爆弾陛下と龍神 花束
「もうやだぁーっ! 景華、良い子になるっ!」
「その言葉、忘れるなよ……」
聞き慣れたその声に、そっと目を開ける。目の前の茂みから現われたのは、彼女が無意識に喚んでいた人物だった。
座ったままの彼女の目の前に、彼がしゃがみ込む。深緑の瞳に見つめられて、彼女は堰を切ったように泣き出した。
「ふえぇーっ! 怖かったよう! 怖かったぁーっ!」
そう言ってボロボロと涙をこぼす彼女に、思わず苦笑が漏れる。こんな時位は、優しくしてやった方がいいのかもしれない。
「ああ、はいはい。怖かった、怖かった。まったく、だから城から出るな、って言われてるんだよ」
「だってぇー……」
彼女の手を見て、彼は脱走の理由を知った。その手には、真っ赤な大輪の花が握られていた。城の庭園にはないものなので、彼女の目にはとても美しく映ったのだろう。
「何だよ、そんなのが欲しかったのか?」
彼の問いに、涙を拭きながら頷く。怒られるかと思ったが、彼は優しく深緑の髪を撫でてくれた。
「先に言えよ、馬鹿。別にあんたが取りに来なくたって、俺が取って来てやったのに。……ほら、帰るぞ。大人たちが心配しているんだ。あんたはこの国の姫だから、行方不明になっただけで大騒ぎなんだよ、面倒くせえ」
もうまっぴら、と言うように舌を出して、彼女の手を握った。しかし、彼女は立ち上がろうとしない。
「おい、早く戻ろうぜ。寒いし、虎や熊が出たら厄介だ。まぁ、こんな裏山にはそんなものいないだろうけどな」
「足……痛いの。おんぶ」
こいつは、一体何を言い出すんだ? 硬直した彼は、必死でその言葉を飲み込む。遊び過ぎで足が痛いだと? しかも、おんぶ、だと……?
「見せてみろ」
小さな足に、そっと触れる。確かに、彼女の左足首はほんの少し熱を持っている。もしかすると、くじいたり捻ったりしたのかもしれない……。
「あぁー、面倒くせえ。こんなわがまま姫、探しに来るんじゃなかったな」
そう言いながらも、彼女に背を向けてその目の前で膝を折ってやる。背中に、重みがかかった。小さな手が、彼の胸の前で組まれる……。真っ赤な花が、彼の視界で揺れる。
「まったく、あんたは本当に人騒がせだな。迷惑だ。いいか? 俺の服に鼻水なんかつけるなよ」
まだしゃくり上げている彼女に向かってそう言ってから、立ち上がった。ゆっくりと、彼女を背負って歩き出す。
「重いなぁ……。あんた、チビのくせになんでこんなに重いんだよ? 頭も空っぽなくせに」
「柳鏡、うるさいー……」
反論に、いつものような元気がない。城に着くまでに、彼女は泣き疲れたのと安心したのとがあって、眠ってしまった。春蘭と趙雨が待っている、あの渡り廊下に向かって裏山を降りて行く……。
「あっ、帰って来た! おおーい、柳鏡! ……あっ、景華も一緒だ!」
趙雨のその声に、大人たちが顔をあげた。二人の父親が駆けて来る。
「おお、景華! 無事だったのか! 柳鏡、本当にありがとう!」
彼の背から娘を受け取って、抱き締める。それで、彼女が起きた。
「あ、お父様……。あのね、迷子になっちゃったの……。柳鏡が、助けに来てくれたよ……」
そうかそうか、と娘の言葉に頷いてやる珎王の瞳は、潤んでいる。余程本気で娘を心配していたに違いない。
「それから……お花、取って来てくれる、って……」
それだけ言うと、彼女はまた眠りについた。その寝顔を見て、皆が安堵する……。
「ああ、良かった……。本当に良かった……。娘を連れて来てくれてありがとう、柳鏡。……さて、この子を部屋に連れて行かねば。連瑛、お前の息子には本当に助けられた。感謝している」
「もったいないお言葉です、陛下」
連瑛はそう深々と頭を下げた。珎王の言葉は続く。
「柳鏡になら、安心して景華を任せられるな……」
後にして思えば、珎王の心はすでにこの時に決まっていたのかもしれない。柳鏡を景華専属の護衛にすることも、後には彼女の伴侶とすることも……。
月が、裏山に浮いていた。
次の日、柳鏡は朝早くに景華の部屋を訪れた。その手いっぱいいっぱいに、色とりどりの花が抱えられている。
景華の目が、驚きと喜びに見開かれた。
「うわぁ、すごい! これ、くれるの……?」
ドサッとそれらを床に下ろして、柳鏡はドッカリと乱暴にその場に座り込んだ。
「ああ。その代り、もう行方不明になったりするなよ。またあんたを探しに行かなきゃならないと思うと、面倒くさくてしょうがない。わかったな?」
「いーだ! 余計なお世話っ!」
素直じゃないのは、百も承知だ。楽しそうに色とりどりの花をより分ける彼女を見て、彼は何も言わずに静かに溜息をついた。