終
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エピローグ
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「それから、その香りに包まれながら考え始めた。帰途についても今まで何も考えなかった時間のすべてを埋め合わせるように考え続けた。考え、今まで調べつくした知識を織り合わせ、考え、それこそ初めて、というのかな。クローンという『人間』について考え続けた。」
一口、高道は紅茶をすすった。
そして、一呼吸置いてから苦笑し、付け足す。
「そして、書き出したんだ。――ほら。言ったとおり、本当に長かっただろう?」
「いえ。………納得しました。あの数々の本すべてに共通しているように思えた何かが、やっと分かりましたよ。」
「今も、そうなんだろうがね。俺は馬鹿で、愚かで、小さい人間でしかなかったんだよ。」
「…?『俺』、ですか?」
「ん……ああ。当時の話をするとどうにもね。癖が、抜けないんだ。」
黒い皮製のソファーにふわりと高道は背を預けた。
そして、思い出したように身を乗り出す。
「このタルトは絶品なんだ。ぜひ、食べてみてくれ。」
そういうなり、高道は自分の前にあるタルトにフォークをいれ、口に運ぶ。
部屋には、タルトと紅茶が混ざった陶然とする香りが漂っている。
――とはいえ、俺、甘いもの苦手なんだけどな。
「いただきます。」
一つ生唾を飲み込み覚悟を決めて、赤彦は頷いてから高道に習うようにタルトを口に放り込む。
「おいしい、です。正直、甘いものは敬遠しがちなんですがこれならいくらでも…このタルトは…まさかラ・クルゥセ・トマリの…?」
赤彦が口にタルトを運ぶなり、高道は二マリと、悪戯を成功させた子供のような無邪気で残酷な笑みを浮かべた。
「どうなさったんですか?」
「そう、これはラ・クルゥセ・トマリのタルト。いや、私が食べたくて許可なく勝手に引っ張り出してしまったからね。これで君も共犯者だ。」
「…あの、それはいったいどういうことで?」
「言葉通りの意味だよ。これはね。」
パタパタと、やや激しい足音が段々近付いてきた。
「……存外早かったな。」
「あの?高道先生?」
「このタルトは、妻の、大好物なんだ。」
――Fin.
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プロローグ
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「はじめまして。お会いできて光栄です齋井高道先生。今回はお忙しい中時間を割いていただき、誠にありがとうございます。」
二十代後半だろうか。
清潔感のある紺色のスーツに身を包む、柔和そうな顔立ちの男はぺこりと頭を下げた。
「そんなにかしこまらないでくれよ。」
「私、昔から先生のファンなんです。『クローンの結婚』をはじめとして、先生のクローンについての数々の著書が世界に多大な影響を与えた功績を認められたとのことで。本当に、おめでとうございます。」
彼は、二三、賛辞の言葉などをならべ、深々と再び頭を下げると、名刺を差し出してきた。
『読・読・タイムス―望月 赤彦』
「ありがとう。そこに、座ってくれるかな。」
「はい。」
黒い革張りのソファーに二人は相向かいで座り込む。
「紅茶でいいかい?」
「はい。」
高道は、ルビーのように美しく映えるイチゴタルトと、紅茶を用意した。
いくつかの問答を繰り返してから、本題とばかりに赤彦はわずかに身を乗り出した。
「高道先生にお会いできたらぜひとも聞きたいことがあったんですが、よろしいでしょうか。」
「なんだい?」
今までの取材ではこの手の切り出し方をされたことがなかったのだろうか。
高道はソファーからやや、身を乗り出して微笑を浮かべ、小首をかしげた。
「先生の作品には、根底にというのか。どの著書にも共通の何かがあるように思うんです。それが、一体何なのだろうと何度読み返しても、私にしっくりと来る言葉が浮かんでこないんです。だから、出来ればそれが何なのか教えていただきたいんですが。」
歳相応ではないほど好奇心に目を輝かせ、赤彦は多大な期待を込め高道を見つめた。
「まいったな。鋭いね、君は。始めてだよ。ここでそれに突っ込まれたのは。」
「ありがとうございます。では、第一号として、ぜひ、教えていただけないでしょうか。」
「そうだな…。長く、なるよ。それに、結構退屈な話になる。」
「長年の想いがかなうんです。たとえそれが一年でも、たとえそれが理解しがたい崇高なお経でも喜んでお付き合いしますよ。」
「はははは…。本当に、まいったな。一体どこから話をすればいいのやら……」
ソファーの手すりに頬杖をついて、高道は深い記憶の底へと潜っていく。
「そうだな。あれは、私が大学生のときだった。」
そして、深い記憶の底で、大事に、飾りのついた引き出しにしまってあった思い出を、高道はゆっくりと語りだしたのだった。
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終幕




