旗印と龍神 行軍
「陛下! 大変です!」
朝食をとっていた趙雨の前に、慌てた様子で将軍の一人が駆け込んで来た。
「どうした、将軍? 朝から騒々しい……。だがあまり穏やかではないようだな、話せ」
「も、申し上げます! 反乱が起きました! 亀水族と清龍族が、今朝方同時に兵を起こしたようです!」
「何だとっ? 同時にっ?」
将軍はひどく混乱している、という様子で趙雨にそう聞かせた。対する趙雨も、突然の出来事に驚きを隠せないでいた。どちらの部族も人事に不満は持っているだろう、と趙雨は思っている。だが、絶えず部族同士の闘争が絶えないこの国で、どうやって二つの部族が結束したというのか……。余程の者が統率しなければ、目的は同じでもすぐにばらけてしまうはずだ。それにも関らず同時に決起したということは、よほど長く、綿密に連絡が取られていたに違いない。
「そして陛下! 問題はその旗印なのです!」
将軍が、青い顔でそう言った。信じられない、という言葉が一番似合う顔だ……。
「何だ? それぞれの部族の旗ではないのかっ?」
趙雨が、苛立ちを隠さずに将軍に問いかける。その様子を、春蘭が感情を宿さない薄青の瞳でじっと見つめていた。
「それが……金色の龍と亀が、銀の百合を擁しているのです!」
「何だと!」
趙雨は、その言葉を聞いて愕然とした。まさか、彼女か……? 真紅の瞳が、脳裏にちらつく。
「陛下! 銀の百合、というのは王家の姫の紋章ですよねっ? それをなぜ、奴らが……?」
「黙れ!」
状況を飲み込めずにあたふたとしている将軍を一喝する。趙雨のその様子からは、余裕という物が一切感じられなかった。
「いいか、将軍。このことは他言無用だ。近衛隊から口が固い者を選んで二隊に分け、討伐に行け。奴らの動向を逐一知らせろ。わかったな?」
「仰せの通りに、陛下!」
将軍はそう言って伏礼をすると、廊下を早足で歩いて行った。後には、趙雨と春蘭だけが残った。
「まさか、まだ生きていたなんてね……」
春蘭がそう言って趙雨に歩み寄り、その腕に自分の腕を絡めた。趙雨が長く息を吐いてから、彼女の薄青の瞳を見下ろす。その瞳には、昔のような明るい光は宿っていない……。
「いや、おそらく偽物だろう……。彼女は死んだんだ。そう報告も受けたじゃないか……」
「そうね……」
そう言って彼から逸らした瞳には、ただ黒い光のみが渦巻いていた。険しい顔つきで、渡り廊下の先の植え込みを見つめる。
(今更戻って来るなんて……)
今も忘れられない真紅の瞳が、彼女の目に浮かんだ。
(今度こそ、殺してやる……)
その胸に辛うじて収まっている感情を、彼女はぐっと抑え込んだ。同時に彼の腕を強く握っていたことには、気が付かなかった。
「おいあんた、寝ぼけて落馬したりするなよ!」
景華の隣に馬を歩かせている柳鏡が、彼女にそう声をかけた。清龍の軍は敵を撹乱するために三つに分かれ、それぞれに合流地点を目指して進軍している。景華たちの軍は一日目の行軍を終え、短い休息を取った後にまた進軍を開始していた。午後からは生憎の曇天で気温が上がらず、冷え込む中での野宿だったので、景華はほとんど眠れなかった。
「大丈夫だって。柳鏡こそ、体が重くて動けない、なんて言わないでよ!」
心配して言ってくれたその言葉に、嫌味で応酬する……。いつものことだったが、眠れないで気持ちが不安定だったのも原因だった。柳鏡は、景華の軍の副将として配属されている。名前は一応景華の軍であるが、咄嗟の判断は柳鏡がしてくれることになっていた。本来なら一軍の将として行進していてもおかしくない柳鏡だが、彼がこの位置を望んだのだと言う。
「アホか……。言っておくが、そろそろ青谷の領主の領地に入るぞ。趙雨の息がかかった奴だからな、油断していたら後ろから矢でブスリ、なんてことになりかねないぞ?」
「もう、大丈夫だったら!」
景華がふくれっ面でそう応じた時だった。
「敵襲ーっ! 背後に敵軍です!」
その声が響くと同時に、大きく角笛の音がなった。
「ほら見ろ、お出ましになったぞ。全軍方向を転換しろ! 迎え撃つぞ!」
最初の言葉を景華にかけてから、柳鏡がそう号令をかけた。先程とは違う音の角笛が鳴らされる。
景華の頭に、昨夜の柳鏡の言葉が蘇って来た。
ここまでお付き合い下さっている皆様、本当にありがとうございます。
きりのいい所で切ろうと思ったら、短過ぎる……。そんなこんなで部数だけは半端なく多くなってしまっていますが、今後もお読みいただけると嬉しいです。