旗印と龍神 夕食
景華が深緑の色に別れを告げて家に戻った頃、柳鏡は父親である清龍族の長に亀水の里での出来事について大体を報告し終え、景華が待つ家へと向かっていた。
「そう言えば、姉さん、随分と余計なことをしてくれましたね……」
その言葉には、静かな怒りが籠っている。明鈴は、何のこと? と笑って誤魔化した。
「とぼけないで下さい。あの本のことですよ」
「あっ、ああ、あれね……。いや、柳鏡が忘れたら困るだろうから、景華に預けておいたの」
苦笑いをしてそう答える。まだ、錆にはなりたくない。
「ほう、人が語学を苦手としていることまで話しておきながら、知らないふりをしますか」
冷たい微笑み。景華、そんなことまで言っちゃったのね……。元はと言えば自分が余計なことを話したことが悪かったにも関わらず、明鈴は心の中で景華を責めた。ともかく大剣の錆、決定だ。
「まぁ、余計なことをべらべらと話したことは別として、姉さんがあの本を彼女に持たせておいてくれてよかったですよ。それがなかったら、あの時……」
柳鏡の頭の中に蘇るのは、本を間に挟まれた、あの時の記憶……。本当に、あの本があって良かった。もしもなかったら、彼女との今の関係が崩れてしまい、顔を合わせることさえできなくなっていたかもしれない。それこそ、龍神の紋章を持つ者と龍神の華の、呪われた関係を証明してしまうことになりかねない。
「あの時、何なのよ?」
一人で回想に耽る柳鏡を白い目で見て、明鈴が続きを促す。
「な、何でもありませんよ! それじゃあ、姉さんはそっちでしょうっ? 俺はこっちですから!」
足早に去っていくその背中を見つめて、明鈴がポツンと呟いた。
「そこまで言いかけておいて秘密、ですか……。そんなに恥ずかしい目にでも遭ったのかねぇー」
まぁ、いいか。そう心の中で呟いて、彼女も家路を辿る。空は、夕焼けで真っ赤に燃えていた。
「あ、やっと帰ってきた。夕食、できてるよ」
明鈴と別れて一人で帰ってきた柳鏡を、景華の笑顔が迎えた。食事の準備も整えていてくれたらしく、彼女は盛りつけにかかった。
「別に、今日位休んだって良かったのによ……。物好きな奴」
素直に嬉しい、とは言わず、わざわざ自分の本当に言いたいことがわからなくなるような言い方をする。ずっと、そうやって彼女のそばにいたのだ。彼女の幸福の邪魔になるようなもの、自分の想いは、ずっと押し隠して来た。口の悪さと、時には彼女を本当に泣かせてしまったような意地悪で。
「だって、久々にやりたかったんだもの。ほら、運ぶの手伝ってよ」
そんな彼の回想をよそに、彼女が調理台の上に並べてあった器を指差したので、仕方なくそれを茶卓まで運ぶ。どうやら、肉と青菜が入ったスープのようだ。正直、彼はとても驚いていた。
「材料なんて何もなかっただろ? 水だって……」
「うん、余ってた干し肉全部使っちゃった。後は、明鈴さんがお世話をしてくれていた青菜を少し採って来たの」
笑ってそう答える彼女に、柳鏡はそうか、とだけ言った。まさか彼女にそんなことができるとは思ってもいなかったので、驚きのせいでそれしか口にすることができなかったのだ。彼がそれを口に運ぶ様子を眺めてから、景華も食事に取り掛かろうとする。だが、そこでふとあることを思い出した。
「ねえ、柳鏡。明日は、忙しい……?」
ふと一瞬、目線を上に上げてから彼が答えた。
「別に。帰って来たばかりだぜ? 俺だって休みてえよ」
景華がそれを聞いてニッコリとした。何かを企んでいるようだ。
「ダメ。明日は水汲みに行って来て。私もついて行くから」
「なんでついて来るんだよ、面倒くせえな……。汲んで来て欲しいなら、一人で行って来てやるよ」
「ダメ!」
面倒そうに答える彼に、間髪入れず景華がそう言う。
「柳鏡一人じゃ絶対に気付かないから、ダメ!」
一体何に気付けと言うのだろうか。だが、彼女は言い出したら聞かないことがわかっているので、彼は諦めて渋々承知した。面倒だな、と思いながら……。初夏の夜は、そうして更けて行った。