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姫と龍神 反逆

 昼間の熱気をよそに、夕方からはしとしとと雨が降り出した。それでも宴会は続けられていたが、さすがにもう解散したようだ。時刻は、すでに真夜中と言ってもいいような頃だった。

 景華は、昼間の興奮のせいでなかなか寝付けずにいた。

(ちょっとだけ体を冷やしてこようかな……)

 そう思った彼女は、水浴びの仕度をして部屋を出る。

「どこへ行く?」

 部屋を出た所で、柳鏡に声をかけられた。彼は、いつものように景華の部屋の入口を守っていた。

「水浴び。ついて来ないでよ」

 ビシッと柳鏡に向かって指をさしながら景華がそ言い放った。柳鏡は、座ったままいかにもだるそうに答える。

「あんたについて行ったって面白くない。もう少し成長してから言うんだな」

 バサッ! 何か布切れのようなものが柳鏡に向かって投げつけられた。

「なんてこと言うのよ、変態! ……風邪引くわよ」

 そう言って背を向けた景華の姿を見送った後で、何が投げつけられたか確認した柳鏡は、ふっと笑みをこぼした。

 それは贅沢な金糸の縫いとりが施されているもので、彼女の寝具の一つだった。雨の中で僅かに、甘い香りが彼の鼻腔をくすぐる。おそらくは、その寝具からする匂いだろう。

「諦めないと、ならないんだよな……」

 彼の脳裏には、今も幼い頃からの彼女のことが鮮明に焼きつけられていた。

「あいつなら、きっと幸せにしてやれるんだろうな……」

 そして、そこには幼少時からの親友だと思っていた少年の姿が常にあった。しとしとと降り続ける雨が、とても鬱陶しい。


(あれ、お父様の部屋、明かりがついてる……。もうお休みのはずなのに……)

 景華は水浴びに行く途中で父の部屋の前を通り過ぎる際、もう夜更けと言っても良いような時間であるにも関わらず父親の部屋から光が漏れていることに、違和感を覚えた。

(あれ? 鍵も掛けてない……。さては酔ってるのね、お父様。起こしてあげないと)

「お父様? 入るわよ」

 ギィ……。やけに空気が湿っているのは、先程から降り出した雨のせいだろうか。気のせいか、床も濡れている。

「やだ、雨漏り?」

 そう呟いて床を見下ろした彼女は、その場に凍りついた。

 雨漏りのそれにしてはやけに温かい水たまりは、暗闇の中で鮮烈に思える程真っ赤な色をしていた。あきらかに「血」である。

「景華姫……?」

 部屋の奥から彼女を呼ぶ声がして、こちらと奥の空間を仕切っている衝立ついたてが倒れた。

「っ……!」

 そこにいる人物に、彼女は絶句してしまう。

 衝立の向こう側にいたのは、昼間彼女の隣で国民に手を振っていた趙雨と、幼い頃からの彼女の唯一の女友達である春蘭だった。

 趙雨の方はその衣に返り血をまだら模様に浴び、その手には祭祀用の四神剣が握られていた。その切っ先からは、まだ血が滴っている。そして……。

 倒れている人物に、景華はゆっくりと眼を向けた。嘘だろう、と。自分は夢を見ているのだ、と思いながら。

 そこにあったのは彼女の父、珎王の青白く変わり果てた姿だった。

「お、お父様! なぜっ、なぜっ!」

 景華は、足元に横たわっている父に取りすがってすすり泣いた。

「忠実な民を欺く不実な珎王は、この虎趙雨が討ち取った……」

「ど、どういうこと……?」

 そう言って趙雨を見上げた景華は、その冷たい瞳にゾッとした。そのあまりの青さに、体が固まってしまう。いつもなら柔らかい光をたたえているはずの瞳は、今は見つめられただけで凍りついてしまうかのような冷たさを内包していた。

「城から滅多に外に出ないあなたには、わからないでしょう」

 春蘭が、こちらも信じられない程冷たい口調で話を切り出した。景華の鼓動が一つ、不穏な跳ね方をする……。

「今年は、麦も米も、何もかもが凶作でした。それはもう、過去五十年の中で最悪と言われる程の……。それにも関らず、王はあなたの成人の式典があるとか、王妃様の死後十年たったから追悼の式を行いたいからと言って、苦しい生活をしている民からさらに搾取したのです」

「……」

 景華には、すでに言葉を紡ぐ気力も残されていなかった。ただ彼女の耳だけが、話し続ける春蘭の声を拾い続けている。耳元で響く、不規則な鼓動の音。

「もちろん、陳述だって何回も行いました。それも自分たちが第一だと考える王の前では無意味に終わってしまいました……。あなたは知らないでしょうけど、今もこの城壁の外では多くの人が命を落としているんですよ!」

「っ……!」

 声こそは出さないが、景華があまりの事実に驚き、目を見開いたのが薄暗がりの中でもわかった。

「私は、あなたを愛してはいません、姫様」

 さらに衝撃の事実に、景華はついに動くことさえできなくなった。

「あなたと結婚すれば、珎王に直系の男子がいないために、自動的に私に王位継承権が与えられる。私はそれに目をつけました。誰か民の暮らしをよく知る者が王位に就けば、このような搾取が行われることはなくなるはずですからね」

 景華は、うまく回らない頭で一生懸命に状況を整理しようとした。そして。

「つまり、王位のため……」

 やっと口をついて出たのが、その一言だった。

「そうです。私は、小さな頃からここにいる春蘭ただ一人を思ってきました。彼女はいつも周りに対して公平で、思慮深さを持っていた。あなたと丁度真逆ですね……」

 冷たい口調に、冷たい微笑み……。これが、つい先程まで彼女の隣で笑ってくれていた趙雨なのだろうか。

「あなたと遊んでいる内に、本当にあなたが憎らしくなってきました……。望めばなんでも手に入る環境。一人娘だからとことんあまやかされていたことも事実でしたし。城の外の民が明日の糧の心配をしているような時に、あなたは明日のお菓子のことなんかを呑気に考えていたんですよ!」

 春蘭のとどめの一言に、景華は自分の幼く、無邪気な時代が音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

 趙雨が、まだ四神剣に残っている血を振り払って囁く。

「さて、姫様。ここであなたに見られてしまったのは誤算でしたが、仕方ありませんね……。良き時代、良き国を創るための、いしずえとなって下さい……」

 趙雨が四神剣を振り上げるのが、目の端にゆっくりと映った。銀色の切っ先が、室内の小さなろうそくの光を浴びて閃いた。

「い、や……」

 死にたくない!

 彼女がその瞬間に唯一考えたのは、それだった。

 誰か、助けて!

「柳鏡……!」

 その名前を呼んだ瞬間に、彼女は自分の体が何か力強いものに引かれるのを感じた。

 ガシィィィィィン! ガラン、ガランガラン……。足元に、何か金属質の物が落ちた音が反響した。景華は、そこでそっと目を開けた。

 彼女を引き寄せた力強いものは、柳鏡の腕だった。彼の利き手である左手には、常に彼が背負っていた大剣が抜き身の状態でしっかりと握られている。緊迫した状況の中でも妙に安心感を感じて、彼女は詰めていた空気を震えながら吐き出した。

「りゅ……きょ……」

「怪我はないか?」

 彼女は声にならない声で、辛うじて彼に呼びかけた。そして、彼からの問いに涙をボロボロとこぼしながら頷く。

「衛兵!」

 趙雨がそう号令を発すると、どこにいたのか、バラバラと二十人近い数の衛兵がその姿を現した。チラとそれらに視線を走らせながら、柳鏡は趙雨に問いかけた。景華を守る腕の力が、いささか強まる。

「どういうことだ、趙雨? それに、こいつらは虎神族の人間じゃないか? 城の衛兵に化けてはいるが、俺の目はごまかせないぞ……」

「国家のために不実な王を処刑しただけだ! お前にもわかるだろう? 王がいかに国民に苦しい生活を強いていたか!」

 趙雨が、今までにないほど語気を荒げた。おそらく、予想だにしなかった柳鏡の邪魔で苛立っているのだろう。

「だからどうした? 王位の簒奪さんだつに正統性など主張してどうなる? 間違いを正すために間違いを重ねるのか?」

 図星、といったところだろう。趙雨の表情が変わった。そこには、柳鏡への敵意がむき出しにされていた。

「なぜ他の衛兵は出て来ない? こんな騒ぎになっているのに!」

 さすがの柳鏡も、少々焦りが生じているようだ。城の残りの衛兵が全く気配も感じさせないことに、苛立ちを感じているように、あたりを見回した。

「皆眠っているわ。差し入れの酒に睡眠薬をまぜておいたから……」

「くそっ!」

 柳鏡の背を、冷たい汗が流れた。

(俺一人なら戦って切りぬけることもできる。だが……)

 柳鏡は、チラと自分の腕の中を見やった。そこには、小さな体を自分に預けてただただ震えているだけの、弱々しい姿。彼がなんとしても、守り抜かなければならない者。

(姫を抱えてとなると……。いや、やるしかない!)

「しっかりつかまってろよ! 絶対に離すな!」

 柳鏡はそう言いながらすでに地を蹴って飛び出していた。

 ザンッ! ザシュッ! 雨の中でも、濃い血の匂いが鼻腔をつく。柳鏡の動きは、すさまじい速さだった。あっという間に近くにいた三人を薙ぎ倒し、景華を抱えたまま夜の闇に姿を紛れさせる。

「くそっ! 追え! 城門を閉ざして一歩も外へ出すな!」

 趙雨が四神剣を拾い上げ、それを振り払ってさやに戻しながら怒号をあげた。

「趙雨……」

 心配そうに眉根を寄せながら、春蘭は趙雨の衣の袖をギュっと握った。

「大丈夫だ。改革の前に、多少の犠牲はつきものだから。柳鏡に邪魔されたのは、計算違いだったけどな……」

 趙雨は、王の返り血を嫌という程浴びた自分の衣装を見下ろした。そして、足元に崩れている、その亡骸を。

「衣替え、しなければ……」

 その言葉の真意は、彼一人にしかわからないだろう。隣で不審そうに自分を見上げる春蘭の頭を撫でながら、何でもないよ、と自分にも言い聞かせた。

 秋の始まりの鬱陶しい雨は、いつかは痛みも流してくれるだろう……。

元になる文章がある分、こちらはすぐに更新できます。他の連載は、プロットはあるのですが元々書くのがのろいためになかなか……。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

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