女王と龍神 決戦
「思ったよりも早く落とせたな。早く行くぞ! 逃げられたら探すのも厄介だ!」
柳鏡がそう言って彼女の手を引く。向かう先は一つ。趙雨と春蘭がいる、王城。
途中懸命に立ち向かって来る兵士たちを、柳鏡が皆薙ぎ倒す。彼の左腕は、皮肉にも人でなくなって行く内にその力を増していた。今は、あの大剣が苦も無く片手で扱える……。
市街地で馬を乗り回す訳にも行かず、城までは彼らの足で行くことが余儀なくされた。
「待って柳鏡! 早い!」
景華は何とか彼が走る速度について来てはいるが、息切れを起こしてひどい。
「手が空いている者はついて来い! これから王城に向かう!」
柳鏡のその言葉に、バラバラと清龍族の兵士たちが動いた。それを目の端で確認してから、景華を右手で抱えて走る。彼女が暴れるのがわかった。
「ちょっと、自分で走るわ!」
「アホ、あんたの鈍足には付き合い切れねえんだ! あんたのせいで趙雨たちを逃がしたとなったら、目も当てられないだろっ?」
彼女を抱えながら走って思い出すのは、一年前のこと。ちょうど一年前のこの時期に、茫然自失といった状態の彼女を抱えて城から脱出した。そして今は、その彼女を抱えて城へと戻っている。
一年は彼にはとても短く、そして、満たされていた……。
「おいあんた、平和ボケで一年前より太っただろっ?」
彼女の体が前よりも重く感じるのは、その存在が彼の中でより重くなったせい。それが、物理的な重さにも感じられる。そんな事実から目を背けるように、彼は軽口を叩いた。
「失礼ね! そんなに変わってないわ!」
真剣な戦闘の最中だが、彼女に向かってまた軽口を叩く。それは、彼女が緊張しなくていいようにという彼なりの配慮だった。
「そうだよな、太った割にはどこも色っぽくなってないもんな! なぁ、痩せっぽっちのチビ姫!」
「死ね、変態! 死んじゃえ!」
憤慨してジタバタと暴れる彼女を下ろす。そして、先程までとは一変して鋭い視線を前方に向ける。そこには、衛兵たちに囲まれた趙雨の姿があった。
「やはり御存命だったのか、景華姫……」
「久しぶりに会ったのに随分な挨拶だなぁ、趙雨。自分で姫の死体まで仕立てておいて、それはないんじゃないか?」
柳鏡が鼻で笑う。趙雨が、彼の腰から提げられている剣の柄に手をかけた。すでに、清龍族の兵士たちと城の衛兵たちはそれぞれに戦闘に入っていた。一方の彼らは、まだ睨み合いを続けている。
「……姫様は亡くなったと聞いていた……。だが反乱が起きた時、まさかと思った……」
「ほう、今更しらを切るとは、良い根性だぜ……」
柳鏡の全身からは、怒りが滲み出ている。今までの鬱屈した感情が、彼の口を衝いて出る……。
「お前になら、姫を幸福にできると思っていた……。だが、俺や姫のその信頼に対するお前の応えが、一年前のあの事件だ。俺は、お前を許すわけにはいかない……」
趙雨が愉快そうに笑った。そしてその後、柳鏡を鋭い視線で見据える。
「相変わらず姫、姫か……。本当にお前は、子供の頃からなんの進歩もないな……。さては姫、この乱が成功した暁には彼の妻になるとでも約束したのですか? それで彼に頼んでこの乱を起こさせたのでしょう? そうすれば彼は玉座もあなたも得ることができるのですから、喜んで協力してくれたことでしょうね……」
「柳鏡は地位や名誉を望むような人じゃない! あなただって知っているくせに!」
景華の真剣な言葉を受けて、趙雨がまたおかしそうに笑った。そして、ゆっくりと剣を抜く……。
「そうです、知っていますよ、姫。彼はあなたさえ幸福ならそれでいいと思っていた人間ですからね……。外の様子をあなたに陳述して、あなたから珎王に民の救済を嘆願していただこうかとも考えました。しかし、外での惨事はあなたが知らなくていいことだ、と彼に反対されました。辛いこと、汚れたことはあなたにお聞かせしなくていい、とね……」
「随分とおしゃべりだな、趙雨……」
彼の様子に、柳鏡も手に持っていた大剣の柄を握り直した。趙雨を見据えるその目には、鋭い光が宿されている。景華は初めて、柳鏡のことを怖い、と思った。彼のその表情は、景華が今までに見たことがないほど険しかった。
「それに、剣なんか抜いてどうする気だ……? まさか、俺と戦うつもりか? 自殺行為だぞ? 今の俺は、すこぶる機嫌が悪い……」
趙雨が剣を鋭角に構えた。それから、重心を前に傾けて姿勢を低くする。完全に、攻撃に移る体勢だ……。
「わかっている……。私がお前に勝てる訳がない。それでも、戦わない訳にはいかないんだ!」
ガン、ガシィィィィィン! 金属の不協和音が辺りに立ち込める。柳鏡の大剣と趙雨の剣がぶつかり合って、火花を散らす……。
景華は、彼らの邪魔にならないように一歩身を引いた。
「アホっ、何をボヤボヤしている!」
鍔迫り合いの膠着状態から趙雨を弾き飛ばして、柳鏡が振り返らずに彼女に言った。
「春蘭を探せ! あいつもどこかにいるはずだ! 忘れるな、あいつも珎王を殺害した犯人なんだぞ!」
その言葉に強く頷いて、景華は駆け出した。