姫と龍神 逃走
「乗れっ!」
柳鏡は乱暴にそう言うと、景華を馬上に押し上げた。そして自分もその後ろに乗ると、手綱をしっかりと握り締める。
「絶対に落ちるなよ! 何があっても離すな!」
馬の横っ腹に強く蹴りを入れると、馬は高くいななきを響かせて走り出した。運良く、彼らが飛び乗った馬は景華の婚約への祝いの品で、軍馬にも劣らないような立派な馬だった。その速さは、疾風が空を翔るようだ。
(おそらく、門はすでに閉ざされてしまっただろう。残された道はただ一つ……)
「こいつならやれるかもな……」
柳鏡は余裕がない中でも、不敵な笑みを浮かべた。腕の中の存在を、彼はなんとしても守り抜かなくてはならない……。それは、彼女のためであり、不遇の死を遂げた彼の主君のためであり、何よりも彼自身のためでもあった。
「この先に、一部だけ大きく城壁が崩れている場所がある。そこを飛び越えて城外に出るからな。合図をしたらしっかりとつかまれ……。怖かったら目を閉じていろ……」
微かに、彼の言葉に応える感覚が腕の中から感じられた。彼は、自分が今馬を疾駆させている通りの先に、城壁の崩れている部分を見てとった。
「行くぞっ!」
彼の衣の襟が、ギュッと強く握られた。
(いちかばちかっ!)
いつも競技でやっている乗馬とは違う。障害物を乗り越えなければ待ち受けているのは死であり、失敗は絶対に許されない。ましてや二人乗りで超えるなど、通常の馬では絶対にできないだろう。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
柳鏡の体を、浮遊する感覚がとらえた。
馬は、見事に城壁を超えた。彼の目線の下で崩れた石塀が、自分の上を飛び越えて行く者を静かに見送っていた。
しかし、その爽快感に浸る暇さえ、今の彼にはなかった。
「もう大丈夫だ。城の外に出てしまえばこっちのものだからな」
そう言って自分の腕の中を見下ろしたが、返答はない。馬の揺れの他にも、小刻みに彼女の肩が震えているのがわかる……。
「……」
かける言葉など、彼は持ち合わせていなかった。たとえ自分が何を言ったとしても、たった今彼女が経験した、裏切りや悲しみ、痛み、それら全てに相当するような言葉が、存在する訳がない……。
その存在の小ささと儚さに不安を感じながら、彼は馬を走らせ続けた。
「景華姫、かわいそう……」
二人の目からは、ぱたぱたと涙がこぼれていた。兄の方は、鼻をグスグスといわせてさえいる。妹の小さな手が拳の形に握られ、清らかな滴を拭った。
「そうね……。でも、姫の苦労はここで終わりじゃなかったの……」