女王と龍神 背中
「柳鏡」
父親が、彼を呼んでいるのがわかる。その声を聞いて、彼は困った。
「俺にどうしろって言うんだ……?」
そう溜息混じりに呟いて、自分の左側を見下ろす。その肩には、景華の頭が乗せられていた。彼女は、彼の気も知らず規則正しい寝息を立てている。隣に座って彼女のとりとめもない話を聞いてやっている内に、彼女が彼の方へと倒れて来たのだった。彼を見つけた父親が、歩いて来る。
「なるほどな、呼んでも来ない訳だ……」
その様子を見て、苦笑する。
「申し訳ありません、父上。何かありましたか?」
そのまま自分の父親を見上げて、彼が苦笑していることを確認する。だが、その笑顔が嬉しそうに見えることもまた事実だ。
「いや、特に用があった訳ではないが……。明日からお前とは別々の行動をとることになるからな、そちらの隊の指揮を任せる旨を伝えておこうと思ってな……」
「わかりました、全力を尽くします」
それから、連瑛の視線がチラリと景華に注がれる。そして、今度は目を細めて穏やかに笑った。
「お前はこの前、お前の母が望んだような生き方はしていないと言ったな……」
母が自分に望んだような、波風の立たない、穏やかな人生。それは、彼が龍神の紋章を解放してしまった時点で守られていない……。彼は、父の言葉に無言で応えた。
「私は、そんなことはないと思うがね……」
「なぜですか……?」
その言葉に、目を上げる……。紋章を解放して呪われた運命を歩んでいる自分の人生の、どこが穏やかだと言うことができるのだろうか……? 連瑛の頬に、深いしわが刻まれた。父のそんな笑顔は、そうそう見ることはできない。
「これまで見たお前の中で、今が一番、穏やかな表情をしている……」
父の言葉に、深く息を吸い込む。確かに、そうかもしれない……。
たとえ残された時間が僅かだったとしても、その間は彼女と一緒にいようと、彼女のわがままを精一杯聞いてやろうと誓った。そして彼女からもその分の、いや、それ以上の笑顔が返って来るようになった。その事実は、彼を十二分に満足させていた……。
「確かに今が……今までの俺の人生の中で一番幸福で、満ち足りているのかもしれません……」
息子のその表情は、本当に今のその状況に満足していることを表していて、その父親にはそれが何よりも誇らしく、そして、悲しかった。
もっと時間があれば、彼には間違いなく今以上の幸福が待っている。愛する人との、温かい家庭。誰からも認められ受け入れられる、故郷……。それなのに、彼にはそれらを望むことが許されていない。そして、息子はその事実に満足しているのだ。
連瑛は、息子に背を向けた。その背中が彼の目にどう映ったかは、わからない……。