華と龍神 兆候
それから三日、明鈴は柳鏡の家に泊って祭祀用の衣装を縫い上げた。と言っても、明鈴が行ったのは主に景華の身の回りの世話で、自分の衣装を縫ってくれている彼女のサポート位だ。
「よし、これで完成!」
景華がそう声を上げたのは、三日目の夕方だった。
「明鈴さん、早速着てみてよ」
景華に促された明鈴は、ニッコリと頷くと真新しい衣装に袖を通した。青と白が基調となっていて、袖や裾はひらひらとしている。非常に舞台映えしそうな衣装だ。
「さすが景華、ピッタリだよ! 明日の祭りにも間に合ったし! 本当にありがとう」
明鈴の笑みに、景華も満面の笑みで返す。気がかりなのは、彼がいつまでたっても帰って来ないこと。衣装を縫っている時はそこまでひどく気にはならなかったが、常に彼の不在が頭から離れなかったのも事実だ。実際に、彼女は外で足音がしたと思うとすぐにそちらを眺めていた。
「柳鏡、帰って来ないね」
景華はハッとした。まさか、明鈴にまで自分の考えが読まれてしまったのか!
「今、そう思わなかった? 不安で死にそう、って顔してたもの」
どうやら、自分の表にそんな表情が出てしまっていたらしい。景華は大人しく頷いた。
「ふうん、私がいるのにそんなに不安かなぁ? こう見えて、その辺の奴なんて相手にならない位強いんだよ、私!」
景華がニッコリと、しかしどこか寂し気に微笑んだ。
「柳鏡から聞いたわ。明鈴さんはかなり腕が立つって。だから、私のことは何も不安じゃないわ」
「じゃあ、どうして?」
明鈴の問いに、景華は目線を窓の外に移してから答えた。
「柳鏡に何かあったんじゃないかと思ったりして、不安なの。そんな訳ないのにね?」
夕焼け色の空は、だんだんとその色を群青に染め変えている。室内にも、その群青色の闇が迫って来ていた。
「いつもそう。柳鏡が狩りの依頼を受けて山に行く時も、いつも。私がいるせいで危ない仕事をしてくれているのに、待っているしかできないから、仕方ないんだけど……」
「景華、いいこと教えてあげようか?」
明鈴の言葉に、彼女は窓の外から視線を戻した。弟の心を捕らえた真紅の瞳が、彼女を真っ直ぐに射る。
「もし柳鏡に、ちょっとでも感謝の気持ちを伝えたいなら……」
景華はそれに聞き入った。彼に対してはなかなか素直になれない彼女だ、どんな些細な助言でも欲しいと思っていた。
「あいつが帰って来た時に、笑顔でおかえり、って言ってやることね」
「へ?」
景華がきょとん、と目を丸く見開いて明鈴を見た。どうやら、全く予想もしていなかった言葉だったらしい。
「それだけで、いいの?」
「そうだよ」
明鈴は、いかにも不思議だ、という顔を自分に向けている景華に笑ってみせた。
「だって、景華がいるから、柳鏡はここに帰って来るんだからね。ほら、噂をすれば。どうやら明日の祭りには間にあったみたいだね。じゃあ、私は家に帰るから。またね!」
明鈴は衣装をその腕に引っ掛けると、あっという間に出て行ってしまった。明鈴の言った通り、彼女が開けっ放しにしていた戸口から、柳鏡の顔が覗いた。
「衣装、できたのか?」
「あ、うん。さっきできたの。それで、今帰っちゃった……」
景華は、正直なことを言うと明鈴が言ったことを疑っていた。それだけで、本当に感謝の気持ちなんて伝わるだろうか。半信半疑のまま、彼女はそれを実行に移した。
「ねえ、柳鏡?」
「何だよ?」
気のない返事が返される。
「……おかえりなさい」
明かりをつけていた彼の動きが、一瞬止まった。薄暗がりの中で自分の表情まで判別できたかはわからないが、景華は明鈴に言われた通りに笑顔でそう言った。
「……ああ」
ただそれだけ。たった一言の、短い返事……。でもそれは、彼が照れていることを表している。そして、景華にもそれはなんとなくわかっていた。理由はわからないが、どうやら明鈴が言っていたことは本当だったようだ。
「明日、楽しみだね」
ニコニコとしてそういう景華に、柳鏡は溜息をついてみせた。
「俺には地獄だ……」
それでもあんな人ごみの中に行こうと思うのは、彼女がそう望むから。夕飯を温め直すその横顔に、彼は小さく微笑んだ。
「そう言えば、何をしに行っていたの? 全然教えてくれなかったじゃない」
そう言ってほんの少しふて腐れてみせる景華。柳鏡はその姿に再び笑みをもらした。
「新婚旅行の準備」
ふざけてそう答える。
「冗談ばかり言わないでよ! 心配したんだから」
確かに、彼は本当なら昨日の内に帰って来る予定でいた。しかし、途中で大蛇の妖怪と出会ってしまったので、予定が狂ってしまったのだった。だがそれを言えば彼女が不安がるから、言わない。
「亀水の長に会いに行く準備だよ。商人が品物も何も持っていなかったら、あきらかにおかしいだろ? それから、それっぽい衣装も揃えて来て、全部納屋に置いてきた」
「そうだったの……。てっきり遠くの妖怪退治にでも行ったのかと思ったわ」
恐るべきは女の勘である。柳鏡は食事を運んで来てくれた彼女に、曖昧な笑みを返した。
実は途中で出会った大蛇というのは退治の依頼が出ていたもので、その賞金がまとまった金額だったので、行きがけの駄賃に退治しようと思っていたのだった。だが、予想以上に相手の抵抗が激しかったために、予定が丸一日遅れてしまったのだ。そして、その賞金は旅行の準備に消えた。
「それにしても、よく品物に衣装まで揃えるお金があったわね。どうしたの?」
一瞬たじろいだ柳鏡だったが、うまく切り抜ける方法を見つけた。
「いや、最初の一日は狩りをして、その獲物を売ったんだ。結構獲ったから、それなりの金額になったし」
「ふうん、そうなの」
彼は、嘘はついていない。最初の一日で大蛇を狩ったのだ。そして景華は彼がついた嘘を真実だと思い、疑ってはいなかった。家に戻って彼女の様子を眺めている時が、一番ほっとする。
「っ……!」
柳鏡の表情が一瞬歪んだ。
「どうかしたの? 熱かった?」
景華が、茶卓の向かい側で不安げに眉を寄せる。
「いや、何でもない」
そうだ、何でもないんだ。彼はそう自分にも言い聞かせた。今痛んだのは彼の左腕、龍神の紋章が刻まれている部分。このところ、彼は傷の疼きを頻繁に感じていた。最初は違和感がある程度のものだったが、最近は先程のように痛むようになって来ている。
(何だって言うんだよ!)
龍神の試練が近付いているのかもしれない、と彼は思った。それならば仕方ない、と。しかし、先程のように景華に不安げな顔をさせるのだけは嫌だった。
(何でも、ないんだ……)
彼が食事の手を止めて厳しい表情で何事かを考えているのを、景華には見ていることしかできなかった。もし自分に柳鏡の考えていることがわかったなら、という願望を持ちながら……。