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姫と龍神 笑顔

 昼が過ぎた。柳鏡は今日は仕事には行かず、家の修復に追われていた。

「ちくしょう、このオンボロ!」

 そう言って壁を相手に突きを繰り出す様子は、朝とそっくりだ。そこで、景華の手が止まっていることに気が付いた。ボーっと針を見つめているその姿は、何か別のことを考えているようにも見える。

「ボヤボヤしてたら危ないぞ。それでなくたって鈍くさいんだから」

 声を掛けられてハッとした景華は、ツンとふてったようなそぶりを見せた。

「疲れてるなら休みながらやれよ。別に一日で仕上げなきゃならない物でもないんだからな。元々、清龍の里には姉さんみたいに繕い物が苦手な奴ばかりだから、預けた奴らも仕上がりがきれいなら、多少時間がかかったって大目に見てくれるだろうし」

 柳鏡はその言葉を聞いた景華が手を休めるのを見てから屋根に登って行った。どうやら、今度は屋根の瓦を直すようだ。

 手を止めた景華は、ボーっとしながら天井を眺めた。

(これからどうすればいいんだろう? 城に戻るにしても、理由がないし……。趙雨が王になれば、お父様よりもいい政治ができるのかもしれない。でも、お父様の亡骸はどうなったのかしら……?)

 景華が最後に父を見た時、彼はすでに動かなくなっていた。その情景が、今も頭から離れない。

 手元の衣に、滴が落ちてシミになった。後から後からこぼれてくるそれは、もはや自分の意思で止めることもできない。

(私、泣いてばっかり……)

 城にいた頃は、彼女は自分の不甲斐なさなど感じたこともなかった。城にいた頃の彼女は、父や柳鏡に守られて平和に暮していれば、それで良かったのだ。城の外に出て思い知ったのは、自分がいかに無力な人間かということ。自分を庇ったせいで、柳鏡は龍神の紋章を解放しなければならない程の窮地に陥った。自分は役に立たないどころか、彼の足手纏いなのだ。

「おい、泣きながら繕い物するのがあんたの特技なのか?」

 いつの間に屋根から下りて来たのか、気づけば柳鏡は彼女の正面に腰を下ろして、その泣き顔を覗きこんでいた。景華は慌てて首を横に振ると、手の甲で涙を拭って溜息をこぼす。柳鏡がその様子をじっと見つめながら呟いた。

「不細工な顔」

「っ……!」

 売り言葉に買い言葉、というやつで、景華は頭の中で、余計なお世話よ! と返していた。

「いつまでもメソメソしてるから言ってるんだよ! 仕事、辛いのか?」

 ブンブン、と景華の髪が横に揺れた。

「じゃあ何だよ?」

 訝る柳鏡の手を、景華の小さな手が取った。

「どうして……足手纏いの、私を……助けた、の? ……大怪我まで、して。何だよ、そんなことでメソメソしてたのか」

 柳鏡がいかにも馬鹿らしいという様子でそう言ったので、景華はムカっとした。

「私は、もう姫でも……ないし、何も……持ってない、から……柳鏡に……何も、あげられない。護衛の、お給金……だって、払えない……。だあぁ、くだらねえ!」

 柳鏡が、景華の手を少々乱暴に振りほどいた。

「あんた、俺がなんであんたの護衛なんか引き受けたり、城だなんて面倒な所まで行ってあんたのくだらない遊びに付き合ってたのか、わかってないだろっ?」

 コクリ、と景華があまりにも素直に頷くのを見て、柳鏡はがっくりと肩を落とした。そのまま不揃いなくせ毛を搔きあげて、景華から視線を逸らす。その仕草は、照れ隠しの合図だ。

「まあ、それはいずれ機会があれば話すとして……」

 景華は、きょとん、と彼を見つめた。心なしか、その頬はほんのりと赤い。

「確かに、俺はあんたをここまで連れて来た。途中予期せぬ事態で怪我をすることにもなった。でも、あんた忘れてないか? 俺は国王殺しの濡れ衣を着せられてるんだ。つまり、俺にも逃げる理由があったって訳だ。それにたまたまあんたを連れて来ちまっただけだよ、気にするな」

 景華はしょんぼりと俯いて、一度振り払われた柳鏡の手を再び取った。

「だけど……私が……足手、纏いに、ならなければ……龍神の……封印、を……解放する……こともなかった、でしょう?」

 柳鏡が、文字が綴られ終わった自分の手のひらをじっと見つめた。どんな言葉を選べば彼女を傷つけないで済むのか、彼はそれを真剣に考えていた。

「そうだな……ここでそれを否定しても、あんたは信じないだろ。でも、あの瞬間に封印を解いたのは俺の意思だ。あんたのせいじゃない。あれのおかげで、毒矢でついた傷も一度に癒えたしな」

 気を失っていた景華が、目覚めた時。彼はあの時、自分の体に何の痛みもないことを不審に思い、傷があるはずの位置に直接手で触れて確認していたのだ。案の定、肩口の傷はすっかり塞がっていて、手触りから考えれば、ほとんど痕も残ってはいなかった。

 景華が唇を噛んで俯く様子を見て、彼は密かに後悔した。あの言葉は、彼の精一杯の優しさから出たものだった。あれ以上、彼女にどう言葉をかければ良かったのだろうか。

「それに、考えてもみろよ? 永遠の命に巨万の富だぞ? いらないって言う方がおかしいだろ?まあ、試練とかいう余計なおまけ付きだけどな」

 目から溢れそうになっている滴をこぼさないように頷くその姿が、柳鏡の目にはとても愛おしく、そして痛々しく映った。どうしていいのかわからなくなって、彼はその頭を優しく、不器用に撫でてやった。ポトリ、と滴がこぼれる。

「泣くなよ」

 俺まで辛くなる……。

「不細工な顔、もっとひどくなるだろ。見るに堪えねえよ」

 これ以上、あんたの泣き顔見るのが嫌なんだよ……。

「笑えよ」

 どうか、笑ってくれ……。

「その顔よりはマシなんだから」

 俺の一番好きな、あの顔で……。

 彼の心の声が彼女に聞こえたはずもない。でも、彼女は次々こぼれ落ちる滴を拭って微笑んだ。ほんの少し目を細めるのが癖の、柳鏡の一番好きな表情……。

「やればできるんだろ? やっぱり不細工だけどな」

 彼はそう言って景華の額をツンと突くと、再び家の外にその姿を消した。先程戻って来たのは、仕事が終わったからではなく、景華の様子が気になって仕方なかったためだったのだ。

「そうだ、一つ言い忘れてた」

 そう言って、柳鏡は戸口に再び顔を覗かせた。

「姫でなくても、あんたはあんただろ」

「っ……」

 景華は、一瞬息を詰まらせてしまった。まさか今朝彼女が彼に向かって掛けた言葉が、そのまま返って来るとは思ってもいなかったのだ。その言葉に大きく彼女が頷くのを見届けてから、彼はまた、屋根の上へと姿を消した。

 秋の始まりの、晴れやかな一日だった。

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