華と龍神 対面
二日後になっても亀水族の長の迎えは来ず、景華と柳鏡はその場でもう二晩野宿するはめになった。もちろんただその場にいた訳ではなく、人の集まるような場所に行っては店を広げ、商人らしく商売をすることは忘れなかった。
品物の数も少しずつ減り、帰りの馬車は軽くなりそうだ。柳鏡が言うには、商品の三分の一を売って、その三分の一の中で一割増し程度の利益は出ているという。どちらにしろ、目的は利益なんかではない。最初から赤字覚悟で商人の真似ごとをしているのだ、彼はそのようなことはあまり気にしてはいなかった。そして、三日目の夜にようやく長の館から迎えがやって来た。
「長がお会いになるようです。どうぞこちらへ」
柳鏡は織物を献上すると言ったことを思い出し、一番いい物を選んで持った。半歩後ろから、上掛けを深めに被った景華が緊張した面持ちでついて来る。おそらく、彼女の足は震えていることだろう。死んだはずの彼女が自分の祖父を訪ねるのだ、どのような対応がされるのか不安で仕方ないに決まっている。
「こちらが長のお屋敷です。一番奥の間でお会いになるそうですから」
そこからは、屋敷勤めの侍女が案内してくれた。祖父とは言っても、その屋敷を訪れるのは景華には初めてのことだった。何しろ彼女が城から出たのは、この半年間を除けば、近くの離宮に避暑に行く時位だったのだから。
「長がお待ちです。どうぞ」
侍女が戸を開ける。景華の目に、いくつかの懐かしい顔が飛び込んできた。いとこや伯父伯母、そして祖父……。
「これが、献上させていただく織物です。絹糸でできておりまして、壁掛けとしても衣服としても用いていただくことができます」
柳鏡が深く頭を下げて、祖父の前にそれを差し出した。
「ほう、なかなかの品ではないか……。商人、許す。ここに来て詳しく説明せよ」
柳鏡がまた一礼してから、前に歩み出た。景華の心臓が高鳴る……。彼は、自分が合図するまで正体は明かすなと言った。一体、いつになれば自分は景華として祖父との対面を果たすことができるのだろうか。
「ふむ、いい物をもらった。感謝する」
「織物などよりもさらによいものをお目にかけましょうか? ……そうですね、銀の百合はいかがです?」
景華の位置から、柳鏡が何事かを祖父に耳打ちしているのが見えた。祖父が彼の言葉を聞いて、目を見張る。そして、その後。
「皆、少しの間だけ下がってくれないか? ああ、帯黒は残れ」
祖父はそう言って、伯父だけを残して他の人間を下がらせた。皆、何とも言えない表情をしている。祖父がなぜそんなことを言ったのか、腑に落ちないのだろう。そして、全員いなくなったことを確認してから、柳鏡が彼女に合図をした。深く被った上掛けに手を掛ける……。
「お久しぶりでございます、おじいさま。まさか、私を忘れたりはしていらっしゃいませんよね?」
深い緑色の髪が、上掛けの下からゆっくりとその姿を現した。彼女特有の、毛先だけが丸まっているくせ毛。そして、彼女自身も知らない運命を表す、真紅の瞳……。王家の姫の紋章は、銀色の百合。柳鏡はそれを用いて、襄厳に景華を連れて来ているということを知らせたのだ。
「きょ、景華? 本当に、景華なのか……? お前は死んだと聞かされた。だがその髪や瞳の色、その面差し……。本当、なのか……?」
伯父の方は、すでに言葉をなくしている。死んだと信じていた人間が目の前に現れたのだ、その反応も当然と言える。
「はい、おじいさま。私は、こうして生きています。全て、柳鏡のおかげです」
柳鏡が彼女の隣に戻って来て、その場から長を見上げた。それからまた礼をとり、口を開く。
「亀水の長、襄厳様にお目にかかるのは初めてかと存じます。清龍族の長、龍連瑛の三男、龍柳鏡でございます。城では、姫専属の護衛としてお仕えしておりました。このような形で姫をお連れしたこと、どうぞお許し下さい」
「し、しかし景華……」
祖父が驚きのせいで回らなくなってしまった口で、何とか言葉を紡いだ。
「し、城の話では……。お前は死んだことにな、なっている。柳鏡君は、その……珎王暗殺の犯人、だとか……」
景華が握り締めた拳を上下に振りながら、精一杯の力で反論した。
「全部嘘です! 全ては、趙雨と春蘭の企てなんです!」
「姫、あまりおかしなことをおっしゃらないでいただきたい!」
ようやく状況を飲み込むことができた伯父が、そう声を上げた。
「おかしなこと、とおっしゃいますか、帯黒様? 目の前に、こうして亡くなったという報告がされていた姫君がいらっしゃるのに?」
柳鏡が不敵な笑みとともに放った言葉に、帯黒は言葉を返すことができずにぐっと黙り込んだ。
「詳しく聞かせてくれるか、柳鏡君?」
柳鏡が、また軽く礼をしてから言葉を発した。
「はい、襄厳様。手短に申し上げます。まず、城で現王、趙雨と雀春蘭による前王の暗殺事件が起こりました。姫が趙雨と婚約をしたために、王位継承権を得たと考えたためと思われます」
景華は、ここまでの言葉を苦く聞いた。何度聞いても、自分の過ちの話には胸が痛む……。
「その時、彼らは姫君をも暗殺の標的としていたようでしたが、姫君は私とともに辛くも脱走し、今は清龍の里に隠れ住んでおられます」
柳鏡が私、という言葉や、自分に敬語を使うのは少し妙な気分だ。何となく、こそばゆい……。
「そして、清龍の里で決起の時を待っています。現在の趙雨の王朝は罪の上に築かれ、不正の上に成り立っています。どうか、亀水族の皆さまのお力をお貸しください。現王趙雨の非道な政治については、私たちも色々と聞き及んでおります」
「し、しかし……。それは、反乱を起こすということではないのか……?」
伯父が、思考が混濁するギリギリ手前で言葉を紡ぐ。祖父は、黙って柳鏡の言葉に耳を傾けていた。
「確かに、今の王朝が正統な理由の元に成り立っているのであれば、反乱と呼ばれるでしょう。しかし、こうして姫君が御存命である以上、彼に王位継承権はないのです。それに、罪が露見することを恐れてか、趙雨は自分の側近ばかりを高官に取り立てている。このままではこの国は、虎神族と緋雀族だけの物となってしまいますよ?」
柳鏡の話術は実に巧みで、伯父はすでに彼の言葉に右往左往されていた。一方の祖父は冷静に話を聞いたようで、目を閉じて何事かを考えていた。
「正直なところを聞かせてくれるかね、柳鏡君?」
「はい、もちろんです」
祖父がやっと口に出した言葉に、柳鏡がそう答える。
「勝率は、どの位だ?」
なんともあっさりとした、だが重要で答えにくい質問だ。しかし柳鏡はおそらく答えを用意していたのだろう、淀みなくこう答えた。
「このまま亀水族の皆さまのご助力が得られなければ、間違いなく負けます。しかし皆さまのご助力を得られれば、勝率は九割を超えると確信しております」
勝率、九割……。柳鏡がそう言ったのは、本当に確信があるからだろう。だが、何を理由にそのような驚異的な数字を弾き出したのだろうか。
「一日、考えさせてくれないか……? すぐに結論を出すのは難しい……」
「おじいさま、まさか、城に私たちがいるなんて知らせたりはしないわよねっ?」
景華の目は真剣そのものだった。襄厳は、それには笑顔で答えてやる。
「当たり前だ。誰がお前を信用ならない城になど売ったりするものか。それより、そばに来て顔を見せてくれないか?」
景華の足が、すっと前に進んだ。そのまま、祖父が座っている椅子の元まで歩く。景華の頬が、ごつごつとした手に包まれた。もう一方の手が、優しく深緑のくせ毛を撫でる……。
「随分と痩せたなぁ。手もこんなに荒れて……。たくさん苦労したのだろう……」
「そんなことないわ。たくさん、色んなことを勉強したの」
祖父が相好を崩してうんうん、と頷いた。
「そうだろうな……。城にいた時よりも、今のお前の方がよほど輝いているよ……。さぁ、もう休むと良い。部屋を用意させよう。今まで待たせてすまなかった」
帯黒に人を呼んでくるように言いつけて、襄厳は柳鏡にも言葉をかけた。
「孫を守ってくれたこと、本当に感謝しているよ。ありがとう……。どうか、君も休んで行ってくれ」
「私は姫君専属の護衛ですから、当然のことをしたまでです」
「いや、ただの役目だけでは、ここまでできるものではない。いい護衛を持ったね、景華」
祖父のその言葉に、景華は満面の笑みで頷いた。前にはわからなかった父の言葉の意味が、今ならよくわかる。柳鏡は、彼女にとって最高の護衛だった。