旗印と龍神 戦闘
「柳鏡」
彼の名を、そう呼ぶ。陣形についての指示をちょうど出し終えた彼が、振り返った。
「約束、守るから……。だから柳鏡も約束、守ってよ?」
彼が、一瞬思案顔になる。そして、この場合の約束がどれを示しているのか、考える。頭に浮かんだのは、昨日のこと。
「ああ。あんたに近付いた奴は、全員俺がぶった斬ってやる! 間違ってあんたも斬っちまうかもな!」
「……そんなことしたら、呪い殺してやる!」
笑顔の彼に、そう答える。自分が緊張しないようにという、不器用な彼の精一杯の思いやり……。
「やめろよ、道連れにする気かっ?」
そうお互いに軽口を叩いている間に、早くも第一陣と敵軍が激突していた。
「いいか? 六班に分かれろ! 一班から順に前に出て、疲れたらどんどん後ろと交代しろ!」
的確な指示が、彼から出される。そして、清龍族の兵士たちはその命に素早く従う。それは普段自分たちが煙たがっている彼の存在を、心の奥底では認めていたということの表れだった。景華が見ている前で、次々に兵士たちがぶつかり合い、倒れて行く。辺りを包み込む絶叫、倒れ行く兵士たちの苦悶の表情、飛び散る鮮血……。その光景は、彼女にはあまりにも凄惨だった。
「見たくないなら、見ない方がいいぞ……」
景華が青い顔で唇を噛み締めている様子を見て、彼がそう言った。それでも、彼女は首を横に振った。高い位置で縛り上げた髪が、いつもより激しく横に動く。
「ダメ、全部見ておかないと……。そうしたら、もう二度とこんなことが起こらないように、と思えるようになるでしょう……?」
「……」
震えて、そんなに青い顔をして……。それでも彼女は、決して目の前の光景から目を逸らそうとはしない。そんな彼女は、柳鏡の目にはとても意地らしく、そして気高く映った。彼女ならば、いずれ王位に就いた時に、国民が他国に誇れるような王になるだろう。彼は、真実そう思った。
「……本当は、俺が混じって戦った方が軍の士気は上がるのかもしれない。だがそうすると、ここにいるあんたの守りが手薄になっちまうんだ」
彼女がどういう答えを返すのか、何となくわかっていてそう言ってやる。
「私は大丈夫だけど、でも……」
柳鏡が混ざれば、士気が上昇する。それは願ってもいないような効果だ。だが、彼の心の痛みに対する代価は、何で支払うことができるだろうか……?
「俺のことは心配いらねえよ。問題は、あんたの方だろうが。俺は……あんたが勝つための、道具に過ぎねえんだよ……」
それは、自分の心を押し殺すことになってでも、彼女の夢を叶えるという意味……。彼のその言葉に、景華は決意を固めた。
「前線に行って、柳鏡。ただし……」
続きを聞くために、彼の体が少し景華の方に傾けられた。
「絶対に、戻って来ること。怪我もしないで。わかったわね?」
なんとも無茶苦茶で、わがままな注文。それでも、彼は。
「仰せの通りに!」
そう彼女に笑顔で誓って、自分が騎乗している馬の横っ腹を強く蹴りつけた。龍神が、戦場を駆けて行く……。彼の背から、大剣が抜き放たれた。銀色の刀身が、閃く。そして彼が通った後には、兵士たちの亡骸の山。それが、そのまま彼の心を塞ぐ痛みに変わる……。彼女は誓った。彼のその痛みに寄り添えるようになる、と……。その時だった。
景華の周りで、兵士たちが何人も倒れた。一瞬、何が起きたのか理解できずに固まる。
「奇襲攻撃です! 前からも来ています! 弓兵隊のようです!」
その言葉のおかげで、何が起きたのかを一瞬で理解する。どうやら、敵はこれが総大将である景華の軍だと知っていたようだ。柳鏡が離れてすぐに攻撃を仕掛けてきたところから見て、おそらく辰南の龍神の存在にも気付いていたに違いない。
「慌てないで! 向こうが近付いて来るまでは、こちらも弓で応戦して。ある程度の距離になったら、ぶつかりましょう!」
そう声をかけながら、自分も弓の準備をする。背負っている矢羽根を抜き、弓に番える。大切なのは、呼吸。そう、彼に教わった。その彼との約束を破らなくてもいいように、敵兵の足元を狙う……。
景華が矢を放ったのと同時に、何本もの矢がどちらにも射かけられる。それらはちょうど中央の辺りで交差し、そのまま相手の軍に降り注いだ。
「うっ……!」
左肩に痛みが走る。見れば、銀色の矢尻が深々と彼女の肩に突き刺さっていた。その矢が動きの邪魔にならないように、途中でバッキリと折る。こういう時には矢尻を抜いてはいけない、と教わったからだ。
「姫君!」
それに気付いた兵士の一人が、そう声を上げる。
「私は大丈夫! それより、皆は? 次を射かけたら、すぐに盾で急所を守って!」
そう号令をかけて自分も二本目の矢を番え、発射する。そしてその後、襲い来る矢の雨を盾で避ける。
「一気に畳みかけて! 突撃!」
彼女のその言葉に、全員が剣を抜き、走る。もちろん、彼女も剣を抜いた。皆が敵陣に突っ込んで行くのを、一人で見ている訳にはいかない。だが、その身は恐怖にすくんでいる……。以前の彼女なら、間違いなくここで逃げ出したことだろう。でも、後には引けない……。馬の横っ腹を、先程彼がしたのと同じように蹴る。金属の不協和音の只中に、彼女もその身を躍らせた。いくつもの真剣な顔が、彼女からも見える。自分に向かって来た兵士に、覚悟を決めて対峙しようとしたその時だった。目の前で、その彼が急に倒れる。
「間に合ったかっ?」
その姿が、彼女を安堵させる……。
「ギリギリね……。死んじゃうかと思った!」
その位、本気で怖かった……。自分に向けられている多くの刃を、景華がどうにかして全て受け流す。そして、彼らはことごとく柳鏡の手によって斬り捨てられていく。
「あんたみたいなじゃじゃ馬はっ、しぶとく生き残るものなんだよ!」
彼女に平静を保たせようと、いつものように乱暴にそう言う。その鎧は、他よりも遥かに多くの返り血を浴びている。血に濡れた刀身を翻して、龍神が舞う……。他国が彼のその名を恐れる理由が、そこにあった。




