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わがまま陛下と龍神 祈願

 月に照らされた影が二つ、景華の部屋の前に戻って来た。

 いや、正確には、長身の影と細くて小さい影は、一つだった。指と指とが、お互いに絡められていたのだ。

「ほら、もういいだろ。さっさと寝ろ」

 照れ隠しのために、長身の影はいささか乱暴に小さな影を離した。

「ケチー、もう少しいいじゃない」

 むくれるその表情ですら、今の彼には何よりも愛おしい。自分に向けられる彼女の仕草全てに、彼女からの想いが込められている。人としての終焉を迎えるはずだった、自分。そして、それを追って来てくれた、彼女。それだけで、彼はよかった。他に、望むものなどなかった。

 ……否。人として生きることは、やはり容易ではない。一つが叶えば、また次を望んでしまう。己の欲深さを思い知らされて、彼は密かに恥じていた。

「柳鏡?」

 彼の考え込む様子を、彼女は不安げに眉根を寄せて見上げていた。そんな表情をさせてしまったことを後悔しながら、曖昧な笑みを浮かべる。

「何でもねえよ、そんな顔するな」

「嘘!」

 あまりに早い否定の言葉に、彼は返答に詰まってしまった。そこに、彼女が畳み掛ける。

「何考えてるの? 柳鏡がそういう顔する時は、いつも隠し事してる時だもの!」

 相手に想われることも、時には問題だ。ましてや、今のような状況においては、なおさら。知られたくないことまで、悟られてしまうのだから……。自分の中にある物を曝したくなくて、彼は口を閉ざした。

 景華が、不安げな顔のままハッとする。

「まさか柳鏡、またどこか行っちゃうの?」

「そんなこと、しねえよ……」

 そうだ。彼女のそばを離れるなど、二度とごめんだ。人として短い生涯を生きることを選択した自分に唯一残されたもの、心が、悲鳴をあげるから。

 それに彼は彼女をその腕に収めた瞬間に、固く心に誓ったのだ。残りの時間は全て、彼女に捧げると。彼女の望むこと、彼女のわがままを叶えながら過ごそうと。自分が龍神の紋章を持つ者で、彼女がその華と呼ばれる存在である以上、早すぎる別れは避けられないのだから……。それが彼一人の滅びか、二人ともにの破滅かはわからないが……。

「本当に? 本当にどこにも行かない? 私……」

 寂しいよ、という言葉は、唇の形だけが告げていた。その代りに、真紅の瞳から月の光がこぼれる。温かいそれを、彼の親指が優しく拭った。

「泣くなよ、面倒だな。そんなふうだからガキだって言うんだ」

「何よ、失礼しちゃうー!」

 いつものように唇を少し突き出した、彼女。白い頬に触れたままだった、彼の手。そのまま屈みこんだ彼の唇が、ふっくらと柔らかいものに触れた。

「な、な、な!」

 青白い光の中でもはっきりとわかる程に頬をそめた彼女は、そう言葉にならない抗議の声を上げた。

「嫌だったのかよ?」

 不機嫌そうに問って来る彼に、慌てて首を振ってみせる。

「そ、そうじゃないよ! えっと……」

 目を左右に泳がせて必死にいい訳の言葉を探す彼女に、意地悪な笑みが向けられた。

「冗談に決まってるだろ、アホ。嫌がるのをわかっててやってたら、ただの嫌がらせにしかならねえだろ」

「柳鏡ならしそうだよ、嫌がらせで」

 じとーっと上目づかいに睨まれる。自分を見上げる彼女の視線は、今の彼にはとても心地良く、そして、相変わらず耐え難いものだった。

「あんた、俺を一体何だと思ってるんだよ?」

 彼の、精一杯の照れ隠し、その結果の問いだった。

「意地悪な護衛」

 即答されたその答えに、いささか眩暈を覚えて体が沈む。そうか、彼女の中では、格上げは行われていなかったのか。そんな事実に、密かに落胆しながら。

「柳鏡?」

 不思議そうな声音を、制する。

「いや、構うな。あんたに期待した、俺が馬鹿だったんだ」

 声音と同じように不思議そうに見上げて来る視線を軽く受け流して、彼は溜息をついた。

「ほら、さっさと寝ろ。明日からは忙しいんだぞ」

「うん」

 そう返事をして、部屋の戸に手をかける。自分の背中を見守ってくれている彼は、今までのようにその戸口にいてくれるのだろうか? 彼女は、ふとそんな不安を覚えた。

 先程、この戸を開けた時。彼の姿が見当たらなかった、絶望と痛み。それら全てがふつふつと蘇って来た彼女の体は、真っ直ぐに彼の胸に飛び込んだ。

「何だよっ?」

 おそらく彼は彼女のその行動に慌てたのだろう。かなり乱暴な返事が返って来た。

「本当にどこにも行かない? 本当に、本当?」

「ああ、行かねえよ……」

 自分に縋りつく彼女の瞳の必死さに、彼は不思議を感じながらもそう答えた。

「本当に? どこにも行かないでね!」

「ああ、わかったって……」

「わかってない!」

 彼の言葉を途中で遮って、彼女は顔を上げた。体に回された細い腕、そこに込められた力が、彼女の心の切迫を如実に伝えて来る。

「柳鏡、わかってないよ! 置いて行かれた方がどんなに辛いかなんて、ちっともわかってない!」

 見上げて来る瞳から、再び涙が溢れる。一晩に何度も彼女の泣き顔を見るのは、彼には耐えられなかった。

 その顔が自分から見えなくなるように、胸に彼女の顔を埋めるようにきつく抱き締める。応える細い腕の力も、より一層強くなった気がした。

「一人は嫌。寂しいよぉ……。一人にしないで……」

 紋章が熱く疼く。龍の鱗が今も増えていることは、はっきりと感じ取っていた。それでも、彼女を抱き締めずにはいられない。

 二人の結論は、決まっていた。

 自分の体が壊れそうな程に強く抱き締めてくれる腕の中から、天を仰ぎ、祈る。

(これが許されざる想いなら、せめて、ほんの一時の、お慈悲を……)

 そして。

(もしそのほんの一時も許されない、現世うつしよでは叶うことのないえにしなら、どうか来世での、えにしを……)

 景華の祈りに答えるように、月が翳り、雲に隠れた。天が、その目を閉じる……。

 闇夜に、二つの影が溶ける。

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