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華と龍神 運命

 天幕の中は薄暗く、蝋燭の明かりがちらちらとしている中に椅子と机が置かれており、机の上には怪しげな水晶玉も置かれていた。柳鏡がついて来てくれなければ、景華はその異様な空気に恐れをなして、逃げ出していただろう。老婆は片方の椅子にゆっくりと腰掛けると、彼女に対面の椅子に座るように促した。

「さぁ、これからあんたの運命を見て行くが……。本当に、随分変わった相をしている。数奇な運命の持ち主……」

 景華が向かい側に座るのを待って、老婆は語り始めた。数奇な運命の持ち主、という言葉には、景華も柳鏡も驚きはしなかった。婚約者に父を殺されて住む場所を追われ、ついには自分も死んだことにされてしまったのだ、これを数奇と言わずしてなんと言おう。

「ほう、銀髪の男が見える。こいつが、あんたの運命を狂わせた。まぁ、あんたがこれまでに享受していたのは仮初の平和だ。失った痛みは大きいだろうが、この先の栄光のためには仕方がない」

「栄光?」

 景華が老婆の言葉に疑問を差し挟んだ。それは、趙雨から玉座を奪還した後のことを意味しているのだろうか。老婆の言葉が続けられる。

「あんたはいずれ、この国の歴史に名を残すような人物になるだろう。ただ、そのためには大切な物を一つならず手放さなくてはならない。その覚悟ができなければ、運命はあんたを破滅へと導くだろう」

「栄光か、破滅か……」

 景華は、小さく老婆の言葉を繰り返した。手放さなくてはならない物、の内、一つは何かわかっている。それは、幼い頃から培ってきた友情……。彼女の栄光は、そのまま友の破滅を意味する。しかし、老婆は言った。一つならず、と。

「ほう、つるぎが見えるぞ。あんたは、このつるぎで自らの運命を切り開くことができるだろう」

つるぎ……」

 彼女の頭に最初に思い浮かんだのは、柳鏡と剣術の練習をする時に用いている細身の剣だった。それにしても、あれが身を守る以外で役に立つとは思えない。

「婆さん、それだけか?」

 後ろに立っていた柳鏡がひょいと景華の顔を覗き込み、その後老婆の方に向けられた。

「ああ、その娘さんの運命は大体そんなところだ。柳鏡、少し残れ。ああ、娘さん、あんたはもういいよ。少し席を外してくれるかね?」

 老婆の言葉で景華は立ちあがって、他のお店見ているから、と柳鏡に告げた。

「この辺だけにしておけよ。探すのが面倒だ」

 その言葉に頷くと、景華は天幕を出て行った。その背中がどことなく悲しげなのは、自分の運命に、手放さなくてはならない物があると知ってしまったからかもしれない。だが、彼女はそれと引き換えに栄光を約束されたのだ……。まるで龍神の呪い・・のようだ、と柳鏡は密かに思った。彼らはともに諸刃の剣、その刃の上を歩いているのだ。

「お前、知っていてあの娘を側に置いているのか……?」

 老婆が、静かな口調でそう柳鏡に問った。

「は?」

 彼女が何を言いたいのか全く理解できず、柳鏡は乱暴にそう聞き返す。

「あの娘……。あの瞳の色、間違いない。龍神の華、だ……」

 初めて聞く言葉に、彼はほんの少しだけ身を乗り出した。

「何だよ、それ?」

 老婆が、重そうに口を開いた。かなり話しにくいことのようだ。

「龍神の華……。龍神を誘う、真紅のあかい華。それは龍神となる者にとっては最大の試練となり、また、その身を滅ぼしかねない毒の華ともなる……。華はどうしようもなく龍神を惹きつけ、また、龍神もどうしようもなく華に惹かれる……」

 老婆が、一度そこで言葉を切った。本当に、占い師という人種はこれだから好きになれない。発言が謎に満ちている。

「龍神が華に触れようとすればその鋭い爪で華の命を絶ってしまい、我が物としなければ龍神には恐ろしい狂気が待っている……。華に対する恐ろしいまでの独占欲、執着、そして妬み。華に憑かれてしまった龍神は、自らの欲にその身を蝕まれていくことになる……。そして、その狂気の先には死が待っている」

「そりゃ厄介だ」

 柳鏡が、まるで他人事かのようにそう答えた。老婆がキッと目を見開いて、柳鏡を叱りつけるような口調になった。蝋燭の明かりが、揺れる。

「お前、他人事ではないぞ? 聞くところによると、お前はあの娘を家に住まわせてやっているというではないか! 悪いことは言わん、すぐに追い出せ。生きたければな」

 机に頬杖をついて、柳鏡が面倒そうに言葉を紡いだ。

「そんなこと言ったって仕方ないだろ。他に行くあてもないんだから」

 老婆が長く息を吐き出した。どうやら、彼女は柳鏡のことを自分の子供か孫のように思っているらしい、本当に親身になって彼の心配をしているのがその表情からもわかる。

「……お前、すでにあの華の破滅の美しさに魅入られているな……?」

 柳鏡がついと視線を逸らした。それは、心を読まれないようにという彼なりの精一杯の抵抗であり、自分の心を読み切ってしまう老婆への反抗的な態度でもあった。それでも、老婆の視線は彼の心の奥底までを見透かしてくる。

「……。本当に、昔からあんたには隠し事ができねえな」

 老婆が、今度ははっきりそれとわかるように溜息をついた。蝋燭の明かりを受けて怪しく輝く水晶を見つめるその目には、憐みの色。

「……まぁ、龍神の紋章を持つ者が生まれることも稀であれば、龍神の華が生まれることもまた稀だ。ましてや、その二つが出会うことはさらに。柳鏡、お前への試練はあの者を側に置くこと、そして諦めることかもしれないな……」

 今度は柳鏡の溜息が蝋燭の炎を揺らした。それに合わせて室内の陰も動く。

「つまり、彼女は俺のものにはならないってことだろ……?」

 柳鏡が立ち上がって、先程景華が出て行った天幕の出入り口を見つめた。その瞳は、なんとも悲壮で切ない光を宿している。

「そんなこと……最初からわかっている……」

 そうだ、最初からわかっていたはずだ……。それなのに、現在いまの生活が当たり前になり過ぎていた。当たり前のように彼女がいて、当たり前のようにおかえり、と言ってくれる生活が……。

「お前も、そのような紋章ものを持って生まれたばかりに、辛いな……」

 老婆は、決して彼の顔を見ようとはしない。いや、見ることができないのだ。彼は、なんと悲壮な運命の下に生まれてしまったのだろう。その思いに、胸が詰まる。

「いや、紋章これがあったからこそ彼女を守れた。俺は、そう思っている……」

 左腕に刻まれた呪い・・の証を、服の上からじっと覗く。本当に、これのせいでろくな目に遭ったことがない。ただ一度、あの時を除いて。

「婆さん、話はそれだけか? 早く行かないと迷子になられそうで……」

「ああ、行くと良い」

 柳鏡が居ても立ってもいられないという様子でそう言ったので、老婆は彼を解放した。少しでも幸せに過ごして欲しい、という願いを込めて……。

「そうだ、婆さん。もう一つ言っておくことがあった」

 柳鏡が老婆の方を振り返らずそう言った。老婆は、視線だけを彼の背中に当てる。

「彼女の存在は、俺にとって欲を掻き立てるようなものじゃない。呪われたこの身でも人であることができると証明してくれる、唯一の存在だ……」

「そうか……」

 老婆の短い返答を受けて、柳鏡はその姿を消した。あとに残された老婆の溜息が、室内の陰を揺らす。

「あの娘への想いでのみ、自らを人と位置付けることができるということか……」

 人として生まれたにも関わらず人外の力を持ってしまった彼が、唯一自己を人だと確信できるもの……それが、感情だった。しかし、それは。

「悲しい生き方だな、柳鏡や……」

 蝋燭の明かりが、消えた。

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