第十二話:虚無の境地
「―――待たせたな」
辺りには紫色の空が見渡す限り広がっており、足元は黒く光る大理石のような地面が永遠と広がっている。
とても不気味な場所だ。
「どうした?随分顔色が悪そうに見えるぞ」
それが当然と分かっているような口調で言う式。
「・・・・ここは・・どこだ?」
何とか立っている状態を保ちながら、衰弱しきった様子で式を睨む男、パク・イギョン。
「簡単に言えば、人間にとって地獄のような場所だ。今お前もそれを身を以て体感してるだろう?」
「・・・貴様・・一体何者だ!?」
「8年前、お前たちの祖国を滅ぼした人間兵器の内の一人だ」
「―――ッ!」
(このガキが―――ッ!)
その言葉だけで頭の中は怒りの感情で支配された。
―――バッ
途端、男は次の行動に移った。
「死ねっ――――!」
ガチャッ
シルバーの拳銃型のイミテーションを取り出し、それを式に向け、引き金を引いた。
ジッ、ジジジ―――ッ
すると銃口部に青白いエネルギー体のようなものが音を立てながら球体状に収束していき―――
ヴァ―――ンッ!
少年に向けて放たれた。
ドゴォ―――ッ
青白い閃光が着弾した瞬間、爆音が響き、着弾点の地面には巨大なクレータが出来ていた。先ほどまでそこに立っていた少年の姿は、跡形もない。
「はははっ!肉片すら残ってないぞっ!」
(アメリカ軍で極秘裏に開発されていたこのイミテーションの一撃を食らって生きているはずがない!今の一撃は落雷の速度にほぼ等しい。避けきれるわけがない!)
―――ガッ、バタ・・・
あまりの歓喜にイミテーションを放り投げ、もう動く力もなく、その場に倒れ込む。
当初の目的とはかけ離れてしまったが、母国を滅ぼしたあの忌まわしい人間兵器を殺せたので十分だ。おそらく自分はこのまま、この地獄のような場所で体力を蝕まれながら死ぬのだろうがそれも本望だ。
そう思い、目を瞑ろうとした瞬間だった―――
『なに一人で勝手に終わった気になってんだ?』
「―――ッ!?」
反響したような声が耳に入ってきた。
(まさか!?)
ハッと起き上がり辺りを見回すがどこにも姿が見えない。
スゥ―――ッ
「―――なっ・・・!?」
すると自分の寝転がっていた黒い地面が液体のように波紋をつくり、そこから現れてきた。
「よぉ、テロリスト」
―――赤い瞳の化物が―――
「な、なぜだ・・・なぜ・・・生きてるっ!?」
少年は平然と目の前に立ち、こちらを見下ろしている。
「こんなもので俺を殺せるとでも思ったのか?」
―――カチャ・・・
そう言って拾ったのは、先ほど投げ捨てた拳銃型のイミテーション。
「『雷電系』のコードを使ったスパーク砲といったところか・・・・サンプルにしたって軍の連中もよくこんな一発しか使えないガラクタを考えついたな。本部の技術者の方がまだマシなものを作るぞ」
ブツブツと呟く式。
「・・・くぅっ・・・!」
その様子を絶望した表情でただ見ることしかできない。もう満足に体を動かすこともできない。
「こ、殺せ・・・」
力を振り絞り言った。希望を失った今、苦しみながら死を迎えるくらいなら今すぐ殺された方がマシだと諦めた。
だが―――
「俺が手にかける必要もない。お前は今から食われるんだよ、アイツに―――」
そう言い、ある方向を指さす式。
「・・何を・・言って・・・」
男がその方へ視線を向けると―――
「―――ッ!」
その姿を見て思わず声にならない悲鳴をあげた。
―――ソレはいた―――
赤いワンピースを着た、まだ8歳くらいの幼い銀髪の少女。
こちらを見ているその目は赤く光っている。
そう、目の前にいるこの化物と同じように―――
まるで西洋人形のような恐ろしいほど美しい容姿がその不気味さを際立たせる。体中に身の毛がよだつ禍々しさが伝わってきて震えが止まらない。
そのおぞましさはこの世のものの比ではない。まるでこの不気味な場所の象徴とも言える。
アレに食われるなんて自分の精神が持たない。
「俺もそろそろ限界だ。じゃ、そういうわけだから、あとは好きにしていいぞ」
カツカツカツ・・・
そう言って少年はどこかに向かって歩いていく。
「ま、待ってくれっ!今すぐ殺してくれ!頼む!」
その後ろ姿を見て男は思わず叫んだ。
あんなものと一緒に、この不気味な場所に取り残されるなんて耐えられない。
「―――あ、そうだ・・・聞き忘れてたことがある。それに答えたら助けてやるよ」
少年は立ち止まって振り返るとそう言った。
「―――な、なんだっ!?」
「このサンプルはどこで手に入れた?」
パクには黙秘する余裕などなく、即座に答える。
「・・・元アメリカ兵の男から買い取った・・・名前はマイルズ・ロッグと言っていた・・・」
「・・・そうか、Thank you」
カツカツカツ・・・
少年は再び歩き出した。
「―――お、おいっ!約束が違うぞっ!頼む!助けてくれっ!ここに置いていかないでくれ!」
スウッ―――
そんな叫びもむなしく、彼は闇の中へ消えて行った。
「があぁ・・・」
もはや言葉が出てこない。
ゾオォ―――
「―――ッ!」
途端、背後に何かいるのを感じた。
「・・・・」
ゆっくり振り向くと―――
「―――キシッ、食べていい?」
ソレがいた。
「――――――」
直後、パク・イギョンの声は途絶えた。
閑散とした体育館内。
バチッ、バチバチバチ―――ッ
そこのある空間にいきなり赤い火花が散り、空間が歪み始め、黒い闇が現れる。
―――バッ
少年・雅式はそこから出てきた。
だが―――
「ッ!くっ・・・」
―――バタッ
そこから数歩歩いた途端、膝をつき、うつ伏せでその場に崩れ落ちた。その瞳はいつもの黒に戻っている。
(・・少し、長居し過ぎたか・・・・)
―――虚無の境地―――
あそこは人間が生きていける場所ではない。あそこに入った生物は命を吸われ、あの場所の一部にされてしまう。
そしてなにより、あそこにはアイツがいる。普通の人間が生きて帰ってこられる可能性は皆無だ。
俺だけは例外でこちらの世界と行き来が可能だが、その分、通行料を支払うことになり、体にかかる負担は大きくなる。
(当分、あそこに行くのは控えるか・・・・)
体を動かそうとするが指を動かすだけで精一杯だ。
(・・・・今日は・・ここで寝るか)
ある程度時間が経てば回復するから帰路につくこともできるが、今日はアレを使ったので急激な眠気が襲ってきた。
(・・・・寝るか)
そう思い、目を閉じようとした瞬間だった。
カツン、カツン・・・・
体育館の床を叩く、足音が聞こえてくる。
音はだんだんこちらに近づいてくる。
そして倒れている式の前で音は聞こえなくなった。
(・・・誰だ・・?)
自由の効かない体に鞭を打って顔をゆっくりあげ、目の前にいる人物を見上げる。
その人物は腰に手を当て、まっすぐ俺を見ていた。
「・・・なんだ・・・結理さんか・・」
式の補佐官である工藤結理だった。
「“なんだ”とは何ですか?失礼ですね」
「・・・す、すみませ・・ん・・」
口の中が麻痺して上手くしゃべれない。
「それにしても、無様ですね。すぐに終わらせるのではなかったのですか?もうあれから3時間経ちましたよ」
(こっちは3時間か・・・)
虚無の境地とこちらの世界ではタイムラグが生じ、こちらの世界の方が時間経過が早い。だがどうやら今回はそれがやけに激しかった。考えられる要因としては・・・・
(異物、か・・・・)
あの男を連れ込んでしまったせいで、どうやらずれが激しくなってしまったらしい。もともとあそこは“こちらの世界のもの”が存在していい場所ではない。
(・・・次からは気をつけよう・・)
「・・・聞いていますか?」
そこで結理の声で思考を中断する。
「・・・はい・・・聞いて・・ましゅ・・」
語尾がおかしくなってしまった。
「・・・まぁいいです。さぁ帰りましょう」
そう言い微笑みかけると片膝をつき、手を差し伸べてくる結理。
―――グッ・・・
その手を取ろうとしてみるが手を上げるので精一杯だ。
その様子をただ見ている結理。
「・・・・すみません・・・まだ・・・体の自由が効かないんで・・・先に帰ってて下さい・・・」
上げていた手を力なく落とし、帰宅を勧める式。
「・・・・」
黙って式を見ている結理。
―――カパ
「・・・?」
するとその場でハイヒールを脱ぎ始めると、結理は床に足を崩した。
―――スッ
そして、式の体を仰向けにさせ、彼の頭を自分の太ももの上にそっと乗せた。
「・・・なに・・やって・・・・るんですか?」
「ん?膝枕だけど?」
いつもの口調に戻った結理。
「・・なんで・・ひざまくら・・・してるん・・ですか?」
「なに?私の膝枕じゃ不満だって言うの?」
ズイっと顔を覗き込んできた。ウェーブのかかった髪が顔に当たり、少しこそばゆい。
「・・・そんなこと・・ないです・・」
やわらかい肌の感触と体温が後頭部から伝わってくる。
「ならいいじゃないっ。私のことは気にしなくていいから式君は休んでなさい」
ニコリと笑いかけ、こちらを見てくる。
(・・・大人しく従うか・・)
体の疲れと眠気に襲われ、もう言い合う気も起きない。
「・・・なら・・お言葉に甘えて・・・」
最後にそう言って眠りに落ちた。
「スー、スー、・・・・・」
「よっぽど疲れたのね・・・」
太ももの上で、静かな寝息を立てて眠っている少年。
(ンフフ、かわいい寝顔・・・私じゃなかったら、襲われてるわよ?)
―――スッ・・・
少年の頬にそっと手を当てる。
「・・・・」
こんな無防備な彼を自分一人が独占してるのだと思うと、体の奥底から熱く、ドロドロとしたものが湧き出てきそうになる。
自分も彼の妹や自分の妹のように彼に魅せられてしまったのかもしれない。
もっと彼を感じたい、彼に近づきたい。
そんな欲が芽生え始めそうになり、女としての自分がいることに気がつき、彼の頬から手を離す。
(・・・・危なかった・・)
この子は色んな意味で危険だ。
無意識に異性を惹きつけてしまうその容姿と独特の雰囲気。
(まぁ、今はそっちはいいとして・・・)
今日の件で分かった気がした。
雅式、この子は異質だ。
その顔を見つめながら、4時間前のことを思い返した。