姫と龍神 解放
「くそっ、まだ見つからないのか!」
一方、辰南の城の中では趙雨が二人の足取りが一向につかめないということに怒り狂っていた。
「逃げられてもう三日も経った! 草の根をかき分けてでも探し出せ! 必ず見つけろ!」
趙雨にしてみれば、景華に逃げられるというのはとんだ誤算だった。本当は、珎王と共に逆賊に襲われたことにして殺し、自分が王位について、事態が収拾した頃に春蘭を王妃に迎えるつもりだったのだ。
「柳鏡の奴……!」
今思い出しても、腹が立つ。景華を連れ去った。それだけでも忌々しいと言うのに、彼にあのような正論を突き付けられては、なおさら。
その上、姫が生きているということになれば、王位継承権は婚約者である趙雨ではなく、景華姫のものということになる。彼は、王位に就くことができなくなってしまった。
「趙雨、各部族や集落に連絡をした方がいいわ。柳鏡と景華を見かけたら即刻捕らえよ、と。特に柳鏡は、珎王殺しの犯人であり、景華姫をも誘拐した凶悪人だとね……」
春蘭が、冷たい口調でそう言い放った。そこには、子供のころ景華に向けたような優しさは微塵も感じられない。
「そうだな……。早馬を用意させよう」
そう言うと趙雨は、勢いよく戸をあけて出て行った。
その頃、景華と柳鏡の二人は、何度も続けて発射される矢の攻撃を回避しながら馬を疾駆させていた。虎神族の者に違いない。彼らは、柳鏡だけではなく景華をも亡き者にしようと襲ってきていた。
「いいか、振り落とされるなよ!」
彼がそう言って馬の横っ腹を激しく蹴ると、その速度がさらにあがった。森の中でありながら、木々を避け、悪い足場に気を配って、全速力で駆け抜ける。
「なるべく俺の陰に隠れてろ! あんなのにあたりたくないだろっ?」
柳鏡は、景華の上に覆いかぶさるようにしながら馬を走らせていた。それでも、景華が自分の胸に懸命にしがみついているのがわかる。
ズドッ!
「ぐぅっ……!」
右肩に焼けるような痛みが走る。どうやら、下手の鉄砲ならぬ矢も、数を打たれるとあたってしまうようだ。
「くそっ……!」
体中を何かが駆け巡っている。心臓の鼓動は早くなる一方なのに、手足が冷たくなり、意識は朦朧としてくる……。
「毒矢を使うとは、いい根性じゃねえか……。あいつら、いつかまとめてぶった斬ってやる!」
景華が、腕の中で震えている。彼女を安全な場所に連れて行くまでは、彼は意識を失う訳にはいかなかった。
ドスッ! 二本目の矢が、今度は背中の丁度真中にあたった。
「チッ、面倒だ!」
そう言って柳鏡は馬の鼻先を真逆に向けると、背負っていた大剣を抜き放った。本来、片手で扱えるような重さではないが、馬上であり、なおかつ景華を腕に抱いているということで、利き腕のみで扱うことを余儀なくされた。
(くそっ、重い!)
両腕で扱っていた時にはなんとも思わなかった重みが、今はたまらなく辛い。毒矢に体力が奪われているせいでもあるが、大剣はその左手にズシリと重かった。
「前言撤回だ! おまえら、全員今まとめてぶった斬ってやる!」
次の矢を番えていた一人が、狙いを定める前に柳鏡に叩き斬られた。柳鏡はその隣にもまとめて斬撃を浴びせようとしたが、重みのせいで狙いが狂ってしまう。視界がかすんでくる……。どうやら、毒に対する抵抗力が落ちてきてしまったらしい。
(まずい……。この人数なら倒すことは容易だ。だが、体力の限界がくるだろう……。後から第二陣や三陣が来ないとも限らないし……)
ふらり、と馬上の柳鏡の体が、一瞬不自然な揺れ方をした。
「しめた、毒が回ってきたようだ! このまま弱らせて殺せ!」
刺客の一人がそう声をあげた。自分がしがみついている柳鏡の体がだんだんと冷たくなってきているのは景華にもわかっていた。だが、彼女にはそんな彼を助ける術もなく、ただ邪魔にならないようにしているのが精一杯だった。
「お前らごときに殺られてたまるか!」
朦朧とする意識の中で、冷たい汗が柳鏡の背に流れ落ちた時だった。
ドクン。
柳鏡の中で、何かが脈打った。
ドクン。
それは、彼の体の中を出口を求めて彷徨っている。
解放せよ、と……。
(今が、その時か……)
彼は、その一瞬の内に迷うことなく自らの運命を選び取った。
「我……龍神の、封印を……ここに解放せり……っ!」
柳鏡が息も絶え絶えにそう呟いた時だった。景華の肌が、凄まじい力の収束を感じ取る。あまりの重圧に、息をすることさえ難しい。そして。
轟音とともに、青白い光の爆発が起こった。景華はあまりの眩しさに目を閉じてしまったが、自分を離さずにいる腕の感覚だけが、意識の隅に残されていた。
次に目が覚めた時、彼女は張り出した木の根の下に横たわっていた。柳鏡の姿が見えないことに気づいて慌てて起き上がると、彼女が探していた人物は、すぐ隣に腰掛けていた。
「起きたのか」
彼は、ちょうど服を着付け直している所だった。おそらく、毒矢にあたった部分に応急処置を施していたのだろう。少なくとも、彼女の目にはそのように映った。傷の具合が知りたくて、深い緑色を湛えた瞳をじっと覗き込んだ。
「俺なら心配ない……」
ほっと、口から安堵の息がこぼれた。その次に気になったのは、あの瞬間に何があったのかということ。再び、彼をじっと見上げる。
「あれか……。敢えて言うなら龍神の呪い、だな……」
なんとなく言葉を濁すような言い方だったが、もしかしたら彼にもうまく説明ができないのかもしれない、と思って、深くは追求しないことにした。
「水飲んだら行くぞ」
ふい、と背を向けて立ち上がった柳鏡の服は、背中の部分が血の色に染め変えられていた。それは、彼が流した血液の量を物語っていた。
「あんなことがあったからには、ここからは休みは取れそうもない。覚悟しておけよ……」
自分の後ろからついて来る景華に向かって、彼は背を向けたまま声をかけた。
「……」
気のせいか、その背中がやけに辛そうに見えた景華だったが、声が出ない辛さを痛感するだけだった。