華と龍神 横顔
清龍の里を出発してから三日程経ったある夜のこと、景華たちは見回りの兵士に呼び止められた。景華は慌てて顔を隠し、柳鏡は馬車から下りて行った。
「どこまで行くんだ?」
兵士の問いに、柳鏡が一息置いてから答えた。
「亀水……マデ。商売」
柳鏡の片言での話し方は非常にうまく、西の国独特の訛までが忠実に再現されていて、兵士たちは彼がそちらの国の人間だと信じて疑わなかった。彼は、このために苦手な語学を一生懸命学んでいたのだ。
「他には誰かいるのか?」
「妻、一人。話セナイ、カラ待ッテイル。馬車、中」
兵士の一人が馬車の中を覗きに来たので、景華は少し俯き加減になった。顔を見られないように、不自然に思われないギリギリの角度まで首を傾ける。兵士は、馬車の中に景華しかいないことを確認して戻って行った。
「通行証は?」
「ココ。妻、ノモ」
彼はそう言って、清龍の里で発行してもらった通行証を見せた。二人が架空の人物であることを除けば正式な物なので、全く問題はない。
「よし、行っていいぞ。最近は山賊なんかが出て物騒だからな、気をつけるといい」
「ワカッタ。アリガトウ」
兵士たちが行ってしまうのを見届けてから、柳鏡と景華も出発した。景華の心臓は、緊張のあまりバクバクと激しい音を立てている。
「よかったぁ、無事に通り過ぎることができて。柳鏡の話し方、上手だったわ。練習したの?」
「まあな」
彼は気のない返事を返す。どれだけ訓練を積んだのかは、彼女には教えてくれないつもりだろう。
「この本で勉強したの?」
そう言って景華が取り出した本に、柳鏡の顔色が変わった。
「あんた、どこでそれを見つけたっ?」
辛うじて出たその言葉に、景華は驚いた表情を見せて、明鈴さんがくれたの、と言った。それはまさに彼が勉強に使っていた本で、出掛けに見当たらないのでなくしたと思っていたのだ。
「ちくしょう、姉さんは本当にろくなことしないな……」
「柳鏡、たくさん勉強したのね。あちこちに折り目があったりして、頑張ったのがわかるもの!」
その言葉通り、本の彼が覚えにくいと思った部分は折られていて、中には紙の隅が破れているところもある。
「別に……。これ位しておかないと、怪しまれるかもしれないからな。できることなら面倒事は避けたい……」
「明鈴さんに聞いたよ。柳鏡は、語学がとっても苦手なんだって」
ニコニコとしてそう言う景華を見て、柳鏡は誓った。里に戻ったら、明鈴を彼の大剣の錆の一部にしてやる、と……。
「それでも、こうやっておじいさまに会いに行くために頑張ってくれたんでしょ? ありがとう」
その笑顔と言葉が、本当に眩しくて……。彼は、一瞬自分が何をしているのかわからなくなった。彼の左手が、彼女の後頭部を捕らえて自分の方に引き寄せる。そして。
「ぐっ……!」
彼の顔面は、景華がとっさの判断で二人の間に割り込ませた本にぶつかってしまった。
「……あんたなぁ!」
その頬が、ヒクヒクと痙攣している。どうやら、相当怒らせてしまったようだ。景華は苦笑いして言い訳をした。
「あ、あの、勉強のし過ぎで柳鏡の頭がおかしくなっちゃったんじゃないかなぁ、と思って。取り返しがつかなくなる前に、目を覚まさせてあげた方がいいかなぁ、と……」
「ああ、そうだよ! 苦手な語学なんかやり過ぎたせいで頭がおかしくなってるんだ! だから……」
ふてった時に特有の、拗ねたような物言い。そしてその後、少し乱暴な仕草で彼女の肩を引き寄せる。景華の頭が、コツン、と柳鏡の肩に当った。
「少し位、じっとしていろ……」
その照れたともふてったともつかない表情が、月の光に浮かび上がる。深緑色の切れ長の瞳が、青白い光を受けて不思議な光を放つ……。彼の横顔が、彼女はとても好きだった。
「やっぱり柳鏡、変」
照れ隠しに彼女もそう呟く。お互いに本心では話さない、いや、話せないでいる。何とも不器用な二人だ……。
「そりゃどーも」
景華は、その言葉に小さく笑った。そして、心の中で呟いた。好き、と。自分が彼にとってどんなに危険な存在であるか、彼女は知らない。龍神の紋章を持つ者と、龍神の華の呪われた関係を……。