占い師、来襲 其の五
その数日後、彼がまた寂しさを紛らわすために姿を消して人里を飛んでいると、またしてもあの歌声が耳に飛び込んで来た。今度は迷うことなく、海際のあの崖を目指す。彼女はやはり、あの崖の上に立って歌を歌っていた。幻ではなかったのかという何とも胸を熱くする思いが彼の体中を駆け巡った。しばらくその歌声に聞き惚れていたが、やがて以前姿を現しても彼女が驚かなかったことを思い出して、静かにその場に顕現する。ふと空気の流れが変わったのがわかったのだろう。彼女がこちらを振り返って真紅の瞳を細めた。
「まあ、またいらして下さったのですね」
自分に向けられる無垢な好意に戸惑いながらも、彼はそれを隠そうとするかのように短く、ああ、と答えた。それから、静かに彼女の隣まで進み出る。彼女は特に怯えた様子もなく、黙って水平線を見遥かした。つられて水平線に目をやりそうになってから、ふと彼は上機嫌に再び歌を口ずさみ始めた彼女を見下ろす。
真紅の瞳は露で濡れたように光に染まり、結い上げられた髪からところどころこぼれるようにして靡いている後れ毛が、風にそよぐ葉のように見える。彼の視線に気付いて、彼女は歌うのを止めて彼を見上げ、ほんの少し首を傾げてみせた。
「どうかされましたか?」
彼はほんの少し思案して唸っただけだった。それなのに、口の端から漏れるそれは化け物のくぐもった唸り声……。彼女が怯えてしまったのではないかと慌てたが、大してそんな物を気にする様子もなく、彼女は相変わらず首を傾げたまま彼を見ていた。
「お前からは、なんら特別な力を感じはしない。だが、なぜだ? お前は先日、私の隣から何の前触れもなくかき消えるようにしていなくなった。幻を見たのかとも思ったが、今日もこうしてここで出会ったことを考えれば、そうとも考え難い。お前は、一体何者だ……?」
彼の問いに、彼女ははっと目を見張った。それから、きゅと眉根を寄せて俯く。その様子がひどく悲しげで、彼はどうしてよいかわからなくなった。
「龍神様でしたら、私の真の姿を見つけて下さると思っておりましたのに……」
彼女はそう言って、目を伏せたまま嘆息を漏らす。それから陽光が紅く染まるまで、彼女はじっと黙ったままで、また、どことなく先程の自分の問いかけに罪悪感を感じていた彼も、言葉を発することは叶わなかった。ザン、と波が崖下に繰り返し打ち寄せる音だけが、辺りに満ちる。
「……今日はもうこれまでです。またいらして下さい……」
彼女が思い沈黙を破ってふとそう言葉をこぼしたので、彼はまた来てもいいのかと彼女に問いかけようとそちらに目を向けた。
「……なっ?」
それは、今度は彼の目の前で起きた。太陽の残滓が水平線の向こうへと消えると、彼女は短く吐息を漏らして身を震わせた。……そして。
彼女がいたその場所には、一輪の花が咲いていた。体の小さな彼女と同じ、細く頼りない茎。夕闇のせいかかなり色濃く見える柔らかそうな葉は、彼女の後れ毛と同じようにそよそよと風に靡いている。そして何よりも彼女とそっくりだと思えたのは、その花弁の色だった。夕闇の中にあってさえも彼の瞳に語りかける、鮮やかな真紅の色……。朝露に濡れれば、そのまま彼女の瞳と同じように輝くだろう……。彼はその時、彼女の正体を察した。
彼女は、風に儚げな姿で揺れ歌う花の精だったのだ。
長らくお待たせいたしました。
インフルエンザで長い間寝込んでいました。申し訳ありません……。