旗印と龍神 回想
「ちっ、重てえ……」
次の日、再び重装備をさせられた柳鏡は、左腕を馬上でぶんぶんと振り回した。
「仕方ないでしょ! 今日中に戦闘になるんだから……」
右隣にいる景華から、そんな言葉が聞こえてくる。その様子を軽く睨み付けて、柳鏡が小声で言った。
「誰かさんが人に寄りかかったまま寝ちまったからな、腕が痺れてひでえんだよ……」
「文句言わないの! あれが景華のわがままその一!」
「その一万、の間違いじゃねえのか? いや、あんたが一日に三つわがままを言ってるとすれば、一万じゃ足りねえな」
ふくれっ面になって指を一本、空に向かって突き立てる彼女に、しれっとしてそう答える……。あの後、泣き疲れた彼女はいつの間にか彼に寄りかかって眠ってしまっていた。動くに動けなかった彼は、結果として犠牲を強いられてしまったのだ。
「大体、柳鏡だって昨日、人のファーストキスを……」
語尾がどんどん小さくなっていく……。元々小声で話してはいたが、最後の方は柳鏡にも聞こえなかった。だが、彼女が何を言おうとしていたのかはわかる。じとーっと白い目で、彼女を見つめる。
「あんた、嘘をつくなよ……?」
「ついてないよ! 本当だもんっ!」
「覚えていないなら、いい……」
真っ赤になって怒る彼女から、小さく溜息をついて目を逸らす。照れたとも、ふてったとも、怒ったともつかない表情。
実は柳鏡が言ったことが正しく、昨日のあれが景華にとっての初めてではない。彼はそれを、うさぎ事件、と自らの中で呼称している。遡ること、十二年前の話だ。
「ほら、これだよ」
ぶっきらぼうにそう言って、彼女の手に白くて柔らかい物を預ける。彼女は、小さなその顔をパッと輝かせた。
「これが……うさぎさん?」
真紅の瞳をまん丸に見開いて、子供の手には余るそれを恐々と抱く。
「人には馴らしてあるから、心配ねえよ。……かわいいだろ?」
「うん、ふわふわーっ! お父様にも見せて来る!」
うさぎを重そうに抱いたままパタパタと駆け出した彼女だったが、何を思ったかそのまま駆け戻って来た。
「ありがとう!」
そう言って柔らかい物が自分の唇に触れたことを、彼は今でもよく覚えていた。
「全く、都合のいいことばかり忘れやがって……」
彼のその呟きに、景華は軽く肩をすくめただけだった。これだからうさぎにろくな思い出はねえんだ、と彼は心の中で呟いた。