占い師、来襲 其の七
「……これが、龍神と龍神の華の最初の伝説じゃ……」
老婆はそこでホウ、と長く息をつき、景華もその老婆の言葉でふと現実に引き戻された。
「最初の……?」
彼女の疑問に答えるように老婆は頷いてから続けた。
「そうだ、最初の伝説だ。彼らはこの後、三度転生し、それらも龍神と龍神の華の伝説として語り継がれている。……もっとも、どれも不幸な終わり方をしているがな……」
不幸な終わり方という言葉に、景華の表情は目に見えて暗くなった。
「これらの話を知る者は極僅かだ。清龍族の僅かな人間と、後は私のような流れの民が知るのみ……」
そこまで言葉を紡いでから、老婆はふと頬を緩め、景華の頭を撫でた。
「確かに、今までの龍神と龍神の華はその転生を不幸に終えた。だが、あんたが気にやむことは何もない」
老婆の言葉に、彼女はふと顔を上げて、首を傾げる。なぜだが、老婆のその言葉にひどく実感が籠っているように感じられたのだ。……もっとも、そんな気休めのような言葉にでもすがりたいという思いが彼女にあったのかもしれないが……。
「あんたのお陰で、あいつは変わったんだよ。あいつはもう、龍神なんかじゃない。ただの人間さ。この言葉の意味位、わかるだろう?」
柳鏡は、もう龍神ではない……? 確かに、彼の左腕に刻まれていた紋章は、今ではもう跡形もなく消えてしまっている。それでは……。
「それじゃあ、私たちが伝説に縛られることは、もうないということですか……?」
僅かに顔を出した望み、それを全て託した彼女の問いかけに、老婆は滅多に見せない満面の笑みで頷いた。
「その通りさ。それに……」
今まで景華の手を包み込んでいた老婆の手がそっと離れ、愛おしそうに彼女の髪に触れた。なぜかはわからないが老婆のその行為が嬉しくて思わず笑顔を返すと、老婆が元のように彼女の手を包み込んで言葉を続ける。
「あんたはなかなか子どもを授からないと心配していたが、そんなものは杞憂だ。まあ、こちらもそのうちわかるだろうよ……」
そう、老婆は占いで彼女たちの近い将来を垣間見ていたのだ。そして、その祝いを言うために二人を訪ねて城までやって来たのだった。
「……はい!」
老婆の言葉に安堵した彼女は、ほんの少しその瞳を潤ませながらも微笑んで頷いた。
「おい婆さん、本当に帰るのか? もう日が暮れるだろう? 城なんだから、客室くらいいくらでもあるんだ。一晩位なら婆さんにも部屋を貸してやるから……」
「ふん、私の心配をしようなど十年早いわ、ひよっこめ」
「婆さん、まだ後十年も生きる気か……?」
柳鏡が勤務から戻って来ると、老婆は用事は済んだから帰ると言い出した。しかし、もう夕暮れ時で、これから宿を探すとなれば楽ではない。柳鏡はそんなことを考えて老婆を引き止めようとしたのだが、老婆は頑として首を縦に振らなかった。そんな彼女を見送るために、柳鏡は景華と二人で城門までやって来たのだ。
「おばあさま、どうしてもお帰りになるとおっしゃるなら無理にとは言いませんけど……」
景華がもう一度老婆を引き止めようとしたが、それでも彼女は頷かない。
「お前さんが心配することはない。なあに、また遊びに来るさ。……そうだな、今度は曾孫が生まれた時にでも遊びに来るかのう……」
そう言って老婆が意味深な視線を柳鏡に向けると、彼は一気に耳まで赤くなってたじろいだ。
「なっ……何言って……! そもそも、婆さんの曾孫じゃないだろう!」
「何を言っておる! 今日も昼間、衛兵にお前は私の孫のようなものだと言ったじゃろう! 孫のようなものの子どもは曾孫のようなものじゃ! そうじゃろう?」
「はい!」
急に水を向けられたのに、景華はそれに驚く様子もなく頷いた。しかも、満面の笑みで……。自分にはこんなに素直な態度は滅多にとってくれないのに、と密かに焼き餅をやく柳鏡だが、それは口には出さない。
「それじゃあおばあさま、お気をつけて!」
「ああ、またな」
老婆はそう言って、くるりと背中を向けた。腰の曲がった影が、どんどん遠ざかって小さくなっていく……。しばらくそれを二人並んで見送っていたが、やがて景華の方が二、三歩駆けて行って大きく息を吸い込む。
「おばあさまー! 絶対に、また遊びに来てくださいねー!」
そう言いながら腰の曲がった背中に向かって大きく手を振ると、老婆の影も手を振り返すのがわかった。それに満足したらしく、景華が腕を下ろす。
「行っちゃったね……」
「ああ……」
しばらくして老婆の影が見えなくなってから、景華がポツリと呟いたので、それに同意してやる。それから彼を見上げて、彼女はふわりと笑みをこぼした。
「おばあさま、また遊びに来てくれるかな?」
「……ああ。間違いなく来るだろうな……。まったく、いつの間にそんなに仲良くなったんだよ?」
彼の問いかけに、彼女はほんの少し得意気に、悪戯っぽくに微笑んでから答える。
「だって、柳鏡のおばあさまなら、私のおばあさまでもあるじゃない。だから、仲良しでいいの! それとも、焼き餅?」
「……そんな訳ないだろう」
そう言ってふいとそっぽ向いてしまう彼の手に、自分の手を重ねる。僅かに伝わって来た優しい感覚に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「ほら、そろそろ飯の時間だろう? 行くぞ」
ぶっきらぼうにそう言うくせに、彼女の手を離そうとはしない。そんなことからも感じられる彼らしさに何だか嬉しくなって、景華はとびきりの笑顔で彼に頷いた。