女王と龍神 真実
「陛下。どうぞ、四神剣を」
連瑛の手からそれを受け取って、鞘から抜く。
「昨年の珎王暗殺事件の犯人は、この剣があきらかにしてくれます……」
そう言って、その切っ先で軽く自分の腕を傷つける。彼女の血液が触れた部分から、刀身が白く輝き始めた。
「この剣を抜ける者は王族、または婚姻などによりそれに準ずると認められた者のみ。そして、流された血の記憶、この場合は私の中に流れる珎王の血が、その犯人の部族をあきらかにしてくれています。刀身が白ということは、犯人は虎神族。そして、あの当時王族に準ずると認められていた虎神族の人間は、虎趙雨ただ一人、ですね……」
広間が、しんと静まり返った。これで、柳鏡に掛けられた疑いを晴らすことができたのだ。
「陛下、最初のお仕事を……。罪人に、刑罰を言い渡して下さい」
連瑛が、そう重く口を開く。春蘭と趙雨が、玉座の前に引きずり出された。
「その前に、二人の言い分を聞く必要があるわ。あの時のことを、詳しく話して……」
趙雨が礼をしてからその言葉に答えた。顔を上げて、彼女を真っ直ぐに見つめて話す。
「はい。一年前のあの夜、私は春蘭と一緒に陛下の寝室を訪ねました……」
しとしとと、雨の音がうるさい。その湿った空気が、彼の心を塞ぐ……。いや、もしかすると、これから行おうとしていることの重大さが、彼の心に重くのしかかっているのかもしれない。待ち合わせをしていた廊下の先に、春蘭の姿が見えた。
「趙雨、本当にいいの……? このまま実行してしまえば、あなたも罪人として捕らえられてしまう日が来るかもしれないのよ?」
心配そうに見上げて来る彼女の頬を、左手で包み込んでやる。雨のせいか、冷たい。彼の決心は固かった。
「仕方ないんだ。多くの民が犠牲になっているのに、王はそれに見向きもしない。そんな国王にこの先も政治を任せることなんて、できないからな……」
「でも……景華姫のことはいいの?」
幼馴染の、かわいらしい純粋な姫。彼女は、彼らのこの野望の犠牲となってしまうのだ。
「……それも、仕方ないんだ……。姫と婚約をしなければ王位継承権は得られないし、かと言って君以外の女性と結婚することはできない」
その言葉に、春蘭が気弱に微笑んだ。そして、その表情を硬く引き締める。
「行きましょう、趙雨。もう後戻りはできないわ。この作戦に協力してくれた皆のためにも、私たちが迷っていてはいけない……」
冷たい廊下を、足音をさせずに歩く。二人の影は、完全に闇に紛れていた。そして、目的の部屋の前で足をピタリと止める。趙雨が大きく息を吸い込み、吐き出した。その後、もう一度息を吸い込んでから中の人物に声をかける。
「陛下、趙雨です。よろしいですか?」
「おお、趙雨か。さあ、入ると良い」
娘の結婚ですっかり舞い上がっていた珎王は、真夜中の訪問に何の疑問も持たずにその扉を開けた。室内に、二つの陰が滑り込む。
「おや、春蘭も一緒だったのか。まあいい、入りなさい。美味い酒があるんだ。一緒に飲もう」
そう言って、部屋の奥に彼らを通す。衝立の、向こう側に……。
「素晴らしい剣ですね、陛下」
珎王の腰に提げられている四神剣を見て、趙雨が軽く微笑んだ。その様子を見て、珎王がその剣を彼の手に握らせる。
「王族とそれに準ずる者のみに許された剣だ。景華と結婚する君には、もう抜けるかもしれないな。いずれはこの剣も、この国も、私の娘も君の物になるんだよ、趙雨」
「いずれは、などとおっしゃらずに、今すぐ私に下さい。陛下……」
四神剣が、その身を趙雨に委ねた。鞘から、銀色に輝く刀身が現われる。
「な、何をする! 気でも狂ったか?」
色を失って後ずさりした珎王の背中が、衝立にぶつかった。袋の鼠、逃げ場所がない……。
「気が狂っているのはあなただ、陛下! 罪もない多くの国民を犠牲にしたあなたは、この国には必要ない!」
ドカッ!肉を突いた鈍い感覚が、その柄から趙雨の手に伝えられる。
「ぐうっ……」
倒れた珎王のその口から、血が大量に流れ出た。もう一度深く剣を突きたてて、抜いた。血飛沫があがって、彼の衣を赤く染める。その色は、罪の色……。その時だった。
「お父様? 入るわよ」
聞き慣れた、あの声。後から彼女もその手にかけるつもりではいたが、心の準備という物が全くできていなかった。
「やだ、雨漏り?」
そう呟く声が聞こえる。そして、その直後に息を飲む音……。おそらく、床の水溜りが何から構成されているのかに気が付いたのだろう。
「景華姫……?」
恐る恐る、そう声をかける。彼女ではないことを、祈りながら……。衝立を、四神剣で倒す……。
「っ……!」
彼女は、絶句してしまった。できることならば、怖い思いをさせることなく、眠っているまま逝かせてやりたかった。それが、犠牲となる彼女へのせめてもの思いやりだったのに……。
「陛下の死体が揚がった、という話は、私が作った物です……。私がついた、嘘です……」
誰もが趙雨の告白に息を飲む中で、春蘭が静かにそう話始めた。
「まだ見つからない! 一体どこにいるんだ?」
趙雨は、景華と柳鏡が見つからないことでだんだんと追い詰められていた。もしも彼らに反乱を起こされたら、という懸念が、どうしても拭えない……。春蘭は、その様子を見ていることしかできなかった。だが元々彼に国王の暗殺を持ちかけたのは彼女の方なのだ、見ているだけなど、到底許される訳がない。
「何とか、死んだことにできないかしら……」
その時、彼女の頭に本の一節が思い浮かんだ。国王の側妃が正妃を追い出して死体を作り上げ、自分が立后するという話。確か、髪の色が同じ腐敗した死体に、彼女の持ち物を持たせればよいだけ。そして人を使って、趙雨には何も言わずに彼女の死体を作り上げた。それが川から揚がったことにして、彼に見せれば……。
「騙されてくれる、かしら……」
彼が騙されてくれる確率は、五分五分。それでも、彼女はこれ以上彼が苦しむのを見たくはなかった。一縷の望みを託して、彼女はその作戦を実行した。
「陛下、お聞き下さい。これらは全て、私たちと少数の協力者で行ったことです。長や一族の者は、ほとんどが私たちの嘘を信じ、騙された者たちです。どうか彼らには、御配慮を……」
趙雨の言葉に、景華は強く頷いて見せた。それから、女王としての言葉を紡ぐ。
「わかっているわ。それに、先程各部族の長は私に忠誠を誓ってくれたばかりだもの、その彼らを簡単に罰したりはしないわ」
安堵の色が、趙雨と春蘭の顔に宿った。その後、再び二人の顔が玉座の景華に向けられる。
景華のその配慮は、もっともなものだった。もし部族長たちを罰すれば、今後彼女の政権に不満を持つ者が多数出ることは間違いない。それに、今回の内乱で疲弊した辰南国に、他国が侵略の魔手を伸ばしてこないとも限らない。そのため今最も重要視されるのは国内の結束であって、無知への贖罪ではないのだ。
「ただ、あなたたちが行ったことは国王暗殺、並びに全国民を騙した偽証罪に問われるわ。それは、わかっていますね……? そして、私や柳鏡が城からの逃亡を試みた時。あの時私だと知っていて命を狙った者も、当然罪に問われます。その者たちには後から処分を言い渡します。それも、よろしいですね?」
「はい……」
春蘭が静かに応えて、趙雨も頭を深く垂れた。柳鏡が、広間の隅からじっとその様子を見つめている。あの彼女が、まさか、死罪の判決を下すだろうか……? 王としては必要なことかもしれないが、そんなことをすれば彼女がこの先一生苦しむことになるのは、目に見えている。彼女も親友たちも体裁も守れる解決策は、ないのだろうか……?
「本来なら、あなたたちが犯した罪は死をもって贖うべきなのでしょう。しかし、あなたたちがこの国の今後によく貢献してくれたということも、事実なのです」
景華のその言葉で、広間がざわついた。柳鏡も、驚きで僅かにその身を乗り出す。
「あなたたちがあの事件を起こしてくれなければ、私がこの国について学ぶような機会はありませんでした。この一年間は、私がこの国をよく知り、どう政治を運営していくかということをよく考える時間となりました。私が今後民に望まれるような政治を行うことができれば、それはあなたたち二人のおかげなのです」
ざわざわと騒がしかった広間が、静まった。皆、景華の言葉に聞き入る。
「しかしその時に恩赦を出そうにも、あなたたち二人はもういなくなっているかもしれません。ですから、先に恩赦を出しておこうと思います」
(そんな話聞いたことねえぞ、アホ)
柳鏡が、心の中でそう呟く。それでも、その表情は優しかった。彼女らしい決断に、笑みがこぼれたのだ。
「本来なら死罪の二人ですが、恩赦でもって左遷とします。南西の天山の街で、静かに暮しなさい。この判決に異議のある方はいませんか?」
ぐるりと広間を見渡す。皆が皆、景華に向かって頭を下げて了承の意思を表示する。柳鏡だけは、軽く彼女に笑いかけてくれた。それが、彼女の原動力となる。
「どうやら、皆さん承認して下さるようですね。明朝、夜明けとともに王都を去るように……」
景華が、そう言って二人に笑いかける。その笑顔は、子供の頃から変わらない。趙雨と春蘭も、笑顔でそれに応えた。三人が三人とも涙を浮かべて笑う様子を見た柳鏡は、変わってないな、と心の中でまた呟いた。




