わがまま陛下と龍神 呑気
用意、の掛け声がかかる。皆、一斉に姿勢を低くした。
「始めっ!」
五頭の馬が、一斉に飛び出した。皆一線に横並びで、最初の障害である石垣を迎える。
この芸の競技は障害物があるコースを馬で走り、先に着いた者から順番に得点をつける、という物だった。
早くも最初の石垣で明暗が分かれた。柳鏡、英明が乗った馬は軽々と、しかも無駄なく石垣を飛び越える。僅かに遅れて凌江の馬が着地し、高く飛び過ぎた大連と紅瞬の馬はかなり出遅れてしまった。
「意外とやりますね、柳鏡殿」
隣からそう声がかけられた。これは虎神族の長、秦扇が決めた課題で、おそらくは息子が馬術を得意としていることから作った課題なのだろう、彼は余裕綽綽といった様子だ。
「前見てないと落ちますよ?」
彼には視線を向けず、前方を見据えたまま柳鏡が言った。すでに、第二の障害である生垣が彼らの目の前に迫っていた。二頭の馬が、それを同時に飛び越える。僅かに、英明の馬の鼻先が前に出た。
(柳鏡!)
彼女の不安げな喚び声が耳に響いた。実際に呼ばれた訳ではなく、頭に直接その声が響く。負けられない。彼女のために、何よりも、自分のために……。
折り返し地点の大木が見えた。これを回って、元来た道を戻ればいい。木の周りを回るために、英明の馬の速度が若干緩められた。しかし、柳鏡は速度を落とさない。二人の位置が逆転した。
「行くぞっ、颯!」
颯は、見事な急旋回を見せた。その場に砂煙をもうもうと立てて、走る。生垣を越え、石垣も越える。そして。
「一着、清龍族の柳鏡殿!」
たたた、っと彼女が駆け寄って来るのが見える。柳鏡は颯の背から降りて、彼女を迎える準備をした。しかし……。
「すごいわ、颯! 一番だなんて、偉い!」
柳鏡の期待とは裏腹に、彼女は自分の馬に抱きついた。本日二度目の、裏切り……。その様子が、妙に腹立たしい。ひきつった笑みを浮かべて、彼は彼女に訊ねた。
「おい、俺には一言もなしか……?」
「あっ、柳鏡もお疲れ様!」
声をかけられてから気が付いたかのように、そう付け足す。彼女に悪気がないのはわかっている。だが。
「馬の後かよ、俺は……」
そう呟いた彼に、彼女は焼き餅? と楽しそうに聞いた。しかし、彼にはすでに答える気力すら残されていなかった。
結局、二位以下は英明、凌江、大連、紅瞬となり、総合得点では一位が英明で十七点、二位の柳鏡が一点差で彼を追いかけ、三位が十点の凌江で、四位に九点の大連、五位の紅瞬は八点となっている。もし次の課題で柳鏡が一位を取り、英明が二位となって同点になってしまっても、これまでの功績からいけば柳鏡の方が評価が高いので、彼を優勝とすることができる。後は、柳鏡が一位を取れば良いだけとなった。
「いよいよ明日だね、景華」
忠の課題の前の夜、景華の護衛にはいつものように明鈴がついてくれていた。彼女の言葉に、景華は笑顔で答える。
「うん! 明日柳鏡が優勝してくれたら、明鈴さんにお願い事があるの!」
「え、私に?」
目を丸くする彼女に、さらにニッコリと笑いかける。
「そう、明鈴さんに」
「えー、なになに?」
寝台の隣に腰掛けてくれた彼女の目を見て、その問いに答える。
「私が柳鏡のお嫁さんになったら、明鈴さんは義理のお姉さんでしょう? だから、明鈴さんをお姉ちゃん、って呼びたいの! 私、ずっと兄弟が欲しかったから。ねえ、いいでしょう?」
ギューッときつく抱き締められる。それがとても嬉しかった景華は、同じように明鈴の体を抱き締め返した。
「もちろんだよ、景華ー! こんなにかわいい妹なら大歓迎だよ! 私も女の子の兄弟がいなかったから、嬉しい!」
「えへへ、お姉ちゃーん!」
彼女たちが呑気にこんな話をしている間に、夜は更けて行った。