旗印と龍神 廃墟
「ここは……?」
景華が、遠慮がちに口を開いた。二人が桜の園を後にして、二日。彼らが今いる場所は谷間に沿って造られた暗い街で、異臭が放たれていた。道端には動く気力すらない人々が何人も転がっている。皆服とも呼べないような物を纏い、子供たちは痩せた四肢に対して不自然な程に腹部が膨張していた。まるで、街全体が墓場のように静まりかえっている。
「辰南の国で一番貧しいと言われている街だ……。あんたに、これだけはどうしても見せなければならないと思っていた……」
景華にそう説明してくれる柳鏡の方もあまり良い気分ではないようだ、その深い緑色の瞳がなんとも言えない色を宿して、揺れる。手綱を持つ手に、グッと力が込められるのが見えた。
「こんな街もあったのね……。中央からの支援が行き届いていないのでしょう?」
その言葉に一度頷いてから、柳鏡は再び口を開いた。
「ここは、元々は鉱山夫たちが家族とともに住んでいた街だった。だが、資源が減ってきたせいで近くの鉱山が閉鎖されたんだよ。そのせいで、多くの失業者が出た。だが、あまりにも膨大な数だったために国も対応しきれなかったんだ。結局、この街は丸ごと国に切り捨てられた」
彼が話す口調は真剣そのもので、それを聞く景華の表情も引き締まっていた。とても、半年前まで城にいて、外の世界について何も知らずに遊んでばかりいた姫とは思えない。彼女は、そこまでの成長ぶりを見せていた。
「他の鉱山を紹介したりはしなかったの? 辰南は鉱山資源が豊富だから、他にも鉱山はあるでしょ?」
真面目な顔をしてそう問いかける彼女に、柳鏡は一瞬視線を当てた。勉強する時にだけ見せる、険しくて頼もしい表情。だが、こういう表情をしている時は物事を真摯に捉えている時なので、彼は普段のように悪態をついたりはせずにそれに答えた。
「もちろん、何人かはそれもしてもらえた。国や地方の役人に、高い賄賂を支払った順にな……。だが、普通に働いて家族を養って来た鉱山夫たちにそんな金がある訳がない。賄賂を支払えなかった人間は、この街とともに犠牲になったんだよ……」
こう見えて意外と正義感の強い彼だ、賄賂や癒着の類は許せるものではなかった。そして、それは隣で彼の話に聞き入っている少女も同じことだった。
「役人っていうものは、国や地方ごとに、その地域の人が不自由なく暮らせるように尽力してくれる人がなるべきものだわ。その当時の王様は、人選を誤ったのね」
「あんたの親だよ……」
景華の父、つまり、先代の国王。彼が在位していたのは半年前までで、その政治があまりに非道であったために彼は暗殺されてしまった。景華の、元婚約者に。そして、今はその彼が王位に就いている。
「……お父様の代ってことは、まだせいぜい十二年よ? その間にこんな風になってしまったの?」
彼女は、今の自分の年齢と父が即位した当時の自分の年齢から、珎王の年代を算出した。たったの十二年で、当時は賑わっていたであろう街が、廃墟のようになってしまったのか……。彼女は、人の営みの儚さ、というものを痛感した。
「ああ、そうなるな……。あんたは清龍の里で生活して、城の外での暮らしに対する知識も持つようになった。だが、あの里に住んでいる奴は皆国民の中では割と裕福な方なんだ。忘れるな」
彼のその言葉に、景華は強く頷いてみせた。その姿からは、恐れや迷いという類の物は一切感じられない。あるのはただ、国造りに燃える強い意志だけ。真紅の瞳のその奥に、彼女の国への情熱が燃えているのが見える。柳鏡は、そんな彼女に一瞬笑いかけた。
「あんたがわかったならそれでいい。さぁ、これで寄り道は終わりだ。清龍の里に帰るぞ。帰ったらまずは試験だな。戦の陣形があんたの悪い頭から抜けていなければいいが……」
「失礼ね! ちゃんと覚えているわ! 柳鏡こそ、帰りに巡回の兵士に会った時、また西の国の商人のふりができるかしら? ねぇ、語学が苦手な柳鏡さん!」
柳鏡の嫌味な調子に、景華も彼の腹違いの姉である明鈴から聞いたとっておきのネタで応酬する。柳鏡の片眉が、意地悪につり上がった。
「あんた、ここに置いて行かれたいみたいだな……?」
景華がギクリとして固まった。それから、ぎこちない笑みを浮かべる。
「ほら、そんなこと言わないで。ちゃんと連れて帰ってね、柳鏡様っ」
そして、猫撫で声でそう言った。胸の前で手のひらを合わせ、お願い、という仕草をすることも忘れない。
「仕方ないからな。こんな所にこんなじゃじゃ馬置いて行ったら迷惑だろうし、またメソメソと泣かれるのも厄介だからな」
「ちょっと、じゃじゃ馬って誰のことよーっ?」
この二人の喧嘩には、いつも果てがない……。こんな調子で清龍の里まで、十五日ほどかけて帰った。