4.自分のできること
言葉が通じないというのはそれだけでストレスだ。
あのイケメンはあたしを恐ろしく豪華な部屋に連れてくると、メイドらしき人に引き渡し去って行った。
そのあとあたしは大理石の風呂に入れられ体中をこすられた。
何人ものメイドさんたちに。
彼女たちは何故あのように喜々としていたのか聞きたいものだ。
断じてあたしは裸を見せる趣味はない。
胸もないし、最近はおなかの肉も気になる。
いったい何の羞恥プレイだと思うけど、いかんせん言葉が通じないのだからしょうがない。
「やめて。」とか「自分でできます」なんて100回は確実に言ったけど聞き入れてもらえなかった。
そのあとはどう考えても25の女には似合わないようなレースたっぷりのドレスを着せられて、トリートメントを怠り気味のセミロングの髪を結いあげられる。
どう考えても平たい顔の黒髪黒目の日本人のあたしには似合っていない。
なんの仮装大会?罰ゲーム並の羞恥プレイでしょ!
悪趣味だとしかいいようがない。
ついにあたしもコスプレの仲間入りだ。
ため息をついたあたしの前に運ばれてきたのは食事。
こればかりは空腹のあたしには涙が出るほどありがたい。
言葉も通じないよくわからない世界にいきなり放り込まれたんだから流石にもっと慌てるのが普通なのかもしれないけれど、不思議と落ち着いていた。否、開き直っていた。
何はともあれ腹ごしらえよ。
そういえば結局食べ損ねたビールとあたり目、プリンはどこに行ったのだろう?
もったいないとは思うけれど、目の前の豪華な食事を前に、アタリメとプリンは記憶の彼方に追いやられた。
トレーに乗せられてきたのはパンやスープ、肉料理と薄給のあたしにはお目にかかれそうにない豪華なものばかり。
「##$$%&」
メイドさんが笑顔で何やら言ったので、「どうぞ」と同義だと勝手に解釈してあたしは「いただきます。」と日本式のあいさつをしておいしくいただいた。
どれもいい味付けで、ピラニア並みのがっつき具合でスープの一滴まで堪能しつくした。
「ごちそうさまでした。」
うーん。満足満足。
自分で作らなくても料理が出てくるなんてなんて幸せな生活なんだろう。
ふとノックがしてドアのほうを見ると、細身の男の人が入ってきた。
薄い茶色の髪をオールバックにしてなんていうか「執事」って感じ。
細い目は冷酷ささえ感じるけど。
「$%&&((&&?」
うーん、なんて言ってんのかしら?
その人は少し困ったように笑って自分を指さし「こりーん」と言った。
あ、名前!
こんな美味しい料理をいただいておいてまだ名乗ってもいないなんて流石にいかん。
礼には礼を尽くすのが日本人の心です。
「一条蓮です。」
「イチジョウレンデス?」
「蓮」
「レン」
通じたことがうれしくて顔がほころぶ。
こりーんと名乗った彼も小さく笑った。
仏頂面してると怖いけど、笑うと途端にかわいい感じになる。
どうやら彼はあたしの世話係らしい。
あたしがなんでここにいるのかはよくわからない。
でもここがどこだったとしてもこの人たちはあたしにビビらないでとにかく衣食住を提供してくれるみたいだ。
みたいだというのは、もちろんあたしの推測。それもかなり都合のいい。
ただ言葉もわかんないので取り合えず周りのひとのニコニコした状況を勘案して導きだした答なのだ。
そうしたらとにかく言葉を覚えて彼らとコミュニケーションがとれるようにならなければ。
日本に帰るのはそれからだ。
やっぱり人は満腹になると冷静になるらしい。
さっきのイケメンに抱かれたときはどうなるかと思ったけど、人間案外大丈夫なもんだとおもう。
*
その夜
やっぱりというべきか恐ろしくロリータなネグリジェを着せられてふかふかのベッドに寝かされた。
でもこんなにいいベッド庶民のあたしにはもったいなすぎて寝られない。
床だって毛足の長い絨毯が敷いてあってこれで十分寝られそうだと思ってそんな自分の貧乏性に笑ってしまう。
月明かりが妙に明るくてばさりと布団をのけるとベッドを降りて窓に近づく。
窓の外を見てあたしは驚愕した。
空には見たこともないくらいの大きな月。
やっぱりここは地球じゃない…。
無理やり考えずにいたのだ。
考えなければ楽だから。
どうしよう。
ここはどこなの?
全然知らない場所。
不意に現実感がひたひたとこみあげてきて泣きそうになった。
馬鹿みたいに大きな月が涙でゆがむ。
きゅっと口を引き結び、ネグリジェの袖で涙をこする。
泣いても何も変わらない。
それどころか泣いたところであたしの気持ちをわかる人などいないのだ。
それを吐露する術さえないから。
でもそれはここに限ったことじゃない。
自分のいたあの世界でもあたしは誰にも心を許していなかった。
だから何も変わらない。
結局人は一人なんだ。
だからべつに変わらない。
何も。
だから泣く前に、自分のできることをやろう。
そして今は言葉を覚えること。
そうしないと生きてはいけないから。
あたしは布団の中におとなしく戻り目をつむった。
明日目が腫れませんように。
何も知らないこの人たちを心配させたくないから。
月明かりはあたしの知っているものとはくらべものにならないくらいに明るくて怖いくらいだった。