第十四話:怖い女たち
誰か教えてくれ・・・俺が一体何をしたんだ・・・・
「・・・なぁ綾、重いんだけ―――ぐはっ!」
―――ドカッ
鳩尾を思いきり殴られた。
「今、ひょっとして“重い”って言ったの?お兄ちゃん?」
ニコッと笑いかけてきた綾。しかしその目は笑っていない。
「・・・・いえ、言ってません」
現在、リビングの床に仰向けに倒れている俺とその上に馬乗りになっている綾。
体育館で眠りに就いた後、1時間ほどすると目が覚めたのだが、まだ体が完全に回復していなかったのでもう少し休めと結理さんに勧められたが、これ以上つき合わすのは悪いので動かしづらい体に鞭打って帰ることにした。
マンションに着くまでは良かった。
「・・・式君、辛かったら座っていてもいいのよ?」
「・・・いえ、大丈夫です・・」
最上階に向かっているエレベータ内、最上階に着けば自宅まですぐなのだがなんせ50階建の高層マンションだ。最上階まではそれなりに時間がかかるわけで、体調の優れない式にとってはその間立ちっぱなしの状態は決して楽ではないのだが、エレベーターの中でいい年した17歳が屈んでいる姿は想像しただけでも情けないわけで―――
(・・・座りたいけど・・・座れない・・)
そんなジレンマにかられていた。
―――チンッ
どうやらやっと最上階に着いたようだ。
「ほら、肩貸すから」
「・・・すみません」
結理の肩に手を回し、支えてもらいながら歩く。
(端から見たらただの酔っ払いだな・・・・)
「周りの目が気になるの?」
結理がたずねてきた。
「ええ・・・まぁ」
「安心して、その心配はないわ。この階は私たち以外誰も住んでいないから」
「・・・そうだったんです――――かっ!?」
グラッ
言いかけた途中で足元がもつれ、そのままバランスを崩す。
「ッ!式君、あぶな――キャッ!」
―――ドカッ・・・
それに巻き込まれ、自らもバランスを崩し、床に倒れた結理。
「痛ててて・・・結理さん、大丈夫ですか?」
「ん~・・・なんとか―――ねっ!?」
頭を押さえながら目を開けた結理の返事の語尾が跳ね上がる。
今の状況を簡潔に伝えると、二人は重なり合っていた。
式が結理の下に仰向けに倒れていて、上の結理がうつ伏せで式に覆いかぶさっている状態だ。二人の体は密着していた。
そして目を開けた結理の目の前には式の顔があった。その距離はたった2センチほど。
端から見たらフロアに寝転がって抱き合い、今からキスをしようとしている男女に見えてしまっても仕方がないだろう。
「―――んあっ///」
突如、ある部分がなんとも言えない快感を感じ、声を漏らす結理。
恐る恐るその方へ視線を向けると―――
ムニュ・・・
式の胸板にかぶさっている彼女の右胸が彼の右手によって鷲掴みされていた。
「・・・・あの・・もちろん不可抗力ですよ?」
目の前で口を開ける式。
その吐息が耳にかかってこそばゆい。
「・・・わかってる・・・ごめんね、今すぐ退くか―――――」
顔を上げ、式の上から退こうとしていた結理の声が途切れた。なぜか顔をあげたまま固まっている。
「ん?どうしたんですか、結理さ――――」
そう言い、結理が視線を向けている方へ首をひねりながら疑問を呟いた式の言葉も途切れた。
未だ重なり合っている二人が向けた視線の先には―――
「2人とも―――ぬぁ~にしてるのかなぁ~?」
ゴオォ―――ッ
鬼と化したツインテールの少女が仁王立ちしていた。
それからはあっという間の展開だった。
綾が俺たちの方へズンズンと歩いてきて俺の手首をガチリと掴むと、そのまま俺は引きずられ帰宅することになった。
リビングに入るまで引きずられ、リビングに入り、やっと俺の手首を離したかと思うと勢いよく馬乗り、両手首をホールドされ現在に至る。
「・・・・それで、結理さんにひ・ざ・ま・く・ら・してもらって、さっきはロビーでこけて“あんなこと”になったって言うの?お兄ちゃん?」
「ああ」
これまでの経緯を正直に話したのだが、未だ表情を変えない綾。
「・・・ホントにそ・れ・だ・け?」
いつもより明らかに低い声で再度たずね、式を見つめている綾。
「それだけだよ」
(他に何すんだよ・・・)
「・・・・そっか!それなら許してあげるっ♪」
ニコッと笑みを浮かべ、いつもの表情に戻った綾。
(ふう・・・助かった・・)
目を伏せ、安堵のため息をついた瞬間だった。
―――ちゅ
「―――ッ!?」
突然、何か柔らかくて温かいものに唇を塞がれた。目を見開くと綾の顔がそこにはあった。
あの誕生日の日以来になるか、また唇を奪われてしまった。
「えへへへ・・・///」
ゆっくりと唇を離し、顔を赤くしながらも満面の笑みを浮かべている。
可愛らしい声を出し、恥ずかしそうな表情をしている。
そのとき――――
二ィ・・・
一瞬だったが、その目がいつもの妹とは違う目になり、口元がつり上がったのを式は確かに見た。
その表情が、ある人物のそれと無意識に重なった。
「・・・なに唇奪ってんだ?」
「今日助けてくれたお礼だよ♪来てくれるって信じてたよ、お兄ちゃん」
―――ピタ
そういうと式の胸板に手のひらを添え、頬を摺り寄せ始めた。
「今日ね・・・久しぶりに“赤いお兄ちゃん”を見てわたし・・・興奮しちゃったの。お兄ちゃんのあの瞳を見たら体中がドキドキして仕方がなかった・・・・お兄ちゃんはどんなときでもわたしを助けてくれる、わたしの・・・・“わたしだけ”の王子様なんだと思ったら・・・もう我慢ができなかったの・・・」
熱の籠った声で語りだした綾。
「・・・まぁ、お前が無事でよかったよ」
(“王子様”、ねぇ・・・そう見えたのはお前だけだろう)
「それで今日はお兄ちゃんにい~ぱっいお礼をしようと思ってドアの前で待ってたのに・・・・結理さんと“あんなこと”して・・・あんなことしていいのはわたしだけなのに・・・」
頬を膨らませ、何か言いたそうな顔で見つめてくる。
「・・・あれは事故だ。それに綾、お前だって分かってるだろ?俺が他人に無関心な性格なことくらい」
「分かってるけど・・・・」
分かっているがわたしには気がかりがあった。
今日、兄が体育館で結理さんに言った言葉が蘇る。
『結理さん、俺はあなたのことが嫌いじゃない―――』
他人に興味を持たない兄が本人の前で“あんなこと”を言ったのだ。今までずっと兄の傍にいたが、そんな本音を兄が他人に対して言ったのは初めて聞いた。それはわたしにとって衝撃だった。
そしてさきほどの廊下での二人の様子――――――
兄は今までどんな状況でも他人の力を借りることなど一切なかった。その“絶対的な力”で全て一人でやってのけてきた。
そんな兄が易々と彼女の肩に手を回し、支えてもらいながら並んで歩いていた。
その様子を見ていたわたしの頭の中に、ある可能性が芽生えた。
――――兄は彼女に心を開き始めているのかもしれない―――
化物と恐れられ、その存在に周囲の人間が気圧される中、彼女はそんなことを気にせず兄に対して真正面から向かい合い、“普通の人間”として接している。
もしかしたら、兄の中で結理さんは“興味のない対象”ではなくなってきているのかもしれない。
だとしたらそれはわたしとってはまずい事態だ。
兄が心を開く相手はわたしだけでいいのだ。
わたしだけが彼と交われるのだ。他の女に付け入る隙など与えない。
「なぁ綾、今日はマジで疲れてるからそろそろ退いて欲しいんだけど・・・・」
「―――ッ」
兄の声で意識が頭の中から現実に戻される。
確かに疲れているようだ。無理もない。本来はあまり使わない“コード”を使ったのだから。
―――私のためだけに―――
(ンフフフッ)
そう思うと言葉にならない優越感を感じる。
「あっ、そうだよね。ごめんねっ」
―――スッ
名残惜しさを感じながらも兄の上から退く。
「うぅ・・・」
わたしが退くとゆっくりと上体を起こし、力なくソファに寄り掛かる兄。いつもの凛とした様子とは違って思わず抱きしめたくなるような弱々しいその姿―――
(コレはこれで・・・・そそるよ、お兄ちゃん)
―――ズルッ
その姿を凝視していたわたしは自分でも気づかないうちに舌なめずりしていた。
ピロピロピロピロ―――ッ
―――深夜2時過ぎ、突如着信の電話が鳴り響いた。
「ん~、うるせぇ・・・」
手探りでスマートフォンを見つけ、液晶画面に映る発信者の名前を見てため息をついた。
「・・・絶対わざとだ・・・」
俺が寝た時間を見計らって電話をかけてきたに違いない。
「・・・出たくないな・・・」
だがアレでも一応上司だ。さすがに無視するわけにもいかず―――
「・・・今こっちは何時だと思ってるんだ?嫌がらせの電話ならかけてくるな」
開口一番、言いたいことを言ってやった。
『冷たいのね。こっちはあなたに会えない寂しさに気づいて欲しくてこうやって“わざと”こんな時間に電話してるのに』
とてもそんな様子を感じられない口調で話す電話の相手。
(開き直りやがった・・・)
「・・・どっちにしろ迷惑だ。電話を掛けるなら俺の起きてる時間にかけろ。どうせ衛星で監視してるんだからそのくらい分かるだろ?」
『あら、気づいていたの?』
大して驚いていない様子で言う女。
「俺が国外にいるんだ。お前ならそのくらいするだろ―――アリス」
『フフフ、さすがシキだわ。私のことをよく分かってる♪』
式の上官、アリス・ローランドは言った。
(だから開き直るなって・・・)
「で、今日はなんの用だ?」
『婚約者に電話をかけるのに要件なんて必要なの?』
からかったような口調で話すアリス。
「いつからお前が俺の婚約者になった?バカも休み休み言え」
『・・・まぁ、今はその話はいいわ。それより任務おつかれ様♪さすが我らが本部の誇る原石ね。これで日本側にも感づかれずにサンプルを回収することができたわ。今回はあなたの真骨頂を発揮するまでもなかったわね。でも欲を言えば公然で『空間支配』の使用は控えてほしかったわ。あれは本部が秘匿しているあなたの特異コードの一つなのよ。今回は日本だったから良かったけどロシア支部の連中に知れたら色々と面倒なことになるわ』
「そんなこと言ったらどれも使えないだろ。それに今回は人質がいたから俺としても仕方なくアレを使ったんだ」
『―――それだけじゃない、アレはあなたの体に大きな負担がかかる。お願いだからあまり使わないで・・・あなたにもしものことがあったら、私・・・・』
「・・・・・」
『どうかしら?今の言葉?私の愛が心に響いた?』
ケラケラと笑い声が聞こえてくる。
「・・・切るぞ」
『待って!待って!お願い、待って!ちょっとした悪ふざけじゃない。それに私の気持ちは本物よ』
「・・・で、要件は?」
『もうっ!照れちゃって、可愛いんだからっ♥じゃあついでに仕事の話を始めるわ』
(いや、逆だろ・・・)
『今回、軍で開発されたイミテーションのサンプルを盗んだのはあなたの情報通り、元アメリカ陸軍中佐のマイルズ・ロッグという男とその部下数名だったわ。彼がサンプルの研究に携わっていたみたいで、サンプルが完成してすぐに軍を退役。どうやらそれをテロリスト共に売った金で遊んで暮らそうっていう魂胆だったんしょう。アメリカ国民の風上にも置けないクソ野郎ね』
「・・・それで、そいつはどうなった?」
『ウチのナンバー5が制裁を与えたわ』
「そっか」
『まぁ正直、気持ちも分からなくはないわ。今の時代、戦争するなら世話代のかかる兵隊や一般兵器なんかより私たち人間兵器を使った方がコストも低くて安上がりでしょ?軍のすることといえば、現地までの送迎や私たちの愚痴を言うことくらいしかないのよ。もうあれから8年経つけど、世界の主戦力は第七感に変わりつつあるわ。そうなると国はサオスに流す金を増やし、使い道のなくなってくる軍はその分、軍備を縮小せざる負えなくなる。そうなってくると将来が不安になってくる軍人が国家に反旗を翻すようになる―――今回はその典型的な実例ね』
「まぁ俺にはどうでもいい話だ。アメリカがどうなろうと構わない」
『悲しいこといわないの。あなたは私たちの大切な仲間なのよ。そして私のかけがえのない大切な人―――あなたがいてくれたから私はこうして胸を張って生きていられるの。それを忘れないで』
「相変わらずお前は優しいな。俺にはそんな生き方はできない」
『そんなことないわ。あなたは私に希望をくれた。それにあなた本人に自覚はないでしょうけど、あなたはなんだかんだ言って多くの人たちを救ってきたわ。今回もそうでしょ?』
「任務だから結果的にそうなっただけだ」
そう、任務でなかったら俺は綾だけを助けていただろう。
『―――でもそういえば、その度にたくさんの女を引っかけてきたわよね?今回もそうなの?』
突然、女の声色が変わった。
「・・・話変わってないか・・・?」
『どうなの?』
「そんなことはない」
『・・・ホントかしら?もし嘘ついてたら、その股下にぶら下がってるcock―――すり潰すわよ』
―――ビクッ
(・・・この雰囲気、アイツにそっくりだ)
「・・・俺はお前が綾と同じくらい怖い」
この女は俺にとって色んな意味で天敵だ。
『アヤ?・・・ああ、あなたにベッタリなあのクソ生意気な貧乳娘のコト?』
そして綾にとってもこの女は天敵のようだ。
昔からあの二人は犬猿の仲なのだ。
『あの娘に伝えておいて頂戴。次に会う時までにはそのペッタぺタの乳をCカップくらいにはしておきなさいって』
(いや、それ完全に俺が殺される・・・)
『・・・シキ、今日あなたの体の自由が効かないことをいいことに、もしかしてあの貧乳娘が襲って来たりしなかったでしょうね?』
「・・・・・・・・・・・・」
思い当たる節がありすぎる。
『・・・・わかった、今度あったときに殺しておくわ。そうしたら私たちの邪魔をするものはいなくなるわ』
「いや、さすがに妹を殺されるのは兄として阻止したいんだが・・・・・・」
「なに?愛する女よりあのクソ生意気な娘を取るつもり?」
(あぁ~、めんどくさい)
『・・・まぁいいわ、あなたも疲れてるでしょうから今日はこのくらいにしておくわ。私はあなたの狂った妹さんと違って、弱ってる男を食らおうとするなんて下品なことはしない、純情な女だから』
(・・よく言う・・・)
「ならもう切るぞ」
『待って、最後に伝えておくことがあるわ』
(まだあんのかよぉ~)
「・・・なんだよ?」
『最近仕事ばかりで疲れているだろうと思ってあなたに休暇を入れておいたわ。8年ぶりの故郷で少しの間ゆっくり休んで頂戴。あなたと会えないのは胸が引き裂かれそうなくらい辛いけど、これも花嫁修業の一環だと思って耐え凌いでみせるわ。じゃあおやすみなさい―――――愛してる』
プツリと電話が切れた。
「・・・・嵐のような女だな」
アリス・ローランド―――嵐のように突然現れ、過ぎ去っていった。