女王と龍神 夜風
「洞窟かぁ……。行ってみたい気もするけど、本当に真っ暗なんだろうね。ちょっと怖い気もする」
好奇心旺盛な兄妹は、洞窟、という空間に興味を持ったようだった。
「お城の近くにも、ありますよ」
母親のその言葉を受けて、二人の顔がパッと輝く。
「行ってみたい! お母様、連れて行って!」
その言葉に、母親が苦笑してみせる。二人が布団から出している手をその中にしまってやりながら、それに答えてやった。
「そうねえ……。お父様が連れて行ってくれる、っておっしゃったら行って来てもいいわ」
「じゃあ、お母様からお父様に頼んでよ! お母様が頼めば、お父様は絶対にダメって言わないよ!」
それには母親は首を横にふってみせた。
「自分たちでお願いしなさい。そういうことも、お勉強です。続きを話しますよ?」
抗議の言葉を言わせないための、とびっきりの手段……。それが、お話の続き、だった。
「景華姫たちは無事に洞窟を抜けることができました。途中で一度、大蜥蜴の妖怪に襲われましたが、勇敢な清龍の戦士たちが戦ってくれたおかげで、景華姫は再び生まれ育ったお城を見ることができたのです」
「ふえぇ……。怖かった……」
地上に出た景華が発した第一声がその一言だった。隣の柳鏡が、それを聞いて鼻で笑う。
「あんたは人の後ろからちょろちょろと歩いて来ただけだろうが。おまけに、あの蜥蜴が出た時だって人の陰に隠れていただけだろ?」
出口の手前で、一行は大蜥蜴の妖怪に遭遇してしまった。どうやらあの洞窟の主人だったようで、縄張りを荒らされたことで怒ったらしい。砂嵐族の一行もそれは知らなかったようで、かなり動揺していた。しかし清龍の兵士たちが皆勇敢で、率先してその蜥蜴と戦ってくれたことから、柳鏡は後方で景華の守護に徹していたのだった。
「別に庇ってくれなんて頼まなかったもん!」
そう言ってむくれる彼女に、柳鏡が脅しをかけた。
「あんた、知らないのか? ああいう妖怪は、若い女っていうのを好んで食べるんだぜ? あんたも見つかっていたら今頃、あいつの腹の中だったかもな」
「そんな気持ち悪いこと言わないでよー!」
自分の肩を抱いて震え上がるような仕草をみせる景華に、柳鏡はおかしくなって吹き出した。そんなことは、到底起こり得ないことだった。なぜなら、自分がいるからだ。
「姫君、ご覧下さい。ここから城を眺めることができますよ」
連瑛がそう声をかけて、前方を指差す。月の光に浮かび上がって、城は荘厳な雰囲気を醸し出していた。懐かしさに、彼女の口からは言葉が失われてしまう。白い壁も、緑の屋根も、朱色の渡り廊下も、細かな装飾の数々も……。彼女が城を最後に見た一年前と、その様子は何も変わっていない。何も知らずに平和に暮らしていた、あの一年前と……。
「やっと戻って来られたな」
隣の柳鏡が、彼女を見下ろしてそう言った。城を見つめる彼女の横顔は、妙に切なげだ。
「何も……変わってないね……。今まであったことが、全部嘘みたい……」
それでも、彼女はわかっている。時間は、元には戻せない。たとえ、どんなに望んでも……。
「今日はここで休むことになります。明日、二手に分かれて進軍を開始しましょう」
連瑛はそう言って二人のそばを離れた。城を見つめるその目から、二人にしかわからないものがあるということを感じさせられたからだ。景華が、溜息をついた。
「……趙雨と春蘭も、あそこにいるのかな……」
「いるだろうな……。趙雨は王なんだし、春蘭は……何となくいる気がする」
柳鏡が城を見つめる目が、ギュッと細められた。深緑の瞳が、月の光を反射する。そこにあるのは、深い怒りと悲しみ……。
「私ね、これでよかったと思うの……」
意味不明な景華の呟き……。柳鏡の視線が、彼女の横顔に当てられる。
「何も知らないまま趙雨と結婚して、何も知らないまま平和に暮らして……。そうじゃなくて、よかったなって……」
自分の父を失い、友を滅ぼすことになってしまった。それでも、彼女は現在の形でよかったと言う。柳鏡の目が、彼女の横顔に問いかける。なぜ、今の形でよかったと思うのかを……。
「あのまま城にいたら、皆がどんな暮らしをしているのかを知って、考えることもできなかったでしょう? ずっと周りに甘えっ放しで、自分で何かをするってこと、知らないままだったと思うの……」
彼女の髪が、夜風に舞い上がる。その柔らかい香りが、彼の鼻腔にも届いた。紋章が、彼の中で疼く……。
「それにね……」
そこで、彼女の真紅の瞳が彼に向けられた。月光が、それを照らし出す……。
「あのまま趙雨と結婚していたら、自分の本当に好きな人、わからなかったかもしれないもの……」
「……」
月光は、艶やかな真紅の色を浮かび上がらせていた。彼は、その言葉には答えない……。いや、応えたくても、それができなかった。そして彼女も、それを知っていた……。夜風が、二人の間を吹き過ぎる……。
「なーんてね! 本気にしたっ?」
悪戯っぽく笑ってそう言う。その彼女が、本気で先程の言葉を言っていたことも彼にはわかっている。それでも。
「する訳ないだろ、アホ」
そう言って、彼女の額を軽く指で弾いてやる。痛っ、と言う声が上がって、抗議の視線が返って来た。それに、笑いかける……。秋の木の葉が、風に舞い上がった。