わがまま陛下と龍神 贈物
次の日、最初に戻って来たのは英明だった。彼は、自慢げに自分が狩った熊の首を掲げた。
「ご覧下さい、陛下。どうです? 立派な熊でしょう?」
「ええ、本当に」
柳鏡の方がすごいわ、と心の中で答えていながらも、虎神族との微妙な関係を保つために笑顔で答える。そこに、凌江が戻って来た。
「う、わ……」
彼が持って来たものに、彼女は絶句した。それは、大きな毒蛇だった。景華が身をすくませているのを見て、凌江が笑う。
「大丈夫ですよ、陛下。もう死んでいます。それよりも、私はさらにすごいものを見ました!」
凌江が目を輝かせてそう言うので、景華はそれが何なのか目で問いかけた。
「清龍族の柳鏡殿が、巨大な虎を狩るところをこの目で見ました! あれは圧巻でした……」
凌江はそう恍惚気味に言って、詳しい様子を語り始めた。
「ちぃっ!」
柳鏡はそう舌打ちして横飛びに飛んだ。髪一筋の差で、鋭い牙が空を裂く。彼は、汗に濡れた手で大剣の柄を握り直した。
「たかが虎のくせに、なかなかやるな……」
ゾクリとするような冷たい、だが生き生きとした目。彼は、虎を相手に楽しんでいた。ぺろりと舌を出して、乾いた唇を舐める。そろそろ、遊びは終わりにしたい。久々の狩りで少し遊び過ぎたようだ、だんだんと制限時間が気になって来た。いい加減に帰らないと、また彼女に泣かれることになる……。
「悪いが、そろそろ時間だ」
余裕たっぷりの笑みで、彼の隙をつこうとジリジリとその距離を詰めてくる虎を見つめる。そして。
「恨むなよっ!」
「ガウゥッ!」
どちらも、同時に地を蹴って飛び出した。そのまま空中で交差する。鮮血が舞った。柳鏡の方は見事に着地するが、虎の方は無残にその場に崩れ落ちて、動かなくなった……。
「あの瞬間に、彼はおそらく神速の突きを繰り出していたのでしょう! しかも近付いて見ると、急所を一撃で仕留めているのです! しかし、その攻撃は早過ぎて目に入りませんでしたよ……」
景華はニッコリと微笑んで心の中でこう呟いた。だって、私の龍神だもの、と……。そこで凌江が、何かを思い出したように口を開いた。
「そう言えば、自分の獲物を置いたら戻って来て手伝うように彼に頼まれていました。行って参ります」
「待て、凌江。獲物をそのまま持って帰らずとも、何か大きさや動物の種類がわかるものがあればそれで良い」
「それが、父上……」
凌江がこちらに向き直り、父とその隣に立っている景華を振り仰いだ。
「何しろ見事な虎なので、その毛皮を婚礼の際に陛下に送る贈り物にしたい、と言っていたものですから……」
凌江はそう言って一礼すると、元来た道を駆け戻って行った。帯黒の指示で、何名かが彼の後を追う。彼らが入口から出たその直後に、紅瞬と大連の二人が戻って来た。どちらも大きな猪を仕留めたようだ、その耳と牙を持っている。紅瞬の猪の牙の方が、僅かに長く見える。
「婚礼の贈り物、だと? ふん、まだ優勝してもいないくせに……」
英明が、凌江が消えた方を見つめて面白くなさそうにそう呟いた。そして。
景華の位置から、黄金の地に黒の縞模様が見えた。それを見ただけで、景華の足はすくんでしまう。全身を返り血で真っ赤に染めた龍神が、戻って来た。狩りから帰って来たその姿を見て、あんなに汚したら洗濯が大変じゃない! と思ったのは、久しぶりのことだった。清龍の里以来……。
「只今戻りました、女王陛下」
衆目がある以上、仕方なくそんな口調で話す。彼女が嫌がるのはわかっているが、こればかりは仕方がない。彼は、まだ彼女の臣下の身分なのだ。
「どうぞこちらでご覧下さい」
その言葉に恐る恐る足を踏み出して虎に近付く。景華があまりにも怖がっているので、柳鏡がその手を取って虎に近付かせてやった。ある程度の距離で、景華の足がピタリと止まる。
「アホ。死んでるものがそんなに怖いか?」
「死んでたって怖い物は怖いよ。今にも動き出しそうだもの……」
誰にも聞かれないような低い声で、そう話す。
「これとあの珊瑚の首飾りを、婚礼の贈り物としてあんたに贈る。そうしたらそれ、大っぴらに着けられるだろ?」
彼は知っていたのだ。彼女が彼の母親の形見である珊瑚の首飾りを、肌身離さず身に着けてくれているということを。それは、常に彼女の襟の中に収められていたのだが。
「お気に召しましたか、陛下?」
その場にいる他の人々にも聞こえるように、大きな声で訊ねる。
「ええ、すごく怖いけれど……」
「それは良かった」
柳鏡が随分と芝居がかった仕草で膝を折り、再び景華の手を取った。
「私が優勝しました暁には、こちらの虎の毛皮と、珊瑚の首飾りを陛下への婚礼の贈り物にさせていただこうと考えております」
そう言って、景華の手の甲に唇を軽く寄せる。周囲の空気が、動く。景華は、これでやっと柳鏡がこのような行動に出た意図がわかった。もちろん、他の候補への牽制だ。そして、これで景華の心が柳鏡に傾いたと考えさせることで、余計な焦りを生じさせようとしたものだった。
「策士ね……」
景華が笑ってそう言う。彼の耳にしか届かない、小さな声で。深緑の瞳が、そのまま彼女を見上げた。
「何とでも言え。あんたが変な約束させるからだ……」
約束の九日後は、もう四日後まで迫っていた。