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第二話


胸を病んだような感覚がする。

息をするたびに吐き気を伴い、断続的な頭痛で目の前が光って見える。



まるで、走馬灯のように雲雀と出会ったときのこと、雲雀と付き合うことになったきっかけ、喧嘩したこと、笑ったこと、彼女が泣いたこと。


さまざまなことを思い出し、そして、今日を振り返った。



ふざけんな。『走馬灯』だと?なんでそんなことを…。


蛍光灯の光にあわせて、耳鳴りに似たほんの些細な羽虫のような音が鳴り続けている。


それに、雲雀に同乗した救急車のサイレンの名残が時折混じる。



思考を振り払うために二度頭を振った。


振動で、ギシリと、浅く腰掛けている革張りの長いすが悲鳴を上げた。



雲雀を轢いた車はそのまま走り去った。わずか数秒だけ減速したものの、一度も、止まることはなく。


まるで夢を見ているようだ。そう、夢を見ている途中で、コレは夢なんだって気付くような。


すべてが曖昧に翳んでいて、四方の白い壁は歪み俺を押しつぶしにかかりそうだった。



雲雀の両親は早くに亡くなったらしい。

その話は以前聞いて知っていた。


だから、俺のあい向かいに座っているのは雲雀の伯母に当たるらしき恰幅のいい初老の女性と、それに寄り添うように立ち続けている旧式のクローン乳母だった。


その証明にとりわけ長く後頭部の方向へ突き出した尖った耳に、個体認識の為のピアスが二つついていた。


整った顔立ち、見たところ二十〜二十五歳位に見える。


劣化しないように調整されているようだ。

見た目こそ若いが、恐らく、あのクローン乳母は昔雲雀の世話をしたそれだろう。


小母さんから微かに届く香水の香りに、酷く神経を逆撫でされた。




一体何時間たったのだろうか。


じっと見据える先、赤色に白抜きで『手術室』と書かれているライトの光が、消えた。


すぐにがちゃり、と手術室のドアが開いた。


執刀医は薄緑色の手術服に身を包み、顔の大部分をマスクで覆っていた。


その隙間からは浅黒い肌と耳、黒い瞳が覗いている。



「雲雀はっ…!」


それ以上の言葉は出てこなかった。



マスクに隠れた、そのユーズ種のクローン医師の表情は察することが出来なかったから。


楽観も悲観の言葉も、喉で止まってしまったのだ。


「もう、ヤマをこえましタよ。損傷の激しかったゾウキに人工のソレヲ組み合わせての手術ということになりマシタ。しかし。」



そこまで話し、そのクローンはすい、と目を細めてから口元を覆うマスクを取り外した。



マスクをはずして尚の鉄面皮。


医師としては、それは正しいのだろう。



しかしその中性的に見える整った顔立ちは、尚更冷徹な印象を俺に与えてきた。


いっそのこと、マスクをはずさないでいてくれればよかったと思うほどに。



同時に、視界の端でクローン乳母が胸の前で、祈りをささげるように手を握りあわせ、うつむいたのが見えた。


「しかしってなんだよ!」


「意識が戻るマデ、どれほど時間がかかるか…早くて数時間後には目を覚ますカモしれませんガ、長けレバ…半年、一年トかかってしまうカモしれまセン。もしくはもっと…」



「嘘…だろ?なあ、あんたユーズ種だよな?執刀に特化したクローン医師なんだろ?何か、何か方法はねぇのかよ!」


更に一歩、そのクローンにちかづこうと足を踏み出した―――つもりが、力が入らずよろめいてしまい、後ろに倒れそうになった。



「っう、」


その俺を支えたのはクローン乳母だった。


今にも泣き出しそうな顔をしているくせに、視線だけはクローン医師のほうを真っ直ぐと見つめ続けている。



俺には、とても。

怖くて出来そうに無い。







夢だと思った。


そのくせ、ぼんやりした頭に追い討ちのように綴られた医師の言葉はしみこんできた。




雲雀を元のようにすること自体はそれほど難しくはない。

しかし、そのために必要なファクターが複雑に絡み合っている。



つまり、目を覚まさないで一年、二年と日々を重ねていくことによる体力の低下は、複数損傷を受けている臓器の移植の際、手術に耐えうるだけの体力をどんどん衰えさせる。


そして、臓器の提供者を見つけ出して移植できるとしても、多臓器移植のため一度にすべてを移植する、というわけにもいかず、一度の手術からある程度の間隔をあけなければならない。


さらに必要な臓器の提供のそのすべてがスムーズに行くかどうかも正直分からないという。




「統計的ニハごく親密なカンケイの人物による呼びかけが、回復にオオきな効果を期待できマス。兎に角、意識が戻るカ否かガ、回復への大きな鍵になるでしょう。」


クローン医師は軽く会釈をしてからカツンとくつを響かせた。


同時、それによって夢から引きもどされた俺の頭に一つの考えが浮かんだ。


「なあ!雲雀の臓器を培養してそれを移植すれば……」


カツン。


わずかな温かみと清潔感を感じさせるクリーム色の通路に、にべもない冷たい音がこだました。

クローン医師は半身で振り返り、ゆっくりと二度、頭を振った。



「コレ以上、患者さんからゾウキヲ採取するのは難しいデス。それに、認可が下りて臓器の部分培養をするには現在でも年単位の時間がかかってしまいマス。」


止めだった。


言葉をナイフとしたならば、俺は一縷の望みに手を伸ばしたためにより深く、より大きなナイフを心臓に突き立てられたのだった。




その後、雲雀は病室へと移動された。


横になっている雲雀は顔色が悪いものの、やっぱりいつもどおりの彼女だった。




「少し風邪を引いちゃったのだわ。」


昔見舞いに行ったとき咳をしながら持って行ったケーキに噛り付いていた彼女を思い出した。


だから、余計に、雲雀がピクリとも動かない姿を見るとどうしようもなくなる。


ここには微塵も、現実味がないのだから。




「ごめんなさいねぇ。娘を迎えに行かなければならない時間だから私は戻らなくちゃならないの。雲雀ちゃんのためにフォン……このクローン乳母を置いていくから……」


小母さんはそういい、しばらくしたら娘が云々と言い訳がましい言葉を繰り返し言い帰って行った。部屋にはクローン乳母フォンと雲雀と俺が残された。


窓からふわりと吹き込んでくる風が、純白のカーテンを柔らかく揺らしていた。


ただ、時間だけが過ぎて。


「雲雀、おい雲雀、…この……ウンジャク。」



雲雀の頬を指で突っついてやる。

ぷにぃっなんて簡単に指は頬にめり込んだ。



日は、傾いてきている。


フォンはさっきから(というより小母がいたときからずっと)無言のまま、あれやこれやと雲雀の身の回りの世話をしている。



「明日は『永久堂』の絶品イチゴ大福を食べに行く約束だろ。目、覚ませよ。」


もう、面会終了時間は近い。


「一番乗りして、後ろの行列が殺気を向けてくるのを無視して、全部お買い上げするんだろ?もう、戻らなきゃ明日に響く。」



風が、冷たくなってきている。




フォンが察したのか窓を閉めた。


「………なあ。」


「齋井さん、そろそろ…」


いつの間にか薄ピンク色をしたナース服を身に纏った看護師がやってきていた。


どうやらもう面会は終わりらしい。



「はい。」


高道は最後にもう一度雲雀の頬を突っついた。そして名残惜しそうに握っていた手を離す。



「また、明日な。雲雀。」


返事はない。


無意識に、拳を握り締めていたことに気がついた。


小さく深呼吸してその手を緩め、ゆっくりと、雲雀に背を向けた。







その夜、警察から連絡があった。

雲雀を引いた犯人が自首してきた、とのことだった。




その犯人は、『クローン』であるらしかった。




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