占い師、来襲 其の四
その昔、天空から降り来た天王が辰南の国を建国したばかりの頃……。若く青々とした大地は夢を見ているようであり、その隅々までが生命の輝きに満ち溢れていた……。
天王に協力して建国の手助けをした玄武、白虎、朱雀、青龍の四神はそれぞれに人間たちを保護し、各地に村を作らせた。これが、亀水、虎神、緋雀、清龍の四族の起源である。四神はそれぞれに自分の保護する部族の娘たちと婚姻を結び、子をなした。これが、各部族の部族長一族の始祖である。
その頃の子孫たちは、神の血が濃すぎるために、しばしば異形の者として生まれて来ることがあった。ある者は亀のような鱗を持ち、ある者は虎のような鋭く長い牙を有していた。他にも全身を羽で覆われた者や、角が生えた者もいたと言う。
その中でも一人、神の血を濃く受け継ぎ過ぎたために、人外のものとして生まれた者がいた。清龍族の次子である。彼は龍そのものとして生まれ、それを憐れんだ青龍と彼の母が、彼を人里離れた山奥へと隔離した。……強すぎる力とあまりにも人とはかけ離れた見た目のために、彼は孤独な生を余儀なくされたのだ。
彼は龍として過ごし、あまりにも孤独なその子を憐れんで、青龍は自分の神力で彼を龍神へと引き上げた。……孤独な神の誕生である。
温かな陽射しが、緑の大地に降り注いでいる。時々草原の上を横切る雲が、ゆったりとした影を大地に落とす。一陣の風が、優しく草原を渡って行った。……それは、姿を消した龍神が一人きりの寂しい大地を渡る風であった。
こうして人々の間近を静かに過ぎゆくのは、彼の日課になっていた。それしか、孤独な彼が他者と触れ合うことはなかったのだ。……いや、これも触れ合っているとは言えないだろう。なぜなら、人々は彼が自分の横を優しく通り過ぎていることすら知らないのだから。それでも彼は満足だった。姿を見せずにいれば、人々はどこまでも彼に優しい。時々、隣を過ぎる彼に優しく微笑みかけてくれる位だ。
子どもの頃、父親の言いつけを破って人里へ降りたことがある。人々は誰もが彼を恐れ、ある者は足をもつれさせながら逃げ惑い、またある者は怯えながら彼に額づいた。
(どうして僕はこんな風に生まれてしまったのだろう)
彼は父親の叱責を受けながら、ずっとそんなことを考えていた。人と自分の見た目が天と地ほどもかけ離れていることは、その時見た人間と、彼らの自分を見る怯えきった目によってよく理解した。そして、二度と人間の前に姿を現すまいと決めたのも、その時だ。
それでも簡単に寂しさを紛らわすことはできず、彼は姿を消して人里に下りることを覚えた。それ以来、一方的な触れ合いであっても、彼は満足している。
その日、彼はいつものように人里に下りていた。そしてその帰りに、耳元をうるさく過ぎる風に紛れて僅かに歌声が聞こえることに気付いた。切れ切れに聞こえるそれは、彼を甘く優しく、幸福の淵へと誘う……。こんなに穏やかな気分を味わったのは、いつ以来だろうか……。自然と、彼はその歌声の方へと空を駆け始めていた。
気付くと彼は、辰南の北西の国境、海岸近くまで足を運んでいた。夕陽の温かな紅い光が、今は姿を消している彼にも優しく照りつける。……陽の光は、誰にでも平等だ。ふとまたあの歌声が彼の耳朶をくすぐった。
(何者だろうか……)
彼は、海に突き出した崖の先端、橙色の逆光の中に誰かが佇んでいるのを見つけていた。……どうやら女性らしい。長い髪を、簪で纏めて高く結い上げているのが陰の形でわかる。瞳が紅く見えるのは、夕陽の照り返しのせいだろうか……?
「どなたですか?」
ふと振り返った彼女は、彼女の歌声に聞き惚れ、真紅の瞳に魅入られて我を忘れていた彼をその瞳でしっかりと捉えた。……いつの間にか、彼は姿を隠すことさえ忘れてしまっていたのだ。
「あなたは……龍神様?」
彼女はそう言って首を傾げると、一歩彼に向って足を踏み出した。あまり彼を警戒する様子もなく、むしろ親しみを感じているようだ。そんな彼女の様子に、彼は少なからず不審と恐怖を感じた。
「お前……私が恐ろしくはないのか?」
そう訊ねる彼に、彼女は真紅の瞳を細めて笑って見せる。……どうやら、その瞳の色は夕陽の照り返しなどではなく、彼女が生まれ持った色らしい。彼はこれまで、そんな美しい色を見たことはなかった。姿を消して人々の間を通り過ぎる時も、そのような瞳の色を見たことはなかったのだ。
「どうしてですか? 龍神様だって、まさか私を突然その爪で引き裂いたりはなさらないでしょう?」
彼女はゆったりと笑顔を作って見せると、彼の隣に並んで立った。それから、遥か彼方まで続く水平線に目を向ける。彼女の見つめるものを彼も見てみたくて、その視線を追った。夕陽が最後の紅い光を一片投げかけて、水平線の彼方へと身を沈めた。まだ赤々と燃えている空に、彼は思わず嘆息をこぼしてしまう。
「美しい眺めだな……」
そう言って隣を見下ろした彼は、驚きに目を見張った。先程まで隣に並んで立っていた彼女の姿が消えていたのだ。……何の前触れも、気配もなく。
「幻……だったのかもしれないな……」
孤独な自分が見てしまった、優しい人の幻影。ほんのりと残された香りに寂しさと一層の孤独を感じながら、彼は身を隠して空へと消えた。
お久しぶりです。
累計ユニーク人数が二万人を突破した御礼として、龍神と龍神の華の神話を書かせていただきます。
なかなか思い通りに進まず更新が滞ってしまいがちですが、あまり期間を空けずに更新していきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。