姫と龍神 楼閣
「それで? お母様。その後はどうなるの?」
子供たちの興味が話にどんどん引き込まれていることに気づいて、若い母親は少々後悔した。本当は話の途中で子供たちが寝付いてしまう予定だったのだ。
(困ったわ。あの人も私が戻るのを待っているだろうし……)
ホゥ、と溜息がこぼれた。
「ねぇ、まぁだ? お母様」
兄妹は、小さな瞳をキラキラと輝かせながら、母親の口から話の続きが語られるのを今か今かと待ち望んでいた。
「はいはい、続けますよ。それから一月程経ってから、お姫様は趙雨と婚約の式をあげました。」
「え? 結婚式じゃなくて?」
いかにも納得がいかないという顔付をして、子供たちは母親を見上げた。
「その当時は、内乱が頻繁に起きていたの。だから、趙雨とお姫様を結婚させると、虎神族だけを特別扱いしてしまうことになるから、とりあえず婚約だけ、という形になったのよ」
「ないらん、てなぁに? 戦争とは違うの?」
妹の方が疑問を差し挟んだ。どうもこの子は小さい頃の母親似で、気になることは口にせずにはいられないようだ。
「国の中で起きる戦争のことよ。五つの部族から成り立つ国だったから、その中での争いが激しかったの」
「変なの。みんな仲良くすればいいのに」
「そうだ。僕たちの国だって、お母様が女王になる前まで五つの部族に分かれていたんでしょう? それなのに、今は内乱なんか起きてないじゃないか」
口々に不平不満をもらす子供たちを、母親は優しくなでた。
「そうね、皆が皆、いい人だったらいいのにね。とにかく、その時はそうではなかったみたいなの」
もう秋になるという時期のはずなのに、景華の体には真夏のような熱気が感じられていた。
彼女は今、城の楼閣の上から、広場に集まった国民に向かって手を振っていた。隣には、もちろん趙雨の姿がある。
今日は、彼らの婚約が発表され、煌びやかな式典が行われている。その中の行事の一つとして、広場に集まって祝福の意を表してくれた国民に手を振る、というものがあり、それが今彼女が楼閣の上にいる理由であった。
「たくさんの人ね」
景華は、眩しい日差しのせいで手をかざしながら、広場に集まっている国民の数に感心してそうつぶやいた。
「そうですね。これだけの民がこの都で暮らしているのですよ、姫様。驚きましたか?」
趙雨の優しげな問いかけに、景華はコクリ、と頷いた。
「知らなかったわ。考えてみれば私、お城外に出たことなんて、数える程しかなかったもの」
趙雨は、驚いたかのようにほんの少し目を見張った。
「そうでしたか。……いつかもし、お許しが出れば。その時は、私がご案内しましょう」
「ほ、本当?」
景華が頬をうっすらと上気させて嬉しそうにする様子を見つめて、趙雨がニッコリと微笑んで頷いた。
「ただし、時間があればですけどね……」
「え? なぁに、趙雨? 聞こえなかったわ」
趙雨があまりにも小さくつぶやいたので、景華にはそれが全く聞き取れなかった。
「いえ、なんでもありませんよ」
趙雨が顔をあげていつもと同じように微笑んだので、景華はそれ以上は詮索しないことにした。それから、ふと思い出したことがあって振り返る。
「ねえ、柳鏡」
「何だよ? 余所見してて落っこちるなよ」
護衛の仕事として二人の後ろに控えていた柳鏡に、景華の真紅の瞳が向けられた。その後、白い頬がぷっくりと膨れ上がる。
「そんなにドジじゃないわ、失礼ね! 具合悪いの? さっきから、あんまり顔色が良くないもの。お仕事は大丈夫だから、少し休んだら?」
「趙雨がいるから、か?」
「うん!」
彼のその言葉は冷やかしのつもりだったのだが、彼女からは満面の笑みが返って来てしまった。それに、曖昧に笑って見せる。自分の想いが彼女に届くことは、ない。そう諦めていたはずだった。それなのに、いざ現実を前にするとどうしても目を背けたくなってしまう。だが、それでも。
それ以上に、彼女の幸福が嬉しかった。その笑顔が明るく輝くのを見ていられるだけで、それでいい。彼は自分をそう納得させようとした。寄り添って楽しげに言葉を交わす、二人の後姿を眺めながら……。
下からの熱気がどんどん上がってくる楼閣で、景華はもう一度都全体を見渡した。彼女が今いるのは辰南国でもっとも高い場所であり、同時に、それまでの人生でもっとも幸せな地点だった。
暗雲が、ついに彼女に追いついた。