お前の小説はゴミだ
1
「あぁっ! もう嫌だ! ゴミ! ゴミ! こいつゴミ!」
葵はベッドから本日十二作目の応募作品を投げ捨てると、体勢をうつ伏せから仰向けに直して一息ついた。
「この仕事、辞めたいな……」
葵の立場は、パンデモニウム出版の正社員である。
その中でも、ドラグーン文庫なるライトノベルの編集部に配属された。
彼女は読書が好きだった。
ライトノベルしか買わない実質的な『アニメオタク』は嫌いだが、若い世代に読書を習慣づける橋渡しとして、ライトノベル自体には一定の理解と熱意を擁していた。
そんな葵にとって、曲がりなりにも出版業界に転がり込めたことは幸運と呼べる。
――もっともっと、面白い小説を、素晴らしい小説を世に送り込みたい。その手助けになりたい。
数々の作家と二人三脚で、時には励まし、時には叱り、より良い小説作りに没頭したかった。
だが彼女の日常業務は、かつてイメージしていた『編集者』の姿と大きく異なる。
来る日も来る日も、事務的作業。
セキュリティを潜り抜けてくる迷惑メールの削除。
応接用お茶菓子の買出し。時には社員用にも買出し。
作家と編集者の連絡取次ぎ。
公式サイトに使う画像の選別。
コピー、シュレッド、用紙補給、発注。
「新人だから」と自分を慰めつつ、早三年。
無論、葵の仕事も広い目で見れば『より良い小説作り』に貢献しているのだが、なにしろ実感とやりがいが足りなかった。
そんな折、この四月から編集部の制度が変更された。
これまで一部の役職とアルバイトでしか行われなかった新人賞の下読みが、平社員でも参加できるようになったのだ。
日常業務に支障をきたさなければ、月給に加えてアルバイト代も支給されるという。
これに気がついた葵は、一も二も無く申請した。
当分、暇潰しには困らないだろう。
書籍代を節約できるのみならず、アルバイト代まで入ってくる。
そして何より、小説作りに微力ながらも直接携われることが嬉しかった。
「少しは編集者らしいことができるかも」
そんな淡い期待があった。
――だが。
「あと十八時間で……三十作も読むの……?」
現実は非情である。
2
下読みという仕事は、新人賞のうち『一次審査』にあたる。
審査の段階数は新人賞あるいはレーベルによって異なるが、概ね三回か四回クリアすればめでたく発刊の運びとなる。
今回のドラグーン大賞では、一次審査→二次審査→最終審査の三回を設定している。
では、一次審査とは何をするのか。
審査のほとんどはアルバイトが行う。
売れない作家、在宅で稼ぎたい主婦、編集部と繋がりを持ちたい学生などだ。加えて今年から、葵のような下読み希望の正社員も混ざってくる。
ここで応募作のうち九割以上が落とされる。倍率だけ見れば、東大よりも狭き門となる。
だが関門が厳しいのではなく、応募者が甘いのだ。
「学歴が全てじゃないけど、学歴って大事なんだなぁ、便利なんだなぁ」
数々の駄作を切り捨てていくうちに、葵はかつて教師や両親に説教された意味を齢二十五にしてようやく理解した。
送られてくる作品には、作者の簡単なプロフィールが書いてある。
中には迷惑なほど詳細なプロフィールを書いてくる者もいる。
応募要綱に『簡潔で結構ですので、学歴・職歴をご記入下さい』と示してあるため、ある程度の学歴は見えるのだ。
受験勉強という地道で嫌な作業をこなせた者と、その作業自体から逃げ出した者には明確な違いが表れる。
もちろん全てに当てはまるものではないが、多くの中卒・高卒者が書いた作品は独りよがりの傾向が強い。
コンプレックスやプライドが邪魔をして、誰にも読んでもらえなかったような作品たち。
きちんと意見してくれる協力者がいれば出来上がるはずのなかった駄作たち。
嫌な意見から逃げ続けた結果生まれた燃えるゴミ。
学歴は、『嫌なことでも頑張って、このくらいの結果は出せましたよ』という指標になり得る。
何百何千もの人間を比較する側からすれば、指標があると大変有難い。
そんなことを考えながら、葵はひたすら読み続ける。
専属のフリーターならともかく彼女には日常業務もあるため、自ずと土日が潰れることになる。
これも大きなストレスになった。
3
「はいアウトー。残念無念、また来年ー」
最初は落選基準に引っかかっていようと、一応最後まで読んでいた。
しかし今では、アウトになった時点でその先を読まないようになってしまった。むしろ、早々にアウトでいてくれると嬉しいくらいだ。
この時点で、落選基準は六つだけ。
葵はその六つに従い、次から次へと作品を切り捨てる。
一つ。応募要綱を守れているか。
「どうして禁止されてるのに設定資料つけてくるかな。たかだか十数行の応募要綱も読めないくせに自分の三百ページは読めってこと? 小学生か」
二つ。既存の作品とあまりに似通ってはいないか。
「えーっとタイトルは……『とある涼宮シャナの使い魔』……? 同人誌でやりなさい」
三つ。公序良俗に違反し過ぎていないか。
「なになに、あらすじは、と。『夜な夜な老女の肉をこそぎ落として調理する主人公の目的とは!?』……うん、一生知りたくない」
四つ。文章として破綻していないか。
「『確立が高い』、『永遠と語り継がれる』、『南京錠を開錠した』、この子に国語の授業をしてあげる時間なんてないな」
五つ。レーベルの方向性に適しているか。
「いい、いいよこれ! あぁ悔しい! どうしてキミはウチに『東郷平八郎から学ぶ現代社会に必要なリーダー像』を送ってきたんだ。ウチはラノベだよ」
六つ。ストーリーの整合性が取れているか。
「えっ何? この不死身ボス、なんで謎ビームで死んじゃうの?」
面白いかどうかは二の次で、これだけ守ればいいのである。
一作に長い時間をかけられない以上、審査担当として最も性質の悪いのが六つ目『ストーリーの整合性が取れているか』である。
他の五つは途中で見切ることができるが、これだけは最後まで読まないと判断できないからだ。
残念ながら、たった六つのことを守れない自己満足の産物が、嵐のような物量で秋口にやってくる。
全ての新人賞で、秋だからという理由で応募作が多くなるわけではない。
たまたま葵の担当するドラグーン大賞が、最終締切を八月末日に設定していただけの話。
「まぁ、ギリギリまで推敲したかったんだろうね。それはわかるけど、こっちの身にもなれ、と」
締切間際に送った方が有利だと思うなら、それはあまりにも想像力と客観性に欠けていると言わざるを得ない。
そして想像力と客観性に欠けるなら、作家に向いていない。
葵の姿からもわかるように、読み手も人間なのだ。
今まで週に二十作も読めばこなせたノルマがいきなり百作にアップすれば、丁寧な審査を期待しづらくなる。
本当に自信があり、落ち着いて読んでもらいたいのなら余裕をもって、公募開始から二ヶ月ほど過ぎたタイミングを狙うといい。公募開始直後は、また「最初に読んでもらえば印象が強まる!」と勘違いした連中の作品がドッと押しかけるからだ。
「自分の発想は正しい、自分の作品は面白い、自分は入賞する……
その根拠を答えられない人間ほどつまらない。主観的、だからね」
ブツブツ愚痴をこぼしながら、ようやく日目標の半分となる二十一作目を読み終えた。
「疲れた……つまらない……小説が嫌いになりそうだ……」
4
「お前はモビルスーツのカタパルトだ」
編集部にて会議のレジュメをコピーしている時、下読み責任者の大久保から声をかけられた。
彼はいわゆる『ガノタ』――ガンダムオタクの略――だった。職業柄そうなったのか、元々そうだったのかは不明。
葵はガンダムシリーズをしっかり見たことはなかったが、下読み作品の中にはロボットものも多かったので、なんとなくカタパルトが何なのかは想像できた。
だが、大久保の言わんとすることが理解できない。
「どういう意味ですか? ああ、編集部にとって私はカタパルトみたいなオマケってことですかそうですかパワハラです」
下読みの過酷さから軽い鬱気味だったこともあり、葵は卑屈にまくし立てた。
大久保はそれを半笑いで制して続ける。
「いやいや違うって。まあ聞きなさいよ」
「はぁ……」
「仕事の手は止めない」
「はい」
機械的にコピーを繰り返しながら、次の言葉を待つ。
「モビルスーツは出撃する時、カタパルトに押し出され勢いを得ながら飛ぶだろう。どんな機体がやってくるのか、それはその時になるまでわからない」
その流れから、下読みの件に関する内容だと推測できた。葵はそのまま黙って頷く。
「その機体はジムかもしれないし、ネモかもしれないし、ああ、あるいはメタスかもしれないな。彼らはきっと撃墜されるだろう。戦場にはバケモノがたくさんいるからね、連邦のモビルスーツとか。へっへっへっ」
大久保は自分で言った比喩に自分で笑っていたが、葵には全くツボがわからなかった。本筋には関係ないと判断し、非難しないことにする。
「それぞれのモビルスーツにはそれぞれのパイロットがいるんだ、まあ普通だろ? 決死の覚悟のヤツもいれば、遊び半分のヤツもいる。戦場には向いていないヤツもたくさんいるだろうさ。だけどな、そいつら全員、戦う道を選んだヤツらなんだ。戦わない人生もあるだろうに、わざわざリスクを背負って戦おうとしているんだ。お前には、そいつらを送り出す義務がある」
段々と言葉に熱がこもってくる。
終いには怒鳴られるのでは、と葵は肝を冷やし始めた。
「何百体も送り出すお前は大変だろう。察するよ。それでも、パイロット一人一人を丁寧に発射するんだ」
「……はい」
心なしか、目の奥が熱くなってきた。
「それでな、中でもエースパイロットになれそうなヤツは――戦果を挙げられそうなヤツは――盛大に、送り出してあげなさい」
その日の帰り、葵は薬局で栄養ドリンクを大量に購入した。
5
公募開始から締切以降を含めた葵の下読み担当分は、実に四百作に及ぶ。
元々いち早く二次審査に回さねばならない予定だったため、タイムリミットは三週間しか残されていなかった。
それでも彼女は、一度落選させた分も含め全て読み直すことにした。それは修羅の道だった。
恥ずかしいと思い今までやらなかったが、通勤中のバスや電車内でも応募作を読み耽った。
休憩中も食事中も、小説を片手から放さなかった。
睡眠時間を大幅に削り、趣味にかける時間も全て排除し、読んで読んで読みまくった。
嫌気が差して投げ捨てていた作品たちの多くは、やはり再び落選することになる。落選基準が変わっていないのだから当然だ。
しかし、テクニックや方向性が商業作品に足りていないにせよ、そこにある熱意は感じられるようになった。
作者の描きたかったこと、語りたかったこと、脳内に流れているであろう映像イメージ、それらがありありと目に浮かぶ。
決断の日がやってきた。
この四百作の中から十作のみを選び、二次審査に流さなければならない。
九作目まではすんなり決まった。残りは一作、候補は二作。
大空ハヤト『舞えよハヤブサ 翔けろよトンビ』。
桜井コハル『君の名前を忘れた日』。
どちらも落選基準には引っかかっていない。
どちらを選んでも良いのである。どちらを落としても良いのである。
「……落として良いわけがないじゃない……っ!」
涙が流れそうになる。
この素晴らしい作品たちの片方を潰すのだ。
自分の手で、自分の感性で、自分の意思で潰すのだ。
「泣いちゃいけない。私は泣く側じゃない。泣かせる側なんだ。私は大人だ。これが私の仕事なんだ。私を恨みなさい、怒りなさい。――そうして、いつかもう一度会いましょう」
意思は決まった。
決め手はただのペンネームだった。
大久保が言っていたから。
『お前はモビルスーツのカタパルトだ』
自分の役目がカタパルトなら、せめて舞い上がらせようじゃないか。
――さあ、ハヤトさん。どうか、舞って見せて下さい。