華と龍神 逆襲
次の朝は、早くから来客があった。もちろん、明鈴だ。ガタン、と勢いよく戸を開けた彼女は、相当息を切らせていた。
「景華、助けて!」
「「は?」」
ちょうど景華と柳鏡が朝食を食べていたところに乱入してきた明鈴に、二人の視線はくぎ付けとなってしまい、奇しくもその反応までが同じとなってしまった。一瞬お互いにチラと視線を走らせてから、元のように朝から騒々しい来客に視線を当てる。
「私、すっかり忘れていたんだけど、今週末に春の祭りがあったの! 私も一応名前だけは神殿の巫女だから、巫女の衣装を着なきゃいけないんだけど……」
柳鏡の眉が、ピクリと動いた。本当は、景華に祭りがあることは聞かせないつもりでいた。言えば連れて行けとせがまれるだろうが、彼はこの里の人を極端に避ける性質だったので、そのような人ごみに繰り出すのが面倒だったのだ。
「ふうん、お祭り……。それで? 助けて、って言ったのはどうして?」
案の定、彼女は祭りに興味を示した。彼は、明鈴に口止めをしておかなかった自分を呪った。仕方ない、今年は、あの恐ろしい人ごみに混じるしかない……。
「青龍の神殿に仕える巫女は、衣装を着て舞を舞わなきゃいけないんだけど……」
何となく明鈴の言いたいことが読めた柳鏡は、再び眉をピクリと動かして唇の端を持ち上げた。
「姉さん、衣装ができていないんじゃありませんか……?」
明鈴がギクッとして固まった。どうやら、図星だったようだ。本当にこの姉は、どうして裁縫だけできないのだろうか……。いつもとは、形成が逆転した。
「姉さん、いい根性ですね。彼女に縫物をさせるとは……。いやいや、恐れ入りましたよ」
「ううう……」
事が事なだけに、明鈴は黙っている。普段の彼女なら、おそらく彼を今すぐ地獄送りにしたことだろう。しかし、景華の保護者に近い立場である彼に断られてしまえば、いくら景華が承諾してくれても衣装を任せることはできないのである。普段彼をからかい過ぎたことを、明鈴は今になって後悔した。柳鏡の言葉が続けられる。
「大体、他のことはできるのにどうして裁縫だけ……。いや、俺は姉さんがガサツだからだなんて、そんなこと言いませんよ?」
思いっきり言っているじゃない、と白い目で弟を見返す。その顔には、腹立たしくも得意気な笑みが浮かべられている。
「じゃあ、衣装を縫うお手伝いを頼みに来てくれたの? わかった、任せて!」
そう言ってニッコリと笑う景華。もちろん、彼女が快諾してくれることは明鈴も計算済みだった。問題は、普段の恨みを今晴らそうとしている弟の方。しかし、彼はあっさりと了承した。
「仕方ありませんね。ただ姉さん、俺からもお願いしてもいいですか?」
「何よ?」
明鈴の白い目を受けても、彼は涼しい顔をしている。
「衣装が縫いあがるまでの間、家に泊って行って下さい。実は、何日間か空けようと思っていたんです。姉さんが居てくれるとなれば、俺も安心して出掛けられますし」
「どうしてよ?」
その疑問に、彼は意味ありげに微笑んで答えた。
「まあ、旅行の準備とでも言っておきましょうか。彼女とも昨日相談しましたし」
景華に顔を向けると、彼女は満面の笑みで頷いた。
「……まさか、新婚旅行?」
明鈴のその言葉で、柳鏡は口に含んでいたお茶を吹き出してしまった。景華の方も、持っていた箸を取り落とした。柳鏡は、お茶がどこか変な所に入ったらしく、かなりむせ込んでいる……。ようやく冷静さを取り戻した景華が、慌てて彼の背をさすってやった。
「おい、姉さんの衣装なんか絶対縫うなよ! 大体、どこをどう取り違えたらそうなるんですか!」
やっと落ち着いた柳鏡が最初の言葉を景華にかけてから、明鈴に向き直った。なるほど、今のは大分効いたみたいだ……。
「いや、だって二人で相談したって言うから行き先でも相談したのかなぁ、と……。普通そう思うって」
いかにも柳鏡の言い方が悪いとでも言うように、明鈴は開き直ってみせる。
「違うに決まっているでしょう? 誰がこんなの嫁にしますか!」
「何よ! 私だってお断りなんだから!」
ワイワイ、キャンキャン……。明鈴はこっそり溜息をこぼした。失敗だった。この二人に喧嘩をされては、きりがない。何か話題を変えなければ。
「あ、そうだ景華、やっぱりお祭りには来るでしょ?」
「え……?」
景華の注意が明鈴に向けられた。よし、うまくいったようだ。景華はじっと考えてから柳鏡を見上げた。
「何だよ? 行きたいって言うのか? 言っておくが、俺は人ごみが嫌いだからな。気が変わったら、あんたがわがままを言っても即刻抱えて帰るからな」
「うん!」
柳鏡が祭りに行くと言い出したことにかなり驚きを感じた明鈴だったが、軽く微笑んだだけで口には出さなかった。
「じゃあ、祭りまでは勉強は休みだな。休み明けに今まで教えたことが一つでも抜けていてみろ、あんたのできの悪い頭に直接本をぶつけるからな。内容がそのまま移るかもしれないだろ?」
「失礼ね! そこまで頭悪くないわよ!」
果てしない言い合い。明鈴は、今度は大きく溜息をついた。