わがまま陛下と龍神 信頼
夜になって、景華は寝台の上に膝を抱えて座っていた。ただし、考え事をしている訳ではなく、いじけているのである。
柳鏡に代わって景華の警護をしてくれている明鈴が、二つ分の入れ物にお茶を注いだ。そしてその片方を、景華の手に持たせる。
「ありがとう……」
つい先程まで泣いていたのだろう、弱々しく笑って見せた彼女は、赤く泣き腫らした目をしていた。明鈴の方も椅子を引いて来て、彼女の前に腰掛ける。
「柳鏡は……私が誰のお嫁さんになっても、構わないんだわ……」
いじけて、なおかつ自暴自棄に陥ってそんなことを言う。彼の心を疑っている訳でもないのに……。
「それはないよ、絶対。もしそうなら、面倒くさがりなあいつが大会に出る訳ないじゃない」
そう言って隣に腰掛け、彼女の頭を撫でてやる。明鈴にとって景華は、二人でいる時には女王陛下、ではなくかわいい妹、だった。自分の弟にとって、二人でいる時の彼女が、特別に愛おしいことを除けば、ただの少女であるのと同じように……。
「だって……結果のこと、全然気にしてなかったし……」
グスン、と鼻を鳴らす。
「でも、柳鏡が約束してくれたんでしょ? 優勝する、って……」
明鈴の問いかけに、景華はコクリと頷いてお茶を一口含んだ。その温かさが、体中に染み渡る。
「じゃあ、絶対優勝してくれるよ。景華のお願いならね」
明鈴の笑顔に、景華も同じ表情を作って応えた。どうやら、大分落ち着いたようだ。
「ところで、どうして大会なんて開こうと思ったの? そんなことしなくても、柳鏡と結婚する方法はあったよね?」
チラリと戸口に視線を走らせながら、明鈴が訊ねた。
「だって、時間がすごくかかってしまうでしょう? それにね、柳鏡に言われたの。正式に結婚した訳じゃないから、朝までは一緒にいられない、って……」
ブッ! 口に含んでいたお茶を吹き出してしまった明鈴は、隣で彼女の様子を眺めて目を丸くしている景華に、辛うじてこう言った。
「あいつ……意外と手が早いわね……」
その意味を理解したのかどうかはわからないが、景華の言葉は続いた。
「わがままかもしれないけど、それが嫌だったからこうしたの。手っ取り早いでしょう?」
「まぁ、確かにね……。でも、柳鏡が負ける、ってことは考えなかったの?」
明鈴が軽く苦笑してからそう訊ねた。湯気が立つお茶を見つめて、景華が本当に幸せそうに微笑む。
「一度も考えなかったよ。だって……」
言葉を切って、さらに目を細める。
「柳鏡が、一番だもん……」
そう言いきった彼女は本当に眩しくて、この顔を弟にも見せてやりたかったな、と彼女は思った。
「目、冷やそうか。お水と布、もらって来るね」
明鈴はそう言って景華の部屋を後にした。廊下に出て戸を閉め、正面の植え込みの中に剣を突き付ける。
「盗み聞きするなんて、いい度胸ね……」
植え込みの枝がガサゴソと音を立てて、柳鏡がその姿を現した。
「ばれてましたか……」
彼の目は、明鈴の肩を通り越して一枚の戸に向けられていた。中の彼女が、見えるかと思って……。
「どこから聞いてたのよ?」
「ほとんど全部、ですかね……」
目を左右に泳がせて、どこかばつが悪そうに答える。明鈴が、溜息をついた。
「しかし、あんたたちもよく喧嘩のネタが尽きないわねぇー。ちょっと待ってて……」
そう言って彼女は渡り廊下を歩いて行き、曲がり角でその姿を消した。その言葉通り、彼女はそんなに間を空けずに戻って来た。その手には、冷たい水がはられた桶と白い布。
「ほら。景華、泣いて目がすごく腫れてるの。あんたのせいなんだからね、ちゃんと治してあげな。虎の刻になる頃には戻るからね、それまで景華のこと頼んだよ」
「えっ? ちょっと、姉さんっ?」
戸惑う柳鏡の手に、彼女は持って来た物を全て押しつけて去って行った。
八十話目まで来ました。
全部で百話突破の予感です……。
飽きずにお付き合いいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。