龍神の随想 其の六
ふと目を覚ました彼は、どこか覚えのある甘い香りを胸一杯に吸い込んだ。しばらくして意識が覚醒してから、その正体を思い出してハッと目を開け、息を飲む。
腕の中には、深緑の髪。月光が白い横顔を夜闇の中に浮かび上がらせる。自分に体を預けたまま、心地良さそうに寝息を立てている、彼女。それが、あの香りの正体だった。
どうやら、少しだけ眠っていたらしい。秋の夜の長さに、彼は密かに感謝した。
……とても長い夢を見ていた気がする。彼女がいて、自分がいて、平和で幸せだった、あの頃……。それを思い起こしたのは、あの頃からずっと大切に想っていた、この温もりのせいだろうか? 心の奥底まで光を照らして温めてくれる、この温もりのせいだろうか……?
彼女が自分を追って来てくれてから、どの位の時間が経ったのだろうか。たった一晩の間に、色々なことがあり過ぎた。彼女の即位、その祝宴、永遠となるはずだった離別、青龍の召喚、そして決断。本当にそれが全て、一晩の間に起きたことだったのだろうか……? そして。
自分の腕に抱かれて安心しきったたように眠る、彼女。これが今、本当に起きていることなのだろうか。龍神と龍神の華が結ばれたというのは、本当に真実なのだろうか……?
「案外、こっちの方が夢だったりしてな……」
龍神も龍神の華も生きているなんて、本当はそんなことありえないはずだ。これはもしかしたら、神が死する人間に贈って下さると言う、人生最後の幸福な夢なのかもしれない。それでも。
こうして彼女といることが許されるのなら、それでも構わない……。運命が残酷な物だということは、小さな頃から身を持って知っている。だからこそ、どうしてもこれが現実だとは思えないのだ……。
「……いつまで一緒にいられるかはわからねえけど、せめて……」
せめて一緒にいられる内は、この温もりと幸福を、噛み締めていたい……。身も心も温めてくれる彼女の、隣にいたい……。
彼はこの時、気付きもしなかった。深緑の柔らかい髪の下で、青銀の氷が融解し始めていたことに……。