とりあえず、一発殴っていいかな?』
彼女はニコッと笑って言った。
「あの人、絶対昨日俺を殴ったこと覚えてなかったな・・・なんて都合のいい人なんだ」
無理やり付き合わせたあげく、暴力まで働いておいて、次の朝にはけろりとしてやがった。余程体内のアルコール分解速度が速いのだろう。
(ったく、飲むだけ飲んどいて・・・いい迷惑だ。あの飲みっぷりはアリスに匹敵するかもしれないな)
「酒なんて・・・あんなもの、一口飲んだだけで頭がおかしくなる」
「酒がどうしたって、雅?」
「―――ッ?」
急に後ろから誰かに声をかけられた。
振ら返ると10メートルほど先に黒いスーツを着た一人の男が立っている。
「まさか、その歳で飲酒してるんじゃないだろうな?アメリカは21歳からだろ?」
(・・・たしか、この人は・・・)
2年1組の数学の授業を担当している男性教師だ。
30代後半ほどの見た目に中肉中背の体格、身長は式より少し高いだろうか。
「えっと―――」
(名前分かんねぇ・・・)
「おいおい、まさか俺の名前分からないとか言うんじゃないだろうな?」
「・・・すみません」
「はぁー、まったく・・・ま、もう知る必要もないか」
「え?」
数学教師は胸ポケットから“それ”を取り出して言った。
「お前、死ぬんだから―――」
パンッ!
直後、廊下に銃声が鳴り響いた。




