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旗印と龍神 祈望

 結局、全員無事という訳には行かなかったが、景華たちの軍はあまり多くの犠牲を出すことなく勝利を収めた。柳鏡の活躍があってこその勝利だ。

「負傷者を集めろ! 歩ける者は歩き、無理な者は馬や負傷者用の馬車に分乗させてくれ! この先の湖で休むから、その時に手当をする!」

 柳鏡の指示で、迅速な対応がなされた。景華の肩口に、彼の視線がチラリと当てられる。

「痛むか?」

 短い問いかけだが、その僅かに震える声音からは、あきらかに心配していることが読み取れる。

「うん、大丈夫! そんなに深くもなさそうだし……」

 そう、笑顔で嘘をつく。今は上掛けで隠しているが、先程チラリと眺めた時には、矢尻は完全に彼女の体に刺さり込んでいた。それでも自分の怪我で軍の士気を下げたりはしないように、そう答えた。肩口は、ジンジンと痛んでいる……。ともすれば、気が遠くなってしまいそうだ。しかし、そこは気力で持ち堪える。

「湖まで一時間あれば着く。その間は我慢しろ……」

 冷たい言葉に思えるが、それは彼女の意思を尊重しているからこその言葉だ。本当は、今すぐその場で手当てをさせてやりたかった。

「いいよ、柳鏡。進軍させて」

 その表情を読み取って、そう声をかける。自分なら問題ない、と彼に思わせたかった。

「……進軍を開始しろ! 一時間後の湖到着を目標にする!」

 その掛け声で、皆の足がゆるりと動き始める……。戦いの後で疲れ切っているのであろう、誰も足並みを揃えて歩こうとはしない。馬上で多少ふらつきながらも、景華はなんとか湖まで持ち堪えた。

「負傷者は重傷者から順番に救護班に見てもらえ! 食事の当番は準備をしろ! もし負傷者の中に食事当番がいれば、誰かに代わってもらえ!」

 そう号令をかけてから、柳鏡は馬から下りた。そして、意識が薄れてきている景華を馬上から下ろす。

「おい、本当に大丈夫な奴がこんなことになると思うか?」

 そう言いながら寄りかかって座れるような木の根元に、彼女を下ろした。どことなく焦点の定まっていないような目をしていながらも、彼の言葉に何とか答える。

「だって、倒れる訳に行かないから……」

 確かに、旗印となっている彼女の一挙一動は、そのまま軍の士気に直結している。彼女が倒れる訳にはいかないというのは、紛れもない事実だった。

「待ってろよ。救護班の奴、呼んで来るから……」

 そう言い置いて彼が立ち上がろうとした、その時。力の入らない手で、彼女が彼の上掛けを掴んだ。

「いら、ない。皆、もっと重症でしょ? 先に……治療してあげて……」

「あんたも十分重症な部類だと思うが……。それでも最後にしたいのか?」

 柳鏡の言葉に、彼女はコクリと力なく頷いた。もう、彼の声音が怒りを帯びていることにも気付けない……。

「ふざけるなよ……」

 声を荒げることはなかったが、それだけに彼の怒りが深いことがわかる。柳鏡は、くるりと背を向けて行ってしまった。痛みで意識が遠のいて、視界が揺れる……。ふと体が浮く感じが彼女を捕らえ、その後どこかに下ろされるのも感じた。

「柳、鏡……?」

 辛うじて、自分を抱き上げた腕の持ち主の名前を呼ぶ。どうやら、皆が休んでいる湖のほとりから少し離れた場所に連れて来られたらしい。喧騒が、遠い。

「救護班が嫌なら、仕方ないだろ? 抜くぞ……」

「つうっ……!」

 肩に感じていた異物の存在が、激しい痛みとともに、消えた。それと同時に、温かい液体ものが体から抜け出て行くのを感じる。

「ちっ、やっぱりかなり深かったんだな……」

 彼女の傷口に布を押し当てながら、一人で呟く。こういった矢傷の類は、手当し慣れている。だが……。

「あんたが嫌だって言ったんだからな、文句言うなよ!」

 彼女の傷口を抑えたまま防具の止め具を解き、緩める。そして、その戦衣を少しはだけさせた。白い肩が、朱に染まって無残だ……。

「あんた馬鹿かっ? これだけ深く刺さることなんて、滅多にねえぞ? なんでこんな風になるまで言わなかったんだよっ?」

 彼女を責めても仕方ないのは、わかっている。彼女にこんな怪我をさせてしまったのは、自分だ。たとえ彼女がなんと言っても、あの時側を離れるのではなかった。その後悔が、口の中で苦い……。

 傷薬を縫った布をその肩に当てて、包帯できつく縛り上げる。おそらく、しばらく出血が止むことはないだろう。景華がありがとう、と言って戦衣を着付け直した。防具の止め金が片手ではうまく取れないので、手伝ってやる。

「傷、残っても知らねえぞ……」

 乱暴にそう言って、隣に腰掛ける。彼女は本当に彼の思い通りにはならず、困るようなわがままばかりを言う。それがただのわがままならば文句のつけようもあるのだが、最近では理に適っているわがままばかりを言うので、さらに困るのだ。

「仕方ないよ。ほら、よくいるんでしょ? 戦場でついた傷が消えない人って」

 青い顔をしているが、いくらか楽になってきたらしく、口調がはっきりとしてきた。

「馬鹿なことばっかり言うんじゃねえよ。それは男の話だろうが」

 へらへらと笑う彼女に、本当に腹が立つ……。

「ほら、柳鏡のせいじゃないよ? 私が行ってって頼んだんだし……」

 そして、あきらかに自分の落ち度なのに、彼女が自分を責めようとしないことにさらに苛立ちが募る。

「父上が姉さんを戦場にやりたがらないのは、こういうことがあるせいなんだよ。本当は、姉さんだってあんたの軍に入りたかったんだ。だけど、父上に止められた。体に傷でも残ったらどうする、って……」

「そうだね。女の子は、いつかお嫁さんに行くからね……」

 彼女は、そう他人事のように言った。自分には関係のない世界の話だ、という考えが、頭のどこかにあったのかもしれない。

「他人事じゃねえだろ。あんただって、王家の血筋を絶やさないために、いずれ結婚しなきゃならないだろうが……」

 その時までは一緒にいてやれないかもしれない、という考えが、柳鏡の頭をよぎって、消えた。そんなこと、今は考えたくなかった……。

「うん。そうだね……」

 まるで他人事、という言葉がぴったりの生返事。

「あんた、自分のことだって自覚はあるのかっ?」

 いい加減その反応に腹が立ち、思わず声を荒げてしまった。彼女がこの時、どんなことを考えていたのかも知らず……。

「……だって、仕方ないよ。私が王様になったら、私の結婚はそのまま政治に繋がってしまうでしょう? 相手は他所の国の王子、とか、あるいはこの国の勇士、とか。私が勝手に決められる問題じゃないもの……」

 確かに、彼女の言う通りだった。彼女の結婚は、他国の王子とであれば外交のバランスを考慮せねばならず、国内の人間とであれば部族間の力関係に十二分に注意を払わなければならない。そして、それらを考慮した中で最も理想的であるとされる相手が、彼女の意思とは関係なく選ばれる。柳鏡は、その言葉を聞いてしばらく黙り込んだ。

「あんた、それで満足なのか……?」

 やっと出てきたその言葉は、むしろ彼自身の意志を問うものだったのかもしれない。この戦いを終結させて、彼女にそんな人生を歩ませる。それで、本当に俺は満足なのか? と……。

「本当は、ずっと一緒にいてくれる人位、自分で決めたいよ? でも、何もかも欲張りになっちゃいけないから……」

 彼女は最近、あの老婆の占いを思い出す。一つならず、手放さなくてはならないもの。その答えの中に、自由という物が含まれているのではないだろうか……?

「あんた、俺が思っていたよりも後ろ向きだな……」

 柳鏡のその言葉に、景華の顔が上がる。何が言いたいのか、彼の表情も合わせて考えるために。

「自分で決められないから、最初から諦めるのか? そんなもの、あんたが王様になればあんたが一番偉いんだろ? いつもみたいにわがまま言えばいいじゃねえか。自分が結婚する相手位、自分で決める! とか、あんたなら言いそうだと思ってたけどな……」

「それじゃあ暴君だよ……」

 柳鏡の突拍子もない言葉に、景華は思わず苦笑させられた。

「あんたが暴君なのは今始まったことじゃねえだろうが。ガキの頃から外の花を摘んで来いだの、うさぎを城に連れて来いだの……」

「あったね、そんなこと……」

 幼い頃の記憶に、ふっと頬が緩む。

「あんたにしたらいい思い出かもしれないが、こっちには地獄の日々だったんだぞ? あのうさぎだって、捕まえるのに三日もかかったんだ。馴らすのにはもっと時間がかかったし……。あんたが生きてるのがいいとか言うから、相当苦労したんだよ。わがまま過ぎるだろ……」

 彼女のそんなわがままに付き合ってくれるのは、いつも柳鏡だった。趙雨や春蘭は、ただ眉根を寄せて困ったように笑うだけ。だが彼は、絶対に景華が欲しがったもの、見たがった物を持って来てくれた。そして決まってこう言うのだ。二度とあんたのわがままなんか聞かねえ、と……。

「でも、柳鏡は絶対に叶えてくれたよね……。後から散々文句言われたけど」

 彼女から、彼が視線を逸らした。そして、そのまま何も答えない。長い指が黒いくせ毛の中に消えるのを確認してから、彼女は悪戯っぽく笑った。

「決ーめた! 王様になっても、いっぱいわがまま言っちゃお! だから柳鏡、全部叶えてね!」

「ふざけるな。あんたが調子に乗ったら手に負えないから、嫌だ」

 暗い表情を一転させてとびっきりの笑顔で言った彼女に、間髪入れず断りを入れる。

「ダメ! もう決めたもん! 最初に叶えてもらうことも、決めた!」

「おい、俺に拒否権はなしか?」

 彼の溜息混じりの言葉に、景華はさらに笑み広げる。

「もちろん! 大丈夫! 最初に叶えて欲しいことは、すごーく普通のことだから」

 彼の了承は得られていないのに、一人で次々に物事を決めてしまう。それがすでにわがままだということに、彼女は気付いていない……。立ち上がって、草を払う。

「戻ろうよ。ご飯できたみたいだし」

 そう言って楽しそうに戻って行く彼女の後ろ姿を見て、彼が呟いた。彼女には、決して聞こえないように……。

「俺に叶えてやれるものなら、全部叶えてやりてえよ。でも、時間がねえんだ……」

 左手だけを、ぐっと握り込む……。指先が、冷えた手のひらに食い込んだ。そして。

 彼女が叶えて欲しい、普通のこと。それは、残り時間があまりにも少ない彼には、叶えてやれない願いだった……。

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