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華と龍神 萌芽

「お姫様は、また話すことができるようになりました」

「わあ、よかったぁ」

 小さな娘が、本当に嬉しそうに笑顔を見せた。兄の方も、ほっと胸を撫で下ろしている。そして、どちらもまた話を聞けるように態勢を整えた。どうやら、まだ母親を解放する気にはならないらしい。仕方なく、小さく溜息をもらして話を続ける。

「それからは、景華姫のお勉強はうまくいきました。自分を責めることをやめたおかげで、心にゆとりが持てるようになったのです」


 それから、三か月以上が過ぎた。景華が話せるようになったということで、明鈴は本当に喜んだ。景華自身のために喜んだというのももちろんだが、何よりも、彼女を命懸けで救い出してきた自分の弟がどれほど安心したかということを考えると、さらに喜びが増した。そして、前までは何でも一人でしようとしていた景華が彼女を頼るようになったことも、喜ばしいことの一つとなっていた。

 清龍の里は、温かくて平和な昼下がりを迎えていた。冬の厳しい寒さはすっかり遠のき、木々も重くなった雪を枝ごと落とし、春を迎える準備を整えている。

 今日は柳鏡も里の外には行かず、近くに借りた畑の土をおこしに行っていて、昼過ぎには戻るということだったので、景華は遊びに来てくれた明鈴の分を含めた三人分の昼食を準備していた。コトコトと鍋が小気味いい音を立てる中、明鈴がふと声を上げる。

「あ、あの子たちまた来てるわ」

「え?」

 野菜を切って濡れた手を拭いてから、景華は明鈴と並んで彼女が指差す方向に目を向けた。

 そこには、少し離れた所で畑を耕していた柳鏡が、二人の女の子に話しかけられて手を休めている姿があった。二人とも年の頃は景華と同じ位だろうか、大人しそうなかわいらしい子たちで、小さな包みをその手に提げている。二人は頬を赤く染めて、何やら一生懸命彼に話しかけている。

 明鈴が隣の景華の様子をチラリと確かめてから、独り言のように呟いた。

「大人たちには煙たがられているけど、あいつあれで結構モテるのよねぇ。清龍の女の子たちは強い男っていうのが好きだし、それなりに整った容姿もしてるしね。口が悪いのはいただけないけど、性格もそこまで悪いわけじゃないし」

「なっ」

 景華が言葉に詰まっているのを見て、明鈴はさらに続ける。

「本当だよ? ましてや長の息子だからね、正妻の子じゃないとしても家柄はこの里では最高って訳。上二人の兄はクズみたいな奴だし一応あれで結婚もしているから、柳鏡がいいって言う子は意外と多いんだよ」

「柳鏡のどこがいいのよ? 柳鏡なんて、口が悪くて、意地悪で、面倒くさがりで……」

「本当にそう思ってるの? 景華?」

 明鈴のその言葉に、彼女は口をつぐんだ。本当は……。

 本当は、とっても優しくて、いつでも心地良い温もりをくれて、いつも私の背中を押してくれて……。

 景華の肩が震えている。見れば、その握り拳が真っ白になるほど強く握り締めていた。泣かせてしまったかな、と思って少し慌てた明鈴だったが、その表情を見てぎょっとする。

「柳鏡の……馬鹿!」

「え? ちょっと、景華?」

 バンッと勢いよく戸を開けた彼女はそのまま飛び出して行き、二、三歩走った所で足を止め、大きく息を吸い込んだ。

「柳鏡ぉーっ!」

 三つの顔が、同時に彼女の方を振り返る。

わりぃ」

 そう言って踵を返そうとした柳鏡を、片方の子が呼び止めた。

「あの、これ……。お弁当なんです。良ければ、召し上がって下さい……」

 小さな風呂敷包みが、彼の目の前に差し出される。柳鏡は一瞬、どう断ろうか・・・・と当惑した。あまり無下に断ることもできないが、最初から受け取るつもりもない……。景華に今呼ばれたことが、救いとなった。

「いや、今呼んだのは飯の合図だと思うから」

(その割には、随分怒ってるみたいだったけどな)

 今度こそくるりと踵を返して、柳鏡は早足で家へと向かった。家の戸口で待ち構えている景華は、あきらかにふくれっ面だ。

「何だよ、飯か?」

「え、ううん、まだ……」

 乱暴にそう訊ねた柳鏡に、景華はきょとんとして答えた。

「じゃあなんで呼んだんだよっ?」

 彼にそう言われて、景華はハッとした。そういえば、どうして彼を呼んだのだろう? 特に用事がある訳でもなく、ただ彼女たちと話している彼を見て無性に腹が立ち、思わず外に飛び出して呼んでしまったのだ。

「あ、えーと……。何となく、かな?」

 そう言って苦笑いをして精一杯誤魔化してみるが、我ながらなんとも苦しいな、と景華は思った。

「ふうん……」

 柳鏡が片眉を吊り上げて意地悪に笑った。なんとなく嫌な予感。

「あんた、ひょっとして妬いてるのか?」

 ボンッ! 景華の顔が、一瞬にして真っ赤になった。その頬に、柳鏡の指先が触れる。

「へえ、意外だな。案外、当ってたりするのか?」

 景華に意地悪をする時独特の、嫌味たっぷりな声。その声に、景華の心臓は爆発しそうになっていた。バチンッ!

「そんな訳ないでしょ、このエロ大魔神っ! 頭冷やしていらっしゃいっ!」

 ピシャッ! 彼の目の前で、戸がかなり乱暴に閉められる。

「ちぇっ、かわいくねえの」

 そう呟きながら、彼はヒリヒリと痛む頬に左手を当てた。一方家の中では、後ろ手に戸を閉めた景華が、窓のそばで明鈴が抱腹絶倒しているのを見つけていた。

「景華もよくやるわねぇ。ククッ、プププッ」

「ひどいわ、明鈴さんったら……」

 確かに、柳鏡はどうして自分が叩かれたのかさっぱりわかっていないだろう。ただ彼女をからかったせいだと思っているだろうが、実際には景華の中にはあの瞬間、それ以上の感情があった。柳鏡があのように自分以外の女の子と接しているのが、妙に腹立たしかったのだ。まだ赤い顔のまま、景華は自分の手を見下ろした。

「痛かったかしら……」

「当たり前だろ」

 いつの間に戸を開けたのか、柳鏡が開けっぱなしの戸口に寄りかかって立っていた。

「あ、あなたが悪いんじゃない! からかったりするから……」

「はいはい、そーですね」

 柳鏡はそう言うと、戸を後ろ手に閉めて茶卓の前にドカッと座りこんだ。その左頬には、まだ赤く手形が残っている。

「それで? 飯はまだなのか? あんなうまそうな弁当突っ返してあんたのまずい飯食いに戻って来たんだからな、感謝しろよ」

 そう言って目を逸らす彼の様子は、やっぱりぶっきらぼうなのに、とても温かくて。左頬もまだ相当痛むはずなのに、何もなかったことにしてくれる優しさが、本当に心地良くて……。

「うん」

 二度目の大好き、という言葉を飲み込んで、景華はそれだけ答えた。この言葉の意味が前とは少し違っていたことに彼女が気付くのは、まだ後の話だった。

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